見出し画像

日記が書けない

夏休みで思い出すのは一行日記だ。

夏休みの宿題の定番である読書感想文を書いたことも、自由研究をしたこともない。よく聞く「読書感想の課題図書」の意味もわかっていなかったし、自由研究キットの必要性もわかっていなかった。その代わりに苦しんでいたのは一行日記だった。一行日記とは、夏休みの天気とその日の日記一行で書くものだ。それを毎日。

夏休みにやることは素麺を食べることと冷たい床を探してゴロゴロすることしかないという事実と、毎日こつこつやることが苦手で嫌なことは後回しにする性分が掛け合わさった私の場合、一行日記は苦痛で仕方がない。
まず、なんの代わり映えもしない毎日なので、まず書く題材がない。
素麺の具材の違いを書こうにも、我が家の素麺の具材はネギ一択。大量にゆでられた素麺をたくさん食べろと言う祖母に、ネギとめんつゆだけで2束を2分で平らげる毎日を書き続けるしか出来ない。
私が小学生の頃住んでいた家にはエアコンがなく、私が涼をとれるのは台所の床だったので、夏には涼しさを求めて床を転がっていた。食器棚の前が一番涼しいとか、床は同じ場所にいると暑くなるので定期的に寝転がって場所を変えた方が良いという発見をしたことを書いた方が良かったのだろうか。

素麺を食べて床に転がる特に変化のない毎日では、日記を書くという習慣すら産み出されることがない。そのため、生じることは夏休みの最終日に泣きながら日記を書くということである。もはや変わり映えしない毎日に何を書くこともできないが、書かないと宿題は終わらない。そしてなにより困ったのは天気の記録である。当時スマートフォンもなく、インターネットが引かれていない我が実家。過去の天気を知る術などなかったのだ。新聞の週間天気を頼ろうにも古新聞の回収が終わったばかりのときには絶望に頭が真っ白に…。
そのため、明らかな記憶がある日以外はやたら晴れ時々曇りが多い私の日記。最終日に来年こそは早く宿題を終わらせる、日記を毎日書くと決意しても次の年には忘れて最終日に泣きながら日記を書くという小学生を6年間を過ごしていた。

特に天気について指摘されることもなく乗りきってしまったために、ギリギリでなんとか乗りきれてしまうという成功体験の学習をしてしまい、その学習が何十年たった今も悪い方に生かされてしまっているという悲しさ。


そんな日記を書くことに向かない私が日記を書こうと思ったきっかけが。
自分がとても身に染みて感動したことを興奮しながら伝えた際に、相手に全くその感動を伝えられなかった。自分が体験したことを、思ったことを共有できない自分の言語化能力の低さに絶望した。
この感動を共有したい、自分が得た感覚を伝えたい、それだけの思いで日記を書く決意をした。振り返ったときに、自分があのときこんなことを感じていたんだと思い出せるように、過去の自分が読んでも理解できるように今の気持ちを書き残しておきたいと思う。


月2回は更新したいなあ・・・。(日記とは)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?