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エンパスとHSP 〜自己コントロール〜

私がHSPのことを知ったのは確か6,7年前。エンパスは2年前ぐらい。
これほどHSPが広く知られるようになるとは思わなかった。メディアで取り上げられたり、HSPや繊細さの関連本が増えてきたからだろう。
自分を理解し語る術を求めている人は多い。

私は、自分がエンパスであることを軸にして語ってきているが、もちろんHSPでもある。HSPの中の、共感力が高い、というやつだ(これよりずっと強い共感能力がある人を、エンパス 、として区別する人もいる)。

自分が主体となりコントロールできる事柄については、人はあまり困らないものだ。これはHSPにもエンパスにも当てはまる。

HSPとしての私の大部分は今のところ自己コントロールが出来ている。だからさほど困っていないと言えると思う。

人混みが苦手、匂いや痛みに敏感等、色々ある。でも、自分が嫌ならその刺激となるものを減らしたり避けたりといった工夫はかなり出来てきた。だから、不便を感じることはありつつも、困って大変というところまでいかなかった(学校みたいに、環境面で工夫や選択余地の少ない場所に身を置かなくてはいけないHSPの子どもたち(HSC)は本当に大変だと思う。)。
それ以上に共感能力が高すぎて、他の困り感がかすんでしまっているだけなのかもしれないけど。

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一方、エンパスの自己コントロール。                   自分がエンパスと分かって以来、まだコントロール出来ないポイントが浮かび上がってきた。コントロールの難しさも次第に分かってきた。

私の強い共感能力は、家庭や学校環境で強化されただろう、と考えているが…ということは、自己コントロールとは遠い世界、難しい境遇にいたことになる。 そもそも出発点となる環境が、難アリ、だったわけだ。

さらに、共感能力は人が存在して作動するものだから、匂いや音といった刺激に対処するように、即そこから離れたり避けたりしにくい。          周りに人がいる限り、自己コントロール出来ない状況が簡単に続いてしまう。

自分以外の誰かが必ず近くに存在しているという、育ちの過程ではほぼ当たり前の環境。しかも、共感能力があり過ぎるなら、その誰かとの関係はバランスの悪いものになりそのまま固定してしまいやすいだろう。

結局のところ、エンパスが自己コントロールするには、人との関わりの中での変化を考えなくてはいけないのだ。仮に場所を移して避けたとしても、移った先にはやはり誰かいる。

大人の悩みの多くが人間関係によるものであるように、エンパスでない人にとっても人との付き合い方を変えていくのはそう容易ではない。一口に工夫と言っても、難しい訳だと改めて思う。

共感能力の高さを自分で意識的したときにだけ発揮出来たなら、こんな素晴らしい能力はないと思っている。

私自身も、期せず鍛えられた共感能力を存分に活かしたいから、エンパスとしての自己コントロールの工夫を重ね続け、今もその道の途中にいる。

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