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【NVC】ロープレで起きたことから考える

「私が普段会話している相手は、誰なのだろうか?」という疑いから始まった思考の記録。

きっかけ

NVCの学びで、「『誰か』に対して”言いたいけど言えてないこと”を言う」というワークを行いました。私は初めてのワーク。
NVCでは「リクエスト」という関わりがあるのですが、その練習をする一つのワークです。

(「NVCとは何?」については、記事最後にご紹介している書籍に詳細があります。)

2人1組のセッション。
具体的には、複数の過程を経て最後、<1人が『誰か』になり、もう1人が『誰か』役の人へ向かって、”言えてないこと”を言う>というものです。
「ロープレ」を通して気づきを得るワークです。

体験して驚いたことが、目の前の『誰か』役の人は本人ではないはずなのに、あたかも本人であるかのように存在がリアルに立ち上がること。

話し方はじめ存在感や気迫までも本人と同じで、あまりにびっくりして笑ってしまいました。
(第三者から見たら、もしかしたら本人とは異なる部分が多いかもしれませんが(?)、ロープレ中の私にとってはそう感じました。)

慣れている方々は、「ロープレってそういうものだよね~」っておっしゃるのですが、私にとっては初体験。

そこでいくつかの問いが生じました。

私が普段会話している相手は、誰なのだろうか?

別人があたかも、本人のように感じられる。
これは何を意味しうるのだろう?

+++

人と過ごしたり、会話したりするなかで色々な感情や想い、考えが沸き上がりますよね。

楽しいな、うれしいな。好きだな。
優しいな。いいひとだな。
ありがたいな。
嫌だな、苦手だな。
感じ悪いな。
こわいな、意地悪だな。

とか。そのうち、

この人はこういう人だろう。
こう言ったらこの人はこんな風に答えるだろう。
私がこうしたから、あの人はこう感じたに違いない。
あのひとはこうしないから、こう思っている(思っていない)はず。
この人の発言(または行動)にはこういう意図があるはず。

また、

この人といると、いつもこういう気持ちになるんだよね。
こんな気持ちにさせられるの。
こうに違いない。

思い込みだけでも挙げだしたらきりがありませんが、・・・そんなあらゆる揺れから悩みがうまれる・・・。
なんてことありませんか?

+++

さて、はたしてこれらの感情や考えを引き起こしているのは誰なのか?

目の前の相手でしょうか?

・・・仮に、今起こっている感情について、目の前の人には責任が無いとしたら?

あくまで仮に、です。

もしかしたら、常に私は自分自身と対話しているのではなかろうか?との可能性が浮かび上がってきます。
つまり、彼ら彼女らは無色透明であり、未知なる存在である。
感情や考えは自分自身が引き起こしている。

ここまで書いて、すごく普通すぎること書いてる・・・と感じているのですが、仮にそう考えていくと、「自分次第で目の前の人も変えていくことができる」ということにもなりませんか?

「変えていく」と表現すると、「力を加えてその人を変化させる」という、ちょっとバイオレンスな意味合いで伝わってしまうかもしれませんが、そうではなく、「対話している私(自分)自身が、変化したり立ち位置を変えることで、目の前の人自身には何の変化が無くても違う人に見えてくる」ということです。

余地は常にある

今見えている世界が自分の内面世界を映したものであるなら、常に異なる世界が無数に存在しているということです。

これって希望になりませんか?

万が一誰かに対してネガティブな想いを持った時、「それって本当に本当?」という問いかけができます。

それってとっても優しいと思いませんか。
私は「できる限り目の前の人を大切にしたい」という想いを持っているのですが、自分のネガティブをきっかけに未知なる他者の世界に、意識的に目を向けることは、人を大切にする方法の一つなのではないかと感じます。

私の世界ではこう見えているし、こんな風に受け取っている。
で、実際あなたの世界はどうなのでしょうか?という興味を持ってみたなら、新たなる世界が立ち上がってくるかもしれません。

「相手の世界へ、いったん興味/好奇心を向けてみる」ことから、想定していなかった世界が開け、関係をあたらしく築いていくことができるかもしれません。

お互いに、互いの世界を共有できる関係にまで、育てていけたらハッピーですね。

根気が要りますかね?笑

私はこの感覚を、まずは講師業やキャリアカウンセリングを行う時に意識的に持っていようと思います。

目の前の人は容易に他人になりうる

こんなことも考えられませんか。

(…手のひら返し、という意味じゃなくてです。)

人との関係構築や対話の場面で、自分の内面と対話していると仮定すると、容易に目の前の人は他人になりえます。

いつか会った誰かとの関係で感じた感情や考え、
最近起きた誰かとの間で生じた感情や考え…。

それらが目の前の人に重なったとしたら。
目の前の人は、たちまち別人になってしまいます。

その人はただ、その人であるだけなのに。

カウンセリングの中で言う「転移」とか「逆転移」がそれにあたるでしょうか。
(これは特別なことではなく、もしかしたら毎日、転移や逆転移が起きているかもしれませんし、自然なことなのかもしれません。)

たとえば2人で話しているのであれば、お互いに起きているのかもしれませんね。
・・・って考えると、傷つくことも多少減りませんか?

「それ、誰の話かな?」「それ、誰のことかな?」という目線です。

自分も相手も。

自己共感

ところで、NVCでは自己共感がとにかく大切と言われます。

自分が何を感じ、その感情の根にはどんな想いや、大切にしたいことがあるのか。
・・・理解しているつもりでいても、奥の奥にあって感情を動かしている「本当に大切にしていること」に気づいていないことは多いようです。

そこで自分に気づき深く共感することで、表面にいる「私」と、奥にいる「私」が統合されていきます。(「え!私そうだったんだ!」って驚くことも)。

その結果、悩みが「誰かのせい」「何かのせい」ではなかったことに気づくこともあるようです。

その後どんな行動を選択するかはそのあとの話ですが、まず「自分と自分がつながること」は健やかで在ることにつながると考えます。

ワークの「体感」から考えたことでした。
「体感」というリアルこそが、なによりも役に立つものと考えています。

<参考>NVC(Non-Violent Communication)書籍

NVC提唱者、マーシャル・B・ローゼンバーグ氏の詳細と、NVCの書籍はこちらに。


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