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世界史漫才再構築版44:ナポレオン編(後編)

 苦:さてナポレオンのつづきです。前回は1806年のベルリン占領まで話しました。
 微:「ジャガイモしかねえのか!!」と怒ったそうです。
 苦:その気持ちはわかります。食糧を持参しないのがナポレオン型遠征の高速移動の根本ですから。
 微:戦争業界のサバクトビバッタと言われたそうです。
 苦:それは2021年ね。さて同年11月に、ナポレオンはイギリスへの対抗策として大陸封鎖令を出し、ロシア・プロイセンなども参加させて大陸とイギリスとの貿易を禁止します。
 微:イギリス文部省は「いじめ」と認定しました。
 苦:そんなもんじゃありません。イギリスを経済的に追い詰めようとしたのですが、これは予想に反して大陸諸国とフランス民衆の大きな不満を買うことになります。
 微:安い輸入牛肉がなくなって、280円の牛丼の最後の一杯が無くなる様子までTV中継してね。
 苦:それは狂牛病騒動の時の日本だよ! 大陸封鎖令を出した事でイギリスの工業製品と砂糖を輸入できなくなった欧州諸国は経済的に困窮します。
 微:日米開戦前の交渉みたいだな。本気で和解する気があるのかよくわからない。
 苦:イギリスの代わりをフランスが務めるのは無理がありました。何よりナポレオン軍が使っていた銃がイギリス製だったという笑えない話もあります。
 微:その点、日本はいいね、笑うしかない農水大臣や厚生労働大臣が次々登場して、人材豊富だ。
 苦:さて、1807年にロシアとのティルジット条約でザクセン侯を君主としたワルシャワ大公国と、弟ジェロームを王位に就けたウェストファーレン王国を承認させます。
 微:一族でグループ企業を固めた上に「適度な赤字は経営に必要だ」と言い放ったそうです。
 苦:ともにフランスの傀儡国家でした。ワルシャワ大公国はナポレオンのポーランド愛人マリア・ヴァレフスカのポーランド復活の願いを形だけ叶えたものでした。
 微:COCOAの中抜き会社みたいなもんだな、書類上だけ存在するという。
 苦:ナポレオンはスウェーデンにも元帥ベルナドットを王継承者として送り込み、1818年に即位してスウェーデン王カール14世ヨハンとなります。ちなみにこの王家は現在も続いています。
 微:靖国好きの人たちがよく使う「押しつけ憲法」ならぬ「押しつけ国王」だが、良かったんだな。
 苦:1808年、スペイン・ブルボン朝の内紛に乗じて兄ジョゼフをスペイン王位につけます。これに対するスペインの反発は激しく、「最初の抵抗」とされる半島戦争(1808~1814)が起こります。
 微:どっちもフランスからの押しつけなのにな。
 苦:蜂起した民衆の伏兵による抵抗にフランス軍は苦戦しました。民兵が籠もった山地の名から「ゲリラ戦」という語がこの時に生まれました。
 微:惜しくも山手線は逃したんだな。
 苦:戦の字が違います。ナポレオンは後に「スペインの潰瘍が私を滅ぼした」と語っています。
 微:しゃべったのはお腹の潰瘍だったそうです。黙らせるために手を腹に差し込んでいたんですが。
 苦:人面疽かよ!! ナポレオンにとってスペインはアキレス腱で、ポルトガルを拠点としてイギリス・スペイン両軍を率いてフランス軍を悩ましたのがイギリスのウェリントン将軍です。
 微:トラファルガーでネルソンも死んでしまったし、新しい英雄が必要だもんな。そういう人材を輩出できるイギリス上流階級の教育は嫌いだけどすごいよな。
 苦:スペインでの苦戦を見たオーストリアは、1809年にイギリスと同盟してナポレオンに挑みますが敗れ、お詫びの粗品にオーストリア皇女マリー・ルイーズを差し出しました。
 微:この時、「ジョゼフィーヌ、今後はだめだ」って言ったんだな。
 苦:それはブルーチーズの臭いを嗅いでだろ! 当初はロシア皇女が候補だったんですが、オーストリア外相メッテルニヒがマリー・ルイーズに決定しました。
 微:郡司さんの採点では10対8でマリー・ルイーズだったそうです。
 苦:昭和のボクシングかよ!! 1811年に王子ナポレオン2世が誕生し、ナポレオンは乳児の彼をローマ王の地位に就けますが、これはローマ教皇領の解体とセットでした。
 微:この頃がナポレオンの絶頂期だろうな。
 苦:さて、1806年の大陸封鎖令でヨーロッパ諸国は困窮していましたが、1810年にロシアが勝手にイギリスとの貿易を再開します。両国の利害は小麦で一致していました。
 微:最初は「瀬取り」から始めたそうです。
 苦:北朝鮮かよ!! 1812年、ナポレオンは「お仕置き」としてフランス同盟諸国から徴兵した60万という大軍でロシア遠征を決行します。
 微:しかし、その数の根拠は何なんだろう?
 苦:短期決戦を狙ってでしょう。ロシアに侵入したものの、ロシア軍はまともに戦わず、撤退していきます。ただし、畑や家屋をすべて焼き払ってです。
 微:スウェーデンからグレタ名義で「温暖化を進めるな」との抗議の手紙が届いたそうです。
 苦:兵站を軽視したナポレオン軍の弱点を、皇帝アレクサンドル1世はロシアの広大な国土と徹底した焦土戦術によって突いたのです。
 微:レーニンでさえ「一歩後退、二歩前進」したのにな。
 苦:いえ、地獄への一本道でした。飢えと寒さで次々と兵士は脱落していきます。ロシア側は古都モスクワにも放火して補給も休養もさせませんでした。その覚悟にナポレオンも震えたでしょう。
 微:横光利一の「ナポレオンと田虫」だと、特効薬を持ってロシアに行ったら、田虫が縮んで領土も減り、全快すると、っていうやつ。
 苦:私は宮崎駿の初代ルパン3世に出てきた「ナポレオンのトランプ」でしたな。持ち主に幸運をもたらすトランプをナポレオンが手に入れて皇帝になる。だがモスクワの陣幕で吹雪によってそのトランプが飛び去っていって負けるという。
 微:お互い、変なところでナポレオンを知ったんだなあ、はあ、しみじみ・・・
 苦:ロシアの最終兵器「冬将軍」も到来し、ナポレオン軍はとてもモスクワに留まっておられずに総退却となり、数十万のフランス兵が死にました。
 微:ちょっと前の、半井さんの頃のNHK天気予報みたいだな、冬将軍って。
 苦:無事に帰還してこられた兵はわずか5千であったといいます。何よりもナポレオンの戦術を理解した将校と兵士を失ったことが最大の打撃でした。
 微:日本史で言うと、武田信玄の死よりも、信玄の戦を知りぬいた家臣が死んだことが長篠の戦い最大の打撃だったようなもんだな。
 苦:この大敗を見た各国は一斉に反ナポレオンの行動を取ります。プロイセンが動き、第四回対仏大同盟を結成します。この同盟にはスウェーデンも参加していました。
 微:血のつながりは大事だな。
 苦:訓練不足の若年兵を使いながらも1813年の春は善戦しますが、10月のライプツィヒの戦いで同盟国のオーストリア軍が裏切ります。
 微:オーストリア軍のほとんどが派遣社員で、一斉に派遣切りに遭ったそうです。
 苦:リーマンショックじゃねえよ!! メッテルニヒはマリー・ルイーズを捨てたのです。ナポレオンは中洲で撤退用の橋も落とされ、大同盟軍に包囲されて大敗し、フランスへ逃げ帰ります。
 微:逃げ帰る時の方が速かったりして。
 苦:余計なツッコミはいりません! 1814年に入るとナポレオンの手元にはわずか7万の手勢しかいませんでした。
 微:フランスって、戦争したら成人男性が激減してなかなか復活できない悪い癖があるな。
 苦:絶望的な状況下、3月31日にパリが陥落します。ナポレオンは4月4日に退位させられ、エルバ島の小領主として追放されました。
 微:まるで日本企業が退職に追い込むようなやり口だな。
 苦:ナポレオンは、幼子ナポレオン2世を後継者としようと粘りましたが、ブルボン朝が復活することになり、ルイ16世の弟がルイ18世として即位しました。当然、タレーランの画策です。
 微:ナポレオン侍従長タレーランの裏切りをオレも見習わないとな。
 苦:見習わなくていいよ! ナポレオン失脚後、ウィーン会議が開かれますが「会議は踊る、されど進まず」です。1815年にナポレオンはエルバ島を脱出し、パリで皇帝に復位します。
 微:それはいいけど、戦力というか兵士の練度はどうだったんだ? 寄せ集めでは勝てないよ。
 苦:その状態でしたが、皇帝を認めさせた上での講和提案ですから、大同盟側に拒否されます。
 微:「チビのくせになんで上から目線なんだよ!!」とピットが激怒したそうです。
 苦:結局、戦争になります。緒戦では勝利したものの、ウェリントン将軍指揮下のイギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗して百日天下は終わりました。実際は95日間です。
 微:消費税込みで100日だな。
 苦:ナポレオンは再び退位に追い込まれ、イギリス政府はウェリントン将軍の提案通り、大西洋の孤島セントヘレナ島に幽閉しました。
 微:イギリスもよくあんな大西洋の孤島を領有していたな。
 苦:それは、高校生が持っている世界史図説の落とし穴なんです。15世紀のインド航路探検の時の、あのおっかなびっくりの大陸近くの航路は、実際のアジア貿易では使えませんでした。
 微:え、そうなの!
 苦:恒常風を知ってますか。先回りして脚の長い大型扇風機は工場扇で、別物ですよ。
 微:また先手を取られたか!
 苦:赤道から南北の回帰線辺りまでは西に吹き続ける貿易風の地域です。喜望峰に向かうと、どうしてもアフリカ大陸から離れて大西洋の真ん中に流されるんです。
 微:あ、そこがセントヘレナ島か!
 苦:ご明察です。南に向かって季節風ベルトを越えたら東に吹き続ける偏西風地帯です。これに乗れば喜望峰までは、あっと言う間です。ですからセントヘレナ島は戦略的に重要地点なんです。
 微:でも、それってナポレオンの面会客がひっきりなしに来ることにならないか? ヘタしたらセイロン島にナポレオンと支持者が逃げてしまう可能性もあるんじゃないのか?
 苦:ウラービー=パシャかよ! ナポレオンはごく少数の随行者とともにロングウッドの屋敷で生活し、その周囲では多くの歩哨が監視するなど、実質的な監禁生活でした。
 微:そんなナポレオンの唯一の文通友達がアウンサンスーチーさんだったそうです。
 苦:境遇は同じでも時代が違い過ぎます。そんな中でナポレオンは随行者に口述筆記させた膨大な回想録を残しました。
 微:何回も島を周遊し、同じ話をするので、ナポレオンも地形や風景を見たら自動的に話が出てくるようになったそうです。
 苦:ジャングル・クルーズの解説かよ!! これらは彼の人生のみならず彼の世界観・歴史観・人生観まで網羅したものでした。
 微:ヒトラー、ナポレオンと、どうしてヨーロッパを騒がせる奴は自分で書けないんだ?
 苦:ナポレオンはセントヘレナ島の総督ハドソン・ロウの無礼と嫌がらせに苦しめられました。
 微:毎日三度の食事がフィッシュ&チップスだったそうです。
 苦:どうやってタラを仕入れるんだよ!! 彼はナポレオンを敬意を持って「皇帝」と呼ばずに「ボナパルト将軍」と侮辱しつづけました。
 微:言葉攻めだな。でも「この豚野郎が!!」となじられるよりマシな感じもするが。
 苦:ロウはナポレオンの体調が悪化すると主治医を本国に帰国させました。
 微:収監者の弱らせ方について名古屋入国管理局担当者の指導を受けたそうです。
 苦:ウィシュマさんかよ!! しかもナポレオンが住む屋敷・家具にはヒ素が染み込ませられていました。心労も重なって彼の病状は進行し、1821年に死去しました。
 微:和歌山の林夫妻がバレない方法を伝授したそうです。
 苦:カレーなんてありません。彼の遺体は遺言により解剖され、死因としては当時公式には胃癌と発表されましたが、ヒ素による暗殺の可能性も指摘され、現在も決着はついていません。
 微:巨額の生命保険が掛けられていたら、和歌山の林夫妻が犯人だな。
 苦:遺骸は1840年にフランスに返還され、現在はパリのオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)に葬られています。
 微:それって、ルイ・フィリップに対する嫌がらせでしかないな。
 苦:はい、この返還により、ナポレオンを慕う気持ちが民衆の間で高まり、1848年の二月革命を経て、ナポレオンの栄光を想う感情が第二帝政を生み出すことになるわけです。
 微:世界最初の男性普通選挙を実現した国が、バカを担いで独裁を選ぶんだから。
 苦:日本の普通選挙制度も大概ですよ。ナポレオンの最大の遺産であるナポレオン法典ですが、フランスでは現在も現行法です。なんとアメリカのルイジアナ州の現行民法もナポレオン法典です。
 微:まあ、もともとはフランスの植民地だもんな。
 苦:政治思想史においても、ナポレオンがフランス革命の理念「自由、平等、博愛」を各国に輸出したということも見逃してはなりません。
 微:今ならWTOに提訴されて不公正な輸出として処分されそうだな、アメリカの提案で。
 苦:ちなみに「博愛」は誤訳というかごまかしです。男同士の精神的兄弟愛・連帯ですから。
 微:「義兄弟愛」だよな、正確には。大学の男子寮にも使われる、BLネタね。
 苦:ちなみに、道路の右側通行がヨーロッパ全土に普及したのもこの頃で、イギリスは占領されなかったので左側通行のままです。
 微:それではアメリカと中国の説明がつかないが。
 苦:「反イギリス」ということで。それとナポレオンの支配を受けなかったイギリスとアメリカはメートル法ではありません。ヤードやポンドが現役です。
 微:1941年の大西洋憲章の第一条で確認してたりしてな。
 苦:両国とも自国が間違っているかも、という省察ができないんですよ。(チャンチャン)

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