ある家族の風景がわたしの肩の荷を軽くしてくれた 生きているとメッセージを送受信し合っているんだね


※こちらは2021年2月4日にInstagramに投稿した記事を編集・修正しています





ある日、施設で暮らす父に頼まれていた腕時計を探して奔走しました
近場で済ませようと思っていたのに、案外売っているところが少ないことにうろたえ、めげそうになる
寒いし。
文字盤が見やすくいいじゃんと思いきや、手先が不自由だと着脱のしづらい穴通しベルトのタイプばかり
適当なものを見つけるのになかなか苦労したよ

さてと、せっかくだしちょっと休憩して帰ろう。
いつもの場所お気に入りの席に陣取ってしばらく経ったころ、目の前の風景に釘づけになりました

“家族団欒”

何げなくてありふれている光景かもしれない
でもわたしにはそのときそこにだけ、ピントがぴったりと合ったんです
お父さんお母さんと思しき大人2人と、男の子3人(5・3・1歳くらい)
いちばん小さな子はベビー用チェアに、そのすぐ隣にお母さんで向かい側にお父さん、2人の子がその間、まあるくテーブルを囲むようにして食事をしていました

私のいるテーブルから真っ直ぐ前方4、5メートルは離れていたから会話の内容まではわからないけれど、その間の席は空いていたので様子を見通すことができました
その声の調子や表情、空気からうかがえる関係性
ただただ自然で、あたたかくて、やさしくて、穏やかで、落ち着いていて
わたしが味わったことのない感覚に、目の奥がじわわと熱くなる
うわ、あふれる。

こんな離れているのに伝わってくる 
ふわーんと
あの、なんて言ったらいいか、どこからともなく漂ってくるカレーライスの匂いみたい
くすぐったい。
食欲をこえてそのまた向こう、ずっと奥の場所までそっとなでられるような

目を閉じるとその様子と感覚がよみがえってきて、日を追うごとにさらに味わいが増していくよう
そうしていたらね、だんだんとわかってきたんです 

「ああ、わたし、背負い〔しょい〕過ぎた」って

わたしの荷物じゃないものまで。

長い間背負っていたらもう自分の一部になってしまって、それが自分だと思い込んじゃった
そのせいで自分を責めたり、限界まで追い込む癖がついてしまったんだ

ずっと重い 
大人になってもずっとずっと重い 
どうしてなのかも、これが一体何なのかもわからなかったけれど

人に頼れないことや、自分を知られることが苦手なこともそう
小さいころのわたしが諦めたこと・その代わりにじぶんに課したことが、今現在の私のしんどさ・生きづらさと繋がったんです

偶然目にした風景が、自然の営みが、こうも人に影響を与えることがあるのね
救われました
これも、コミュニケーションよね
間接的だし、物理的に離れてはいるけど、私はこんなふうに受け取りましたよ

あのご家族に何とお礼を言っていいか
またどこかでお会いできないかな 
そのときは微笑んでマスクの内側ででもささやかに
「ありがとう」を伝えたいです


#一人じゃ気づけなかったこと #エッセイ #セレンディピティ #家族団欒

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