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Coの時代のキャリアデザイン #グローバル人事のスペシャリスト


スタートはこんな職業意識。

親に学費をもらって大学に通っていたので、就職しないなら就職しない理由を明確に言えるようにしたいと思ったんです。

学歴については、こう思っていた。

会社で仕事をしているときに、評価されるべき学歴を持っている自分が、人の言いなりで働いているのは、「頭がいい」んじゃなくて「頭が悪い」証拠なんじゃないかと思っていたんですよ。
学歴というのが本当に実力を表しているならば、誰かが入るポジションに就いてそこで上り詰めていくというよりは、自分で考えて行動すべきじゃないかと。

初めて会社を辞められた「勇気」の源。

そこに「留まるリスク」は「仕事を無くすリスク」より高いという結論を持っていたので、仕事を無くす怖さは抑えられたのです。
当時の日本は、アジアの人たちに比べれば相当豊かだったので、会社を辞めたらご飯が食えなくなるという多くの人からの脅しは嘘だとわかっていました。少なくとも二十代はそういうチャレンジをすべきだと考えていました。

口を揃えて「もったいないよねー」と言われたので、怖くなかったかというとめちゃくちゃ怖かったですが。

旅と人生について。

学生時代には旅は息抜きや遊びだとみんな思っているんですが、僕はそれをいかに日常にするかと考え続けていました。
旅はやっぱりやめたくないし、自分ならではの経験を社会や世界のために生かしたいという気持ちはますます強くなりました。自分の経験を昇華させ、旅人の視点・立場で世界を考えるとどうなるだろうと夢想しました。

そして、イギリスの大学院で平和学を学ぶことに。その先に展望があった訳ではないですが、キャリアに余白を作ったことが後に活きてくることになります。

その後、ライブドアでは、起業を志す人がたくさんいて、いつの間にか影響を受けたと言えるでしょう。

やはり自分は、自分の周囲とは違う経験を生かして社会や世界に役立たないといけないなと思いました。ちょうどその頃、妻から子供を授かったという話を聞いて、どういう父親になりたいかと思いを巡らせました。子供と同じように成長したいと思い、他人の指示を受けるのではなく自分の考えに従って生きていきたいというのが結論だったのです。そして、3度目の退職と、サラリーマンであることを完全に止める決意をしました。

起業しようと思ってからやるべき事業を思いつくまでに半年以上。

何をやれば儲かるかではなく、自分の信念でもある「旅と平和」という考えを伝える事業をしたいという思いはどんどん強くなりました。世の中でいうビジネスチャンスとは真逆です。
楽しんでもらう場の中で、人にメッセージを伝えることはどうだろうと思いつきました。多くの飲み会で人をつないできましたので、アイデアが生まれ、行動が生まれる場作りをしながら、僕のテーマである「旅と平和」への理解者を増やしてみようと。

こうして、株式会社旅と平和が生まれることに。

そして、パクチーハウス→コワーキング→シャルソンができました。詳しくは本文をどうぞ。

先輩は僕の起業をこう解釈してくれました。

佐谷くんの話を聞いていると、全く勝算がなかったわけではなく、自分なりのネットワークを持ち、実感と一般論とのギャップを見出して自分なりにリスクを認めた上で新しいことにチャレンジしているんですよね。何でもかんでもやりたいからやっているだけではなくて。

色々な人に相談して、気づいたこと。

新しいことを始めると必ず「大丈夫?」とか心配したフリをして潰しにくる人がいることがわかりました。いわゆる専門家と言われる中小企業診断士とか外食コンサルタントが最たるものですが、親しい友人やスタッフが親身になって妨げてくるかもしれません。

キャリアを考える人へ。

全員が起業すべきと言うつもりはないんです。ただ、会社に入ったから、公務員だから安定だと思考を停止させるのではなく、会社が無くなることを想定するとか、自分の思うやり方を実践してみるとか、いろいろなことに興味を持って行動していく、小さな実験をしていくことが絶対に必要だと思います。誰に言われたとかでなく、自分で進むべき道を選ぶ。その訓練ができていれば、国家や世界が大きく変化しても自分で動けると思うんです。

詳しくは、ぜひ『Coの時代のキャリアデザイン』をお読みください。Kindleは専用端末がなくとも、スマホで気軽に読めます(むしろスマホの方がよみやすい)。

Coの時代のキャリアデザインKindle


パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。