自分のことはわからない。

美味しいお肉を咥えた犬が、池に映る自分の姿を見て敵だと思って吠えて肉を池に落とす話がなんか記憶の中にあるけれど、鏡ができる前は人間だっておんなじようなレベルで自分のことなんかわかってなかったと思うなー。

偉い人とかはさ、
「他人は自分を映す鏡だ。」
みたいなこというけれど、そうだよね。そうそう。ってわかったふりしても
実のところあんま実感としてはわからんよな。
他人は他人やもん。そりゃそう。
でも、じゃあ、自分の心を映す鏡ってどこにあるんやろな。

多分、そんなものどこにもないのよね。

何かを指針になんとなく自分の心の状態ってわかってる感じしてるかもしれんけど、それって自分で毎度微調整しまくってるから全然当てにならんねんな。
めっちゃ仲良しで結構な頻度で会ってる友達の写真とかたまにiphoneの去年の今頃あなたこんなんしてましたよー。って紹介してくれる機能とかで出てきたらさ
「この時わかっ!!!」
って思ったりせん?
mixiとか30代以降の人やったらやってると思うけど、ログインして日記読んでみ?
引くほどちゃうから。今と。

自分の心なんか自分ではわからん。
不調とかもそう。
自分では案外わかってなかったりするねんなぁ。

何もかも話せるような仲良しがおったら
「あんた最近なんか変やで。どうしたん。」
とかいうてくれるかも知らんけど、そういう友人ってまじでなかなか
見つけられへんよな。

だから、なんか調子悪いな。と思った時は十中八九調子悪いから。
で、その時に
「いやいや、そんなわけないやん。昨日焼肉食べたし、今日の昼間は幸せのパンケーキで女子会したし。しんどいわけないやん、ストレスなんか溜まってへんやろ。」
と思うんじゃなくて。
「あーん、これぁもしかしたら、さては、調子悪いな。なんでかはわからんけど、まぁ調子悪いねんな今は。」
と思った方が色々と安全やと思うねん。
なんか心がザワッとしてる時って、楽しいこととかでごまかしてても結局自分ではなんでかわからんくらい些細なことで急に絶望的な気持ちになったりイライラしたりしてしまうから。
「ま、そりゃそっかー。しゃあないわー。」
って、思えたら多少は楽やんな。

状態って、日々変わるし、それって自分ではまじでどうにもならん生体化学的なところのせいやったりもするんやってさ。

いつだか書いたけれど、丸太で作ったイカダの傷んだところを補修して何十年も使い続けてぜーんぶ元の丸太を交換してしまってもともとあったものが何一つない状態になったとしてそれは、元のイカダと違うものですか?同じものですか?

みたいな、そういう作業を人間って毎日してて、新陳代謝してゆくから、絶対に二度と同じ状態ってのは訪れないわけ。
だから、変わって行って当然やし、それに気づいた時に不安になったりすることも当然なわけ。

ちなみに、丸太は交換しきっても同じイカダやと俺は思うねんな。
人間も世の中にあるものも全部同じ状態なんて存在しないわけやから、何が「それ」を認識してるかって、「それ」を「それ」と認識しているって人間が理解しているからでしかないやん。
理解や認識さえもおそらくは曖昧なもので、その曖昧なものをなんとなくまとめて監視してるのが感情なんやと思う。つまり心。
だから魂とかって考え方も意味がわかるわけ。
人が同じ人である瞬間なんて厳密にいうとないねんから何がその人をその人らしくしているかって、心がそうしてるわけやん。

だから、心がなんとなくざわついて「不調」のセンサーが働いている時ってのは、丸太が一本か二本入れ替わった状態に例えられるかもね。
一本入れ替わってるねんから、それに合わせて心も緩やかに認識を変えてゆく。
そのラグに人間がついてゆくのはとても難しい。
そして、心の変化を脳みそは案外理解できてないから
違和感が不安に変わってなんかゾワっとしてしまうわけ。

変わって当然やから、不調も当然。
でも、不調なのはきっと、補修の結果やから、あんまり心配しないで美味しいもの食べてゆっくりお風呂に浸かってたくさん寝て、そしていい音楽を聞いたり映画を見たり好きなことしながら心がついてくるのをまつのをおすすめするよ。
心がついてくるまでの間は待ってあげないと本当に調子崩してしまうからね。
もし、調子崩してしまったのなら、イカダを一旦大海原から陸にあげて休むことを選ぶのも一つかもね。


ただ、俺のmixiとかは絶対探すなよ。
見つけたやつはイカダごと沈める。