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「応援したい」と「自ら関わりたい」の違いは何か

最近会社の人に飲みに誘われることが多い。ここ2か月で3回行ってきた。あと2回予定がある。みよよさんと話したい、と言ってくれるのはとても嬉しいし、他部署の方がほとんどなので、情報交換としてとても有意義な時間だった。

忘年会は休むけど笑。

皆とても良い人で、一生けん命で優しい。そして「頑張れ」と心から思う。だけどそこで「あれ?」と思った。

頑張れって自分の会社だよなあ。なぜこんなに他人事なのだろう。

「自分で何とかしたい」という気持ちを、わたしはつい2週間前のコーチングで話していたのにも関わらず、最近の飲み会ではどこか引いた目で皆のことを見ている自分に気づいた。自分が本当に欲しいものと会社から求められていることが、ずれてきたのかなと感じてきている。
ありがたいことにたくさんの経験をさせてもらっている。セミナーの講師もやったし、今は新入社員のメンターも行っている。
でも、詳しくは書けないけれど、自分が違和感を覚える出来事がちまちま出てくるようになった。最近まではずれが生じないように、自分で上長とすり合わせてきたけれど、数が多すぎていい加減疲れてきた。決して会社が悪いわけではなく、わたしの求めることがはっきりとしてきたのだと思う。正直転職したときは、ただただ営業から逃げたかった。優秀な人と比べられる世界から飛び出したかった

でも、本当は営業から逃げたかったわけではないことに気づいた。営業は好きだけど、やり方が自分に合っていないだけのことだった。数字を追うのは好きだし、そのプレッシャーに耐えて達成したときの幸せを味わうことも好きだ。商談が好きだし、もっと営業に詳しくなりたい。其のうえでもっと企画を作りこむ部分を強化して、営業の基本の提案書を企画して、組織を回すこともやってみたい。

という気持ちにやっと気づいたのだった。

余談だけど婚活でも、「この人はいいひとだなあ。以上」という人が何人もいた。その人が悪いわけではなく、わたしの結婚に対しての考えと全然違うということが理由だった。

だから「応援したい」と「自ら関わりたい」の違いって、当たり前だけど「自分がやりたいことに沿っているか否か」というシンプルな回答なのだと思う。本来は、そこまでやりたくないけど人間関係で関わってしまうと、しんどくなるのかなあと今更気づいた。

仕事は嫌でもやらなければならないこともあるけれど、結局それも「スキルが手に入る」「報酬が上がる」といった、自らがなりたい状態に近づいているといった実感があるから頑張れることもある。その部分なしに、業務にいろいろ関わったところで疲弊するだけだと今更気づいたのでした。

今日は特にオチはないけれど、感情を書こうと思ったのでこんな感じで。そして書いて気付いたけど「もやもや」って感情なのかしら。



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