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失われる能力 : 「パトリックと本を読む」 III ミシェル・クオ

アメリカ南部、デルタ。北軍が勝とうが法律が変わろうが奴隷の子孫の状況は悪くなるか変わらないか。そこに自身も移民の子である著者が国語教師として赴任する。

読みどころは盛りだくさん。
著者の授業内容、生徒との接し方
デルタの現実
著者の将来設計への迷いと決断
そして事件と不公正な司法
パトリックと著者の二人の授業

アメリカの深部で日々起きていることや、当たり前になっている差別、構造の問題を、実態の中に飛び込んだ著者の目と、著者自身の差別体験や移民性も混えて、リアルに知っていくことができる。
物語性ある展開が、長さを感じさせず、惹きつけ続けてくれる。
個人的に、人種差別問題は、どうしても〈白人〉には感覚としてわからない部分があると実感しているので(とても残念だけれど)、著者がカラードだからこそ感じ、書けたことにも貴重さを感じる。

本書では著者の授業の仕方、教え子であったパトリックが事件を起こしてしまうこと、その後の2人の授業、が主眼になると思うが、わたしが一番衝撃を受けたのは、「教育のはかなさ」だった。

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教育が日常にないこと

日本は識字率がとても高い。
義務教育を受けていても、映画の字幕が読めないので吹替が欠かせない国がある。
識字は学ぶための基礎なので、字が読めないとすべての教科の学びが進みにくくなってしまう。

本書を読むまで、わたしは、少なくとも先進国で、義務教育を卒業できた人たちが、なぜ字が読めない場合があるのか、はっきり原因がわからなかった。
成績が十分な出来ではなくても、ギリギリで卒業できることは想像できる。
でも、字が読めないのでは、最低限の卒業ラインにも届くのは難しい。
机上学習のほとんどで落第するだろうと思う。
学校教育が整っていない時代を生きた世代が少なくなるにつれ、識字率はもっと劇的に上がっても良いのでは?と思っていた。

しかし、この本でわかったのは、「学んだことを忘れる」という、簡単なことだ。
反対に日本人はどうやって識字力を保てているのか、不思議になってしまった。

パトリックだけではなく、著者が教えた生徒たちの複数が、数年の間に学校教育から外れてしまう。
パトリックはその中の1人に過ぎないが、学校での学びに困難があった人たちがさらにそこから離れることでどうなるのか、の例としてみることもできる。

パトリックは著者が教えた1年で飛躍的に読み書きの力が伸びた生徒だった。
すでに10代後半を迎えながら、アポストロフの打ち方、カンマ、ピリオド、文頭を大文字にすること、I (私)は大文字で書くこと、と言った基本中の基本から学んでいく。
実際には「学び直し」ていたのだと思う。

アルファベットが表音文字でありながら、つづりと発音の関係が複雑(言語によって差はある)なことも、学びを難しくしている気もする。
その点、日本語は平仮名、片仮名と音が完璧に一致している(日本の識字率の高さには、これが関係しているのかもしれない)。
フランス語は比較的、つづりと音の規則性がある方だ。
それに慣れると英語の規則性の希薄さに驚く。
手で書くことが激減し、書かれたものを音読して誰かに直してもらう機会がほぼないいま、わたしの英語のつづりは目を覆うひどさだ。
書くときも、知らない語を音にするときも、フランス語の規則に引っ張られている。

わたしの場合は英語は母語ではないし、勉強を怠ればこうなるのは当然なのだが、一応、基本的な書き方の規則などは忘れはしない。

でも、母語として毎日話し、それで意思疎通をして暮らしているパトリックたちは、一度か何度か学んだ基礎すら忘れてしまう。
著者が再会したパトリックは、I を大文字にすることも忘れているし、音読もたどたどしい。

「アルジャーノンに花束を」のような、残酷さを感じた。

拘置所での7カ月間、パトリックはまた学び直しその能力を発揮する。

しかし、刑が確定し、著者が去り、パトリックが刑務所から送ってくるはがきは、またアポストロフが抜けている。

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勉強したけれど忘れてしまったことは山ほどある。
理数系の科目はちんぷんかんぷんで、歴史や地理もかなりあやしい。
そういう「忘れる」は誰でもそうで、天才か努力を続けるかしなければ失って当然だと思える。

毎日活字に触れていても、漢字は手で書かないと書けなくなる。
同音異議の漢字を正しく選べなくなる。

これまでは、母語を日常的に読み書きし、使っていれば、大元の言語基盤を失うことはないものだと思い込んでいた。
長年、他言語で暮らすことで、母語を失っていく人たちを実際に知っているが、日本に暮らしていたら、一定の力は保てるものだろうと思っていた。

でも、書けることを条件にして言語能力を測ったら、日本人の日本語能力はものすごく下がっていて、点の打ち方、改行の仕方、段落のつけ方、カギ括弧の使い方と言った、ごく基本的なことができない人が増えているだろう、と思った。
そういえば、現役大学教員たちが、段落の最初の一文字をあけるのができない学生がいることを話していた...。

同じ現象は、他の言語でも起きていないわけがない。
世界で言語能力が下がっていっている。
人間の歴史上、この後退は大きな意味を持つだろう。
それがとても怖い。

でも、

この本で確かだったのは、つづりを間違え、アポストロフが抜け、自信のない文字を書くようになっても、パトリックが冒険小説や詩を読んで感じたもの、自分で詩を書いたときに心に起きたことは、しっかり彼の中に根を張っていたことだ。
刑務所から出ても、本を読んだり何かを書いたりすることは、ほとんどないようだったが、

本の最後に載せられたパトリックの書いた詩は、どんな優れた詩人にも負けない、光と温かさに満ちている。

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