峠を越えた話。

端的にいうと、世の中がキモすぎてやってらんないなという気持ち。
じゃあ歌を歌おう!
だなんて、そりゃあ音楽の神様に自分のケツ拭いてもらうようなことだなと思う。
言葉は、言葉でしかない。し、そういう言葉を乗せた音楽なんてものは言葉の注釈にすぎない。
誰がいうか、とか何をいうか、とかそういうことでもない。
実感や温度の伴う、肌の触れ合う暖かさのあるものでないと何かと何かがぶつかりあうものでないと人は安心できない。
信仰はある程度人を救うかもしれないけれど、ある意味でそれは諦めにも似た許しを与えてくれるだけだ。

先日、ただひたすら、夜中の峠を歩いてこえた。
大阪と奈良の県境にある清滝峠という峠。

自分の家からテクテクとずっと歩いて行って、誰にも会わずに越えて帰ってきた。
外の世界と離れて自分の心の燃える意味や色を少しでも知ろうと思ったからだ。
今、何かを表現することはただのストレス発散でしかない。
自分の心のゴミをかき集めてメロディを乗せたって、形の整ったゴミになるだけだ。
それを誰かに聴いてもらって安心するなんてことを全然したいと思わなかったからまずは自分の心を知る必要がある。そう思った。
世界で今、自分は本当に一人きりだな。と思える時間がどれだけあるだろうか。
それが少なすぎることが、現代人の不幸だと俺は思う。
街灯が途切れて本当の暗闇の中を進まないといけない瞬間、根源的な恐怖に気づく。
来月生きるお金の心配だとか、誰かに好かれたり嫌われたりしたかったりしたくなかったりだとか、守れなかった約束だとか、大切なものを失いたくないだとか得たいだとか、そういう未来へ続くぼんやりとした看板がさし示すことによって心が踊らされるのではなく、その瞬間。今、がとても怖い。
そういう経験をほとんど忘れていた。
真っ暗な闇の中、両サイドの茂みから聞こえる動物の足音や、息遣いが恐ろしい。おばけや幽霊なんか全く怖くない。どちらにせよ、この頭の中の想像力が悪い方向に向かってゆくにつれ、進める足が重たくなってゆく。
それに気づくたびに怖じけずいている心を奮い立たせて歩く。
空を見上げるとものすごく美しく、月や星が輝いていて本当に他人事のようだ。
自分がもし死んでも、誰も気づかないだろう状況で自然とそれでいて暖かい気持ちになっていた。
ただ俺は死にたいなんて1ミリも思ってないから安心して欲しい。
自殺なんか絶対にしない。もし自殺しましたなんてことがあったらそれは絶対に間違えだし、それは絶対他殺か事故。自殺なんか絶対にしない。
安心してくれ。てか死なない。
(だけど、どんな生き物にでも死は訪れる。みんなそれを考えないようにしている。そのことに関しては不思議な気持ちだ。)
歩き進めてゆくと真夜中のど深夜の山奥から80年代くらいのポップソングが流れてくる。
めっちゃ怖い。真っ暗ななか、そっちは全然山じゃん。って思いながら
「時代感よ、、、!」とツッコミを入れながら歩く。
遠くの方からバイクの音が聞こえる。人が生きているということがわかるだけでものすごく安心する。
音楽の根源的な安心感ってのはそういうものなのかもしれない。
真っ暗闇の中で、誰かが生きている音が聴こえるだけでちょっと安心できたりする。イヤフォンで耳を塞いで音楽を聴いて歩いていたとしたらもしかしたらもっと怖かったかもしれない。
そういう時の音楽は耳栓と同じだ。
感覚を研ぎ澄ませて歩いて行くと、全てが音楽を奏でていることに気づく。
風の音、ガードレールに木の実が落ちて当たる音、茂みの向こうで何かが歩く音。看板が風に揺れてビートを刻む。
そして、自分の足音。
そうか。なるほど。と思う。
生きていると、というか、そこに在るものは全て鳴っているのか。と。

ただひたすら歩き続けていると、道が下りだしたことに空が少しずつ明るくなってきて、やっと緊張せずに歩けるようになってきた。
目が慣れて周りが見えるようになってくると、畑や田んぼが広がっていることに気づく。
鳥たちが鳴いていて、また音楽に気づく。

現在地と出発地点を照らし合わせてみるとだいたい50キロくらい歩いていたらしい。
自分が何を求めているかとか、物質的な欲望や快楽に関しての方法は正直全然何もわからなかった。根源的な欲求なんてものはいちいち言語化したりしなくたって気づけば手を伸ばしているもので、賢い人たちのよくいう「ビジョン」とかってことも正直ピンとこない。
なんだか、人は何かをコントロールしているといつも思っているようだし、自分は選んでいると思いすぎている。
実際のところは、暗闇でもただ歩けるところを探して歩いてゆくことしかできないし、明けろと思っても空はすぐには明けない。

作為や計画性に満ちた脳と心を少しだけ元に戻すことができた気がする。
自分の中のズルさや情けなさや不甲斐なさをこれでもかというくらい直視しながら過ごした時間はものすごく辛かったし怖かったけれど、単純に
「じゃあ、それ、手放しなよ。」って以外に答えはない。
欲望や快楽や逃げ道には、欲望と快楽と逃げ道がある。
それだけだ。
それもまた一つ。だけど、まだ自分の心の中に
「舐めんなよ。」って気持ちが在るうちはとことん自分の足で
越えていきたいと、切に思ったそんな経験でござった。

愚直にいきて、歌うよ。
音楽の中で、会いましょう。またすぐに。