西日本豪雨災害での命の連鎖
2018年7月7日西日本豪雨災害。
DMATで招集された自分たちは、
これが今の日本かと、とてつもない岡山の光景を目の当たりにしていた。
雨で洪水と化した安定しない足場の中、
愕然としていたことを今でも覚えている。
自分たちが死んでしまうかもしれないという
微かな恐怖も覚えた気がする。
あの日の岡山は、漆黒の闇に包まれていた。
頭から放たれる懐中の光が映し出すものは
人や建物ではなく、そのすべてが泥水だった。
声を枯らしながら一晩中呼びかけ続けたが、
死者は生存者を上回っていた。
西日本豪雨災害で、
自衛隊や消防と協力して守り続けたのは、
人命だけではなかった。
あちこちから聞こえてくる動物の鳴き声。
人命優先ではなかった。
人=動物、同じように命を考え救助した。
避難所にいるおばあちゃんと話をして、
「生まれ変わってもおじいさんと結婚したい。同じように岡山が浸水して同じ目に遭っても、この人がいる場所なら、何度でも嫁ぎに来るわね」って。
その言葉を聞いて、
とても疲れていた自分に言い聞かせて
また救助に向かったんだよな。
気持ちで闘ってた。
人は、喉元過ぎれば熱さを忘れる。
かつて各地で起こった大地震も、
西日本豪雨災害も、
2020年に発生した世界規模の巨大感染症も、
どこか他人事ではなく、人はその熱さを、
決して忘れてはならないと思う。
3週間、岡山で闘い続けた。
そして今でも夢に見る時がある。
あの時、助けられなかった人たちの言葉や、
最期の温もりを。
24時間体制で人の命と向き合っていた。
時間が経って岡山を再訪する度に、
あれから復旧された街並みを見て、
これが本当の晴れの国なんだよな、
全部が全部じゃないけど、元の街並みに戻りつつあってよかったなと思うと同時に、
フラッシュバックのようにあの時の
壮絶な光景が思い出される。
あれから、より訓練を重ね、
体が大きくなった。
勉強もしている。
実はあの時、二次災害で、
自分は同僚や岡山の人たちに助けられた。
もしかしたら
今、生きていなかったかもしれない。
本当に感謝しています。
でもあの時のように、
同じことがあっても、また岡山に行く。
仕事だからではない。
恩返しをしたいから。