どこに住むかと言う事

アジフライの生まれ育った街は、地域的には便利な土地で、駅には近いし、繁華街もあり、生活に不便の無い街でした。百貨店も歩いて行けるところにあって(あまり百貨店に行った記憶はないですが)、その先は、バスで移動する不便な土地に囲まれていました。

図書館も近くにあるし、公開番組がやってくる大ホールもあって、文化的にも恵まれた街です。

海も近いし、不自由無く育ったんです。

高校も自宅から電車ですぐの駅を利用していたから、不便な土地に足を踏み入れる事無く、便利な土地で高校生まで育ちました。

東京の服飾の専門学校に進んだ時に、一時期不登校になった事があったんです。

雨が降ると、JRのダイヤが乱れて嫌だったし、専門学校の進路にも悩んでいたからです。

高校生の時に、服飾の専門学校に進んだのは、将来の職業として選んでの進学でした。しかしながら、服飾の専門学校の1年生を終えた頃に卒業後の進路は、販売員しか選択肢が無かったことに絶望したのです。

専門学校の副担任は、こちらの内情を知らないくせに、学校も通えない距離なら、就職ももっと無理よなどと、のたまう始末。

大人に相談ということが思いつかなかった当時でした。

さて、結婚を機に、住む場所を選ぶに当たって、地理感の無いところは嫌だったんです。そして、将来、子供が進学や就職をする時に、東京での選択肢を選べる土地が良いと、母親の実家近くの土地に移り住みました。

そしてもちろん、繁華街が近くって、百貨店もあって、本屋も揃っている、自分が育った環境の便利さも捨て切れなかった選択でした。

だからと言って、東京に良く足を踏み入れるかというとそうでもなく、地元で十分楽しめるので、移り住んだ土地に馴染み、平凡な毎日を過ごしました。

移り住んだ土地は、子供の教育面でも申し分ないところでした。

県のトップ校が近隣にある影響で、刺激のある学校生活を子供たちは送ったのではないでしょうか?

おかげで、毎日の生活の中で、自分が子供の頃に味わえなかった刺激的な経験も体験させてあげれました。

自分が服飾の専門学校に通った時に味わった、開けた世界を当たり前の世界のように、子供たちに刷り込む事を目的にしてました。

それは、タワーマンションに住んで優雅な暮らしをしただけでは得られない、お金で買えない本物の贅沢な世界を子供に与える事を目的にしてきました。

知らなくても全然問題なく生きていけますが、

子供達は、これから自分で歩んでいきます。

子供たち自身が選ぶ環境はどういった環境かわかりませんが、心が豊かであってもらいたいと、そう育てたいと選んだ土地でした。

子供達に伝わる時が来るのだろうか。


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