見出し画像

四六時中バターのことを考えている話

夏休みの最終日曜日ということもあり、子供時代には書いたことのない読書感想文にチャレンジしてみようと思い立った。最近、柚木麻子さんの『BUTTER』を読み切ったばかりだし、これ以上のタイミングはないはずだ。
なぜ読書感想文を書いたことが無いのにも関わらず、チャレンジしてみようと思ったのかというと、私はこの数ヶ月、QuizKnockと学ぼうというYouTubeチャンネルでやっているQK読書会を視聴していたのである。今までただ本を読んでいただけの私が、QK読書会で読書後の言語化の方法を学んだので、やれないこともないだろうと思っていた。

しかし、それは完全な勘違いであった。読書感想文を完全に舐めていた。面白かったこと、違和感を感じたことなど色々なことを書きたいと思っても、私の心に残っているのはおいしそうな食べ物の数々。特に物語の主題となり、核となっているバターの描写は、深夜に読むにはたまらないものがある。うっかり寝る前に読んでしまうと空腹に耐えかね、冷蔵庫のバターをむさぼってしまうだろう。もしくは、夢にバターが出てきた挙げ句、日中の仕事も手につかないほどにバターのことを考えてしまうだろう。そのくらい、バターの描写がたまらなく美味しそうなのだ。
登場人物が、バターを食べる、語る描写は、何も口にしていないのに舌の上にバターの塊が現れ、塊が溶けだして液体になっていく感覚になる。もはや口の中にあるのはバターなのか自分の唾液なのかわからない。私はただ本を読んでいるだけなのに、はっきりとバターの味をを感じている。

そして、この本の中に出てくる最高峰のバター、エシレというブランドを初めて知った。焼いたパンにコクを感じられればマーガリンだろうがバターだろうがどちらでも良い私によって、高級バターなるものは自分の関心の範囲外にあるものだった。この本を読む手を止めて、初めて知ったエシレバターを検索しまくった。どうやらエシレの専門店は都会にあり、私の住む地域の近くにはないことがわかった。すぐに手に入れることが出来ないことはわかったが、市内唯一のデパートに行ったらあるのだろうか?東京に行ったら少しでも口にすることが出来るだろうか、と、いかにエシレバターを口にするかということを四六時中考えていた。
このバター欲を昇華するのがいつになるのかともわからない状態では、モダモダして日常生活もままならなくなってしまう。欲望に取り憑かれた私がとりあえず作ったのは明太子うどんだった。冷凍うどんにバターと明太子に和えるだけで出来る最高の食べ物。本当はパスタにしようと思ったが、パスタを茹でることも面倒でうどんをレンジでチンした。
バターは普段10gが毎に個包装になっているものを使っているが、今回そのバターを2個使用した。この本を読む前であればきっと、きっとバターを1個しか使わなかったであろう。バターをたっぷり使った明太子うどんはコクがあって、こんなに簡単な食べ物なのに、とても贅沢な味だった。

しかし、所詮はいつも買っているバター。本で読んだエシレのバターには恐らくほど遠い。そこで、近くのスーパーで購入できる範囲での最高級のバターを購入した。地域の有名農場で作られている瓶詰めのバター。この高いバターを買って驚いたのは、牛乳から作られたのだとわかるほど、ミルクの甘さを感じることだった。おお、これが高級バターか・・・!と思いながら、パンに塗って貪るように食べた。もはや私が食べているのはパンなのか、バターなのかわからなくなるほどだった。
エシレバターの半額程度のバターでも(それでもいつもの2倍以上の値段)感じる幸福感。エシレバターを体験してしまったらどうなってしまうのだろうという恐怖感とどうなってもいいから早く食べてみたいという高揚感が同居している。バター欲は満たされても、エシレを乞う気持ちは、本物を食べるまで冷めないだろう。

こんなに四六時中バターのことを考えさせるなんて、罪深い本に出会ってしまった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?