「つくね小隊、応答せよ、」(35)

刀は、作右衛門と同時に、作右衛門の動きを封じていた熊鷹も貫いています。小鷹は恐る恐る、刀の鍔元を見ました。

すると作右衛門の胸元には、竹籠がひとつあり、その籠の隙間を刀が通っています。その竹籠が言いました。

「おにい!!はよ抜いてくれんと!おらの術が解けるて!はよ!なにしとん?!なにしとんおにい!???はよはよはよはよ!」

小鷹、我に返って、慌てて刀を抜くと、竹籠から刀が抜けたと同時に、竹籠がぬるりんぽんと熊鷹に戻りました。小鷹は安堵して膝を落とし、握りしめていた刀が落ち、深い溜め息をつきます。作右衛門は後ろ向きに倒れ、口を開けたまま、動きません。小鷹はそれをぼんやり眺め、やがて震えだし、そして大声で泣きはじめました。

「お父上え!!!お父上えぇえ!やりましたぁ…やりましたよぉ!お父」

「おにい!それも分かるけんども!わかるけんどもな!けんども!ほれ!お竹さん!刺されとるまんまじゃ!はよ助けんと!」

「…あ、そ、そうか!お、お竹さん!」

小鷹は慌てて立ち上がり、二匹はお竹に駆け寄り、肩を貫く刀を抜き、小鷹はお竹を抱き抱えました。

「お竹さん!無事ですか!?」

お竹は、憔悴した顔で、それでも笑って言いました。

「はい、わたくしは、大丈夫ですよ、それより、おふたりも、ひどい怪我…はやく手当をしないといけませんね…」

「じゃ、じゃあ!おらが薬を持ってくる!あ!そうじゃ!おにい!それより、まず、勝ち名乗りをあげないと!」

「あ、そ、そうか、よし、じゃあ、いくぞ?」

熊鷹とお竹がうなずきます。

「津田の四天王、川島の作右衛門は、藤の木寺の小鷹熊鷹、一本松のお竹が、討ち取ったりっ!!!!!!!!!!!!!」


遠くで戦っている小松島のたぬきたちが、うおおおおおお!という喜びの声と笑い声を上げました。そして小鷹の声は、勝浦川の浅瀬に立つ金長と六右衛門のもとにも届きました。















勝浦川の浅瀬。
金長、六右衛門が向かい合い、川岸にたぬきたちの死骸が横たわり、朝の清々しい川のせせらぎに濡れ、たぬきたちから滲み出した血は下流の川を赤く染めています。

当初は数で圧倒していた津田の陣も、衛門三郎の徳利戦術で散開。今では方々で藪たぬきたちの私闘のような戦いが繰り広げられているだけです。

仲間を殺されたたぬきが敵のたぬきを殺し、仲間を殺されたたぬきが敵のたぬきを殺し、仲間を殺されたたぬきが敵のたぬきを殺し。戦はそうやって感情をともない、殺し合いは正当性を持った単純で純粋な流れ作業のようにして行われました。

小松島方には、衛門三郎、田浦の太左衛門、庚申新八、臨江寺のお松、小鷹、熊鷹、一本松のお竹が残っております。
対して、津田で残るのは、六右衛門と戦闘不能の千住太郎のみ。藪たぬきは小松島のたぬきたちよりも数が少なくなっていて、もうほとんど決着はついているも同然です。しかし、藪たぬきたちは逃げるか戦うかしかありません。大将である六右衛門が敗けを認めるか、六右衛門が敗れぬ限り、戦いは続くのです。

「六右衛門、作右衛門も敗れました」

「ああ。そのようだな……」

「やめないんですか?」

金長がそう問いかけると、六右衛門はそれには答えませんでした。

「…おい、金長。お前は大鷹以外になにか失ったか?」

「…はい。たくさん。小松島の藪だぬきたちをたくさん失っています」

「なにを言っておる。力のないやつは、力のあるやつに利用される。それが摂理。それは今までもこれからも変わらん。そんなあたりまえのことをなぜ嘆く?金長、お前の化け術の腕はかってやるが、その心はあまりに生ぬるい」

「力のないものたちを守るのが、上に立つものの務めだと、わっちは思っています。だけど、わっちらはそれができていない」

「ああ。そうさ。自分や、自分の地位や、金や、自分の下の者どもを守るためには、犠牲が必要だ。何かを得るには何かを差し出さねばならぬ。時には、それが部下の命かもしれん。くじに外れたものは、そこに横たわることになる」

「くじ?くじだと?くじで命を決めるのか?」

「そうするしか、やつらには道がないだけだ。それは四天王も同じ」

「もう、降伏してください。両軍のたぬきたちの命を守れるのは、もはやあんただけです」

「…俺は、もう、すべてを、失ったのだ。お前を殺すまで、この戦は終わらぬ」

「いや、すべてではないはずです。まだ、あんたには守るべきものがある。そうでしょう?」

金長がそう言うと、六右衛門がものすごい形相で睨みつけました。

「いや、すべてを、失った。金長!わしは、きさまを!わしはきさまを許さぬっ!きっ、貴様はわしの…!」

六右衛門から黒い炎が、どらゆらどらゆら煙のように立ち上り始め、牙が大きく猪のようになり、体中の血管が浮き立ちはじめ、六右衛門は俯いたまま、叫びました。

「か…鹿の子は、死んだ!お前が!お前が殺したも同然だ!!!」




金長、心臓に氷を詰め込まれたように動けなくなりました。

「…鹿の子さんが…?」

四天王たちが迫ってきていることをこっそりと教えてくれた鹿の子。金長のことを、慕っていると照れながら伝えてくれた鹿の子。金長が、いつかかならず恩返しをします、と約束した鹿の子。

「きっ、きさま、きさまが、きさまが殺した鹿の子が、わしは何よりも…きさまは、わしは鹿の子を!!」

「ままっままて!殺したってどういうことですか?わっちは鹿の子さんを手にかけてなどいません!何を言ってるんですか!」

「お前たちがわしを裏切り、逃げたあの夜だ!わしらは軍をすすめようとした!その時だ!鹿の子は、我が軍の目の前に立ちはだかったのだ!」


数日前の夜。
津田のたぬきたちが武装して列を作り、勝浦川へ向かおうとしています。
六右衛門は馬に乗り、その周りを四天王たちが囲んでいます。

「全軍、進め!」

号令により、たぬきたちが歩みを進めました。

「お待ち下さい!」

眼前に、鹿の子が立ちはだかっています。
六右衛門、鹿の子を睨みました。

「なんだ、鹿の子。どきなさい」

「どきませぬ!」

「女の出る幕ではない。どけ。わしに恥をかかせるな」

「どきませぬ!わたくしは、どきませぬ」

「なぜだ。なぜ止める。金長はお前に恥をかかせ、阿波の元締めの顔に泥を塗り、逃げおったのだ。なぜお前がわしを止める」

「お父様は、間違っておるからです!」

「間違っておる…だと?」

「お父様は、金長さまが恐かったのでしょう?いずれお父様よりも力をつけ、自分を圧倒し、元締めの座を奪われる。だからわたくしと結婚させ、手元に置いておきたかった。でも、それができなかった。さすれば戦ではなく、お父上と金長さまで話をつければよろしいではないですか!」

「鹿の子、お前は女で、そしてまだ若い。元締めにどういう責任があり、この阿波を守るためにどういうことをしてきたのか、お前にはわから」

「わかりませぬ!わかりとうもございませぬ!」

「…話にならん。おい、お前ら、鹿の子を連れていけ」

六右衛門、藪たぬきたちに命じて、鹿の子を連行させようとしました。
すると鹿の子、胸元から短刀を取り出し、自分の喉に突きつけます。藪たぬきたちは、後ろに飛び退り、慌てふためきました。

「…鹿の子、何をしておる。ままごとに付き合っておる暇はない…」

「お父様はいつもそうです!!!!あのとき!あの、とき、母上は!!母上はあのとき、寂しそうなお顔をされて、息を引き取りました!」

鹿の子が突然大声で叫び、むせび泣き始めました。

「お父様と、最後の最後まで心を通わすことができなかったからです!母上は、たった一度でいいから、お父様に見舞いに来てほしかったのです!ただ顔を見に来るだけでもいい、どうだ調子は、の一言でもいい。それだけで、母上は満足だったのだと思います。でも、でもお父様は、ただの一度も、ただの一度も母上にお声をかけなかった!元締めのお父様をいつも影で支え、文句も言わず、無理をし、そして母上は体を壊された!その母上を!一番傍で、一番にお父様のことを想っていたその母上を、お父様は顧みようとしなかった!そんなお父様が、この戦を戦い抜いて、一体誰が幸せになるというのですか!」

「…国を束ねるのは並大抵のことではない。妻が病であろうとも、わしは国を治めることを優先した。あいつもそれを承知でわしの嫁に来た。覚悟の上だ」

「国のためであれば、家族はどんな思いをしても構わぬと、そう申されるのですか!それで実現された国の姿がこれではありませぬか!皆がお父様に恐怖し、千住太郎も、四天王も、藪たぬきたちも、誰もお父様に反論しない。お父様が間違っていたとしても、誰も何も言いません!」

「義理や情だけでは国は治められん」

「義理や情で国を動かして欲しいなどとは思っておりませぬ!国だけではなく、身の回りのたぬきたちのことも、そしてご自分のことも、よく見て欲しいのです!
お父様!お父様はどうあろうとも、わたくしのお父様なのです、阿波の元締め六右衛門は、この鹿の子のたったおひとりの、お父様なのです!母上でさえ、言えなかったからこそ、娘のわたくしが申し上げます!
この戦は、間違っております!金長さまは、お父様に楯突くような方ではありません。この戦は、お父様の恐れの生みだした戦にございます!」

鹿の子、短刀を握りしめた両手に力を込め、言いました。

「金長さまは、ご自分の恩義を貫こうとされたまでです!今からでも間に合います!!!勝手に軍を進めるのだけは間違いです!どうか、和睦を!」

「鹿の子、四天王もあいつらに怪我をさせられておるのだ。落とし前はつけさせてもらう。それが元締めとしての決定だ」

「闇討ちをして返り討ちにあったのであれば充分に落とし前はついているではありませぬか!仕掛けたのはお父様でございます!今からならまだ津田や小松島のたぬきたちの命を粗末にすることなく和睦に持ち込むことはできます!お父様!お願いします!お願い申し上げます!」

六右衛門は、ただじっと鹿の子を見つめています。

「もし!もしそれでも!進軍し、そして間違いを犯されるのであれば、…この鹿の子のしかばねの上を、進軍されませよ!!!!!」

鹿の子が言い放つと、六右衛門軍は大きくざわつきました。

娘のたぬき一匹に、軍を止められてしまっていることが、すでに六右衛門にとっては元締めとしての恥と失態でしたが、そこへさらに自分の命を引き換えに進軍を取り止めにせよと、六右衛門を脅しているのです。元締めとしての顔は、丸つぶれです。しかし、六右衛門は、微動だにせず、言いました。

「お主がなんとのたまおうと、我らは、勝浦川へ進軍する。…さあ、どけ」

六右衛門が冷たく言い放つと、鹿の子は俯き、寂しく冷ややかに笑って言いました。

「………母上のお気持ちが、今わかりました。真冬の夜の雪のなか、絹の襦袢一枚でひとり立っているような、そんなお気持ちで亡くなられたのですね……母上…かわいそう……母上、鹿の子も、今からそちらへ、参ります…おとうさま、千住太郎、…さようなら」

鹿の子は、首を短刀の根本まで一突きし、膝をつき、がくりと下を向き、動かなくなりました。津田のたぬきたちは、息をのみ、四天王たちも目を見開いて驚いています。

「姉ちゃん!!!!!」

弟の千住太郎が鹿の子に走り寄りました。しかしすでに鹿の子は血を滴らせ、後頭部から短刀の切っ先が突き出て、息絶えております。

「医者を!おい!何してんだよ!医者を!医者はいねえか!おい!医者を呼べよ!おい!貴様ら!この役たたずどもが!おい!医者を呼べ!」

取り乱し、鹿の子の遺体を揺する千住太郎を見ながら、藪たぬきたちがざわつきはじめました。

「静かにせい!」

すると六右衛門、たぬきどもを怒鳴りつけ、そして静かに言い放ちます。

「千住太郎、鹿の子はもう死んでおる。鹿の子の葬儀は、戦から戻ってからだ。おい、誰か、鹿の子を屋敷へ運んでやってくれ」

馬を降りずに、六右衛門はそう命じると、続けざまに自ら号令をかけました。

「全軍!勝浦川へ進めええっ!!!」

運ばれる鹿の子。
護衛のたぬきたちに付き添われ、進軍する千住太郎。
横目で鹿の子の遺体をちらりと見て、虚ろな瞳で勝浦川の方角を見つめる、六右衛門。




金長はその話を聴き、わけがわからないといった顔で呆然と立ち尽くしています。

「金長、きさまが鹿の子になにか吹き込んだのであろう?きさまが鹿の子をたぶらかし、化かし、駒としてつかったのだろう?そうだろう?金長?」

黒い炎がゆっくりと立ち上る六右衛門の瞳は、深い深い洞窟の奥の固く閉じられた漆の箱の中のように真っ暗で、何も映ってはいませんでした。

「ちがう…鹿の子さんを殺したのは、六右衛門…あんただ!わっちの大事な大鷹だけじゃなく、あんたはあんたの闇で、あんたの大事なものまで壊してしまった…」

金長、拳を握りしめ、鹿の子の花のような香りを懐かしく感じました。

「鹿の子さんはこの戦をとめたかった!この戦をとめることが自分の使命だと思ってたんですよ。わっちらが気づかなかったことを、彼女は気づいてた」

「はっ!!笑わせるな!!女子供の言葉で戦がなくなるなら、とうに日本中のたぬきが手を組んでおるわ」

「…悲しい。悲しすぎます。娘の、命を賭した娘の言葉でさえも、あんたは聞き入れないんですね…あなたは、悲しいたぬきだ…鹿の子さんが、かわいそうだ…」

「おい、金長……きさまが!鹿の子を、語るなあ!
きさまが殺したのだ!金長!!」


六右衛門、ぶくぶくと膨れ上がり、下顎の牙がさらに太く大きくなったかと思うと、杉の木ほどの大きさのたぬきになりました。身体中の筋肉が隆々と盛り上がり、鎧や着物は消え、まわしを身に付けています。大きな力士に、六右衛門は化けたのです。
千切山の高坊主も相当大きく化けましたが、六右衛門の方がその何倍も大きく、周囲で戦っていたたぬきたちは動きをとめて六右衛門を見上げました。怒り猛る六右衛門の気迫に、津田のたぬきたちが、野太い歓声をあげました。

金長、六右衛門を見上げて睨みながら、息を吸い込むと、同じように膨れ上がり、筋肉隆々の力士に化けました。体格は金長のほうがやや劣っているものの、若さは金長に分があり、気迫は互角。二匹は片手の拳を地面につけ、構えます。


衛門三郎、遠くで髭をさわりながらそれを見物しています。

「すごい気迫じゃのう…これじゃあ、始まりの掛け声をかけるのは、わししかおらんかのお、仕方ないのう…それじゃあ、遠慮なく…」

衛門三郎、目を見開き、体を震わせてから、大声で言いました。

「はっけよおおおおおおおおおい!………のこったっ!」

両軍のたぬきたちが見守るなか、金長と六右衛門、両手の拳を地面につき河原の石をまきあげ、その大きな体を衝突させました。


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