大学のオンライン授業について
たのしみにしていた大学が、始まりません。スタートダッシュ決めたろうと意気込んでいたはずの前期授業が、始まりません。
今日も家で画面上の中の教授とパワーポイントを見つめていました。そんなオンライン授業について思ったことがあったのでいち意見として。
オンライン授業て便利、永遠これでいいじゃん
圧倒的メリットとして述べられます。通学時間不要!!
通学にかける40分間自転車疾走時間が不要。体力ゲージ100の状態で授業を受けることができる。とても便利ですね。
カメラをオフにすれば、化粧しなくていいし、着替えなくてもいいし、なんなら朝ごはんを食べながら受けることが可能である。
つまり9時からの授業なら8時55分に起きても間に合う。
学校行ってた時と同じように教授の話を聞く。パワポを見る。ノートに書き写す。レジュメに書き込む。
ときどき眠いなぁってうとうとしながら、耐える。カメラをオンにすれば顔が映る緊張感も持てて、真剣に受けてそうなみんなを見ることもできる。
あ!あと…。パワポが見やすい!!!!!
授業やとどうしても後ろのほうに行ってしまいがちで、視力の関係で文字小さいところとか「見えへんやん!」ってなってスマホカメラのズーム機能使ったりして受けてるけど、その必要がない!!いつだって最大ズーム!!!
え!ウェブ授業最高!超便利!!
あれ、なんで学校行ってたんだっけ
こんなめちゃくちゃ便利なオンライン授業。永遠これでいいじゃんって思えてしまったということは、今まで通学にかけていた時間・労力を削ったとしても、同クオリティ、もしくはハイクオリティの授業を受けることができるということを認識したということ。
では、わたしはいままで、何のために身支度をして、自転車をこいで、たくさんの時間と労力を”通学”に費やしていたんだろう?
”大学”に行ってたのではなく、”通学”しに行っていた?
なんのための大学で、なんのための3密だった?
これを”講義を受けるため”と仮定するのならば、今回のウェブ授業の実施によりその有効性と利便性が確証されたため、この過程が破綻することは昭然たることである。
”大学”が”大学”であることの意味は?ここにきて、よくわからなくなっている。実家通いがこういうんだから、下宿生はもっとわからなくなってるのかなとも思ったり。
通学でしかできないこととは?
最終的にここに行きつく。わからないんだったら、考えよって。
まあ、オンライン授業で何が物足りないかっていうと、みんな「そりゃあ、あれでしょ」って絶対なると思う。ここは、99%一致していいと思う。
ともだちにあいたい
そりゃそうです。私もそうです。大学入って仲良くなって、毎日会って、協力しながら授業受けたり、レポートは団体戦だったり、眠いのを起こしあいながら、ケラケラ笑って授業を受ける。
これができるのはやっぱり、直接会えて、直接話せるから。
じゃあ、こうしよう。
入学当初からウェブ授業なら…?
上記で述べたことはまず起こらない。授業を受けていることで友達ができるわけでもない。SNS上でつながる友人はあれども、一緒に旅行に行ったりするような友達はおそらくできないであろう。
「”大学”が”大学”たる所以が、”研究目的”であり”講義受講”である」とするならば。
オンライン授業を通して、対面授業を考える
上記に述べたような内容が今まさに起こっている。
それが、今年度の新入生である。
新入生のみんなは、1年間、もしくはそれ以上、勉強漬けになる日々を乗り越え、「人生の夏休み」といわれる華の大学生活を夢見て必死に勉強してきたわけである。いざ進む先が決まって、さあ大学生活の幕開けだ!というときに、入学式中止、授業は遠隔、Stay Home.…。
新入生にとってはまさに今、大学が大学たる所以が、講義受講なのである。
それでは楽しい大学生活を経験してきた現2回生からM2の皆さんにお聞きしたい。そして、大学生活を終え今や振り返る立場となった社会人の皆さん、大人の皆さんにお聞きしたいです。
オンライン授業を通して、対面授業はどのように異なると考えられるか。
また、”大学”が”大学”たる所以は何なのか。
わたしは、わかっていない。迷走中。
だからこそこのnoteを記したのであり、問わせていただいている。
みんなの意見を聞きたい。できるだけたくさん聞きたい。たくさんの意見材料がほしい。
コメントとかくれたら嬉しいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました
放浪癖もち飽き性単位諦めがち注意散漫の限界大学生です