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形見分け

私の集中的な治療がひと段落し、ウィッグからベリーショートの地毛に戻り、ショートとセミロングの間くらいにはそれなりにヘアスタイルがなんとかなった頃、突然訃報が舞い込んだ。

学生時代にとても仲良くしていた、他大学の女友達。聡明で凛としていて、同い年ながら立居振る舞いや言葉遣いを密かに真似るほど、憧れにも似た気持ちを持つ存在だった。卒業して距離的に離れてからも時々連絡を取り合い、彼女は専門職として確実にキャリアを積み上げていった。
学生時代の彼と結婚を決めたときには、私にも結婚式に出席して欲しいのと招待状を送ってくれた。お子さんも生まれ、なかなか会えなくはなっていたが順調に幸せに暮らしている様子はなんとなく窺えていて、また落ち着いたらゆっくり逢って話が出来る、そう信じていた。

共通の男友達から、ごめん…あまりにも動揺し過ぎてキミに伝えることさえ忘れていたと前置きがあり。2ヶ月前に血液の病気で彼女が亡くなったと知らされた。
彼女が亡くなった?血液の病気?どういうこと…⁇
その3つの言葉だけが頭の中で無限ループを繰り返し、まったく受け付けなかった。

衝撃が収まらない私に、今度ご自宅に一緒にお参りに行かせてもらおうと彼が声をかけてくれて、10数年ぶりに彼女のご主人と悲しい再会をした。
彼女を含むこの4人でダブルデートのように遊びに行ったこともある。私だけが大学も専門も違ったけれど、みんな仲良くしてくれた。4人でブライアン・アダムスのコンサートに行ったよな、よく行ったあの喫茶店は震災で潰れてしまったね・・・なんて思い出話もした。
彼女だけがいない。まだ亡くなって数か月、誰にも実感はなく、思い出話は涙声で言葉がつまった。いつでも遊びに来てね、ご主人はそう言ってくださった。

1年に一度か二度、友達とご自宅にお伺いして仏前に手を合わせ、食事をして・・・そんなおつきあいを何回か繰り返したある日。
引っ越しをしたときに整理しようと思ったけれど、踏ん切りがつかずに全部持ってきたという彼女のお洋服を見せてもらった。息子さんとの男所帯のわりには綺麗に整理されてるな・・・と思って見ていたら、ご主人からこう切り出された。「もしよかったら、いくつか洋服をもらってくれない?」と。
趣味の良い彼女のこと、ブランド品も普段遣いのものも素敵だけど、私なんかがもらっていいの?と躊躇し、妹さんは着られませんか?とかなり遠慮したけれど、妹はサイズが合わないのだと。
同行の男友達が、ちょっと着てみたら?とショートトレンチを手渡すので着てみるとサイズはピッタリ。彼女の方が細かったと思っていたのでちょっとびっくり。ご主人にそれは彼女が気に入って着ていたコートなんだよ、似合うから着てねと言われてしまい。結局あれはこれはと色々見せて下さってワンピースなど5点ほど形見分けのような形でいただくことになった。

ご主人は、私が遠慮がちなのを気遣い、「うちも他に着る者はいないし、着てもらったら彼女も喜ぶから!」と言ってくださって、友達も「そうだよ、絶対喜んでる。また今度、違うものもらったら?」と笑って荷物を持ってくれた。
こんな形で、まさか私に形見分けくださるとは思わなかった。
本当は、彼女がもっと自分でこれからも着たかっただろうに。
そう考えると切ないし、病気のことをもっと早く知ることが出来ていたらお互いに励ましあえていたかも知れないと思うと、今でも鼻の奥がツンとする。なにより、会ってもっと話をしたかった。

別の友達から聞いたのだが、彼女がお父様と同じ医師という仕事を選んだのは、父親への尊敬とともに「ひとと関わる仕事だから」と話していたのだという。
母親を亡くした息子たちは今、二人とも両親と同じ道を志している。
私達が出会った年頃になったのね。あなた達のお母さんがどれだけ素敵な女性だったか、いつか話してあげたいな。心密かにそう思っている。

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