水科葵『メロウ』MVを見て

 GEMS COMPANY の水科葵さんのソロ曲『メロウ』のMVが公開されました。感想ツイートを垂れ流そうと思いましたが、140字に収まる気配がないのでこちらに書かせていただきます。
 "記事"というよりかは"呟き"の延長だと思って戴ければと思います。

 歌自体はティザー版として公開されておりましたが、映像の完成度の高さは流石スクエニと言いますか圧巻ですね。今回映像がついたことで、印象や解釈が変わった部分がいくつかありました。
 さて『メロウ』の歌詞について、ファンの間では次のような考察がされていますね。

地上に憧れる人魚になぞらえて、アイドルや歌手に憧れる内気な女の子が『水科葵』として一歩を踏み出す物語を表している


水科葵さんも以前の配信で「これまでの自分を表現した」と話していたので間違いではないと思います。この映像では、海中にいる場面が内気な女の子だった過去の自分、水上にいる場面はアイドル『水科葵』を表現しているのでしょう。

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 小枝をマイクに見立てて歌う姿は、アイドルの真似をする小さな女の子のようですね。印象的な場面は数多あるのですが、今回はティザー版と印象や解釈が変わった所に焦点を当てたいと思います。


降りるはずのない雨に打たれて溺れてしまいそうでも

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 ティザー版を聴いたとき、この言葉が何を指すのか今一つピンと来ませんでした。今回は映像から色々な情報が貰えそうです。ここは海の中の場面であることから、普通の女の子の時の気持ちを歌っているものとします。私は"雨"というのはアイドルとして失敗する事ではないかと考えています。当然アイドルや歌手として歩み始めなければ、そもそも失敗することはありません。それを"降りるはずのない"と表現しているのではないでしょうか。つまり、夢を追いかけたいが悪い未来ばかり考えてしまって一歩を踏み出せない状態

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そんな彼女の背中を『魔法の言葉』が後押ししてくれたからこそ、アイドル『水科葵』として歩みだせたのでしょう。誰のどんな言葉だったのでしょうか。家族、友人、あるいはTVの向こう側のアイドルや歌手、これに関しては我々の知るところではありませんが、きっと素敵な方の言葉だったのでしょうね。


泡となって溶けてしまうその前に

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自分が最も大きく解釈を変えたのはここでした。ティザー版の時は

アイドルという存在はいつか終わりが来る(泡となる)ものであるが、その時まで全力で歌い続けよう。

泡となる運命を知りながらもアイドルや歌手を目指す、儚さや切なさを内包する歌詞だと思っておりました。しかし、映像からは物凄い力強さを感じました。これはきっと

例え消えることになっても、限りなく愛を伝えたい。

という強い覚悟や信念の現れだと思うんですよね。泡となって消えていった数多くの人魚もといアイドルを知りつつもその道を行く。本当にカッコいい生き方だと思います。
 MVと関係ない話になりますが、推しを失う(引退、卒業、etc)のはとても辛い事です。推しを知らずに100年生きるのと、どちらが辛いのか自分にはわかりません。永遠に続く物がこの世にないことは重々承知ですが、いつまでも輝き続ける事を目指しているアイドルや歌手を応援したくなります。なので、泡となる運命を受け入れているのではなく、上述の今回の解釈をしたいと思います。
 そういった意味でもこの一節は本当に大好きな一節ですし、これからも応援したいと強く感じました。そして泡になる事ない未来が訪れて欲しいですね。


おまけ (空飛ぶクジラ)

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途中クジラが空を飛んでいるのが印象的で、何か意味があるのかと少し調べていたところ、気になる童話に行きつきました。スペインの児童文学作家、ホセ=マリア・ サンチェス=シルバの『さよならホセフィーナ』という作品です。 
 ホセフィーナは主人公の男の子にだけ見える不思議なクジラで、自由に体の大きさを変えたり空を泳いだりも出来るようです。そして主人公は色々な国々を巡るうちに段々と成長していきます。最後には主人公が一人前になれるようホセフィーナから別れを切り出すという話のようです。

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 今回のMVでも最後にクジラが去っていく所で締めくくられていますが、もしかしたらアイドル水科葵が立派にやっていけると思ったクジラが去って行っているのかもしれませんし、『魔法の言葉』をくれたのはこのクジラさんかもしれませんね。
 これに関してはただの考えすぎだと思いますが



 ここまで『メロウ』を見て感じた事をつらつらと書かせて戴きました。もしかしたら、また何か書き足すかもしれません。何度見てもいいMVですね。

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