お金での付き合いではないらしい
昨日、息子福山とあるPCショップに立ち寄った時の話。
マン防という事で、閉店まじかで、蛍の光が店内に鳴り響いていた。
先日、大学用にノートPCを買い与えたというのに、自宅用にデスクトップが欲しいと、世界の真ん中で叫んでしまいそうな勢いである。
だいたいが、息子福山と出かけると、大型電気量販店を回ることが多いのであるが、昨日は、珍しく路面店のPCショップを訪れたのである。
蛍の光の鳴り響く店内の入り口付近に、ご婦人と店員がなにやら話をしていたようであるが、店舗を出て、その様子を観察していた息子福山がその話を話し始めた。
どうやら、そのご婦人は、子供にPCを買い与えたいのであるが、殺し合いをするゲームや銃の扱いを子供がゲームで覚えることが不安でしかたかないと話していたらしい。
東大前の殺人未遂事件でも、高2の犯人が火炎瓶を作っていた事が報道されたり、不安材料は尽きないのかもしれない。
息子福山が、「過保護だよね。」とのたまう。
「うちだって、過保護だよね。」と切り返す。
「俺がかまってあげてるんだ。」とのたまう。
「どうせ、お金があるからついてくるんでしょ。」と切り返すと、長らくの沈黙が流れた。
金づるだという事をあんまり意識していなかったのか?
なんか、「どうせ」と言った一言が息子福山の思いを台無しにしたような気がして、悪かったなと思った。
中学2年生からながらく激しい反抗期に見舞われた息子福山であったが、大学生の現在になっても割と二人で出歩くことが多い。
アジフライにとっては、それは楽しいひと時なわけなのであるが、息子福山にとっても、そう悪くないひと時なようである。
決してべったりでは無い。
知らないことが多すぎて、息子福山からバカにされる事も多々ある。
でも、お金は大事だと思っている。
母親は、病気がちの妹の面倒をよく見ていたが、面倒を見に行くたんびに手間賃をもらって帰ってきていた。
その影響なのか、母親がアジフライに用事を頼むときには、お小遣いをくれた。
その経験から、気持ちはお金で買えると思っている。
だから、両親の介護をしている時も割り切っていた。
任務では、気持ちが折れる事も、手間賃が発生することによって、気持ちが割り切れるからである。
だから、将来、自分の介護の為に子供を煩わせるときが来たら、手間賃が払えるぐらいは蓄えておきたいと思っている。
子供が親をみるのは当たり前なんていうのは、おしつけである。
今晩は、息子福山の焼くたこやきをいただいた。
この親子関係ずっと継続することを望んでいる。
いただいたサポートで美味しいものを食べて、次のnoteに活かします。