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昨日の頭痛は嘘のように。

昨日の頭痛は嘘のように、ワクチン接種部の痛みも触ると痛いぐらい薄らいだ。

今日は、父親のドクターから電話をいただいた。

血液をサラサラにする薬を最大限服用するのを三週間継続するらしい。

しかしながら、現在、入院している病院は、2週間しか入院が出来ないので、転院か施設か自宅かの3択を迫られた。

父親の状況は、現在地がわからない、日付があやふやであるという話なので、また徘徊しては、命の危険があるので、自宅は選択肢から外れた。24時間、見守ることは、不可能であるからだ。

ドクターに、現在、ケアマネージャーに特養の資料を頼んでいる事を告げたら、病院のケースワーカーに繋げて下さるとのたまう。

ケースワーカーとケアマネージャーと私?で、二週間後を模索する。

ケアマネージャーに、ドクターの報告内容と、転院の方向で、考えている旨を報告した。

3週間後、父親はどこまで回復するのであろうか?

100%回復する事はないと診断を受けている。

ケアマネージャーに問うてみた。

3週間後の状態によって、介護サービスを手厚くして一人暮らしは可能であるかである。

100%の回復は無いからと断られた。

無論、当初の計画では一人実家に入り、父親の介護をする予定であったが、それは、寝たきりになった場合であって、認知症の想定はなかった。

徘徊とかチグハグな会話とか、持病持ちの私には、到底太刀打ちが出来ない。

もう、ケアマネージャーは、自宅に特養の資料を送付したそうである。

特養に申し込むには、介護保険の番号などの情報が必要である。

父親が持っているのであるが、面会が出来ないので、簡単には手に入らないために、ケアマネージャーに教えてもらう話をしたら、介護認定の区分変更を入院中にしたいので、書類に署名してもらいたいので、その書類も同封すると言われた。

父親には、1日でも長く、一生懸命働いたお給料で購入した実家で生活をしてもらいたくて、もう、4年前に施設を勧められていたが父親の努力と、介護スタッフのおかげで今までやってこれたが、それももうおしまいなのか。

その判断を自分が下した訳ではなく、ケアマネージャーに背中を押された形になって、プレッシャーに押しつぶされる事なくいられた。

後は、父親の気持ちである。

以前、父親に施設の話をした時に、戦時中に集団疎開を経験しているから、施設ならば施設での生活もできるであろうとは、言っていたが、だいぶ前に、ショートステイを申し込んだら、速攻、拒否られた。

現在、父親は、なんで入院しているのかさえもわからずにいるのでは無いだろうか。

入院からの転院。転院からの施設生活。

まだらぼけの父親は、本来の父親の部分が多く残っている現状で、どう感じるのか?

このコロナ禍では、施設に入ると永遠のお別れである。

まだ、実感がわかない。


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