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将棋教室をやって出てきた悩みについて考えてみる。

初めましての方もそうじゃない方もこんばんは。
ポールです。

さてはてコロナ禍の影響もある中で、将棋を指す・観る環境なんかも以前とがらりと変わってきております。
私もABEMATVトーナメントでチームレジェンドの快進撃に歓喜したり、
森内先生が急にYoutuberになってひっくり返っていたり、
(主に推しの)供給が過剰すぎて観る側の体力が足りなくなるんじゃないかと思うくらいコンテンツに溢れていて、ありがたいなぁと思う日々です。
※隙あらば推しを推していくスタイル

さて、本題ね。
2019年4月に始めた将棋教室も、かれこれ1年半ほどになりました。

なんだかんだと良く続いております。
それもこれも毎週参加してくださるお客様の方々、教えるのに協力して頂く方々、カルチャースクール運営の裏方様。
また周りの教室など、色々ご教授頂くなど様々の方のご協力あっての継続でございます。

しかしながら私も教える立場であると同時に、一介のアマチュアであるわけで。それも大人になってから始めた勢です。

「将棋を教える」という事も未経験という中でのスタートでしたので、毎度手探りで少しずつ積み上げながら実施をして参りました。

またコロナ禍の中で急速に環境に変化もありつつ、対応を考えながら進めていった次第です。。

まぁそんな中なので、実施をしている中での悩みも尽きないわけです。
「どうやったら楽しく取り組めるか」
「どう説明したら分かり易く伝わるか」
「誰に何を提供したら面白いと感じるのか」
「子供達の細かな変化・反応を観察出来ているか」
「大人が分かり易く理論立てて説明できているか」
「考えでつまっている部分を正しく拾えているか」
「人が増えた段階で質を落とさずに教える事が出来ているか」

etc........


考え事を上げたらキリがないわけです。
毎回終わった後で頭抱えながら反省会ですよ。お酒が美味しくない。
(っていうかパッと書いてみて既に考えすぎという事が分かる)

で、先日懇意にしている道場の席主様に悩みを吐露したところ、痛いところを突かれたり見抜かれたり、考えさせられる事をボコボコ突っ込まれたのでアウトプットしておく。少し恥ずかしいですが書き残すとします。

1、教える事にこだわって厳しくなっていないか

「初心者が楽しんで将棋を覚えてもらう」というのが教室のコンセプト。折角習いに来ているのだから、楽しんでやって帰ってもらいたいのである。

席「ポールさん真面目だから厳しくなっちゃってない??」
ポ「いやいや、そんなには」
席「いやいや絶対厳しいって」

じゃあ自分が楽しんで将棋をやってきたかと言ったら、必ずしもそうでは無くて、
自分で環境に飛び込んで、負けに負けて試行錯誤して勉強して苦悶しつつ、毎日日課で3手詰ハンドブック1冊解いて、モチベーションを落とさないように適度に息抜きをしながら継続をしてなんとかかんとか楽しみながらやって、現在の棋力に行きついているわけですね。

要は、必ずしも楽しいものではないんですよねwきついし苦しいものですw
それを自分なりに楽しそうなものを取り上げて採用しているわけです。

で、自分はというと、元々は運動部。社会人まで野球を現役でやっていて。
それなりに真剣にやっていたという自負もあり、結構なスポ根な環境で育ってきている子なのですよ。
簡単にどんな環境かというと、ミスしたらノックバットでフルスイングケツバット食らうような環境ね。
どこかしらでバイアスがかかっても不思議ではないのですよね。

さて、思い至って振り返って考えてみると、
確かに厳しくなっていたかなと・・・
折角やるのであれば楽しく、と同時に少しでも強くなってほしいという思いも強く働いてしまうのも事実で。

何故かというと、棋力が少しでも上がると、見える手が広がるのが分かっている。それに伴い楽しさが段違いに変わってくるのが分かっているからである。

教えるのにも、どうやったら分かり易く伝わるかなど、試行錯誤を繰り返していると、これをやってみたら気付きがあるんじゃないか、少しでも強くなるのではないかと画策して問題を考える瞬間は確実にあるわけです。

言われて考えてみると確かにそうで、
人数が増えた事で一人一人に目を向けられる時間は減っているし、
棋力のそれぞれ違う人らに適切なアドバイスが出来ているかと悩む瞬間もあり、少し焦りみたいなものもあったのも事実でして。

自分の思いとしては、教室を離れても長く将棋を楽しんで貰うという事が一番で。将棋程長ーく楽しめる趣味、コンテンツもそう無いわけですし。

自分がそういう性分であるのを踏まえた上で、気長にゆっくり焦らず、そして求め過ぎずに、気楽に構えてやってまいります。

2、集中力の無い子はどうしたらよい?

参加者の子供たちは小学校1~3年生がほとんど。
なのでまぁ言う事聞かない子も当然出てくるわけです。
話しても聞かないし、駒で別の遊びを考案するし、駒がワープします。

さて、そうした子にはどうしたら良いですかと聞いたところ、ここは共通していて、「基本的にほっとく」でした。
普段集中力が無い子も、スイッチが入る瞬間があります。集中の時間の長い短いは人によって差はありますが。そのスイッチが入るまで気長に待つようにしています。

無理くり強制しても結局やりません間違いなく。可能な限り興味の向いている話に付き合い、考案している遊びに付き合う。

タイミングを見て課題を出してみて、出来たら全力でほめる。
・・・というのが通常の流れ。

まぁしかし最近は教える事に執着しているなという自覚もあるので、始めたころみたいに、もっと遊んであげなきゃなぁと反省。

3、子供達の目線はどこに行っているか

子ども達はガンガンものを言ってくる子もいれば、静かに淡々と受けている子もいます。
これわかんなーい!と言ってくる子はどこが分からないかは一目瞭然でヒントを与えればわかるのですが、静かな子はなかなか声を発しません。
小学生にしては落ち着いていて坦々とこなす子などもいて、中々本音の部分が見えにくい、というのも悩みでありました。

で、どうしたら良いのか相談したところ、「目線がどこに行っているか見てみる」、「徹底的に甘えさせてみる」の2点だった。

静かな子は悩みなくやっているわけでなく、何かしら引っ掛かっているものがあり、それをいかに引き出してやるかがカギと。

師曰く、どの子も目線を追っていくと何を考えているかが分かるとのこと。
確かに仕事をする中でも考える事でしたが、余裕が無くなり出来なくなっていたかもしれないなと。
経験則は必要な部分かもしれないですが、意識はしてみよう。

甘えさせるというのは、好きな事をどんどん聞いてやってもらう、というもの。落ち着いてても小学生。子供らしいところは出してくれるという。
手探りな所はあるとは思うが、まずは試してみよう。うん。

4、嫌いになって、または飽きて辞められる覚悟が出来ているか

誰しも進学、就職、転職、結婚等々のライフステージの変化や環境の変化は起こるモノ。それを区切りに習い事を辞めるというのはいつか訪れるものだ。

また辞めるタイミングとしては、習っているものがつまらなくなった瞬間ね。
私自身、小学生の頃にサッカーと習字をつまらなくてやめている。
サッカーは「なんでパスしなきゃいけないのか」に納得できずやめ、
習字は師範に一切ほめてもらえずやる気を失った。

現状、この1年半では将棋を嫌いになってやめるという人はいない。
しかし、例えばやっていて将棋に飽きてしまったり、私の事が嫌いになってしまったり、実力がついて教えてる事が退屈になってしまったり。
やめる理由なんてそこら中に転がっている。

いざ、そんな機会に出会ったときに自分がどう思うのか。
まぁ悩むんだろうなぁとw頭抱えるんだろうなぁとw

いつか訪れるものであると思っているが、
そこでブレてはいけないのは、自分が何をやりたいかである。
スタート当初にめちゃくちゃ悩んで初めたわけですし、ぶれずに継続したいという思いもあるわけです。
続けて行くことで見えてくるモノはあると思っていますし、生徒さんからも気づきや学ぶ事も多い。それらを見極めて精査しつつ、自分のやりたい事を都度考えなくてはいけないなと改めて感じた次第でした。

一応評価して頂いた部分としては、現状10人以上の人数を受け持てているというのは自信を持っていいと。
必死こいてやっていたらいつの間に増えてた、という感じなので実感が無いのですが、そんなもんなんですかね?(いい時期に始めたというのもあるのでしょうけど)

とまぁ長々と書きましたが、まだまだ悩みは尽きないです。
運営についてや今後についてなどなど。
考えすぎてもいけないですけどね。
考え事が増えたら発散の為にまたつらつらと書いてみたりします。

でも席主に話を聞いてもらって良かったですし、日ごろの考え方などは勉強になりましたね。感謝感謝。すごくスッキリ。
なんか各地の道場の席主さんとかに話聞いて回ってみたくなったよねw
(叶うかどうかは別として。インタビュー形式とか。)

教室は継続はできそうですし、無理せず、気楽に構えてやっていきます。
お付き合いありがとうございました。

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