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1/1 【初詣に並ぶ若者を横目に、大人ぶっている嫌な自分を俯瞰する。】

2023年が終わりを告げ、2024年を迎えた。

年末年始も仕事のため、特に年越しの準備や行事考えることもなく、ふらっとどこかやってる飲み屋にでも入って細々と新年を迎えようかななんて思っていたけれど、僕と同じ境遇の独身男性が2名職場にいた。あまりにも同じ匂いがするため、3人で年越そうか、、1人は流石に寂しいか、、と年内最後の営業を終えたテンションも相まって、まるでワンピースのようなこれから大航海にでも行かんばかりの勢いで店を飛び出し、近くの神社へ出向いた。

年越し30分前、まだ神社には誰もいない。そりゃ初詣というくらいだから、年を越してから行くのが基本だろう。寂しくて早とちりしてしまったアラサー3人組を出迎えてくれたのは、甘酒と風で兵器と化すバカデカい焚き火だった。うわ、なんか年末感あるやん、、とみんなで甘酒を飲みながら喋っていると、明らかに若者たちの人数がどんどん増えてくる。普段丹後にいると見かけない、明らかに学生や新社会人くらいの年齢の軍団が、年を越そうと集まってくる。

久しぶりー!ういっすー!などの明るい会話を横目に、年が超えた。踊る若者、絶叫する集団。ここクラブですか?と挙動不審になるアラサー3人。『うわ、若いな。。。付いてけん。』満場一致の回答だったに違いない。誰も言葉を発していなかったが、顔は物語る。明らかに、大晦日の神社で浮いた3人となっていた。ざーっと勢いよく集まる若者たち、友達のいない同窓会に放り込まれた感覚ってこんな感じかもなーと思いながら、その行列に並ぶことなく、お参りもせず足並みを揃えて帰ってきた。


23年から24年に入るまでのたった30分間で、色々と考えさせられた。僕らはいつから、たった5~6歳下の子達を若者と言い、自分はもう付いていけないと思うのだろうか。どのタイミングで、自分たちは年を取っているのか。昔の感覚が残っているなら、自分も同じように馬鹿騒ぎできたんじゃないか?脳内がグルグルと思考で埋まっていき、未だにしっかりと年を超えた感覚に至らない。最後の最後で突きつけられたこの問題は、24年の自分の課題なんじゃないかと思えるくらいに刺さった。

多分、恥ずかしいんだと思う。恥をかきたくないから、年齢を言い訳にしてる。もう若くないから、、とか言って自分を正当化しようとしていたんじゃないなかと思う。たまたま年の瀬の出来事で思っただけで、これって私生活や仕事の中でも結構あると思う。恥ずかしいからやらない。恥ずかしいから言い訳する。まだまだ自分にもあるし、あの一瞬の瞬間で恥ずかしいから本来の自分を塞ぎ込んでいる自分に超嫌気がさした。別に暴れたいとかじゃない。一緒になって楽しめばいいところを、自分で選択肢を減らしている自分が嫌だった。

まさか新年の1発目でこんな内容をnoteに書くとは思わなかったけれど、なんかめちゃくちゃ感じちゃったなー。皆さんはどんな年越ししましたか。

まあ、そんな気負わずやれることをやれる範囲でコツコツです。

では、新年初サウナ、行ってきます。

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