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うまくいかないからだを抱えて

日が落ちるとカナカナカナ、とひっそりしたと虫の音が聴こえる。
気がつけば、もう秋がそこまできている。
夏はドカドカ暴れたけど、意外にもダッシュで走り抜けていった感(印象)。
夏の後ろ姿を見送る今が一番切ない季節かも。

今年は夏休みが意図せず長くなった。
校内の工事があってたまたま美術室が工事関係者の人たちの控室として使用されることになり、他に使える場所もなかったので8月はオール部活動なしにした。
8月最初の週だけ少し出勤し、夏季休暇と年休を使い、2週間少し休んだ。

こんなに職場に行かなかったのは初めてだったかもしれない。

家でゆったりと過ごしていると、いつも息を詰めて緊張して体が強ばっていることがよくわかったし、胸の奥の方に感じられていた「かたい」ものがふっと緩められた日があって、それがとても心地よかった。普段もそうしていようと気をつけることができるようになった。
もう結構生きているのに、なんだか不器用極まりないなと思う。
緊張している状態が「普通」だったようで、緩んでいる状態がどういうものなのかわかっていなかった。

思いがけず時間ができて、一番やりたかったことができた。
それは、自分の絵のポートフォリオを作ること。それが仕事になるようなことはなくても、自分の思ったことや感じたことを表現した日記のようなものとして、絵は本当にとても大切なものだったから。
そしてついでに、思い切って世界中のクリエーターが利用するSNSであるBehanceで作品を公開中。一度しかない人生だもの✨!

たくさんの方に見ていただくのは実力なくてなかなか難しいけれど、まあ出さないことにはどうにもならないし。
ロシア人の方から「いいね」をいただいたので、その方の作品を見に行ったら、アニメーション作家さんだった。
東欧のアニメーションが好きなので嬉しい! 人様から認めていただく…こういう楽しさもすごくある。
なんだかんだ出してよかったし、これからも地道にのんびり、感じたことを日記のように表していきたいと思う。

Behanceはアジア系なら中国のクリエーターの人は多い感じ。どの国の人も基本は英語表記なので、なんとなく書いてあることはわかる。わからなくてもGoogle翻訳すれば大丈夫。なんていい時代なんだろう。

いい時代・・・その一方で、というか、AIの自動生成でかなりリアルな絵が描けるMidjourneyやDreamなどなど、もう人間は絵を描く必要なんてないんじゃない?!くらい高い創造力と技能を持つツールも登場して、人間がわざわざ絵を描く必然性がなくなってきている時代でもあったりする。

今日、美術科の研修にオンラインで参加して、ちょっとIT化はしているものの(アイビスで下絵を読み込んで着彩したりとか)、やっていることは10年前とあんまり変わらない授業提案を見ながら、でも相変わらずコツコツと手動で絵を描いたりものを作ったりすることはとっても大事なのかなあと思ったりした。
AIでびっくりするような美しくリアルで創造力あふれる絵画が生成されるけど、
何事もブラックボックス化するのは怖いことだ。だってAIはものすごい速さだけど、絵を描く過程を学んでそうなっているわけで。

絵はこんなふうにできていく、人はこんなふうにものを見て、こんなふうにとらえて、相手のことを考えてデザインして・・・・その過程を体験することはやっぱり大事なのかもしれないと思いながら。
ただ、機械のように速く学べない私たちは、ゆっくりゆっくり学んでいくしかない。体をもつってめんどくさいことだけど、思うようにできた時は幸せだ。

知能はもっているけど体をもたないAIは、素敵な絵を描くけれど「幸せ」なのかな。
私たちはいろいろ不自由だけど、「体」があることで、いろいろ使えるようになることで生きがいや幸せを感じるのかも。太極拳をやってる時もそんなことを思う。
研修でもいろいろ考えさせられた。

ああ新学期が始まっちゃうけど、授業でそういう話から始めようかな。






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