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自分の無知を知る

今週わたしは仕事で泣いた。多分入社して初めてではないだろうか。
理由は簡潔に述べると「自分の仕事のできなさにびっくりした」から。

先週の火曜日に重要なアポが取れた。アポの日は金曜日。提案書を作らないといけない。木曜日までに。
上司は毎朝と毎晩壁打ちに付き合ってくれた。毎日22時まで提案書を作った。毎日パソコンとにらめっこした。
それでも当日朝に上司は言った。
「ごめんみよよさん、1人で行きたいのはわかるけど会社にとって大事なアポだから僕も出るね」

当日のアポは上司も出て完璧なフォローをしてくれて次につながった。でももし自分だけだったら、きっと次に繋がらなかったんだろう。

ああ、わたしって今の仕事全然出来ていないんだ。

嫌でも分かった。情けなくて上司と振り返りした時にボロボロ泣いた。
「大丈夫ですよ、自分を知れて良かったじゃないですか。というか、自分ができないの分からないと成長しないですからね」と上司は励ましてくれた。

よくかんがえたらわたしは、他のことも出来ていたフリを何となくしていた気がする。というか自分は出来ると思っていた気がする。
本当の実力を知るのが怖いから。何も出来ない自分を直視するのは辛いから。

分からなかったら質問をしてくださいね、とよく学びの場で講師は言う。最近色々な学びの場に出ていて思うんだけど、
自分がどの部分に対して分からないと感じていて、どんな質問を講師にすれば不明点が解決できるのかを自分で「知る」ことは、何も分からない人にとっては難しいことだと思う。

だけど、それは「教えてもらおう」という受け身だけの姿勢を辞めれば解決できると気づいた。

この仕事のことがあるまで、わたしはかなり舐めた人間だったと気づいた。

仕事で分からないことがあったら、誰か助けてくれる

どこかでそんな甘えがあった。

けれど、本来は自分の仕事や学びの場で足りない部分は自分で情報を取りにいくべきなのだ。誰かが教えてくれるのは高校生までだ。それなのに、分からないことがあっても、誰かは助けてくれるだろうと自分の無知を見て見ぬふりをしていた。とても受け身で恥ずべきことだと感じた。

こっそり仕事に関する本を買った。とても基本的なことしか載っていない。でもいいじゃないか。自分が無知であることに見栄を張る必要なんてない。ゆっくりと、でも確実に進んでいこう。
まずは何にせよ基本を叩き込もう、と思った今週でした。

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