かつて学校になじめなかった僕らには、きっと世界を根っこから変える力がある
僕は20歳のときに起業しました。
学生団体の仲間と一緒に「DX人材育成」の会社を起業し、大手600社以上のDX相談に乗ってきました。
その後、革新的なスタートアップ企業をバンバン立ち上げて、よりよい青写真を描き出す「スタートアップスタジオ」を立ち上げて運営しています。
……こう言うと「意識が高い」とか「エリート」みたいに思われることがけっこうあります。
でも、僕はまったくすごい人間でもなんでもありません。むしろ数年前まで、落ちこぼれの学生でした。成績は悪いし、言い訳ばっかりでぜんぜん努力しない。
根本の性格は、いまも変わっていません。
起業は、頭のいい人や熱量の高い優秀な人しかできないと思われているかもしれません。でも、そんなことはないんです。
僕の場合はむしろダメな性格が、起業するときの「強み」になりました。
今回は僕のダメダメな学生時代と、そこからどう今に至ったのかを書いてみます。これを読んで「自分にもなにかできるかも」と思ってくれる人がひとりでもいたら、すごくうれしいです!!
クラス最下位の成績だった
僕は学校の勉強がとにかく苦手でした。
「勉強するか」と思い立っても、暗記はせずに「勉強法」ばかり調べてしまうタイプです。それで1日が終わって、結局なにも勉強していない。そんなことばっかりやっていたので、成績はぜんぜんよくなくて。
小学生のうちは気にしていませんでした。でも中学生のとき、学年順位が廊下に貼り出されて、はじめて成果が可視化されたんです。僕にはそれがものすごい恐怖でした。自尊心を傷つけられた感じがして。
勉強していないので、成績は悪くて当然です。でも当時の僕は「これ、もし本気でやっても成果が出なかったら、めちゃくちゃ傷つくだろうな」と思いました。
僕はそれ以来、結果が出なくても自尊心を削られないように「言い訳」を準備するようになりました。
つまり、めちゃめちゃ手を抜くようになっていったんです。
「そもそも勉強してなければ、点数が低くてもべつに問題ないでしょ」というわけです。それからぼくは、よく授業をサボって空き教室でモンハンをやったり、ジャンプを読んだりするようになりました。
気づけば、ぼくはクラスで最下位の成績になっていました。それでも「まあ、やってないんだからいいじゃん」と。とにかく「どれだけ逃げる言い訳をつくるか」ばかり考えていたんです。
ピアノ教室が嫌すぎて号泣
学校の勉強も、すべてが嫌いだったわけではありません。「おもしろいな」と思う先生の授業はちゃんと聞いていました。でも「なんでやらなきゃいけないのか、わからないこと」はどうしてもやれなかった。
これは小さい頃からの特性でした。
幼稚園ぐらいからいろんな習いごとをしていました。ピアノや水泳、体操、塾。平日はだいたい習いごとの予定が入っていて。
でも、どれも自分から「やりたい」と言ったものではなかった。「なぜかやらなければいけない」という感覚でした。いま思うと贅沢な話なのですが。
で、小学校3年生ぐらいで限界がきました。「もう、マジで無理!」みたいになってきて。「やりたくないー!!!」って号泣しながらピアノの練習をしていたのを覚えています。
それ以来、自分が納得できないことをやったり、目的を理解できないまま行動することに、強い拒否感をもつようになりました。
パソコンを手に入れて、漢字の勉強をやめた
小学校4年生のとき、親にパソコンを買ってもらいました。そして、パソコンならスペースキーを押すだけで、ひらがなを漢字に変換できることを知りました。
僕は「これはもう、漢字の勉強をする必要ないな」と思ったわけです。
それ以来、漢字の書き取りの宿題をいっさいやらなくなりました。「調べればわかることを、なんで勉強しないといけないのか」といって国語の先生とケンカしました。
成績はどんどん悪くなって、親が学校に呼び出されました。親もまさかパソコンを与えたことで、こんなことになるとは思ってなかったと思います。笑
自尊心を傷つけたくないから、逃げる言い訳をつくる。納得できないことは、やらないというか、やれない。
この2つはもう、自動で反応が出てしまう特性みたいな感じで、どうにも変わらなかったんです。
大学の授業もつまらなかった
ただ、高校でも興味のある授業だけはちゃんと聞いていたのと、勉強法を調べてハックするのは好きだったので、大学受験はなんとか乗り切りました。
大学ではコンピューターサイエンスの勉強をしたくて、情報系の学科を選びました。だけどいざ入ってみたら、大学の授業がぜんぜんおもしろくなくて。
高校までは遊んでばっかりだったけど、大学ではずっとやりたかった分野の勉強ができる。これからは勉強をがんばろう。そう思ってまじめな気持ちで入学したのですが、授業の進みはすごく遅いし、周りの友達も、勉強よりサークルの新歓の話ばかり。
なんだか裏切られた感じがして絶望しました。
「この先どうしようかな」と思っていたとき、東京大学の松尾豊先生が開講する、ディープラーニングのセミナーにたまたま出席したんです。そこで初めて、AIによって実現できることや、今後の展開について知りました。
僕は衝撃を受けました。「こんなおもしろそうなことが世の中にあったのか!」と。セミナーの帰り道にさっそく本屋へ寄って、AIに関する本を買い漁りました。
で、次の日から家に引きこもって、独学でAIの勉強をはじめたのです。
それが大学1年生の夏、2015年のこと。ちょうど「第三次AIブーム」が日本にきていたころでした。
独学でAIの技術を身につける
プログラミングの知識は、入門書を読んで言語を学んで、自分でいくつかアプリを作ったりして身につけることができました。
AIに関しては、当時はまだ日本語の書籍や参考書があまり出ていませんでした。もちろん大学の授業もありません。
僕は海外の論文や、無料で公開されている海外の大学の授業などをネットで漁って、勉強していきました。英語はぜんぜんわかりませんでしたが、ネットの日本語訳やGoogle翻訳を使いながらなんとかやりました。
大学にはまったく行かなくなっていました。
ビジネスの世界にハマっていった
当時は「AIでなくなる仕事、なくならない仕事」みたいなニュースがよく流れてきていました。僕もAIの勉強をしていたので気になって。「学校の勉強は向いてないし……。将来生きていくには、どんなことをすればいいんだろう」と考えていたんです。
で、考えた結果、必要なのは「人に価値を与えるスキル」なんじゃないかと思いました。時代やツールが変わっても、人を喜ばせたり価値を与えたりすれば、その対価としてお金をもらえる。
つまりそれって『ビジネス』の行為そのものじゃん、と。
そこで今度は「よし、ビジネス側の勉強をしよう」と思いました。ビジネス書を読んだり、ビジネススクールに行ったりするようになって。
それで「世の中には”スタートアップ”というものがあるらしい」と知りました。「なんかおもしろそうだな」と思って、ゼロイチの初期フェーズだったスタートアップ2社でインターンを始めました。
インターンといっても2、3人くらいしかいない会社です。「ちょっとこのサービス作っといて」ぐらいのざっくり具合で指示が飛んできます。わからないことは自分で調べて、必死で食らいつきました。
それまでは漠然と「ふつうに就活して会社に入るのかなあ」と思っていました。でもスタートアップで働くなかで「事業を立ち上げるのっておもしろいな」と思うようになって。
しかもそのころには、AIエンジニアとして月に50万円以上稼げるようになっていたんです。「人生、意外となんとかなるな」と思えた部分はありました。
「AI人材育成」の会社を起業
そのころ通っていたビジネススクールで、僕は石井に出会いました。のちの創業メンバーの1人です。
彼は「AIについて学ぶ学生団体を立ち上げようと思ってる」と話していました。僕はすぐさま「一緒にやりたい」といいました。
学生団体では、みんなでAIの勉強をしつつ、技術を身につけたメンバーは企業で長期インターンとして働いていました。当時は大学生がAIを勉強できる環境がほとんどなかったので、人はどんどん増えていきました。
みんなでワイワイ知識を学ぶのは、ほんとうに楽しかったです。
僕はふと「みんなでシェアハウスしたいな」といいました。すると石井が話に乗ってくれて。そこに安田というメンバーも加わって、3人でシェアハウスをしながら、団体の運営をするようになりました。
そんなある日、インターン先の企業から「インターンで来る学生のレベルがすごく高い。みんなどうやってスキルを身に着けたのか」と聞かれて。
学生団体では、内部向けにオンラインでAI技術を学べる教材をつくって学生を育てていました。それを企業の方に伝えると「その教材をぜひうちの社員向けに売ってほしい」とおっしゃってくれました。
取引をするなら法人化するか、ということで、僕と石井と安田の3人で「株式会社STANDARD」という、企業向けAI人材育成の会社を起業したのです。
ぜんっっぜん動かない大企業
事業はかなり順調に伸びていきました。
最初に声をかけてくださったのが、ソフトバンク系列の会社だったのはラッキーでした。事例として「あのソフトバンクグループの会社も使ってます」と言えたので、他の会社にも安心して仕事を頼んでもらえたのです。
大手の取引先もどんどん増えて、気づけば600社以上の実績ができていました。
ところが、僕らはだんだんあることに気がつきはじめました。
いくら相談に乗っても、みんな全然動かないのです。
そのころ僕らはAI人材の育成だけでなく、育成した人材がきちんと活躍できるような「DXの内製化」のお手伝いや、DXツールの受託開発もやっていました。
しかし、新しいツールや取り組みを提案しても、特に大企業はなかなか動いてくれない。大きければ大きいほど、すごく進みが遅かったんです。
「この会社、絶対にこれをやったほうがいいのに……」「これ、10分後には動きだしましょう」というアイデアがあるのに、「まあ、来期からですかね」みたいな返事がきたりする。
Eラーニングの教材を受講しても「勉強になりました!」という感想が送られてくるばかりで、なにも行動が起きない「学んで終わり」の会社が大半でした。
目の前にもっとよくできることがあるのに、よくわからない理由で放置されている。これは僕の特性的にも、かなりイライラしてしまうことでした。
優秀な人たちの目が死んでいる
僕らの取引先は、就活で誰もが憧れるような大企業ばかりでした。
そこで働く人たちも、やっぱりめちゃくちゃ優秀でした。頭もいいし、ぼくらのような学生が相手でも丁寧に接してくれる。
けれど、彼らのほとんどは「目が死んで」いたんです。
新しい取り組みをしたくても、若手の意見はなかなか取り入れてもらえません。中間にいるおじさんたちに跳ね返されてしまう。
そして目の前には仕事の山。電話やメールを打ち返し、詰まりまくりのアポ、関係各所との調整、よくわからない会議……。
もちろん大企業でやりがいを持って働いている人もいると思います。でも少なくとも当時の僕には、優秀な人が、環境のせいで死んでいるように見えました。
既存のシステムの外側から世界を変える
僕らは決意しました。
「もう、自分たちでやっちゃおう」
これまでは、既存の会社の中に入って、内側からデジタルの改革をしようとしていました。でも、それだと時間がかかりすぎる。
業界をDXする会社を、自分たちで新しくつくってしまったほうが早いと思ったのです。
そうして2021年に、僕らは「BLUEPRINT」という会社を立ち上げました。さまざまな業界をDXするスタートアップを、次々立ち上げるための「スタートアップスタジオ」です。
ふつうは起業するとなると、営業から開発、人事、法務などもすべて自分でやらないといけません。それだと、コストもリスクも大きすぎる。
そこで僕らの会社には、あらかじめ「起業の最強部隊」を揃えています。
アイデアと熱量さえあれば、あとは優秀な営業がアポを取ってきて、エンジニアが開発を進めてくれる。「もっとこうしたいけど、自分1人じゃできないよな……」と思っている人が、気軽に起業できるようなしくみです。
これまでに製造業や建材などの業界で、4社のスタートアップを法人化しました。事業開発のノウハウも溜まってきています。
これがうまくいけば、デジタルの力でいろんな業界を最速で変えていける。しかも、環境に殺されている優秀な人に、うちで事業を立ち上げて活躍してもらうこともできると思っています。
スタートアップスタジオについて、詳しく知りたい方はこちらのnoteを。
人の才能はコンプレックスから生まれる
僕はずっと、コンプレックスから逃げ続けてここまできました。
苦手なことや考えたくないことからは現実逃避する。言い訳をつくって違うことに没頭する。そうすれば、没頭している以外のことは考えなくてもいいから、楽になれました。
僕にとってはそれが、プログラミングやAIでした。小さいころは、積み木やレゴやゲームだった。
やらない言い訳を探しているうちに「そもそもなんでそれをやらないといけないのか?」「もっと楽な手段があるんじゃないか?」と、自然と考えるようになりました。
その特性が、企業のDXを考えるときにもすごく役に立ったのです。
よく「幼少期の原体験によって性格や特性が決まる」といいますが、こういうことなのかもしれません。
人の才能は、コンプレックスから生まれてくるのだと思います。
生まれながらの特性は、天からの「ギフト」みたいなものです。それが世間とずれていて、ある種コンプレックスに感じている人ほど、世界の常識を根底から変えられるような才能をもっているはず。
世間に合わせて押し殺すのではなく、特性を活かさないともったいないです。
僕らの会社はそういう人を必要としています。
現状にどこか怒りを感じていて、常識に縛られず、よりよい方法を探そうとする。そんな「はずれ者」の才能がある人を。
*
長くなってしまってすみません。
もしこのnoteを読んで「自分にもなにかできるかも」と思ってくれた方。「実はこんなことやりたかったんだよな」と思ってくれた方。ぜひお話ししましょう。ホームページから気軽に連絡ください!
Twitterでも事業立ち上げについて発信してます↓
最後まで読んで頂いて、ありがとうございます!(^^) Twitterでも事業開発のコツをつぶやいてます。フォローしていただけるとうれしいです!https://twitter.com/tsuru___chan