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ひとりぼっちの初詣

最近、朝が起きれない。

持病の関係で、自分から眠りに落ちるのが出来ないので、夜寝る前の薬に、睡眠導入剤が入っているのであるが、服用しても眠れず、追加の睡眠導入剤と副作用止めを服用し、眠りに落ちるのが夜中の2時ぐらいである。

そんな訳で、自動的に、起床時間がお昼に迫る勢いである。

そもそも気持ちが落ち込んでいる影響なのかもしれない。

現在、実家を業者に入ってもらって、家財を整理中なので、気持ちが萎えている。

父親が生活していた当時のままの実家の見納めの時に、家の中を祈りながら回った。

ごめんね。自分じゃ、処分しきれなかった。

この家に、自分たちが住むことが出来なかった。

許してね。

などなど、独り言を言いながら、家の中を回り、父親が使っていた、急須や自分が使っていた箸やコップ類を荷造りし、最後に、お札をまとめ、おさめに行って、初詣をした。

業者が家財を運び出す時に、ケガなどしないように、お札を買い替えておくことも考えたが、その代わりに、業者には、お茶をひと箱贈り、作業が終わったら、お清めで、ビールを送る旨を伝えた。

何しろ、遺品整理をし始めた去年の一月に階段から落ちて、骨折するという事態が起こっているからである。

その時、「まだ、早いだろ。」と父親の声が聞こえたような気がしたからである。

業者には、料金を勉強してもらった手前もあって。

それに、両親だったら、業者にお茶出しはするはずだし、お清めもするはずだしと。

そして、本日、実家を処分する予定日が不動産屋さんから連絡が入った。

もっと、実家の家具に囲まれて、息をしたかったよ。

いろいろ考えて、実家を処分することに決めたけれど、まさか、こんなにも早く、実家とお別れをしなければいけないなんて。

父親は、怒るかな?

しかし、仕方がない、空き家に対する法律も改正されるらしいニュースも入ってきている。

まだ、処分が終了したと業者から連絡はない。

からっぽの実家をみたら、どんな気持ちなのであろうか?

ほっこりとした空間が、ぽっかりと穴が空いたような空間へとなるのか?

そのぽっかりと穴が空いたような空間ともおさらばである。

将来的には、取り壊して更地になってしまう間まで、実家は、そのままの姿で建っているが、引き渡したら、もう、その中に入る権利が無い。

母親が他界した時に、泣いてはいない。

父親が他界した時にも、泣いてはいない。

いつ、泣けるのであろうか。

今年、実家を処分するが、確定申告は、来年。

泣く暇なんてなかったよ。

小さい頃、あんなに泣き虫だったのに。


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