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生きるために,日常の中で死を語ることの大切さ

本職は医療従事者でありますが,ときおり悩み相談もしています。
その中でも,特に気にしているのが『死』に関するものです。
死にたい・消え去りたいという悩みもあれば、
死ぬのが怖くて仕方がないという悩みもあります。

さて、死ぬのが怖いと言っても、死ぬ過程が怖いのか,死んだ後が怖いのかで話しは変わってます。

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死ぬまでの過程が怖いというのは、死ぬまでに自分に降りかかる痛みや苦しみ、不安だったりします。それらは主に、科学(医学的な処置やケア)によって軽減される恐怖かと思います。

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では,死んだ後の恐怖はどうでしょうか。
こちらは,さらに、自分自身のことなのか、遺された者たちへのことなのかでも変わります。

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死後のことについては諸説ありますが,私自身が色々調べた結果としては「人間が死んだ後,どうなるか誰にも分からない」という結論に至っています。
よく,科学的思考(?)の人が,「人間が死んだ後は“無”になる」と語ることがありますが,実際に証明した人がいないので不確かです。
さらに言うと,無を『何もない状態』と捉えるなら,それは『何もないが有る』ということなので,完全なる“無”とは言えなそうです。

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そうなりますと、結局のところ死後の不安や恐怖については,自分自身が支持できる『死後の物語』をもつことが解決に繋がると思っています。

それこそ、日常の中で死を語ることが大切になるように思います。語り合うことで,様々な考え方に触れ,自分の物語を書き換えていくことができるのです。
そのような経緯から,私としては,様々な人から聞いてきた死後の物語や哲学上の考え方をお伝えできればと思っています。
その中で,悩む人に合うものが提示できれば幸いです。

【参考文献】
・シェリー・ケーガン(著):DEATH「死」とは何か.文響社
・島田裕巳(著):人は死んだらどこへ行くのか.青春出版社

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