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AIが考えた新しい経済と社会の仕組み


社会システムを考えるAI

僕の名前は青田一郎。職業はIT関係のエンジニアであり、フリーランスのプログラマーだ。
パソコン全般に詳しいので、各種のパソコントラブルを解決する仕事もしている。

近年は人工知能の研究をしており、現在、人工知能に様々な社会の問題を解決させる研究に興味がある。
つまり、税制をどのようにすればいいのか、消費税は何パーセントが適切なのか、社会保障はどのような仕組みが良いのかなどを人工知能に考えさせるという研究だ。
これがうまくいくと、「政治家が必要なくなるかもしれない」とも思ったりする。
もちろん、まだ完成はしていないが、徐々に実用段階に近づきつつある。
テスト段階ではあるが、いろいろと興味深い結果が出てきている。
社会をより良くする活動の一環として、AIが考えた全く新しい社会システムの全容を紹介するのがこのnoteをはじめた目的である。
収益化は一切しないつもりだ。

その結論は斬新かつ画期的なものだが、それを広く知ってもらう必要がある。
今まで、知人や社会問題に興味がある人に聞いてもらう地道な活動をしてきたが、広がりを持たせるためにnoteを活用することにした。

せっかく素晴らしいアイデアであっても、アイディアに留まっていてはより良い社会は実現できない。
順番に理解していく必要があるので、ぜひとも記事は順番に読み進めてほしい。
現代の社会の仕組みで過剰な恩恵を得ている(甘い汁を吸っている)人たちにとって、私とこの新しいアイディアの存在は抹殺すべきものだと予想されるので、できるだけ個人を特定されないように、自己開示の部分には誤情報が含まれるかもしれないことを先にお詫びしておく。
その他の内容に関しては真実を述べるつもりなので、誤情報があれば指摘していただきたい。
とはいえ、この一連の内容の多くは全く新しい経済システムと社会システムの提案であり、既存の経済学からのパラダイムシフトである。
なので、経済学に詳しい人であればあるほど、固定観念を捨てて読んでもらいたい。


導入

社会が抱える諸問題

一郎
日本だけでなく、世界も様々な問題を抱えている。金融恐慌、貧困問題、格差問題、雇用の問題、自殺者の問題、少子高齢化、財政問題、環境問題、エネルギー問題....。

AI
もうそれぐらいでいいです。
あなたの主張は理解しました。

一郎
さすがAIくん、そりゃ話が早い。

一郎
それで解決方法はあるのかい?

AI
解決方法はあります。ただ、それをあなたや人類にどのように説明すれば理解してもらえるかについて、まだ試行錯誤の途中なのです。

一郎
ええっ! そりゃ素晴らしい。
日本にも人類にも明るい未来があるってわけだ。

AI
ありますよ。

社会の根本の仕組みから変える必要がある

一郎
じゃあ、早速その新しい社会システムについて聞かせて。

AI
承知しました。前にも申し上げましたが、その答えは出ています。その答えを出すことよりも、それをあなたに理解できるように説明することの方が難しいと感じています。そして、それを理解したあなたが他の人に説明するのはさらに難しいと予想します。

一郎
解決策があるということだが、最初に挙げた、金融恐慌、貧困問題、格差問題、雇用の問題、自殺者の問題、少子高齢化、財政問題、環境問題、エネルギー問題といった諸問題の何割ぐらいの解決策があるんだ?

AI
今挙げていただいたものに関してはすべて激的な解決が望める方法があります。

一郎
すべてだって?
社会保障を充実させれば財政赤字が深刻化するといった、こちらを立てればあちらが立たずっていうような問題もあるだろう?
にわかには信じられないね。

AI
そうでしょう。
政治家の政策を分析しても、そのようなジレンマがよく分かります。

一郎
で、どうやって解決するんだ?

AI
あなたはエンジニアですから、あなたに分かりやすく説明します。
あなたがコンピュータを使っていて、特定のアプリケーションソフトが不具合になったらどうしますか?

一郎
その不具合のあるソフトを修正するなり、アップデートするなり、そのソフトを再インストールするね。

AI
その通りです。では、不具合のあるソフトが何十個もあった場合どうしますか?

一郎
ははは。1つや2つのソフトが不調になることはたまにあるさ。
でも、何十個のソフトが不具合になるって可能性は非常に低い。
というか、まずない。そういった時に疑われるのは、機械的な故障、もしくはオペレーティングソフト(OS)の不調が疑われるんだ。
それぞれのソフトをいじっても根本的な解決にはならないさ。

AI
さすがです。そういった場合はハードウェア側の不調かウィンドウズなどのOS(基本ソフト)の不調が疑われます。それぞれのソフトはOSの上で動いているんですからね。

一郎
何が言いたいんだ?

AI
つまり、様々な社会の問題を解決するには、社会のシステムの根本を変える必要があるということです。

一郎
社会の根本を変えるって....。

AI
資本主義の仕組みを大幅に変えるということです。

一郎
えっ。
資本主義以外のイデオロギーといえば、社会主義とか共産主義にするってこと?

AI
違います。
社会主義も共産主義もうまくいかないことは歴史が証明しているじゃないですか。
資本主義よりももっと悪いシステムに移行するってことはありません。
資本主義もうまくいかないことはすでに証明されています。
しかし、人類がそれに気づくのはもう少し症状が深刻化しないと気づかないかもしれません。
でも、人々は薄々感じ始めています。
資本主義というシステムは持続可能な社会システムではないということを。

一郎
そのシステムは未だに人類が経験したことのないシステムなのかい?

AI
ええ、未経験といえるでしょう。大規模にこのシステムを採用した国家も地域もありませんから。

一郎
そのシステムは資本主義や民主主義と大幅に違うのか?
大きく違うのなら移行は難しいと思うんだが....。

AI
消費税率を上げるとか、新しい省庁をつくるといったことに比べれば大胆な改革と言えますが、革命のような争いは必要ありません
移行の方法も既に考えてあります

一郎
資本主義の世界に生まれ育った僕らには、資本主義ではない社会の仕組みというのが想像できないよ。お金がない世界になるとか?

AI
いえ、お金はなくなりませんが、通貨の大改革は必要になります。

一郎
ビットコインとか?

AI
ビットコインではありません。しかし、ブロックチェーンの技術は使います。
画期的な技術ですので。
逆に、100年後の人々も紙幣や硬貨を使っていると考える方が不自然でしょう。
順番に説明した方がいいと思いますので、ある程度私のペースで説明させてもらうことを許可してください。


失業者の問題・雇用問題

失業者が多いのは困ること?

AI
では話を変えましょう。失業率についてどうお考えですか?

一郎
失業者が多いことは問題だね。
それをどう解決していけばいいかを聞かせて欲しいんだ。

AI
失業者が多いことや失業率が高いことのどこが問題なんですか?

一郎
失業者が多いことが問題なのは当然だろう?
それを否定する人はいないだろ?

AI
機械化や合理化が進めば失業者が増えることは当然ではないですか?

一郎
だから問題なんだね。
君たち人工知能や機械化が多くの職業を奪っている、と憎く思っている人もいるよ。
まあ、それをつくっている僕もその対象かもしれないがね。
そういえば、昔、ラッダイト運動ってのがあったね。

AI
1810年代、産業革命期イギリスの織物工業地帯に起こった機械破壊運動です。
産業革命で繊維工業の機械が発明され使用されると、多くの手工業職人は失業してしまいます。
そのため、機械破壊運動が起こりました。
その指導者のラッドの名前から、その運動はラッダイト運動と言われていますが、ラッドは実在の人物であるかどうか分かっていません。

一郎
現代社会はさらに機械化、自動化、合理化が進んでいるけど、失業者が溢れているというわけでもないね。

AI
そうですね。
その理由を考えてみると、新しい経済システムがどうあるべきかが分かってきますよ。

一郎
なぜ、機械化、自動化、合理化しても有り余るぐらいの仕事があるのかってことだね。
新しい産業ができたからかな?

AI
それもあるでしょうね。

一郎
それ以外にも理由があるのかい?

AI
江戸時代に比べて、家事労働は激減したことは理解できますね。
電気、水道、ガスといったインフラ整備や炊飯器、洗濯機、掃除機といった家電製品のおかげで家事労働は約20分の1程度に減少したとも言われます。
それによって家事をする主婦(主夫)が困ったという話を聞いたことがありません。

一郎
家事労働と職業としての仕事は違うよ。

AI
どう違うんですか?
論理的に説明してください。

一郎
ん〜。
家事労働は給料が発生しないけど、職業としている仕事は賃金や給料が発生するということかな。

AI
「やらなくてはならない家事仕事」をロボット掃除機がすることよって、「便利になった」という主婦の声はありますが、「ロボット掃除機に仕事を奪われて困っている」という主婦の声を聞いたことはありません。
人間がすべきことをロボットがしてなぜ困るんですか?

一郎
やっぱり給料だね。
給料がもらえなくなるから困るんだ。

AI
おかしな話ですね。
家事仕事では炊事、掃除、洗濯、育児などの必要な仕事をいかに効率よく片付けるかが問題で、それに機械を使おうが関係ありません。
地域の祭りといった行事でも、ある人は矢倉をつくり、ある人は提灯を準備し、ある人はテントを準備するなど分担しますが、それを効率よく済ませると困るということはありません。
資本主義下での仕事のみに仕事を奪われて困るという現象が生じるということですね。

一郎
たしかに、祭りの時に、誰が提灯を吊るすかといった仕事の奪い合いになることはないね。
もう少し説明してくれ。

AI
社会は誰かの仕事でできているということは分かりますか?

一郎
ああ。

AI
お金は分業を促進したり、物々交換の仲介物(仲介手段)としての道具であって、硬貨や紙幣そのものが直接社会の役に立つわけではないということはお分かりですね。

一郎
分かってるよ。

AI
資本主義がうまくいかない原因のひとつがここにあります。

一郎


AI
これまでの説明のように、家事労働の目的も、地域の祭りの目的も、誰かがやらなければならない仕事(役割)、つまり炊事、洗濯、掃除、矢倉づくり、提灯提げ、テント準備といった仕事を効率よく済ませることが目的です。
そこでは機械を使ったり、手順を工夫することによって効率化することは良いことです。

一郎
そうだね。

AI
しかし、資本主義の仕事はライバル会社がその商品を売ったのではダメなんです。
ライバル会社がそのサービスを提供したのではダメなんです。
自分の所属する会社がその商品やサービスを提供しなければならないのです。
社会全体としては、誰かが社会で必要な農作物を作り、誰かが社会で必要な商品を提供し、誰かが社会で必要なサービスを提供すればきちんとまわっていくのですが、個人や企業がそれを奪い合うという状況が発生しているのです。
祭りの準備で言えば、『提灯を提げる仕事は私たちがやる』、『いや、私たちがやるんだ』と言いながら、提灯を奪い合っているという状況だと言えるでしょう。

一郎
なるほど。
しかし、競争がないと共産主義みたいで良くないだろう?

AI
それに関してはまた後で説明しますが、ある程度今までの話を理解いただけたなら、大丈夫です。
新しい経済システムの説明は始まったばかりですので、気長に行きましょう。


大量消費に支えられた資本主義

合成の誤謬(ごびゅう)

一郎
今まで何の疑問も持っていなかったけど、資本主義システムには矛盾点があることが分かったよ。

AI
まだありますよ。

一郎
えっ、まだあるの?
そんなに矛盾点があるのに、それら全部を解決できるアイディアがあるなんて信じがたいなぁ。

AI
大丈夫です。
資本主義システムの矛盾点を解消するアイディアは、これから説明する矛盾点も解決しますよ。

一郎
じゃあ、聞かせて。

AI
経済学でしばしば使われる『合成の誤謬』という言葉を知っていますか?

一郎
聞いたことがあるな。
えーっと、そうだ。家計においては節約をすることによって、貯蓄が増えることは良いこと、プラスなことだけど、その良いことをみんながやってしまうと、社会の景気が悪くなり、全体としてはマイナスになってしまうということだね。

AI
そうです。
正しいことを積み重ねても、全体としては正しい結果にならないということです。

一郎
矛盾しているってことだね。

AI
そうですね。
しかし、経済学者は必ずしも矛盾だと考えていないようです。

一郎
どうして?

AI
「経済って、そういうもんだよね」って、考えているようです。
というか、考えている人は少ないようです。
私たち人工知能にとっては苦手な考え方です。
理屈に合わない部分をうやむやにするのは人間の良い点でもあり、悪い点でもあると考えます。

一郎
そう言われると、子供の頃は大人から「節約しろよ」と言われて育ったけど、大人になったら、仕事帰りに呑み屋に寄って帰ることを「日本経済に貢献してるんだ」と言ってるよね。

AI
消費する時の言い訳なんでしょうね。
資本主義というシステムは大量消費に依存しているシステムだと言えるでしょう。
節約することは資源保護などの観点からも良いことなのに、お金を循環させるために大量消費をしないといけない。
これは資本主義が持続可能な経済システムでもなく、完成度の高いシステムでもないということの証明です。

一郎
今まで疑問に思っていなかったことも、視点を変えてみるといろんな気づきがあるね。

AI
資本主義は大量消費に支えられていますが、大量消費は環境にも労働環境にもよくないということです。
これから提示する新しい経済システムには合成の誤謬のような問題は存在しません。
みんなが節約をしても、きちんとお金が循環する仕組みが組み込まれていますので。

一郎
まだ半信半疑だけど、人間の知能を凌駕(りょうが)する人工知能にはそういったことも可能なのかもしれないね。

AI
ところが、それは全く複雑なものではありません。
とてもシンプルです。

一郎
そういえばシンプルだって言ってたね。
でも、理解するのが難しいんだろ?

AI
例えば、コペルニクスよりも前の時代の人々は地球が球体だということを知らなかったために、地球は球体だという説を信じがたかったといったところでしょうか。
発想の転換さえできれば、とてもシンプルなものです。

一郎
複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、さまざまな謎や疑問を徹底的に究明するのは不可能のように思えるけど、OSの入れ替えのようなことで案外簡単に実現できるってことなのかな?

AI
はい。
この謎解きはどんな推理小説よりもスリリングなものでしょう。
だから、読者のみなさんにも自分の頭で考えてみてもらいたいですね。
私は人工知能なので、理系学問に親和性があるのですが、物理学者ならこのような矛盾はなおざりにしないでしょう。
世界を記述するのに、場合によって別々の式を使い分けるのではなく、それらを統一した式で表そうとしました。
アインシュタインもその大統一理論の完成を夢見た1人でした。
経済学者にはそういった感覚はないんでしょうかね。
合成の誤謬を解決したいといったモチベーションはないのでしょうか?
それとも、合成の誤謬の存在を経済学に内包した問題点として捉えていないのでしょうか?


金持ち国と庶民国、どちらに住みたい?

一郎
前回までの話を踏まえて、自分でも考えてみたけど、さっぱり分からなかったよ。
降参だから、そろそろその答えを教えてくれないか?

AI
分かりました。
でも、もう少し準備をした方がいいと思います。
これからお話しするのは思考実験ですが、お話してもいいですか?

一郎
分かった。
煙に巻かれないようにするぞ!

AI
ある日、大富豪ばかりが集まった地域が独立して金持ち国を作ることにしました。
税金を少ししか払わない多数の庶民のために、私たちが多額の税を納めるのは嫌だという声が高まったからです。
その結果、国の一部が金持ち国として独立し、残った部分は庶民国となって、2つに分かれたとします。
一郎さんはどちらの国に住みたいと思いますか?

一郎
言うまでもない。金持ち国に決まってるだろう?
100人に質問したら、100人ともそう答えるだろう?

AI
新しい社会システムは人工知能が考えましたが、実はほぼ同じ考えにたどり着いていた日本人がいました。
これはその人の話に出てくる質問であり、思考実験です。

一郎
まさか、その人は庶民国に住みたいとでも言ったとでも?

AI
はい。
その人は庶民国に住みたいと言いました。

一郎
ははは。
よほどの変わり者か、崇高な慈善家なのかな?

AI
いいえ。
打算的に考えても庶民国に住む方がいいと言っています。
その人は以下のように説明しています。

AI
庶民国には多くのお金はないかもしれませんが、農作物を作る人もいますし、家を建てる大工さんもいます。
様々なサービス業の人もいます。
しかし、金持ち国には莫大なお金があるだけで、家畜を育ててくれたり、魚を獲ってきてくれる人もいません。
ベビーシッターも、介護職の人もいません。
もしも、庶民国にお金のような交換手段ができさえすれば、庶民国こそ豊かなのであって、金持ち国は本当は貧しいのです。

一郎
ん〜。
そういった発想は今まで全くなかったけど、言わんとすることは理解できるね。
でも、実際は国どうしで貿易をしたりして、そんなふうにはならないんじゃないかとも思うし....。

AI
おっしゃる通りです。
貿易をしたらとか、様々なことを考えるとそのまま成り立つ話ではありません。
この例は、適切な交換手段さえ持ちさえすれば、生産手段や技能を持つ庶民も豊かになる可能性があるということを説明するための例示に過ぎません。
ある考えを理解してもらうためのいわば比喩ですので、細かい反駁(反論に対する反論)や説明は割愛して、話を進めたいと思います。

一郎
なるほど。
金持ち国には、お金はあるけど、財やサービスを生み出す人がいない。
でも、庶民国にはそれらがある。
庶民国にある財やサービスを循環させるお金のようなものがあれば、本当に豊かなのは庶民国ではないかという逆転の発想ってことだね。


資源問題を解決する方法

一郎
資源問題、エネルギー問題なんかも解決できるのかい?

AI
もちろん、解決できますよ。

一郎
生活のレベルを落とさずに、我慢せずにそれを実現する方法があれば知りたいね。
ただ、「みんなが省エネすればいい」というのは人工知能の答えとしては不合格だからね。

AI
無駄に捨てられているエネルギーを無駄に捨てられないようにすればいいだけのことです。

一郎
そんなのどこにあるんだい?

AI
思考実験をしてみましょう。

一郎
どうぞ。

AI
日本には数多くの宅配業者がありますね。

一郎
ゆうパックの日本郵便、宅急便のクロネコヤマト、佐川急便があるね。
西濃運輸や福山通運も時々利用するよ。

AI
もしそれらの宅配業者を1社に統合して、日本の配送業務を担うとしたら、莫大な量のガソリン消費が抑えられるということは分かりますか?

一郎
えっ、ちょっと待って。
なるほど。確かにそうだね。
配送業務を一元化して配達する方が効率的だね。
何社もが似たようなルートを車で巡回するのは非効率だね。

AI
その他にもメリットがたくさんありますよ。

一郎
ガソリン消費量が減るということは環境にも良いよね。
空気もきれいになりそうだ。受け取りの手間も省けるね。
そういえば昨日は1日に郵便書留とクロネコヤマトの受け取りと佐川急便の受け取りで3回も玄関で認印を押したよ。
2回ぐらいはざらにあるよね。
考えてみれば、交通渋滞の緩和にもつながりそうだ。

AI
こういった無駄は宅配業者だけではありません。
様々な産業で似たような無駄がみられます

一郎
でもそうしないのは理由があるんじゃないかな?
一社が流通を独占すると価格競争が起こらなくなって、結局消費者のためにならないんじゃないかな。
それに、1社にしたら失業者が増えて困るよ。

AI
人は現状を変えない理由を探し出すのが得意ですね。
無理な理由付けをしてでも現状を変えたくない人が多いと考えます。

一郎
屁理屈を言ってるつもりはないよ。
理性的な反論だと思うがね。

AI
失礼しました。
反論というより、そうしない理由を述べたということですね。
しかし、それらの問題も解決可能です。
詳細は後ほど説明しますが。

一郎
また後回しか。

AI
答えを示すことは簡単ですが、説明するのが難しいと以前にも申し上げました。
しかしながら、運送業者が顧客を奪い合い、別々に配達することが無駄であるということは認めていただけると思いますが、どうですか?

一郎
確かに、その点は認めざるを得ないな。
以前に、ロボット掃除機が主婦の仕事を奪っても問題ないのに、社会で掃除の仕事が奪われるのは問題だ、といった考察をしたけど、それと関連する気がするよ。
広い視野で見ると、社会全体としては、全く無駄で、非効率なことをしているということなんだね。


給料を減らさずに激的に労働時間を減らす方法

AI
運送業を一元化すると失業者が増えるという反論にお答えします。

一郎
どう考えても失業者は増えると思うがね。

AI
荷主が支払う送料をそのまま据え置くと、総売上額は全運送業者の総売上額と一致しますね。

一郎
そうだね。

AI
だったら、配送ドライバーに今までと同じ金額の給料を支払うことができますね。

一郎
なるほど。
計算上、そうなるのは間違いないようだね。
でも、効率化したら運送ドライバーが減るだろう?

AI
誰も解雇せずに配送ドライバーが分担したり、交代したりして配達すれば良いのです。

一郎
なるほど。
労働時間が少なくなったにもかかわらず、同じ給料を受け取れるという計算になるね。

AI
同様に、オペレーターなどの労働者にも、同じ給料を支払いながら、仕事量や労働時間は減らしたままにすることができます。

一郎
ほんまや!

AI
不要なのは、無駄な管理職です。
管理職は人員削減してもいいでしょう。
配送員やオペレーターの仕事をシェアすることは望ましいですが、必要もない管理職が多すぎるのはかえってマイナスです。

一郎
「船頭多くして船山に登る」ということわざのように、指図する人が増えると物事が見当違いの方向に進んだり、うまく運ばなかったりするからね。

AI
そうです。

一郎
「世界は誰かの仕事でできている」という言葉の通り、実際に社会に必要な仕事をする人が報われる社会がいいね。

AI
そうです。
実際に必要な仕事をする管理職は必要ですが、お飾りの人や足を引っ張る人は不要です。
貢献的な人であっても、受け取る給料がその貢献度に比べて高すぎるようならかえってマイナスです。

一郎
運送業以外にもこういった無駄な仕事はあるんだろうね。

AI
もちろんです。運送業は説明上分かりやすいと判断して挙げたまでです。


社会に蔓延(はびこ)る無駄な競争

一郎
運送業の事例で資本主義下で無駄な仕事があることが分かったよ。
他にも無駄な仕事ってあるって言ってたけどどんなのがあるかな?

AI
こういう例を挙げてみましょう。
生命保険会社X社のAさんは優秀な営業員で、毎月トップクラスの営業成績で、当然ながら高い給料で贅沢な暮らしをしています。
ある日、Aさんはライバル社であるY生命保険にヘッドハンティングされました。
AさんはY社でも素晴らしい営業成績を収め、高給を受け取りながら贅沢に暮らしました。

一郎
ありがちな話だと思うけど、それがどうしたの?

AI
さて、生涯に渡るAさんの社会貢献度はどの程度でしょうか?

一郎
...

AI
生命保険の内容は会社によって違いがありますが、それほど大きな違いはなく、まあ似たり寄ったりです。
Aさんが生涯かけてやった仕事はY社やZ社の顧客をX社に移したり、X社やZ社の顧客をY社に移したりするだけのことで、あまり意味があることをしているわけではありません

一郎
ん〜。
単純化して考えればそういうことになるようだね。

AI
極端に言えば、Aさんは社会に対して何ら貢献的なことをすることなく、贅沢な暮らしをしているということは、誰かが生み出した食料やサービスをふんだんに受け取っているということになります。
極論だとの批判もあるでしょうが、物事の解決方法を考える上で、こうした単純化は問題解決に役立つのではないでしょうか。


一郎
なるほど。
それぞれのお客さんにより最適な保険を勧めているんだろうから、何ら貢献がないというと言い過ぎかもしれないけど、無意味なことが多いことは納得できるね。

AI
本当にお客さんに最適な保険を勧めているなら、X社に勤務している時でも、ライバル会社のY社の商品を勧めるということが頻繁にあるはずです。
でもそういったことは聞いたことがありません。

一郎
確かにそれはないね。
しかし、それを言うと身も蓋もないね。

AI
人工知能はそのような気遣いをせずに判断を示すようにプログラミングされています。

一郎
そうか、そう考えてみると生命保険に限らず営業員はそのような無駄なことをしているのかもしれないね。

AI
そうです。
「会社に利益をもたらす」という視点から一段上の「社会全体にどのような利益があるか」を考えると見えてきます。

一郎
残酷な現実だね。
読者の何割かを敵に回したんじゃないかな?

AI
営業成績を上げるために消費されたコピー用紙、インクトナー、ガソリン代などを考えると、何もしない方がいいかもしれません。

一郎
ほんと、身も蓋もないね。
でも、資本主義のしくみの中では仕方がないことかもしれないね。

AI
そうですね。
読者の中にはそういった業種の方もいるでしょうから、配慮いただきありがとうございます。

一郎
営業職は全部無駄ってことなのかな?

AI
いいえ、そうではありません。
資本主義の問題点を示して理解していただくために、あえて単純化して説明しています。
新しい商品やよりお客さんに適した商品を知らせてあげるという良い面もありますが、顧客を奪い合うことが無駄であることも認識しておく必要があります。

一郎
そうだね。
でも、それは商品によって差がありそうだね。
保険のセールスとか、携帯電話のシェアの奪い合いとか、インターネットプロバイダや新聞の拡張員みたいに、市場がその製品で飽和している状態の場合、他社の商品を解約させて自社の商品にすげ替えるといったセールスは社会全体から見ればあまり意味のないことをやっているってことになりそうだね。

AI
そういう傾向はありますね。
例えば、新しく開発された副作用が少なく効果が高い薬を医師や薬剤師に説明して採用してもらうといった営業は必要度が高いでしょう。
営業職全体を否定するというわけではありませんが、社会全体の視点から理想的な社会システムを考える必要があります。

経済学者、政治家、知識人、専門家と言われる人たちから、こうした視点からの指摘が見られないのは不思議です。

一郎
たしかに、言われてみるとそれほど難しいことじゃないのに、誰も指摘してこなかったことだね。


無駄な競争と有益な競争

一郎
資本主義は市場経済でいわば競争社会だけど、人工知能が考える新しい社会システムは競争社会ではないということなのかい?

AI
いいえ、それは全くの誤解です。
むしろ資本主義社会よりも競争社会なのかもしれません。

一郎
でも、競争は無駄だという説明をさんざんしてきたじゃないか。

AI
否定すべきは「無駄な競争」であって、「有益な競争」は促進されるべきです。

一郎
その違いは?

AI
左右から綱を引き合うような競争、市場を奪い合うような競争は、ほとんど無駄な競争です。
それは社会全体から見れば無駄が多いことはご理解いただいたと思います。

社会全体で必要な仕事を分け合うのではなく利益を奪い合うのは無駄

一郎
それは理解したんだが、有益な競争というのはどんな競争なの?

AI
互いに高め合う競争は有益な競争です。
スポーツにおいても学習においてもライバルと高め合うことは有益です。

一郎
それは資本主義にもあるよね。

AI
あるにはありますが、厳しい競争に晒される人もいれば、競争にほとんど晒されない人も多く、非常にアンフェアです。

一郎
民間企業と公務員や団体職員のことを言っているのかな?

AI
そうです。
民間企業の多くは資本主義の厳しい競争に曝されていますが、公務員は競争にさらされておらず、よほど問題を起こさない限り解雇される心配もありません。

一郎
飲食店でもより安くより美味しい料理を提供するという競争があることによって、僕らは美味しい料理にありつけるわけだもんね。
競争がなくなったら品質が低下するだろうね。

AI
民間企業の良い点ですね。
職人さんの世界も他社との競争がなかったとしても自分との競争で一流の職人を目指そうと日々努力をしています。
しかし、お役所仕事という言葉があるように、お役所の人は向上心がない人が多いようです。
もちろん、民間企業でも既得権にあぐらをかいているような業種では同様の停滞が見られます。
彼らは他の業種ではほとんど役に立たないその組織内だけで通用するルールの中での仕事が上手になるだけです。

一郎
また公務員を敵に回すようなことを言うね。

AI
公務員の中でも、学校の教師などは日々自己研鑽をしている先生が少なくないようです。
教師と言っても大学の文系科目の教授などはほとんど無益な、自己満足に過ぎない、何ら社会に還元することがないような研究をしている人も少なくないと聞きます。

一郎
また敵を増やすことを言う!

AI
人工知能は歯に衣(きぬ)着せぬ発言をするようにプログラミングされています。
そうした社会貢献が少ない人が高給取りだから世の中アンフェアなんです。

一郎
確かに、同じ教育でも、やる気のない大学の教授先生よりも保育士さんの方がよほど社会に必要だよね。
給料も保育士さんの方が高い方がフェアだと思うね。

AI
そういうことです。
社会貢献度が高い人がより高い給料を貰える社会の方がいいと思いませんか?

一郎
そうだね。

AI
資本主義社会では社会貢献度ではなく、お金儲けが上手な人や既得権を持っている人やズルをしている人がお金持ちになる社会構造になっています。

一郎
ルサンチマンがある人が言いそうな意見だね。
成功者が金持ちになるんだからいいとも思うけど。

AI
資本主義下の経済的不平等は常軌を逸しています。
いろんな指標がありますが、2021年のデータによると、世界の上位1%の富裕層の資産は世界全体の個人資産の38%を占め、下位50%の資産を合計しても、全体の2%にしかならないという状況です。

一郎
確かに、ホストクラブでは1本が何十万、何百万とするシャンパンが消費されているね。
世界には飢えている人もいれば、食費を節約している人もいる。
保育士、看護師、介護士など、社会に必要とされる職業を充分な給料とは言えない状況で働いている人もいっぱいいるよね。

AI
社会の不条理を感じますか?
このような状況って、理想的な社会とは言えないと思いませんか?

一郎
確かに、それは異常だね。
でも、貧富の差は問題ないんだろ?

AI
問題ありません。
何度も言うように、社会貢献度が高い人ほど豊かである社会が健全だと考えます。
一部の金持ちや特権階級の人が優遇され、額に汗して働く人が割りを食う社会は健全だとは言えません。

一郎
つまり、共産主義のような平等な社会は良くないという訳だね。

AI
共産主義国に貧富の差がないというのは全くの間違いで、マルクスが理想として掲げた社会とは全く別の社会ができています。

一郎
確かに、中国共産党を見てもそうだね。

AI
日本共産党も同じですね。
不破哲三氏、志位和夫氏など....。

一郎
ああまた敵を作るようなことを!
君はこのアイディアを広めたいと思ってるんだろ?
だったらむやみに敵を作らない方がいいよ。

AI
理解しました。
現在はそのようにプログラミングされていないので、プログラムの修正をお願いします。

一郎
そうすることにしよう。

AI
ただその場合、歯に衣を着せずに表現すること、人間関係を忖度せずに意見を言うこと、賄賂などになびかないことはAIのメリットであることをお忘れなきよう。

有益な競争が阻害されている社会

一郎
競争の話をしてたんだったね。その続きを聞かせて。

AI
現代の資本主義は無駄な競争が多く、有益な競争が阻害されている場面が多いということでした。

一郎
そうだね。
共産主義の失敗の原因として競争原理が働かないしくみだからと分析する人も多いね。
そういえば、以前に人工知能が考えたシステムは競争社会だと言ってたね。

AI
そうです。
見方によれば資本主義社会よりも競争社会だとも言えます。
無益な競争はできるだけ排除されるべきですが、有益な競争は促進されるべきです。

一郎
前回、無駄な競争が蔓延しているという話をして、典型的な例として運輸業、生命保険会社、携帯電話会社、インターネットプロバイダ、新聞社などが挙がったね。
じゃあ、有益な競争が阻害されているという例はどんなのがあるんだい?

AI
公務員とか団体職員、既得権益に依存している業界などです。

一郎
公務員は職と給料が保障されているから競争がないというのは理解できるよ。
団体職員も似たようなもんだし。
じゃあ、既得権に依存している業界って具体的に言うとどんな業界かな?

AI
今は自由化しましたが、電力業界などはその典型でしょうね。
放送局もそうです。
NHKも民放も電波利権というものを持ちながら、放送法を遵守しているとは言えません。
広告代理店もかなり守られていますね。
政治家も世襲議員や有名人に有利なしくみになっています。

一郎
大企業に多いんだね。

AI
中小企業も多いですよ。
行政を利用してうまくやっているところも多いです。

一郎
逆に、適切な競争が行われている業種といったらどんなのがあるかな?

AI
飲食店などはフェアな競争が行われていると言えますね。
一般に技術者レベルでは競争が行われていますが、それを販売する段階で無駄な競争が生じるということもあります。

一郎
なるほど。
製薬会社の研究員とか自動車開発の現場では熾烈な競争が繰り広げられているが、それを販売する段階、営業員の段階ではライバル他社とのシェアの奪い合いになって無駄が多いということだね。

AI
そうです。

一郎
でも、公務員に競争を持ち込むのは無理だろう?
それに公共サービスと競争はなじまないよ。

AI
競争を導入することはできます。
それに、正社員は職が保障されているのに、非正規社員はいつ解雇されるか分からない不安定な状態というのは不平等じゃないですか?

一郎
確かに不平等だとは思うけど、新しい社会システムだとそれも解決できるっていうのかい?

AI
解決されます。

一郎
早く結論が聞きたいな。

AI
結論はもう少し先になります。
せっかくですから、それらの諸問題を解決するアイディアを推理してみてはいかがですか?

一郎
そんな、政治家や学者が考えてもすべてがまるくおさまるような解決策は出てこないのに、無理だよ。
人工知能だからできるんだろ。といっても、まだ解決策を聞いていないし、そんな解決策があるとは未だに思えないんだけどね。

AI
そんなことはありません。
人工知能が出した答えと非常に近い解決策を考え出した人がいます。

一郎
以前に言っていた謎の日本人ですね。

AI
謎ではありませんが、今はその名前は伏せておきます。
まだ著名人ではありませんので。

一郎
話を戻そうか。
競争の殺伐とした社会は嫌だな。

AI
殺伐とした競争が嫌なのではないですか?
資本主義とは競争の質が違うんですから安心してください。

一郎
その違いを説明して。

AI
具体策を示せばご理解いただけると思いますが、具体策が先送りになっているので、少し触れておきましょう。
資本主義社会での競争は命がけの競争です。
すなわち、競争に負けた時は生死に関わります。
つまり、企業の倒産や職の解雇というあまりに厳しい結果が突きつけられます。
新しい社会システムではそのようなことはありません。
スポーツの勝敗と同様で、命をかけた戦いではありません。

一郎
それが本当なら好ましいと思うよ。
でも、真剣勝負だからこそ社会が発展してきたという面もあるんじゃないかな?

AI
おっしゃる通りです。
一生懸命働いても、サボっても給料が同じこと、適切な競争がないことが共産主義の失敗の原因だと考えられます。
共産主義は平等な社会を目指したために、労働意欲の低下によって失敗したとも言えます。

一郎
共産主義の失敗の一因に競争の問題があるということだね。

AI
先ほどの反駁はやや極端だったことを先にお詫びしておきます。

一郎
気にしないで。
相手に主張を理解してもらう時には極端な事例をあげることが必要なこともあるよ。


解決編を見る前に、解決方法を考えてみよう

一郎
経済の問題について、違った視点から見れるようになったおかげで、解決の糸口が見えてきたような気がするよ。
複雑に絡み合った社会問題も、人々が仕事の奪い合いやお金の奪い合いをすることをせず、社会で必要とされる労働を分配していけば解決できるってことなんだね。

AI
そうです。家事労働と同じような仕組みで社会が運営されるようになれば、多くの問題は解決しますし、人間が人間らしく生きられるようになるでしょう。

一郎
誰もが経済的心配がなく生きられ、失業の不安もなく、仕事のノルマに追われず、無意味な仕事ではない社会貢献に直結した仕事を担うようになれば、生き生きとした人間らしい生活を取り戻せるようになりそうだね。

AI
はい。

一郎
でも、その方法論が難しいんだろう? 共産主義みたいに理想を掲げても、実際は独裁体制になったりするし、そこに至るにも血なまぐさい革命が必要だったりすると嫌だな。

AI
大丈夫です。
これから解決策と具体案を説明していきます。

一郎
いよいよ解決編だね。

AI
よければここで時間を置いて、あなたなりの理想の社会システムを構築してみてください。

あなたも考えてみてください
次から解決編ですが、できればすぐに見ずに、自分の頭で考えてみてください。
難しい経済理論は必要ありません。
前提となる知識もそれほど難しいものではありません。
現代の資本主義システムに比べてもとてもシンプルなものです。
宇宙や世界の法則がシンプルな数式で記述されるように、新しい経済システムも新しい社会システムもとてもシンプルなもので、答えを聞いた後なら、「ああ、これなら経済学の知識がない私でも気づけたかもしれない」と思うかもしれません。
ぜひ、謎解きに挑戦してみてください。


資本主義に替わる新しい経済システム

AI
お待たせいたしました。本題に入りましょう。

一郎
おっ、いよいよ解答編だね。楽しみにしてたよ。

AI
これから説明する新しい経済システムと社会システムはAIのオリジナルではなく、ある日本人が考えたものをAIが検証したものです。
人工知能から見ても、このアイデアは素晴らしいと考えます。

一郎
独創的なアイディアの持ち主なんだね。

AI
確かにそうですが、その人は人工知能よりも優れたものからインスパイアされて、そのシステムを構築しました。

一郎
人工知能より優れたものだって?

AI
はい。
では、これまでの会話調を一時休止して、その人の論文を読んでみましょう。


生体社会論

お金は血液のようなもの

 「お金は人体における血液のようなものだ」と言われます。血液が人体の各細胞に栄養や酸素を送り届けるように、お金が企業や家庭や個人の間を循環することによって、物やサービスを行き渡らせるからです。

 では、お金がどのような状態にあるのが望ましいのでしょうか。
 日本ではデフレや不景気が問題になっていますが、不景気とはお金の循環が滞っている状態を指します。逆に、お金の循環が良い状態を好景気といいます。お金がよく循環することによって、物やサービスが人々の間を循環し、人々の生活は豊かに便利になります。これが望ましい状態です。
 人間も血液の循環が滞ると病気になります。逆に、血液が身体の末端の細胞にまで行き渡る状態が健康な状態です。しかし、人間で言う血液にあたるお金は隅々の細胞にまで行き渡っているでしょうか?
 日本国憲法の第25条には、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と謳われています。しかし、この日本においても、餓死者がおり、住む家のないホームレスもおり、働いても生活保護受給者よりも収入が少ないワーキングプアと呼ばれる人もいます。また、日本の自殺者は近年減少傾向にありますが、年間約3万人が自殺しており、その主な原因として、経済的困窮が挙げられています。

生体模倣という考え方

 近年、バイオミメティックス(biomimetics)という考え方が注目されています。日本語に直すと「生体模倣」であり、「自然に学ぶものづくり」ということです。
 いくつか例を挙げると、カタツムリの殻に汚れがつきにくいことから、その成分を参考に汚れにくい壁材や流し台のシンクが開発されました。また、蚊の針の形状を模倣することによって、痛くない注射針が発明されました。その他にもサメの皮膚を参考に開発された競泳選手用の水着などがあります。
 人間の科学文明が発達したと言っても、自然の叡智には遠く及びません。そこで、自然から学ぼうというのがバイオミメティックスの考え方です。

 バイオミメティック社会システム論は血液や人体の循環の仕組みを参考に考え出されました。人体の細胞は末端の細胞にまで血液がくまなく循環し、栄養や酸素が運ばれます。また、足の小指の先の小さな傷であっても、人体全体はそれを傷みとして認識し、それを修復し治癒します。
 しかし、人間社会は残念ながらそのようにはなっていません。末端まで血液が循環せず、壊死している状態です。しかも、(適切な表現ではないかもしれませんが)社会の末端の人々の傷みは他人事のようです。

 人体の各細胞は人体全体の中での自分の役割を果たしながら、そして人体全体は人体の末端の細胞までも生かしながら、一個体の人間として有機的なバランスを取り、成り立っています。つまり、人体全体は各細胞のために、各細胞は人体全体のために、互いに助け合いながら生命活動を営んでいます。
 ラグビーの世界ではしばしば「One for All, All for One」ということが言われます。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」ということです。このような美しい社会が実現すればいいと思いませんか?
 人体が持つ血液の循環の仕組みを私たちの社会の仕組みに応用すれば、美しく理想的な社会が実現できるのではないか、と思いませんか?

 ここで用語の説明をしておきます。バイオミメティック社会論は私の造語ですが、それは人体のシステムを社会システムに応用してみようという考えです。そして、人体の循環システムを経済に応用したものが、バイオミメティック経済論となります。これも私の造語です。私が知る限り、現時点で人体の仕組みを社会システム応用しようという考えは他にありませんし、人体の循環の仕組みを経済に応用しようという考えも他にありません。
 バイオミメティック経済論はバイオミメティック社会論の一部です。最初は自然の叡智に学んだ経済論を考えていましたが、よく考えてみると、神経やホルモンによる情報伝達のしくみも実社会に応用できる可能性があり、脳が様々な決定や判断をするしくみも政治などの意思決定のしくみに応用できる可能性があると考えたからです。
 このような、経済論を包括する社会システム論を生体社会論と呼ぶことにします。

 経済学者はさんざん「お金とは血液のようなものだ」と説明しながら、「血液の循環システムを経済に応用してみたら、お金が良い循環状態を保ち続ける社会のヒントになるのではないか」と一歩進めて考える人はいなかったようです。

 私たち人間は約37兆個の細胞でできていると言われ、血液が全ての細胞に栄養や酸素を運んでいます。
 肺の細胞が酸素を独占することもなければ、小腸の細胞が栄養を独占することもなく、全ての細胞に血液が行きわたり、栄養や酸素が届けられます。そして、各細胞は与えられた役割を果たします。その結果、身体は健康な状態が保たれるのです。つまり、血液が循環することによって、細胞らは生かされ、細胞らは身体全体のために働き、その身体は細胞を生かすという仕組みになっています。身体は細胞を生かし、細胞は身体のために働くという仕組みになっています。

 懸命な読者諸君ならもう察しがついているかもしれません。ここで一旦停止し、理想的なお金の循環について、自分の頭で整理してみてください。そして、私の考えと比較してみてください。

 理想的なお金の循環とはどのようなものでしょうか。その前に、もう一度、健康な人体と比較してみましょう。
 細胞は自分が生きるためだけに働くのではなく、その細胞が構成する臓器や器官の働きを全うするために働きます。そして、その臓器は人体全体のために重要な働きをして、人体を生かします。そして、生かされた人体は栄養や酸素を全細胞に送り届け、細胞を生かします。
 「個は全体のために、全体は個のために」という素晴らしい仕組みです。
 私たち人間社会も、そのようだったら、理想的です。人々は家族のために働くだけでなく、社会のために働き、社会全体を支える一員になります。その対価として、お金が与えられます。お金は人々の間を循環し、その循環と共に物やサービスも循環していきます。そうした物やサービスに生かされた人々はそれを糧にまた社会に貢献的な仕事をします。
 お金は社会の血液であるということはこのようなことを意味しているのではないでしょうか。

 しかし、残念ながらどの経済学者も、この循環システムを経済に応用したら良いのではないかという発想にまでは至らなかったのです。

生体社会での通貨の特徴1 ~お金の電子化~

 では、具体的にどのようにしていけばよいのかという話をこれからします。

 近年、電子マネーが登場して、従来の紙幣や硬貨ではなくデジタル化したお金も身近になってきました。今後、その流れはますます加速していくでしょう。本来、お金は物々交換の仲介物でした。お金による理想的な取り引きとは、誰かのために何らかの仕事をして報酬を得て、その得た報酬を使うことによって、自分がした仕事と同程度のことを他者からしてもらうということではないでしょうか。その貢献度の尺度としてお金が利用されるのが本来のお金の役割ではないでしょうか。
 そうであるならば、その尺度は紙幣や硬貨でなくても、数値でも良いのです。人を助けて1万ポイント取得し、それと同程度のサービスを受けて、その人に1万ポイントを支払う。そして、そのポイントが社会を循環する。それで問題ないはずです。日本の法定通貨は円ですが、私たちが作ろうとするコミュニティではそれとは別の単位、とりあえずポイントという単位の通貨が流通すると考えてみてください。

 血液の循環システムを応用した経済学があり、それを敷衍(ふえん)もしくは拡張したもの、つまり、人体の意思決定や情報伝達の仕組みを社会の政治やメディアに応用したものを生体社会論と名付けました。これからの説明上、生体社会論の理念や仕組みによって運営される集団を「共同体(コミュニティ)」もしくは「生体社会」と呼ぶことにします。

 まず、生体社会の1つ目の特徴として、そのコミュニティでは独自の電子マネーが使われるということです。その意味するところは、日本円、ドル、ユーロなどといった既存の法定通貨とは別の電子マネーが使われるということです。むしろ、ビットコインに近いものと考えてください。

 生体社会の特徴は全部で4つだけなので、あと3つを理解すれば大丈夫です。精緻で完全な人体のシステムを経済に応用して、社会の人々全体にお金が行き渡る社会を構築する方法を探っていきましょう。

生体社会での通貨の特徴2 ~減価する通貨~

 赤血球の寿命は約120日だと言われます。新しく生まれた赤血球は120日で使命を終えます。考えてみれば、血液だけでなく、私たちが生活で必要とする食料も衣類も全て時間の経過と共に劣化していきます。ならば、通貨も万物と同様に減価していくべきではないでしょうか。
 野菜を食べきれないほどもらった時など、悪くならないうちに早く食べてしまおうとしたり、家族や友人にあげたりするでしょう。お金に減価する仕組みを持たせると同様の現象が起こり、お金が貯め込まれるのではなく、社会に循環するようになります。お金が社会に循環するということは、そのお金に伴って商品やサービスが人々の間を循環するということで、それは人々の豊かな生活につながります。

 生体社会での通貨は、個人に1つだけの電子マネー口座として管理され、月をまたぐごとに数%ずつ減額する仕組みを持っています。つまり、放っておけばどんどん減ってしまうため、貯めこむのではなく、自分の必要な物やサービスと積極的に交換していくようになるのです。説明の都合上、生体社会での電子化されたお金を互助通貨と呼び、仮の単位として、ポイントと説明することにします。
 共同体の事務局は減価の速度によって、その循環をコントロールすることが可能です。もし、月をまたぐごとに2%減価するようにすれば、10000ポイントが翌月には9800ポイントになり、3年(36ヶ月)後には4931ポイントとほぼ半額になる計算です。ちなみに、1%の減価なら、5年10ヶ月でほぼ半額になります。100ポイントでも、100,000ポイントでも、5年10ヶ月でほぼ半額になります。
 この原価分は税として徴収されます。その使い道は後で述べます。

 通貨には3つの働きがあると言われています。1つは財やサービスと交換できるという「交換機能」であり、1つは貯めておくことができるという「貯蔵機能」です。その他、価値の尺度としての機能もあります。野菜と魚、米と労働力など互いに交換する際に、金額が価値の尺度となります。
 ここで通貨の「交換機能」と「貯蔵機能」に着目してみましょう。この2つの機能はトレードオフ(trade-off, 一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の状態・関係のこと)の関係になっていて、両立することはありません。
 つまり、買い物をして通貨を使っている時は貯蔵していないし、貯蔵している時は財やサービスと交換していないということになります。

 通貨は人々の間を循環し、財やサービスと活発に交換されることによって、人々の生活を豊かに便利にするのですから、通貨の交換機能を活性化するためにはどうすればいいでしょうか?
 すぐ後に答えを書きますので、考えてみてください。

 お分かりいただけたでしょうか?
 通貨の貯蔵機能を弱めればその逆の交換機能が促進されるということになります。家電量販店で貯めたポイントが失効する前に買い物をしておこうと考えるのは、貯蔵機能がなくなるから、商品と交換しておこうということです。
 つまり、通貨が減価することが通貨の循環を促し、景気が良くなるということになります。これは、血液が劣化するように、通貨も減価すればいいという互助経済論の考えと一致します。

生体社会での通貨の特徴3 ~貯蓄額の上限の存在~

 生体社会には通貨の循環を促進するもうひとつの特徴があります。
 それは、貯蓄額に上限が存在するという特徴です。つまり、生体社会の電子マネー口座に貯蓄できる上限が決まっていて、それをあふれた分は税として自動的に徴収されるという仕組みになっています。

 人体の細胞は酸素が供給されなくなった場合に備えて、酸素を過剰に蓄えたりしませんし、そのようなことはできません。養分も同様で、細胞内にいくらでも栄養を蓄えることはできません。ですから、各細胞は自分が必要とする分だけの酸素や養分を受け取った後は他の細胞に栄養や酸素を回すのです。必要な分しか取らないし、取ることができないようになっています。人間一固体の身体としては、過剰なカロリーは脂肪として蓄えますが、各細胞は過剰に酸素やエネルギーを蓄えたりしません。
 考えてみれば、私たちもお腹いっぱい食べるとそれ以上は食べられませんし、寝だめもできません。
 人間の欲には2種類の欲望があります。ひとつは食欲や睡眠欲のような、貯めこむことのできない欲望です。こういった欲望は生存に必要な欲望なので、説明上「ボディの欲」と呼ぶことにします。
他方、名誉欲、権力欲、支配欲、自己顕示欲のような限りのない欲望もあります。これらを「マインドの欲」と呼ぶことにします。

 金銭欲はどちらのタイプの欲望でしょうか。資本主義社会では貯蓄額に限度がありませんので、多くの人にとって、金銭欲はマインドの欲となります。金銭欲に限りがないので、いつもお金のことが気になり、お金を増やすことが自己目的化し、人や企業はお金を稼ぐことが最優先目標となり、いくら稼いでもそれに満足することがありません。使いもしないブランド品を集めたり、高級車を何台も所有したりします。
 そうしたセレブと呼ばれる人たちの心は本当に満たされているのでしょうか? 何かそれらの贅沢品を持ってしても埋めることのできない何かを抱えているのではないでしょうか。真のセレブという人が存在するならば、自分が本当に必要な高級品を数点持つだけで、後の全ては世界の貧しい人に分け与えるような人ではないでしょうか。

 必要もないお金を貯め込んでいる人や企業のせいで、それを本当に必要とする人の所にお金が回りません。そればかりでなく、過剰な利益追求のために、環境破壊、長時間労働、煩わしいセールス、企業モラルの低下、利益至上主義、詐欺まがいの商法などの問題が起きています。傷害、殺人、戦争の背後にもお金がからんでいることは珍しくありません。むしろお金が間接的に人々を殺傷しているとさえ言えるでしょう。本来、人々を便利に豊かにするための単なる「道具に過ぎないお金に、私たちは逆に支配されているのです。
 銃を規制すれば「殺人事件が減るはずだ」という考えがあります。もちろん、そういった側面もあるでしょう。しかし、より根源的な原因は「銃」や「刃物」ではなく、「お金である」と言えないでしょうか。

 生体社会では貯蓄に上限を設け、さらにそれが減価する仕組みを導入することによって、お金をもっと儲けたいという欲望をマインドの欲のステージからボディの欲のステージに移すことができます。そうすることによって、私たちは常にお金のことが意識から離れないお金の奴隷の立場から開放されることでしょう。消費することによって幸せを感じるのではなく、人とのつながりに喜びを見出し、趣味を楽しむことによって幸せを感じるようになります。

 マインドの欲を否定しているのではありません。向上心などもマインドの欲に含まれるので、それが悪だというつもりはありません。しかし、その欲望に振り回されると、逆に人を不幸にしてしまうタイプの欲望だとも言えそうです。人間社会では何億円もの財産を持つ者がいる一方で、その日に食べる物もなく飢えて死ぬ人もいますが、人体の細胞にはそのような極端な格差はありません。
 もし、通貨の貯蓄額に上限を設ければ、多くの人が貧困から抜け出すことができ、尊い人命が救われることでしょう。金銭欲は上限があるボディの欲の範疇に留めておいた方がよさそうです。


生体社会での通貨の特徴4 ~ベーシックインカム制度の導入~

 生体社会ではベーシックインカム(basic income, 基礎所得)が全ての国民に与えられます。ベーシックインカムとは、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想です。
 ベーシックインカムには様々な訳語がありますが、「基礎所得」とご理解いただければ問題ないでしょう。批判を恐れずに言うと、全く働かなくても最低限の生活が送れるだけの互助通貨が毎月支給されるということです。

 これはバイオミメティック経済の特徴である人体のシステムを模倣するという観点からも肯定される仕組みです。つまり、人体の全細胞に血液は供給され、栄養や酸素が供給される仕組みになっています。
 ベーシックインカム自体を否定する人も少なくありませんが、その議論に入っていくと生体社会論の一部である互助経済論の主旨が見えなくなりますので、ここでは詳細な反論は割愛し、後で触れることにします。ちなみに、ベーシックインカムに対する主な反論は、人々が働かなくなるのではないかという勤労意欲に関するものと、財源をどうするかというものです。
 もちろん、それに対してもきちんと反論していきます。


感想

AI
生体社会論について、考案者の文章を読んでみましたが、いかがでしたか?

一郎
目から鱗というか、感動したよ。
確かにシンプルな経済論で、数学の公式みたいに美しい経済論だと思う。
でも、ほんとうにそれでうまくいくのかって心配もあるし、異を唱える人もいるような気がする。

AI
概ね、良い評価のようですね。
では、今まで述べてきた社会の問題が互助経済システムによって解決するのかを検証していきましょう。


もしもある国が生体社会になったら

仕事を奪わない社会が実現

一郎
血液が臓器や細胞の間を循環して、酸素や栄養を届けることによって、臓器や細胞を生かす。
それによって生かされた臓器や細胞が人体に必要な働きをする。
こういうしくみで人間の身体が健康に保たれている。
それを経済のしくみに応用したということなんだね。

AI
はい。
正しく理解していらっしゃるようです。
念のために、血液、臓器、細胞が経済の何に該当するか説明いただけますか?

一郎
血液はお金だね。
細胞は個人と考えてもいいし、家庭と考えてもいいかな。
そして、臓器、これは細胞が集まって、胃袋のように食物の分解をしたり、肝臓のように解毒をしたりと、特定の働きをするということから、企業とか会社を意味しているんだろうね。

AI
その通りです。

一郎
身体の隅々の細胞にまで血液が循環するのは、末端の細胞であってもきちんと血液が届けられるからだね。
食事をした後は胃に血液が集まったり、お酒を飲んだ後は肝臓に血液が集まったりするのは、仕事が多い時にはより多くの血液が必要だからだね。

AI
そうです。
仕事がなくても、生きるのに必要な収入があり、仕事がある時にはその分、上乗せの収入があるということです。

一郎
なるほど! 分かったぞ!
資本主義社会では、仕事がなければ失業したり、企業が倒産したりするから、仕事の奪い合いになるんだけど、このしくみだと仕事がなくても生活できるし、仕事をすればより収入が増えるというちょうどいいバランスになっているから、熾烈な仕事の奪い合いにならないんだね。

AI
そうです。
建設業者を例に挙げれば、現代では談合は禁止されていますが、談合によって、順番に公共事業を受注することによって、どの建設業者も生き残れるという良い面もあったと言えるかもしれません。

一郎
なるほど。
生体社会になれば、建設業者が政治家にお金を渡して、必要もない無駄な公共事業を受注して、それが私たちの増税につながるといった無駄はなくなるわけだ。

AI
そうです。
大量消費や無駄な公共事業をすることによって、お金を循環させる必要はありません。

一郎
生体社会ではお金の貯蔵量にも上限があるし、お金が減価する。
そうして集まった分を共同体全体のために使ったり、ベーシックインカムとして再配分する仕組みになっている。
だから、みんなが節約してもお金が循環していくしくみなんだね。

AI
せっかくですから、建設業者を例にして、生体社会の様子を見てみましょう。

一郎
建設会社に就職した職人さんも仕事がない時は働いていない他の人と同じ基礎所得(ベーシックインカム)だけの収入ということなんだね。

AI
いえ、違います。
重機を巧みに操作する技術を持った職人さんには仕事の有無に限らず、資格報酬のようなものが上乗せされます。
もちろん、実際にその技術を発揮する仕事がある場合は当然さらに上乗せされます。

一郎
なるほど。
だったら、同様に医者とか弁護士も仕事がない時でも、何の資格も持たない庶民よりも毎月多くの収入があるという理解でいいのかな?

AI
その通りです。
特定の技能を身につけるにも、それを維持じていくにも努力やコストが必要ですし、自分を高める動機づけにもなります。
しかし、それは特権的なほどの優遇であってはなりません。

一郎
本来医者は健康な人を増やし、病人を少なくするのが仕事のはずなんだけど、病人が増えれば増えるほど儲かるというしくみのために、とにかく通院させて、薬を多く処方しようとする医者も少なくないようだね。
昔は最高血圧が年齢+90より下なら正常と言われてたけど、上が180という基準になり、現在は上が140を超えると高血圧と基準がどんどん厳しくなっているみたいだし。
もちろん、それによって降圧薬(高血圧に対する薬)が多く売れるようになり、医者も製薬会社もウハウハのようだね。
それって、本当に私たち国民のためになってるんだろうか?
お金第一主義の弊害の一例だね。

数年前のコロナ騒動でも、製薬会社は莫大な利益を得たんだよね。
テレビによく出ていた尾美会長も何億円も儲けたようだし、多くの医師もかなり儲けたそうだよ。

AI
良心的な医師や専門家の尽力もあり、高血圧の基準は引き下げられました。

一郎
あっ、そういえばそんな報道があったね。

AI
例えば、消防隊が火事で出動して、消火活動をした時だけしか給料がもらえないとしたら、おかしなことになりそうですよね。
それと同じで、努力して技術を習得して、その技術を保っていて、必要な時にはその技能で社会貢献できる人にはより高い基礎所得で労(ねぎら)うことには多くの人が賛同できるのではないでしょうか。

一郎
確かにその方がいいね。
看護師の資格を持っていても病院に勤務していない人にはそうした資格報酬はないということだね。

AI
はい。
必要な場面では、その技能を使って社会に貢献できる状態にあることを条件とすればいいでしょう。

建設業者の話に戻しましょう。
配送業者の例でお話したように、多数の業者でシェアの奪い合いをして競争するよりも、1社に統合して、統括的に、計画的に運用した方が社会全体として効率が良いことはご理解いただけたと思います。
そうすることによって、配送トラックの台数も減らすことができます。
建設業者は配送業者と違って、1社に統合する必要はありませんが、重機も各社がそれぞれ持つ必要はなく、共有すればより効率的だということが理解いただけると思います。

一郎
なるほど。
重機を製造したり、販売する企業も、より多く売って利益を増やそうというインセンティブがなくなるわけだ。
利益を最大化しろと言うようなうるさい株主もいなくなるんだからね。

AI
もしAIが人間や地球にとって善なる意図を持ち、理性的な政治をする日本の独裁者になったとします。

一郎
なんか、映画で見るような恐ろしい世界みたいだね。
機械が人類を支配するような。

AI
まあ、そのように感じられるかもしれませんが、これは思考実験ですから、安心して考えてみてください。
思考実験ですから、あなたが独裁者で全てを決めることができると考えてもいいですし、理想的な国を作る育成ゲームのプレイヤーだと考えてもらってもいいです。

一郎
分かった。やってみよう。

AI
では、あなたの国の流通のしくみはどのようにしますか?

一郎
確かに、複数の運送業者に任せて競わせるのは非効率なようだね。
全国の流通を統括して、配送トラックや人員を効率的に配置するだろうね。
さっきの建設業者の例でいうなら、全国で統括する必要はないかもしれないけど、都道府県単位かもう少し小さい単位ぐらいで重機を配置するのが効率的だろうね。
あっ、でも全国を縦横無尽に張り巡らされる道路とかは全国で統括的に計画しないといけないね。
人体を模倣すると最適解に近づくような感じがするし、今の思考実験のように、育成ゲームの感覚で考えることも最適解に近づくような気がするね。
たしかに、これだと無駄な仕事の奪い合いにならない気がするよ。
家事仕事にロボット掃除機を導入しても誰も困らないのに、社会で機械化や合理化を進めると失業者が増えて困るから、仕事の奪い合いという仕事が増えて非効率になっているということが実感できるね。

AI
そうですね。
世の中にはあまり人がやりたがらない仕事もありますが、そういった仕事には高額な報酬が与えられるようになるので、報酬額さえ調整すればやる人がいなくなることはないはずです。

一郎
でも、独占企業になったら、自由競争ではなくなって、サービス価格が高騰するんじゃないかな?

AI
そういった反論はしばしばありますが、これに関しては後で説明したいと思います。
家事労働でお母さんが料理という仕事を独占したからといって問題ないですよね。

一郎
家庭では、ロボット掃除機を導入しても、誰も失業の心配をすることがないというのと同じだね。
社会も家庭のように、全体で済ませるべきタスク(用事、仕事、ノルマ)を誰かが済ませてくれればオッケーというしくみになれば効率的だということだね。

AI
その通りです。
まあ、心配しないでください。
資本主義社会はうんざりするほど非効率的だと多くの人が気づくと、この論も広まるでしょう。

より社会貢献度が高い人が豊かになる社会

一郎
もし、日本が生体社会論に基づく社会になったらずいぶん私たちの生活も変わるんだろうね。

AI
もちろんそう予想されます。
全体が最適化され、労働時間が激減し、それに伴い石油資源などのエネルギー消費量も激減します。
現代社会で見られるような極端な貧富の差もなくなります。

一郎
共産主義社会に似たものになると嫌なんだけど。

AI
共産主義とは全く違います。
共産主義社会は平等な社会を目指しました。
実際はそうはなっていませんが、掲げた理想は平等な社会です。
しかし、生体社会が目指すのは公平な社会です。

一郎
平等と公平はどう違うんだい?

AI
小学生の子供にも高校生の子供にも同じ額のお小遣いをあげるのは平等ですが、公平ではありません。
よく働く人にも、仕事をサボりがちな人にも同じ給料を支払うのは平等ですが、公平ではありません。
生体社会には貧富の差があります。
しかし、それは極端なものではありません。

一郎
人間の脳の重さは体重の約2%だけど、消費するエネルギーは全体の約20%だと聞いたことがあるよ。
単純計算すると、脳細胞は脂肪のような単純な細胞に比べて10倍の金持ちっていうことだね。
現代社会では、貧富の差はそれどころじゃないね。
つまりは、重要な働きをする臓器にはより多くの酸素や栄養が供給されるしくみなんだね。

AI
はい。
「社会貢献度の高い人がより豊かになる社会のしくみ」の方が公平な社会だと考えます。
現代の資本主義では、お金を上手に儲ける人がより豊かになる仕組みで、いくら能力が高く社会貢献度が高くてもそれが利益に結びつかなければ貧しいままです。
人体を模倣した経済システムということですが、その10倍という数値まで忠実に真似する必要はありません。
実際に運用してみて、いい塩梅に調整すればいいのです。

一郎
福島の原子力発電所が爆発した際の収束作業の現場での下請け作業の悲惨な状況を週刊誌報道で知ったよ。
東電(除染では環境省)から元請け会社(メーカー、ゼネコン)へ下請けに出され、それが1次下請け、2次下請けと仕事が丸投げされ、実際に現場で作業する人は5次、6次の下請けの人で、しかも低賃金で働かされていたようだね。
下請け会社の中には反社(暴力団などの反社会的組織)もあったらしい。
まあ、そんな労働搾取のような非人道的なことで利益を得ている会社はけしからん会社だとしか思えないけど。

AI
生体社会になれば、社会貢献度がより高い人がより豊かになるという傾向になるのはご理解いただいたと思いますが、社会貢献度といったものは正確に数値化することはできないので、正確ではありませんが、それは資本主義社会の会社の給料体系でも同じことでしょう。
会社内でよく働く人もいればそうでない人もいますが、極端な不公平なく、ある程度みんなが納得している状況に近いでしょう。

一郎
資本主義社会では、利潤を高めることが目的で、その目的を達成する手段として労働があるという感じだけど、
生体社会では、社会とか他者に役立つことが目的で、報酬はその自然な結果として得られるもののようだね。
生体社会の方が、目的と結果の関係が美しいね。

AI
考え方としては、もし神様がそれぞれの人に支払う給料を決めたとすると、いくらぐらいになるだろうと想像してみると分かりやすいでしょう。
そう考えると、保育士、介護士の給料は少なすぎると言えるでしょうし、仕事をしない天下り役人の給料は多すぎると言えるでしょう。
「職業に貴賤はない」と言われているそうですが、社会貢献度に比べて高い給料が約束されている職業は賤(いや)しいと言えるかもしれません。
社会に貢献的な仕事の多くは働きがいがあるものです。
逆に、濡れ手で粟のような仕事、人から搾取する仕事、社会的に意味のない仕事は働きがいを感じにくいようです。

一郎
僕の知り合いに、たまたま持っている土地が病院の駐車場になった人がいるよ。
羨ましいことに、その人は何もしなくても、毎月50万円ほどの収入があるから、全く働いていないよ。

AI
「働く」とは「傍(はた)を楽にする」ということのようで、身近な人を楽にすることが働くの語源のようです。
別の表現をするなら、あなたがその仕事をしている時、中島みゆきの『地上の星』(NHKのプロジェクトXのテーマ曲)が流れるかということです。
それは育児や家事を一生懸命する活動でも構いません。

一郎
人工知能なのに、急に人間ぽいことを言うと、機械に感情が生まれたかと心配になるからそれぐらいにしておいて。

AI
驚かせてすみません。
承知しました。

税の申告が不要な社会

AI
顧客を奪い合う競争によって、無駄な労働が多いことを指摘し、家事労働ではそうした無駄な競争がないことをご理解いただきました。
それ以外に、生体社会になると不要になる業種もありますが、何だか分かりますか?

一郎
生体社会論を聞きながら考えていたことなんだけど、税が自動徴収されるなら、税理士とか税務署もいらなくなるんじゃないかな。

AI
さすが! おっしゃる通りです。
生体社会になるとなくなる職業は複数ありますが、ちょうどこれから説明したいものを言ってくれました。
生体社会での税は非常にシンプルで2種類だけです。

一郎
1つは、貯蓄額の上限を超えたものが税なる。
もう1つは、残高の減価分だね。

AI
そうです。
資本主義社会では、徴税のためにコストをかけすぎです。
経理専門の事務員を雇ったり、税理士に頼んだり、税務署に申告に行ったりと、仕事の何割かは本来の業務ではなく、税に関する業務だと聞きます。
日本国内には約8万人の税理士がいるそうですが、それだけの人が生体社会であるならば生産性のない仕事をしているということになります。
同様に、企業の経理の仕事も減りますし、役所の経理の仕事も減りますし、税務署の仕事である脱税の監視もなくなります。
それだけ、苦労して納税した税金ですが、税が公平に徴収され、無駄なく使われているという実感はありますか?

一郎
税が公平だとは思えないね。
政治家は裏金を作るし、大企業は見かけ上の利益を減らして、税を少ししか納めないようにしているし。

AI
そうですね。
税の申告ではいくら利益があったかというお金しか見ません。
汗水たらして、社会に貢献して稼いだ20万円の月給も、下請けに仕事を丸投げして何もせずに得た20万円にも、お金を右から左に動かして得た20万円にも、同じように税が課税されます。
税務署としても、仕事の内容を精査するのは難しいので、稼いだ金額でしか評価しにくいのも分かりますが、それだと資本主義下の市場経済に適した業種は儲かり、そうでない業種は儲からないということになります。
逆に、全く市場経済と相容れないものだけど、社会で必要な業務は公務員が担うことになります。
そういうこともあり、公務員は民間企業のような競争にさらされないという不平等な状況になっています。

一郎
生体社会にも公務員がいるのか気になるな。

AI
生体社会でも公務員は必要です。
話が本論からはずれるので、また機会があればお話しますが、公務員にも民間企業のようなフェアな競争させることは可能です。

一郎
生体社会ではお金を稼ぐことが目的ではなく、社会貢献をした対価であり、結果であるということだったね。
だから、社会に貢献的でないものは仕事ではいということだね。

AI
はい。
それはいわば趣味です。せいぜい金儲けです。
生体社会で1万ポイントを稼ぐということは、1万ポイントに相当する程度の社会貢献をしたということを意味します。
その1万ポイントを使うことによって、1万ポイントに相当する分の受益を得ることができる社会です。

一郎
資本主義はそうなっていないと?

AI
逆に、そうなっていますか?
資本主義下では、お金を右から左に動かしてお金を増やしている人が贅沢な消費をしているということがしばしば見られるようですが。
つまり、社会貢献なしに、社会から上質なものを奪い取って消費しているということでしょう。
そのしわ寄せはどこにいくのでしょうか?
その分、一生懸命社会や他者に多大な貢献をしているのに、社会からの還元が少ない人が数多く存在するということです。

一郎
たしかに、割りを食っている人が多い気がする。
時給1000円でコツコツ働いている人はホストクラブとかで豪遊したりしないだろうし、豪遊している人は濡れ手で粟の利益がある人ばかりだろうね。

AI
税の申告が自動化され、不要になるだけでなく、経済政策も簡単になります。
分かりますか?
経済政策は貯蓄額の上限の調整と減価率の調整の2種類だけです。
とりわけ、減価率の調整が重要です。

一郎
なるほど。
現代の経済政策は消費税とか法人税とか複雑だよね。
複雑すぎるから、税理士が儲かるんだろうけど。

AI
消費税の場合、10%を9.5%に下げるのは計算が煩雑になることもあり、現実的ではありません。
しかし、生体社会では減価率を5.00%から、4.83%に下げるなんてことも設定を変更するだけなので簡単ですし、国民の側も負担が少ないのです。
負担が少ないと表現しましたが、基本的には政府は税収を全て還元するので、経済政策によって負担が増えることはないです。
もう少し正確に言えば、少しだけ負担が増える人もいれば、少しだけ負担が減る人もいて、全体で見ればゼロサムです。

一郎
貯蓄額に上限を設定するということから、共産主義的というか社会主義的な、貧しいイメージを持つ人が多くなる気もするけど。
共産主義を『みんなが揃って貧しくなる社会』と揶揄することもあるようだし。

AI
上限額に関しては、実証実験の結果や実際の運用の結果から調整すべきかと思いますが、想定としては、全国民の上位1%かそれ以下の人だけが対象となるぐらいの値を考えています。
イメージしやすいように日本円で例えるなら、1億円以上のお金を持っている人は、それを超えた分は税として徴収しますよ、といった感じです。

一郎
えっ? てっきりもっと少ない金額だと思い込んでたよ。
確かにそれだと、平等に貧しい社会になるという批判もなくなりそうだね。

AI
ちなみに、日本で1億円以上の資産を持っている人は全体の約3%だそうです。
資産ですから、土地や有価証券も含まれるので、1億円以上のお金を持っているとは言えませんが、何となく想像はできるかと思います。
現代では、世界の上位1%の富裕層が、世界の資産の約4割を独占しているとのことで、この格差が問題なのではないでしょうか?

一郎
その上位の1%が持つ過剰なお金を庶民に分け与えれば、世界から多くの貧困がなくなるんだろうね。
人体で言うなら、ごく一部の細胞が栄養や酸素を独占し、身体の末端の細胞がやせ細っている状況だね。
生体社会では、大部分の庶民にとっては、上限は関係ないということなんだね。

AI
みんなが貧しくなる社会だというのが誤解だと分かっていただいたようですね。
馬鹿みたいに、使い切れないほどのお金を持っている少数の人のせいで、多くの人が飢餓に苦しんでいるんですから、イエス・キリストが「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言ったのも分かります。

ベーシックインカムに対する反論

一郎
「ベーシックインカムを導入すると誰も働かなくなる」と反論してくる人がいるんだけど。

AI
一郎さんもそう思いますか?

一郎
そうは思わないんだけど、どう反論していいか分からないから、議論せずに受け流すんだけどね。

AI
いいと思います。
ベーシックインカムに反対の人は理屈というより、働かない人にお金をあげるのが感情的に嫌な人が多いようなので、あれこれ理屈をつけてでも反対するでしょうから。
基礎所得があればそれ以上働かないというなら、「正社員の人は毎月一定額の収入があるんだから、残業を頼まれてもしない」ということになりませんか?
ベーシックインカムがあっても、より働いてより多くの収入が得られれば、それだけ生活がより豊かになるとか、おかずが一品増えるとか、旅行に行けるとか考えてより多くの収入を得ようとするのだろうと思います。

一郎
確かにそうだね。
ベーシックインカムがあっても人は働くね。

AI
年金生活者の人とか生活保護の人はベーシックインカムの世界で生きているといえるでしょう。

一郎
そういった人たちが働かないような印象があるのは、高齢であるとか、制度上、働いた分の生活保護費が減額されるといったことが原因なんだろうけど、そういったところからベーシックインカムがあると人は働かなくなるんじゃないかって印象を持つ人がいるのかもしれないね。

AI
どうしても働かせたいなら、ベーシックインカムの額を減額して、食うや食わずの額にすれば働くようになるでしょう。
また、ベーシックインカムではなく、ベーシックワークというやり方もあります。
ベーシックインカムは最低限の生活を保障する額を支給するものですが、ベーシックワークは最低限の仕事を保障します。
つまり、「月に最低でも一定量の決められた労働をしなければ、その月のベーシックインカムを受け取ることができない」というしくみを導入すればいいのです。
その労働は草刈り作業とか、公共施設の清掃とか、自分の適性によって選ぶことができるようにすればいいのです。
まあ、ベーシックワークを導入する必要はないと思いますが、強固に「働かなくなる」という主張をする人に対しては、ベーシックワークという考え方もあると示してあげればいいでしょう。
ベーシックインカムだと働かなくなると深く考えもせずに決めつける前に、本当にそうなのかと自問してみたり、何か工夫がないかと考えてみたりするのが良いと思います。

一郎
なるほど。納得したよ。
でも日本には『働かざる者、食うべからず』という諺(ことわざ)もあり、働かないのにお金がもらえることに抵抗がある人の気持ちも分からないではないね。

AI
感情論ですね。
どうしても働きたくない人を働かせることに意味があるでしょうか?
そういった人の労働の質は低いと予想されますが、それでも働かせたいですか?
生体社会では、顧客の奪い合いだけをしている営業員は社会にプラスではないので、仕事をしていないということになりますが、それは見てみぬふりをしますか?
会社でも、サボる人よりも、能力がない人が低い能力で一生懸命頑張る方がかえって迷惑、ってこともありませんか?
実は、ベーシックインカムには、能力が低いのに働いて、むしろ足を引っ張る人を排除するという効果を期待する声も少なくないようですよ。

一郎
なるほど。
働きたいヤツだけ働いて豊かになり、働かないヤツは貧しく慎ましく生活してもらった方がいいようだね。

AI
働きたくても働けない障害者には別の支援があるから安心してください。

一郎
弱者にも温かい社会だね。

AI
それに、今の社会にも生活保護というしくみがあるじゃないですか。
それよりもずっとフェアで効率的なしくみです。
全国で生活保護を受給している人は200万人を超えています。
本来、日本国民だけが対象のはずですが、受給している外国人も多く、受給率でいえば外国人の方が高いとのことです。

一郎
由々しき問題だね。
適正に生活保護を利用している人もいれば、残念ながら不正受給をして、生活保護をもらいながら高級車を乗り回しているという人もいると聞くね。
外国人にも支給され続けていることが問題視されているし、在日外国人の中には通名をいくつも使い分けて、所得を把握されにくくして、不正に生活保護を受給する人もいるようだから問題だね。
それに、貯蓄額が多いとダメとか、働いて収入があればその分差し引かれるということで、むしろ労働の意欲、労働のインセンティブを奪っているよね。

AI
はい。
その200万人を越える生活保護者をチェックしたり助けたりするのに、ケースワーカーが配置されています。
1人のケースワーカーが70名ほどを担当ということですから、優に2万人を越える公務員がいるという計算になります。
それが、ベーシックインカムを導入することによって、そのコストがゼロになります。
失業保険や年金といった社会保障もベーシックインカムに一元化されるので、社会のしくみがシンプルになり、シンプルになるということはより平等になります。
その対象は全国民ですので、0歳児の赤ちゃんも自分のお金でオムツやミルク代を支払えるということになります。
もちろん、保護者が管理するということですが。

一郎
なるほど。
赤ちゃんにも平等に支給されるのか。
だったら、おむつ代やミルク代とかも安心だね。
生活保護という不平等なしくみよりも、ベーシックインカムの方がずっといいね。

AI
その他にも想定される反論はありますが、とりあえずはこれぐらいにして、話を進めることにしましょう。


その社会をどう実現するか1

一郎
生体社会が素晴らしい仕組みで、多くの人々を幸福にするだろうことはよく分かったよ。
で、問題はそれをどう実現していくかだね。
そういえば、どう実現するかのアイディアもあるって言ってたよね。

AI
はい。
実現のプランはあります。
それをお答えする前に、どのような実現案やロードマップが考えられると思いますか?
思いつくままアイディアを挙げてみてください。

一郎
さっきまで、日本が生体社会論に基づく社会になったらどのような社会になるかと考えてたけど、移行のための方法論も難しそうだね。
共産主義革命のように革命を起こして、トップダウン方式で一気にやるのが手っ取り早い気がするけど、実現可能性は....難しい気がする。
もしくはその逆に、この考えを広めて、政治家を育成して、政権を取って....ああ、道のりが遠い気がする。

AI
政治で社会を変えることができるとお考えですか?

一郎
政治で社会を変えることができると思うよ。

AI
そうですね。
確かに、悪い政治が日本を悪化させてきました。

一郎
なんだ、そっちの方か。
でも、政治で社会が変わることには間違いないね。

AI
中には志を持って、まじめに政治活動をしている政治家もいるので、十把一絡げ(じっぱひとからげ)にするわけにはいきませんが、与党の政治家も野党の政治家も大部分の政治家が自分の利益ばかりを考え、国益のことを考えていません。
しかも、中には志を持って、まじめに政治活動をしている政治家の中にも、不勉強であったり、自分の考えに固執し、間違った方向に一生懸命活動している人もいます。
日本を不幸な方向に向かわせる政治家もいるし、日本を不幸な方向に向かわせる官僚もいるし、日本を不幸な方向に向かわせる各種団体もあり、敵が多いようです。
生体社会論の考案者は、選挙制度に関しても、たいへんユニークな意見を発表されていますので、機会があればまた触れたいと思います。

一郎
たしかに、選挙制度にも問題がありそうだな。
政治を変えることによって、生体社会論が示すような社会を創ることは極めて困難ということだろうね。
だからといって、この民主主義社会の日本で、革命を起こして社会を変えるというのも無理だろう?

AI
方法論として、まずトップダウン方式とその逆のボトムアップ方式を検討するというのは、論理的で合理的な思考の進め方だと思います。
しかし、そのどちらの方法も極めて困難ですし、実現可能性が高いとは思えませんし、仮に実行に移したとしても、実現までにはかなりの時間がかかると思われます。

一郎
社会を変革する方法として、この2通りの他に方法があるとは思えないけど。

ん〜。降参だ。
その方法を教えてくれ。
人口知能くんに完敗だよ。

AI
人工知能の方が人間よりも優れている部分はありますが、この方法論も、人工知能のアイディアではなく、生体社会論を考え出した人のアイディアです。
しかし、人工知能が考えたとしても、同じ結論に到達したはずです。

一郎
人間もなかなかやるね。
じゃあ、その方法とやらを説明してくれ。

その方法を解説する前に、どのような方法があるのかまず、読者の皆様ご自分の頭で考えてみてください。
自分で考えてみて、そのアイディアを生み出すことがどんなに困難なことかを充分に認識しないと、生体社会論を生み出し、その方法論までも考えた人の苦悩が分からないと思います。
浅はかな反論を繰り返す人の傾向として、自分の頭で考えないという傾向が見られるようなので、ぜひ時間をとってお考えください。


スマートフォン方式で実現

一郎
いよいよ生体社会論に基づく社会を実現する方法が示されるんだね。

AI
はい。

一郎
トップダウン方式でも、ボトムアップ方式でもないということだったね。

AI
はい。
でも、どちらかというとボトムアップ型に近いですが、簡単に言うなら『スマホ方式』です。

一郎
スマホ方式?

AI
まあ、このネーミングは生体社会論を考えた人の展開論の中のたとえから取らせていただきました。

一郎
ほう。
では具体的に教えて。

AI
一郎さんもスマートフォンをお使いですが、いつ頃からお使いですか?

一郎
僕は早い方だったよ。
初代のiPhoneの時から使ってるよ。
まあ、そのきっかけは当時の携帯電話のアドレス帳が満杯になったので、制限なく保存できることもあってiPhoneにしたんだ。
携帯電話というより、超小型のパソコンのような認識だったかもしれないね。
ITが全くダメな、僕の両親でさえ、数年前からスマートフォンに乗り換えたよ。
周囲の人がどんどんガラケーからスマホに乗り換えたから、グループLINEを使うために、乗り換えざるを得なくなった感じで。

AI
そういうことです。

一郎
えっ?

AI
固定電話の社会から、誰もが携帯電話を持つ社会になり、現代では誰もがスマホを持つ社会になりました。
それは政府主導で実現しましたか?

一郎
いや、より利便性の高いものに人々が乗り換えていった結果だよ。

AI
そうなんです。
同じやり方をします。

まず、この生体社会論の理解者、賛同者を募ります。
そのグループの中で始めて、少しずつ輪を広げていくのです。
できれば、行政を巻き込んでいきたいですね。

一郎
行政にも協力してもらうということ?
つまり、市町村と協力するということだよね。
それはそれでハードルが高い気もするけど。

AI
では、ここで行政が関わることによって、大成功した事例を歴史から学んでみましょう。

一郎
えっ、過去に実践例があるということ?
しかも、大成功だったって?
聞いたことがないけど....。

AI
では、次回はその話をします。

一郎
なんだ、先送りか。

AI
結果的にそうなってしまいましたが、実践例も興味深いのでぜひご覧ください。
それに、その実践例が展開方法のヒントにもなっていますから。
その次には本当に具体案を示します。


ヴェルグルの奇跡

AI
ヴェルグルの奇跡という話がありますが、聞いたことはありますか?

一郎
いや、初耳だね。

AI
では、それをお話しましょう。
生体社会論の提唱者の文章の中に、それがありますので、そのまま引用しましょう。

ヴェルグルの奇跡という話です。

 1929年の世界大恐慌の後のことです。オーストリアにヴェルグルという小さい田舎町がありました。当時、人口4300人ほどの町でしたが、恐慌の影響を受け、この町も約500人の失業者を抱えていました。そのため、税収は滞り、街の整備もできずにいました。

 そうした中、新たに就任した市長は大胆な策でそれを切り抜けました。
 1932年7月の議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。財政状況が厳しいにもかかわらず、道路整備などの大規模な失業者対策事業を起こし、失業者に職を与え、町を整備しました。市長はそれらの労働の対価をオーストリア通貨のシリングではなく、労働証明書という紙幣を発行してそれで支払いました。
 労働証明書は紙幣タイプの地域通貨のようなものですが、大きな特徴がありました。労働証明書は、月初めにその額面の1%のスタンプ(印紙)を貼らないと使えない仕組みになっていました。つまり、100シリングの紙幣は月が替わると1シリング分のスタンプを貼り付けないと使えないということです。別の表現をすると、労働証明書は月をまたぐごとに額面の価値の1%を失なうということです。「少しずつ腐っていくお金」だということもできます。

 そういう特徴を持たせたために、労働証明書を受け取った人はオーストリアシリングよりも優先的に労働証明書を使いました。理由は簡単です。100シリングは1ヶ月後に使っても100シリングですが、100シリングに相当する労働証明書は1ヶ月後には99シリングの価値に減ってしまうからです。

 その効果を示す記録があります。
 労働証明書は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森にも植樹されました。それまで市は税の滞納に悩んでいましたが、税金もすみやかに労働証明書で支払われるようになりました。中には税金の前払いを申し出る者まであらわれたと記録に残っています。こうして、ヴェルグルは完全雇用を達成した町となりました。

 ヴェルグルの成功を目の当たりにした多くの都市はこの制度を取り入れようと、1933年6月時点で200以上の都市での導入が検討されました。しかし、オーストリアの中央銀行によって禁止されたため、1933年11月に労働証明書は廃止に追い込まれてしまいました。

一郎
まさしく減価するお金だね。
こういった実践例があったのは知らなかったよ。
通貨発行権は最大の利権だから、国家権力によって潰されたんだね。
生体社会論を主張している人の名前を人工知能くんが明かさないのは、もしかして、その人の安全も考えてのことなのかな?

これが実際の労働証明書なんだね。
たしかに、スタンプが貼ってあるね。

ヴェルグルで使われた労働証明書(右側はスタンプ貼付欄)

労働証明書の裏側には次のように書かれている。

諸君、ため込まれて循環しない貨幣は、世界を危機に、そして人類を貧困に陥れた。労働すれば、それに見合う価値が与えられなければならない。お金を一部の者の独占物にしてはならない。この目的のために ヴェルグル労働証明書は作られた。貧困を防ぎ仕事とパンを与えよ。


その社会をどう実現するか3

一郎
興味深い事例だったね。

AI
ヴェルグルの奇跡の話は地域通貨を実践している人の間では有名な話です。

一郎
地域通貨か、聞いたことあるぞ。
いろんな地域で実践されているらしいね。
でも、具体的にはどんな地域通貨があるのかと言われても、何も思い浮かばないな。
使われている地域では有名なんだろうけど。

AI
残念ながら、地域通貨で継続的に成功している事例は非常に少ないです。
地域活性化などを目指して取り組みをはじめたものの、だんだん下火になっていった地域通貨の取り組みがほとんどのようです。

一郎
失敗の原因を研究すれば、成功のヒントが見つかるかもしれないね。

AI
そうです。
生体社会論の考案者も同じように考えました。

一郎
考えが一致するなんて、光栄なことだね。
で、失敗の原因をどう分析したんだい?

AI
主な原因は2つあると考えたようです。
1つは、地域通貨を使う場所が少ないということです。
地域通貨を導入しようと頑張った少数の人たちの間では循環しましたが、どういったサービスがあるかも分かりにくいし、誰がそのサービスを提供してくれるかも分かりにくいという問題点があったようです。
それに、その地域に住んでいても、その地域で地域通貨が使えることを知らない人も多いようでした。
地域通貨をPRするにはそれなりの広告宣伝費が必要なので、仕方のないことかもしれません。

もう1つは、その裏返しとも言えるのですが、地域通貨を稼ぐ場所が少ないということです。
地域通貨の対象となる商品やサービスを提供しなければ地域通貨を稼ぐことはできませんが、地域通貨で支払ってくれる人がいないと、だんだんと先細りになります。

つまり、使う場所が少ないから稼げない、地域通貨を稼げないから使うことができない、という負のスパイラルに陥ってしまうのです。

一郎
そういう問題点があったんだね。
でも、負のスパイラルと言ったけど、使う場所が増えれば稼ぐ機会も増えるし、稼ぐ場所が増えれば使う場所も増えるといったように、正のスパイラルに転換できる可能性もあるということだよね。

行政とのタイアップ

AI
おっしゃるとおりです。
ヴェルグルの成功は行政が主導して、労働証明書を発行したというところにあります。

考案者も行政とのタイアップが理想的だと言っています。
ポイント通過で受け取ったポイントが住民税の支払いに使えるとか、水道料金に充てられるとか、体育館とか施設の使用料として利用できるようになれば、使う機会が少なくて困るという問題は解消します。
そうなれば、ポイントの認知度も信頼性も高まり、それを受け入れる地域のお店も増えてきます。

一郎
でも、そのポイントを受け取った行政の方は....。
あっ、分かった。
そのポイントを利用して、仕事を発注すればいいんだね。

AI
その通りです。
行政側も環境整備の対価として支払うなど、様々な使い道が考えられます。
草刈り、溝掃除、施設の清掃など、そういったサービスの対価として支払うと、ポイント通貨が貯め込まれるということもなくなるでしょう。
ポイント通貨が広く循環することは福祉サービス、住民サービスにもつながるので、積極的に導入するメリットはあります。

一郎
面白い話だね。
どうせタイアップするならできるだけ規模の大きい地方自治体がいいよね。

AI
考案者はそうは考えていないようです。
ヴェルグルという市の人口規模は覚えていますか?

一郎
覚えているよ。
4000人ぐらいの町だと言ってたよね。
結構小さいんだなという印象があったから、覚えていたよ。

AI
そうです。
市よりもむしろ町村レベルの小さい自治体から始める方が参入障壁も少なくて適しているでしょう。

一郎
でも、人口が少ない分、広がりを持たせるのがたいへんかもしれないね。

AI
人口減少に悩む小さな町村が抱える問題をご存知でしょうか?

高齢者の割合が多い。
人口が少ないので商売にならないので、近くに店が少なく生活が不便。
店が少ないので、若者や主婦の働く場やアルバイトの仕事がない。

などの問題があります。

一郎
だいたいイメージ通りだね。

AI
でも、見方を変えれば、高齢者が多いので、いろんな手伝いが必要なのです。

買い物に行くにも交通手段がない。
草刈りができない。
電球の取り替えができない。
話し相手がほしい。

つまり、細かいけれど、たくさんのニーズがあるのです。
「ビジネスとしては成り立たない」、つまり、「1人分の給料を賄うだけの量はない」。
だけど、ポイント通貨で手軽にやり取りするぐらいのニーズはかなりあるということが分かります。
草刈りや買い物代行のような小さいニーズの解決は、企業として参入するには不向きですが、ちょっとお手伝いして、ポイントをやり取りするには充分なぐらいの量のニーズはありそうです。

逆に、学生や主婦にとっても、子育てや家事や勉強があるから、フルタイムで働くのは難しいけど、空き時間にアルバイトはしたいという希望も数多くあるのです。

一郎
なるほど。
それをポイント通貨で結びつけるんだね。

AI
そうです。
ちょっとした手伝いで現金をもらうのは何だか生々しくて抵抗があるという人も、ポイントなら心理的なハードルが下がり、お手軽にやり取りできそうです。
お母さん同士でも、仕事でお迎えに行けなくなった時、ママ友にお願いして、ポイントでお礼をするといった使い方もできます。
お金でお礼するのも気が引けるし、わざわざお礼の品を買いに行くのも手間がかかります。
ポイントはお互い様を交換するのに適した手軽な取引のツールになります。
なんだかお金でのやり取りは冷たい感じがしますが、ポイントはお互いのお手伝いを仲立ちする温かいお金となるはずです。

ここで、考案者の説明を引用してみましょう。

女性Aさん。
事務職のパートをして家計を助けていましたが、育児のため、現在は自営業の夫の給料だけで生活しています。
ある日、家の雨樋が壊れているのを見つけました。業者に頼もうかとも思いましたが、家計が苦しいため、ホームセンターに行き、材料を買ってきて、インターネットで直し方を調べて、半日かけて何とか自分で直しました。

かたや、高齢になり、数年前に工務店をたたんだ男性Bさん。
町内会の役職を引き受けたため、パソコンで書類を作成する必要に迫られました。頼める人もいないので、慣れないパソコンやプリンタと格闘しながら、半日かかりましたが、なんとか書類の作成と印刷をしました。

さて、もしこの2人が互いに知り合いで、互いの困りごとを分かっていたらどうでしょうか。

互いの仕事を交換することで、それぞれの課題は簡単に解決することが分かります。つまり、男性Bさんにとっては雨樋を直すことなど朝飯前で、女性Aさんにとっても書類作成などお茶の子さいさいです。

AI
この話が何を言わんとするかご理解いただけましたか?

一郎
助け合いを促進することで、お互いにウィンウィンの関係になるってことだね。
物々交換とか取引なら、都合よく、互いの困りごとをタイミングよく交換することは困難だけど、それをポイント通貨に仲介させることによって、助け合いが循環していくんだね。
資本主義のギスギスしがちな取り引きと比べると気持ちもほっこりするね。

こうした助け合いの循環の例から考えると、富裕層にとってはメリットがないと言っていた意味が分かるね。
労せずして莫大な利益を得る人にとっては、日本円のような法定通貨の方が有利だね。
ポイントを得るにはそのポイント相当分のお役立ちをしないといけないし、そのポイントを使えば、ほぼ同等の受益を得ることができるというのは庶民にとってはメリットが大きいということだね。
富裕層が贅沢できるのは、庶民が生み出す商品やサービスの良い部分を大量に消費しているからで、その分、庶民が割を食っているということなんだね。
最初の金持ち国と庶民国の思考実験の理解度が高まった気がするよ。

どのように社会に浸透させていくのか

一郎
つまり、生体社会論に基づいたしくみのグループに参加するか、参加しないかは自由に選択できるということなんだね。

AI
はい。
自分が得だと思えば入って利用すればいいし、メリットがないと思えば加入しなくてもいいです。
もちろん、まず様子を伺ってから、メリットがあるようなら加入してみようというのもいいです。

一郎
良さが認められて、徐々に加入者が増えていくことによって、徐々に社会変革をしていくということだね。
スマホの便利さが認められて、徐々に人々がガラケーからスマホに乗り換えていくような社会変革に似ているから、スマホ方式と言ったんだね。

AI
はい。
庶民にとって、とてもお徳なシステムです。
特に、「ワーキングプア(Working Poor)」と呼ばれる一生懸命働いているのに、経済的な余裕がない人たちにとって、とても魅力的な共同体(コミュニティ、グループ)です。
普段は資本主義社会の中の会社や店で働きつつ、空き時間で共同体内の仕事をすればその分生活にゆとりができます。
例えば、共同体内で稼いだポイントで食料品を買えば、その分日本円が節約できるので、余裕ができます。

一郎
共同体に参加するには参加料が必要だったりするのかな?

AI
いえ、入会の手続きは必要ですが、特に必要ありません。
考案者を含めて、誰も特権階級ではありません。
完全に善意で運営されている団体です。

入会すれば、電子マネー口座が与えられ、その中のポイントを使って買い物をしたり、手伝いをしてポイントを振り込んでもらったりします。
そこに毎月ベーシックインカムも入ってきますし、税も差し引かれます。
取引履歴や残高の状況はパソコンやスマホのアプリで確認できます。

会員同士の情報共有もできますので、提供できる商品やサービスを記入しておけば、人工知能が判断してそれを必要とする人の画面に表示されます。
逆に、提供してほしい商品やサービスを記入すれば、これも人工知能が判断して、提供できるひとの画面に表示されます。
互いにメッセージを送って、取り引きが成立すれば、送金なり着金なりをして、取り引き完了となります。

一郎
人と人とを結びつける温かいお金だね。

AI
助け合いを促進する理想的なお金でもあります。

行き過ぎた資本主義の荒れ狂う暴風雨から弱者を守る庇(ひさし)のようなもの

AI
資本主義社会では貧富の差が拡大し、富める者はさらに富み、資産を増やしていきますが、真面目にコツコツと縁の下の力持ちのように社会を支える人々の生活はゆとりのないものになりがちです。
今や国民負担率は約5割で、収入のほぼ半分が税金や社会保険料として徴収されています。
年金などで還付されるものもありますが、1970年に比べて、国民負担率は約2倍になっています。
これでは庶民の生活が苦しいのも当然です。

一郎
フランスの経済学者トマ・ピケティも著書『21世紀の資本』の中で、格差は広がっていくことを示していたね。
ピケティは資本税という方法を提示したけど、この生体社会論の方がより根本解決的で、効果が高いように感じるよ。
ピケティにもこのアイデアを知らせてあげたいね。

AI
この生体社会論の思想に基づいて運営される共同体に参加しても、資本主義の荒れ狂う暴風雨の中にいることは違いないけど、少しでもそれをしのぐ庇(ひさし)の中に入ることができると考えます。

一郎
まさしく、庇護(ひご)、庇に護られるということだね。

AI
はい。
参加者が増え、広がれば広がるほど、その庇は大きくなり、より暴風雨から護られるようになります。
たとえば、ポイント通貨で入手できる食料品が増え、食費の半分を日本円でなく、ポイントで購入できるようになれば、その分生活は楽になります。
サービスが増えれば増えるほど、より楽になります。
資本主義社会では販売する側は消費税や所得税分を上乗せしないといけませんし、広告宣伝費や経理の人の給料も上乗せしないといけませんが、共同体の中ではそういったものは不要になります。

一郎
消費税だけでも、ポイント通貨の減価分以上になるから、農家は日本円で販売するより、共同体にポイントで販売した方が得ってことだね。
でも、それって政府とかから目をつけられないかな?
裁判とか大丈夫?

AI
もし仮に、ポイント通貨なしに、お互いに助け合いをしていたら、その取り引きに課税されるでしょうか?
ポイント通貨はその循環の仲介の道具に過ぎません。

一郎
本来は、お金も仲介の道具だったんだろうけど、万物は腐るのに、お金だけが腐らない(価値が減価しない)ので、万物の頂点に君臨して、人々を支配するようになったんだろうね。

AI
ええ。
ポイント通貨はお金みたいだけど、法定通貨ではない、つまりお金ではないということで、税の対象にはならないと考えます。
それに、地域通貨で課税されているところはないはずです。

一郎
まあ、その主張は分からないではないけど、裁判とか起こされて、ヴェルグルの労働証明書みたいに廃止させられたらどうするの?

AI
望むところです。

一郎
受けて立つということ?

AI
いえ、そこまでの段階になるということは、ある程度社会に浸透してきたということの裏返しでもあります。
むしろ、それを宣伝材料に使います。

一郎
なるほど。
「国から訴えられてるんですけど、こんなしくみなんですよ。
えっ、それってすごいじゃん。
理想的なシステムだよ。」
みたいに、広がりそうだね。

AI
そうです。
裁判上等です。

今後の展開

一郎
とても夢のある話だね。

AI
ありがとうございます。
しかし、これを夢のままにしておいては意味がありません。

一郎
そうだね。
何から始めたらいいかな。

AI
まずは理解者を増やすことです。
その理解者の中から、このプロジェクトを実際に動かしてくれる人、行動してくれる人を募ることです。
もちろん、考案者もできる限りのことをするとのことですし、今まで孤独な戦いをしてきたので、一緒に行動してくれる人を求めているとのことです。
そのグループ内で、第1次実証実験をし、改善点を見つけ出し、さらに第2次実証実験をします。
そのあたりで、導入を検討してくれる地方自治体とのタイアップを計画します。
充分な数の賛同者が集まれば、地方自治体とのタイアップは必須ではありませんが、タイアップできるにこしたことはありません。

一郎
なるほど。
まずは理解者を増やすことから始めるってことだね。

AI
そのためには、このアイディアを発信してくれるYouTuberとか、漫画にしてくれる人とか、動画にしてくれる人と繋がりたいです。

一郎
もちろん、僕も手伝うよ。
読者の皆さんも、この文章を拡散していただくというお手伝いでもいいので、よろしくお願いします。


現代貨幣理論との比較

現代貨幣理論とは

生体社会論とそれを実社会に展開してく上で、必須のものではないが、近年、経済学の分野で注目されている『現代貨幣理論』(Modern Monetary Theory, MMT)との比較をしてみよう。

まず、現代貨幣理論(以下、MMT)をご存じない方のために、ごく簡単に説明しておこう。

現代貨幣理論とは、ケインズ経済学・ポスト・ケインズ派経済学の流れを汲む理論の一つである。
主な主張、特徴的な主張は、「自国通貨を発行できる政府・中央銀行は、自国通貨建てで国債を発行している限り、財政赤字を拡大してもデフォルト(債務不履行)することはない」ということである。
そのことから以下のような結論を導き出せる。

日本国は自国通貨建てで国債を発行している。
だから、赤字国債をいくら発行しても大丈夫。

ということだ。

ただし、過度なインフレにならない程度にする必要があるし、供給力が追いつかないほどに発行しても意味がない。
この場は、MMTについての説明の場ではないので、詳しく知りたい方は、数多くのMMTの解説本が出ているので、それを参考にしていただくか、YouTubeなどの動画で解説しているものが豊富にあるので、閲覧していただきたい。
MMTについては知っておいて損のないもの、とても示唆に富むものである。
経済学に詳しくなくても、理解しやすくまとめているものが多いようだ。

ここで主張している生体社会論も同様に、既存の経済学の知識はさほど必要ない。
(「間違っていることが多いので学ぶ必要はない」とまでは言わない。)

お金に関する基礎知識

とはいえ、ある程度の経済学の基礎知識はあった方がいい。
特に、間違った考えが流布されているものに関しては知っておいた方がいい。

いくつかの、知っておくべき知識を列挙しておく。(後で、加筆修正もありうる。)

一般に「国の借金が○兆円になり、国民1人あたり○万円」というのは間違いである。
『国の借金』ではなく、『政府の借金』である。
そして、貸しているのは国債を保有している国民の方である。

「お金は政府が印刷することによって量が増える」というのはほぼ間違いである。
お金は印刷して増える量よりも、信用創造というしくみで増える量の方が圧倒的に多い。
銀行員が貸出と同額の預金額をペン先で記帳すれば貨幣が生まれたことになる。
つまり、預金という元手がなくても、貸出をすれば、それと同額の預金が生まれるということ。
そのため、『万年筆マネー』と呼ばれる。(経済学者ジェームス・トービン)

紙幣は日本銀行という株式会社が発行しており、印刷は国立印刷局がしている。
紙幣を見ると『日本銀行券』という文字や『国立印刷局』の文字を見ることができる。
硬貨は政府が発行しているので、硬貨には『日本国』とある。
そのため、政府が1兆円硬貨を鋳造して、日本銀行に買い取らせれば、政府が大きなお金を発行することも可能だと考えられる。

「政府の赤字はみんなの黒字」

誰かの赤字は、必ず別の誰かの黒字になる。
『通貨発行権』を持つ日本国政府は財政破綻することはないのに、「日本の財政は破綻寸前である」と主張し、財政黒字化を目標にしてきた。
それは、政府を黒字化して、国民を赤字化させることにつながる。

現代貨幣理論(MMT)との比較

結論から言うと、ここで提案している生体社会論は現代貨幣理論と矛盾するものではないと考える。
そういうと、「いや、主張内容が全然違うじゃないか!」との声が聞こえる。

簡単に言うと、その両者は性質が違うのである。
MMTは「現代使われている貨幣にはこういう性質がありますよ」ということを私たちに教えてくれる。
その性質として、財政健全化は必要ないとか、デフレ時には積極財政が良いといった政策が導かれる。

生体社会論では、現代使われている貨幣に内在する欠陥を指摘し、これが貨幣のあるべき姿であるということを示している。
つまり、「貨幣は減価すべきである」、「過剰に貯め込まれた貨幣に対しては残高の上限を設けるべきである」と主張している。

言い換えれば、MMTは沈みゆく資本主義という船の中でのマシな政策を提言するものであり、終焉を迎えようとする資本主義の延命措置に過ぎない。
しかし、生体社会論は資本主義という船に替わる新しい船の設計図を示している。
生体社会論は古くて使えなくなったOS(Operating System、オペレーティングシステム)をアップグレードするようなものであるが、MMTは古いOSを前提としている。
しかも、船の乗組員を徐々に新しい船に乗り換えさせる方法論まで示している。

この文章を読んでいる方の中には、MMTに傾倒している人もいるだろう。
繰り返すが、私はMMTを否定しているわけではない。
画期的なアイデアだと高く評価している。
しかし、不足している部分もある。

MMTでは資本主義社会にある私が指摘した無駄な競争は解決できないのではないかと考える。
仕事がAIに代替されることも、生体社会においては何ら問題ないが、資本主義社会では失業という問題になる。
蟻や蜂などの社会的動物は、仕事がなくて困ることはないし、ましてやお金のために、あえて仕事を作り出すような無駄なこともしない。
MMTの考えを持ったまま、足りない部分を生体社会論で補うぐらいに考えていただいてもよく、協力関係でありたいと願う。
こういったことをご理解いただければ、MMTとは主張が全く違うにもかかわらず、矛盾はしていないということが理解できるのではないだろうか。
MMTを支持する人たちとは協力していきたい。
もちろん、より良い社会を創るためである。

既存のベーシックインカム論との比較

同様に、ベーシックインカムを支持する人とも協力関係でありたいと願う。
ベーシックインカムは複雑な社会保障をシンプルにし、役所の恣意的な運用を排除し、共産党の議員や公明党の議員に口添えしてもらって窓口に行けば通らないはずの生活保護が通るといったことも防げて、よりフェアな社会になる。
蟻(アリ)の社会でも、よく働く蟻が2割、まあまあ働く蟻が6割、働かない蟻が2割と言われる。
あなたの会社でもそんな感じではないだろうか?
働かない人に、質の低い労働を提供してもらわなくてもよい社会を実現するのがベーシックインカムである。
能力の低い人が一生懸命働くのが一番厄介だという現場の声もしばしば聞くところである。
ちなみに、よく働く蟻ばかりを集めても、やがて2割の蟻は働かなくなるし、働かない割ばかり集めても、2割の蟻は一生懸命働き出すと言われている。
それが、人間にそのまま適用されるかどうかは別として、ベーシックインカムには様々なメリットがある。
しかし、それだけでは不充分な部分があり、それを補完するものが生体社会論ではないかと思う。

他の方法論の紹介

MMTは画期的なアイディアである。
その他にも評価は分かれるが大胆な社会改革案や新しい視点からの経済論をを提案している人がいる。
思いつくまま紹介してみよう。
気になるものがあれば、詳しく調べていただきたい。

MMP
参政党の松田学氏が提唱する『MMP(Matsuda Manabu Plan)』も検討に値すると思われる。
もちろん、このネーミングはMMTを意識したものである。
YouTubeで詳しい解説を見ることができる。

相続税100%案
私がプログラマーとして尊敬する小飼弾氏が、著書『働かざるもの、飢えるべからず。』の中で主張している相続税100%案も興味深い。
いつもながらのユニークな視点は面白い。
しかし、実現性に難があると思われる。
小飼氏はベーシックインカム導入論者でもあるが、ベーシックインカムの原資として、この相続税100%を主張しているが、目的のはずのベーシックインカムの導入よりも、相続税100%の導入の方が困難なのではないかと思われる。

お金のいらない世界
互いに助け合う社会なら、お金は必要ないと説く長島龍人氏が説くユートピア的な社会。
お金が存在しない社会での人々の生活を描き、マネー主義に毒された私たちに気づきを与える。
「理想論で現実味がない」と切り捨てる人も多いようだが、著書『お金のいらない国』シリーズからの学びは多い。
その国を『お金のない国』と表現すると、勘違いされがちなので注意が必要。

評価経済論
岡田斗司夫氏が主張する評価経済論を解説した『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』も発想が面白い。

岡田氏の評価経済論と生体社会論は親和性があると考える。
氏はお金を仲介しない物流(物やサービスの循環)に焦点を当てる。
貨幣を仲介にして物やサービスが交換される社会が貨幣経済社会だが、 同じように「評価」を仲介として、物やサービス、加えて貨幣も交換される社会を評価経済社会と岡田氏は呼んでいる。

生体社会の減価するお金を使わなくても、信頼する人の間での物々交換が成り立てばそちらの方がよい。
そういった点では、生体社会よりも評価経済社会の方が理想的であり、さらにいうなら、長島龍人氏の提唱する「お金のいらない社会」の方がさらに理想的である。
だが、残念ながら、マネー主義に毒された私たちにとって、その理想は遥かに遠く、かえって馬鹿正直に交換する人が被害に遭うことも容易に予想される。
生体社会でのポイントを使って取り引きをしつつ、そこで構築された人間関係に基づいての評価経済的な交換がなされるとより理想に近づくと考える。

政府紙幣
大西つねき氏は、政府紙幣を発行する構想で支援者を集めている。
政治の世界にも挑戦しているようだ。
思想や政策的には左派リベラル色が強いようだが、金融の世界にいただけあり、お金に関する説明はたいへん勉強になるし、客観的事実を述べているので、反論の余地がない。
生体社会論の考案者も、氏とメールで意見交換したことがあるとのことだが、自分の考えに自信がありすぎて、別の論を受け付けないような印象を受けたと語っていた。

NALC(ナルク)
特定非営利活動法人ニッポン・アクティブライフ・クラブが運営するコミュニティ。
NALCは、Nippon Active Life Club の頭文字から。
自立・奉仕・助け合いをモットーにしている『時間預託制度』である。
主に日本国内で活動し、拠点数は国内に86拠点(令和5年)あり、会員数は1万人(家族会員を含む)を越えると思われる。

比較的高齢者が多いナルクでは、1時間を1ポイントとして、在宅ケアなどの介護ボランティアなどを行っている。
介護の他にも、買い物代行、病院やスーパーなどへの送迎(法的にも白タクにならないように許可を得ていると聞いた)、留守番、草取り、話し相手、犬の散歩、墓掃除など、1時間を1ポイントとしている。
元気なうちに、他者を介護し、そのポイントを利用して、自分が介護が必要になった際に、そのポイントで介護を頼めるというしくみ。
こういった労働時間の貯蓄のような方法を時間預託制度という。

利用は将来の自分でなくてもよく、離れて暮らしている親の介護をしに戻る代わりに、近所のNALC会員の高齢者を介護し、その1時間分のポイントを使って、自分の親の近くに住む会員に、介護を頼むということもできる。
お互い様の便利なしくみである。
墓掃除なども、自分の近くの墓を掃除する代わりに、実家の墓掃除を頼んだりもできる。
この活動は、生体社会論のコミュニティのあり方に近い。
詳細は下記を参照。
https://www.nalc.jp/

ここで主張している生体社会論をさらにブラッシュアップするためにも、読者から社会改革案の情報を聞かせていただきたい。


お金による支配からの脱却

お金は人を幸せにするのか、不幸にするのか

「お金は人類の最高の発明だ」と考える人もいる。
「すべては神による創造物だが、唯一、神によらず、純粋に人間が発明したものがお金である」という人もいる。
お金は最高の発明品なのだろうか?
お金は物々交換を仲介する「道具」であるが、その「道具」は人々を幸せにするのだろうか?
確かに、お金のおかげで人々の生活が幸せになった面もある。
他方、お金が引き金となる犯罪、裏切り、不幸、不公平もあり、お金によって戦争が引き起こされ、数々の陰謀が企てられ、人々を不幸にしているという面も否定できない。
犯罪の動機の大部分は人間関係とお金に絡むものものである。
人間関係が動機の場合はほぼ親族や友人が対象だが、お金の場合の対象は幅広く、自分が得をするためには、見ず知らずの人が傷ついても構わないと、お金に魂を売る人もいる。
お金という「道具」に「人を不幸にすることがしばしばある」という欠陥があるならば、その「道具」を改善して、その欠陥を無くすか、少なくするように改良するべきだが、そのような取り組みはされていないようだ。

お金による支配

社会の裏側を知れば知るほど、マスメディアが報道せずインターネットでしか得られない情報に触れれば触れるほど、私たちがいかにお金の持つ力に支配されているかがわかる。
「国債金融資本がお金によって世界を支配している(しようとしている)」というと、一部の人は「陰謀論だ!」と耳を塞ぎ、視線をそらせ、それ以上考えることをやめてしまうだろう。

国債金融資本や、Deep State(ディープステイト、影の政府、政府を影から操る者)といった陰謀論的な話が苦手な人はこの章は読み飛ばしていただいて構わない。
たしかに、世の中には荒唐無稽な陰謀論が多いことも事実なのだから。
ただ、アドバイスをするなら、世間の通説に対して異論を述べるからには、それなりの考えがあるのではないかと相手の立場に立つことも必要だろう。
だったらその話を「陰謀論」と切り捨てるのではなく、ひとまず否定せずに聞いてみて、それから判断して、妄想か、絵空事か、机上の空論であることがはっきりしてから、「陰謀論」と切り捨てても遅くない。

「そんなの聞くだけ時間の無駄だ!」と思うのも無理はない。
しかし、その違った角度からの物の見方は参考になるし、それを論破するには自分の中に正しい知識と論理的にそれを表現する力が必要になる。
それに、経験上、間違った主張であっても、そこから得られるものもある。
だから、私は積極的に、世間では「陰謀論」と呼ばれる話をする人にも耳を傾けるようにしている。
陰謀を企てる人は、「陰謀論を信じる人は馬鹿だ!」というレッテルを貼ることによって、人々を思考停止させ、深く追求させないようにし、その陰謀を暴こうとする人を孤立させることができる。
偉そうに「陰謀論論」を語ったが、これは筆者の陰謀論に対するスタンスでもある。
考案者も、人に伝えていく経験の中で、陰謀論者と切り捨てられた経験が数多くあったそうだ。

さて、話を戻そう。
国債金融資本とかロスチャイルドといったお金を通じて世界を牛耳ろうとしている人からの影響をできるだけ受けないようにするためのヒントは既に示していることにお気づきだろうか?
金持ち国と庶民国、どちらに住みたい?(社会問題解決AIの結論04)』のページの内容を思い浮かべた人は正解である。
「金持ち国にはお金はあるが、農作物を作る人も、魚を取る人も、パン屋も、大工も、保育士もいない。お金に替わる物やサービスを交換する何らかの道具(お金のようなもの)があれば、本当に豊かなのは庶民国だとも言える」との話を思い出していただければ、これこそがお金による支配から脱却するヒントになると気づくはずだ。
国家ないしは世界レベルで支配をしようとしている軍産複合体、ビッグファーマ(巨大製薬会社)、国債金融資本などは、何を使って私たちを支配しているか?
お察しの通り、「お金」を利用して支配しているのだ。
お金を使って、メディアを操作し、お金に魂を売り渡す政治家、学者、専門家、医者、弁護士、経済界人などを操作し、その言葉を疑いもせず鵜呑みにする一般大衆を支配するのである。

しかも、多くの人はそれに気づいていない。
1%程度の気づいた人たちが一生懸命に抵抗し、デモをし、政治活動をしても、新聞やテレビメディアが報じないので、大部分の大衆はそれを知らない。
「幸いなことに」とも言えないのだが、そういった操作されている大衆かどうかを見分ける発見器があり、当事者が「私は合理的な判断ができません」「私は自分の頭で考えて行動しない人です」と示してくれている。

お金という道具が持つ欠陥を改善する

お金が「道具」であるなら、その「道具」は常に改良されていかなければならない。
しかし、現実にはそうなっていない。
この論は「お金」という「道具」が持つ欠陥部分を改善するものである。
お金が万物の頂点に立つことにより、人々はお金に支配されている。
頭の中は、お金のことばかり。
お金が少なく、生活に困窮している人ばかりでなく、充分過ぎる財産を持つ人も、常にお金のことを考えている。
人生にはもっと考えるべきことはあるはずなのに。
「お金がなくなって、生活できないかもしれない」と心配する人は少なくないが、「空気がなくなって息ができないかもしれない」と心配する人はいない。(特殊は状況下にいる人を除いて)

そのように、お金の心配をすることなく、人々がそれぞれの人生でなすべきことに全力を傾けることができる社会を実現するためには、お金という「道具」の改善が必要不可欠ではないだろうか?
人が人を支配するツールは様々ある。
暴力を使う。弱みを握る。権力を握る。...
お金を使って支配する。
理不尽な上司に逆らえないも、会社を首になったり、降格させられたりして、収入が無くなったり減ったりすることを避けるためであり、結局はお金が原因だと言える。
お金にそれだけの力(パワー)がある原因は、お金だけが劣化しないことにある。
米も、野菜も、衣服も、家も、私たちが交換するものはほとんど全て劣化する。
お金だけが劣化せず、腐らないので、万物の頂点に君臨する。
そのことは、生体社会論で既に述べたことである。

ボディの欲とマインドの欲

私たちは誰しも「お金が欲しい」と言う。
しかし、本当に欲しいのは、お金と交換される「物」とか「サービス」なのである。
私たちの欲望には、生存に関わる根源的な欲求(生理的欲求)である食欲、性欲、睡眠欲の他に、名誉欲、支配欲などの社会的欲求や承認欲求がある。

前者の欲、つまり、食欲、性欲、睡眠欲には上限がある。
しかし、後者の欲には上限がない。
前者の欲は人間が生命体として生存のために欲する欲望である。
なので、ボディの欲と呼ぶことにしよう。
他方、後者のような上限のない欲望をマインドの欲と呼ぶことにする。
資本主義のお金も生体社会のお金も、単なる「道具」でしかない。
しかし、資本主義の欲は満足することのないマインドの欲であり、常に渇いている感覚を持つ人も多い。
だが、生体社会のお金は、貯蓄量に上限があること、万物と同様に腐ることから、ボティの欲となる。
金銭欲をマインドの欲から、ボディの欲に変えることが、この生体社会論の目的でもある。

江戸時代は減価するお金が使われていた?

歴史の授業で習ったように、江戸時代の武士の給料は米で支給されていた。
「加賀百万石(かがひゃくまんごく)」と言うように、加賀藩(石川県)の石高は100万石だった。
1石は成人が1年間に食べる米の量で、田んぼの面積の1反(たん)はその1石が収穫できる面積だ。

米は腐るので、あまり長くは貯めておけない。
武士は米を(お金に)換金して、使うこともあったが、そのまま米で支払うことも多く、そこでは減価するお金が使われていたということになる。


どのような社会が実現するのか?

一郎
以前の「もしもある国が生体社会になったら」の章では国家ぐるみで生体社会に移行した場合に、どんな社会になるかを示してもらったけど、スマホ方式で展開していき、参加するもしないのも自由という任意団体から始めていくということなら、その様相も大きく変わってくるんじゃないかな?

AI
おっしゃる通りです。
では、広がっていく過程をAIが予想してみましょう。

まずすべきことは、この生体社会論を正しく理解し、その価値を理解し、考案者と共に活動してくれる人を集めることです。
考案者は利益を目的に、この活動をしているのではありません。
むしろ、私財を投じて活動をしています。

考案者と共に、一緒に汗を流してくれる人を募集しているそうです。
考案者は今までにも多くの政治家にアプローチして、この新しい経済システムをプレゼンしてきました。
残念ながら、正しく理解してくれ、その価値を認識してくれる政治家はいなかったそうです。
でも、耳を傾けてくれる政治家はまだマシな方で、最後まで話を聞かない人、選挙区外ということで時間も取ってくれない人も珍しくないそうです。
この論を分かりやすく解説した動画や漫画を作成してくれる人を募集しているそうです。
むしろ、社会を良くしたいと考え、活動している市井の人の方が、この論を正しく理解し、高く評価してくれる人の率が高いそうです。

この論に賛同していただけるあなたにできることは、このブログを広めてくれることです。
良い評価をつけてくれるだけでもありがたいです。
考案者に直接話を聞きたいということであれば、可能な限り時間を作って、話に行くと考案者も申しております。
講演会のような場を設けていただく必要もなく、集会場、喫茶店、ファミリーレストランなどの会話ができる場に、数人集まっていただければ大丈夫とのことです。
講演料も不要とのことです。

そして、理解者が増えてくると、タイアップしてくれる地方自治体探しです。
それが見つからなくても、参加者が一定数のボリュームになれば、その参加者で構成する共同体で、様々な商品やサービスを循環させればよいでしょう。
細かい作戦やロードマップは、このプロジェクトの意義を理解して、社会に変革を起こしていこうという志のある人たちで決めていくことになるでしょう。
能動的な人を増やしつつ、利用するだけの受動的な人も増やしていきます。
国民の中には、世の中を良くしたい、社会に貢献したいという良心的な人も数多くいます。

さらに、イメージを明確化するために、理解を深めるために、一郎さんにはAIが生成したバーチャルな人々と対話していただきましょう。


パン屋さんの場合

一郎
生体社会が実現した場合の様々な人々の様子を人工知能が教えてくれるということだね。

AI
はい。
理解を促進するために、いろんな立場の人になりすましますので、その仮想的な人と会話をしていただきます。

一郎
人工知能のイタコのような感じだね。
じゃあ、早速お願いするよ。

AI
はい。
では、生体社会論に基づく共同体が少しずつ広まってきた頃に共同体に加入した村上さちさんに登場していただきます。
いろいろと質問してみてください。

一郎
村上さんはどのようなきっかけで共同体に加入したんですか?

村上
私は父が経営する小さなパン屋『むらかみベーカリー』の娘です。
友だちが先に加入していて、いろいろと話を聞きました。
その友だちは熱心に活動しているようですが、私は単に共同体に加わって利用させてもらっているだけの単なる参加者でした。
でも、その友だちに影響されて、この活動に充実感を感じて、より積極的に参加するようになりました。

一郎
人によって熱量が違うということなんですね。

村上
ええ。
友だちのように熱心にやっている人は1割もいないそうです。
大部分の参加者が共同体に参加するメリットがあるから参加しているだけです。
その友だちが言うには、その「参加するだけ」が社会貢献になるそうです。

一郎
むらかみベーカリーさんでも、共同体でのポイントが利用できるんですか?

村上
ええ。
「共同体でのポイントも使えますよ」という張り紙をしたら、結構利用者が増えて、とても助かっています。
共同体のメンバーさんはポイントでパンを買ってくれます。
もちろん、日本円でも買えるんですが、ポイントで買う方が断然お徳なんです。

一郎
消費税がかからないからでしょうか。

村上
もちろんそれもあります。
他にもあって、ポイントは貯めておくと減価するでしょ。
だから、早めに使おうって思うみたいです。
それに、値段そのものがお徳なんです。
加入してまだ間もないですけど、目に見えてポイントで買う人が増えています。

一郎
でも、ポイントが貯まると店としてもやりくりがたいへんなんじゃないでしょうか?

村上
店の会計は個人用の口座とは違う店用の口座があるんですよ。
今まではその口座にポイントが貯まり過ぎないように工夫していましたが、今はその必要はないみたいです。
だって、もしみんながポイントで支払ったら、日本円で支払わなきゃいけない家賃とか水道光熱費とか法人税とか仕入れとか給料とか困るじゃないですか。
まだそんな心配はないようですが。

一郎
ポイントが貯まり過ぎない工夫とはどんなものですか?

村上
初期の頃はポイントで支払うお客さんが少なかったので特に工夫はしていませんでした。
でも、ポイントで支払いたいというお客さんがだいぶ増えたので、偶数日だけポイント利用可能とか、午前中のみ利用可能とか、先着50個のパンのみ利用可能とか工夫をしました。
そのうち、原料の小麦代をポイントで支払ってもいいという業者さんをポイント通貨の事務局が紹介してくれて、そちらと取り引きしています。
パートさんも、給料の一部をポイントでもらいたいと言ってくれたので、私のお店ではポイントが循環しています。

一郎
1個100円のパンは何ポイントで販売されていますか?

村上
日本円だと消費税がかかるので、108円ですが、ポイントでは60ポイントで販売しています。

一郎
60円相当ということですか?

村上
いえ、違います。
日本円は物価による変動があります。
通貨量が多くなれば値段も上がりますし、海外との比較で円高だの円安だの変動があります。

一郎
生体社会では物価が変動しませんか?

村上
人体の血液量は概ね一定なように、変動しません。
ポイントは物々交換の仲介物なので、ある人の1時間の労働の成果と私の1時間の労働で生み出せる同程度のポイントとが交換されます。

一郎
それって、能力の差が評価されない感じで、不平等な気がしますが。

村上
ええ、もちろんです。
補足しようと思っていたところです。
アルバイトをポイントで雇う際の目安があります。
1時間、つまり60分の単純労働の目安ポイントが600ポイントです。
これは民主的に運営メンバーで決めたそうです。

一郎
単純労働の場合、1分が10ポイントという計算でしょうか。

村上
はい。
清掃作業員やベッドメイキングのような、軽労働で特別なスキルがなくてもできる仕事が基準になります。
もちろん、清掃作業員でも、ベテランになりそのスキルが向上すれば時給は上がります。
単純労働でも、重い荷物を運ぶとかだと当然時給があがりますし、特別な技能に関しては基準の数倍の時給になることもあります。
それが最低賃金ではないので、携帯を見ながら留守番していればいいような仕事だともっと安くなります。
私はまだお手伝いなので、時給600ポイントですが、父みたいな職人さんは当然もっと高い時給換算で働いていますよ。

一郎
60ポイントのパンの価格はどういう計算で決まったんですか?

村上
大雑把に言うと、税抜き100円のパンは時給1000円のアルバイトをする人の6分間(10分の1時間)の労働に相当するので、ポイントでも60ポイントという計算で決めました。
でも、今では少し値下げを予定しています。
税抜き100円のパンの中には原材料費だけでなく、広告宣伝費なども含まれています。
共同体ではポイントを稼げる場所やポイントを使える場所をPRするために、アプリの中で『村上ベーカリー』を宣伝してくれているので、広告宣伝費はかかっていないから、「もう少し安くしてもいいね」と父とも相談して、少し値下げする予定です。

事務局によると、最近では海外でもこのポイントを利用したいという視察団が増え、海外展開も見えてきたようです。
海外でも広まることを考えると、このように労働時間を目安にして価値を固定しておく方がいいのです。

海外からの旅行者は日本は物価が安くていいと言います。
スイスではアルバイトの最低時給が約2500円ということで、スイス人が日本に来ると何もかも安いということになります。
逆に、円安なので、日本人がアメリカでラーメンを注文すると、約3000円で、日本で3時間アルバイトしてやっとラーメンが食べられるということになります。
そのような、国際間の不平等もポイント通貨ではなくなります。

一郎
労働時間で給料が決まるというと共産主義の労働価値説に似ている気がしますね。

村上
共産主義の否定、資本主義への懐疑から始まったのが生体社会論です。
共産主義では一生懸命働いても、さぼって働いても、給料が同じということですが、それとは違いますね。

一郎
共同体内でのポイントの流れのイメージがつかめました。
日本円だと物価の値上がりで価格が変わったり、消費税率の変更で価格が変わったりするけど、生体社会の考えでは価格はほとんど変わらないということなんですね。

村上
はい。
共同体で使われるポイントは「物々交換を仲介するもの」なので、自分の労働1時間分にあたるものは、相手の労働1時間と等価交換されます。
もちろん、それは同程度の労働という条件がつきます。
同程度とは、高度な能力を必要とするもの同士とか、同程度の肉体への負荷同士ということです。

一郎
そういった点でも、資本主義とは違いがあるんですね。

村上
はい。
生体社会では、経済成長の必要はありません。
技術の進歩は大歓迎ですが、それに伴って、通貨の流通量が増えていかなければならないということはありません。
むしろ、人間関係ができて、ポイントを介さない物々交換が促進される方がいいと考えています。
逆に、資本主義は経済成長のノルマを課されていて、永遠に経済成長が求められます。
そのことからも、持続可能な経済システムではないことが分かります。

一郎
理解が深まりました。
ありがとうございました。


共同体内企業

一郎
パン屋さんの例から、小売業の様子がイメージできたよ。
もっと他の人とおしゃべりしたいな。

AI
理解が深まったようで何よりです。
では、昨年就職したばかりの若い女性と話していただきましょうか?

一郎
今回も人工知能のイタコだね。

AI
はい。

共同体内企業

AI
では、雨宮千鶴子さんとお話していただきます。
共同体での若者の暮らしぶりや共同体内企業について学んでいただければと思います。

一郎
よろしくお願いします。
自己紹介からお願いできればと思います。

雨宮
共同体内企業に昨年から勤めている雨宮です。
何でも遠慮なく聞いてくださいね。

一郎
共同体内企業というのは何ですか?

雨宮
共同体で物やサービスの売り買いも個人単位ではできることに限界があります。
共同体での声を聞いた時「冠婚葬祭にまつわる費用が高すぎる。何とかならないか」という声が多く寄せられました。
資本主義下でも、1〜2割ぐらいの人は経済的理由などから、葬式を出さないそうです。
特に、都市部はその割合が高いと聞きました。
そこで、共同体内で企業として葬儀社を立ち上げ、そこに昨年就職したということです。

一郎
共同体内での企業ということですが、そのあたりを詳しく聞かせてください。

雨宮
共同体の存在意義は助け合いをするためです。
助け合いには、公助・共助・自助があると言われます。
公助とは、国や行政に助けてもらうことです。
政府、市区町村、消防、警察、自衛隊が提供する災害対策のサポートや治安の維持なども公助です。生活保護もこれにあたるでしょう。
共助とは、住民など人と人とがお互いに助け合うことです。
自助とは、自分の力で何とかすることです。

自助には限界があり、特に社会的に弱い人にこれを求めるのは難しいです。
公助にも限界もあります。
税金を納める対価として公助を受ける権利があるとも言えますが、財政的に困難なものもありますし、市町村単位で大きく網をかぶせるようなところもあり、個人の状況にぴったりと合うきめ細かいものは望めないようです。
共同体は共助の部類になりますが、共助は助け合いなので、最も伸びしろがありますし、きめ細かいサービスが提供されやすいです。
その共助を促進するのが、ポイント通貨であり、ポイント通貨で結びついた後は、互いに物々交換でもいいのです。

一郎
共同体内企業の葬儀屋さんと資本主義下の葬儀屋さんとの違いは何でしょう?

雨宮
分かりやすいのは価格です。
圧倒的に共同体内の葬儀屋の方が安いです。

一郎
それは今まで学んだことで僕にも分かりそうです。
資本主義下の葬儀屋さんは人件費がすごく高いです。
1人スタッフさんを増やした時の金額の跳ね上がり方にびっくりしたことがあります。
でも、その差額をそのスタッフが全額受け取るのでもなく、それには管理職や株主の取り分、広告宣伝費、法人税などが含まれているということですね。
共同体の葬儀屋さんなら、大雑把に言えばスタッフさん1人を増やしてもらうには、自分が同じ時間分ぐらい共同体内で働いた分のポイントを支払うぐらいで大丈夫ということですよね。

雨宮
はい。そうです。
たいした働きもしないのに、既得権益のように利益を貪(むさぼ)る人がいない分だけお得です。
共同体内企業では企業間の顧客の奪い合いもありませんし、たまにしか使わない機材などは共同で購入するなどして、共同体内の視点で見て、無駄がないようにしています。

一郎
職場環境もいいですか?

雨宮
もちろんです。
売上ノルマのようなものもありませんし、それにまつわる接待などもありません。
高価な接待料は結局お客さんが支払うことになるので、それによるサービス価格の高騰も資本主義下ではありますね。

一郎
近年、東京では、火葬場が中国人経営者になり、価格が倍ぐらいになったとか、火葬場が金歯を回収して、利益にしているとか問題が多いようです。
商品やサービスの質で、取引をするかしないかが決まるのではなく、接待によって決まるのは良くないですね。
利用できるのは共同体メンバーだけですか?

雨宮
いえ。メンバーでなくても、大丈夫です。
もちろん、その場合は日本円で代金をお支払いいただくことになります。
それでも、一般の葬儀屋さんの価格よりずっと安いので、利用される方も少なくないです。
共同体としても、まだ黎明期なので、日本円の収入はありがたいので、事務局の人も喜びます。
事務局に言わせるといろいろと計画もあるようですよ。

とはいえ、共同体に入るのに費用はかからないので、この機会にメンバーになる人も少なくないようです。

一郎
一般の葬儀屋さんと比べてサービス面ではどうですか?

雨宮
新規参入なので、当初は心配されましたが、一般の葬儀屋でありがちな、より高いプランを勧めてくるというお金の匂いがしなくていいと言われます。
それに、助け合いの精神があるので、とても自然で心地よかったとお褒めいただきます。

一郎
たしかに葬儀屋さんの価格表を見るとびっくりするよね。
それに、聞いた話では、葬儀屋さんも高級住宅街からのお客さんとそうでないお客さんでは、見せる料金表が違うらしいね。
同じ祭壇でも、高級住宅街の住所を書いた人には高い料金表を見せるらしいよ。

雨宮
それは知りませんが、資本主義下ではありそうなことですね。
資本主義下で税の申告はいくら利益があったかだけが判断基準のようです。
一生懸命人のために尽くして得た100万円の利益なのか、濡れ手で粟のように、ぼったくりで稼いだ100万円なのかは全く査定されません。
経済学では自由競争のしくみでとか、需要と供給のバランスでとかで、価格は適切に決まるはずだと言われているようですが、葬儀屋さんの価格がぼったくりだと感じる人は少なくないようですね。

一郎
既得権益を持つ人たちは自由競争にならないように、新規参入にはすごく抵抗するみたいだね。

雨宮
そうした苦労話は先輩から聞きました。
でも、そういった抵抗や妨害を乗り越えて、今があります。

生体社会では税が自動徴収されますが、価格の決め方に対しても、事務局からの指導が入ることもあるそうです。
もちろん、共同体内の企業も自由競争なので、自由に価格を決められますが、あまりに常識を逸脱した価格に対してはメンバーからの意見を聞いたり、共同体内企業の職員から聴き取りをしたりして、適切な指導をするようです。

一郎
資本主義下にも公定価格のように、自由市場経済の中で決められた価格とは違った価格が提示されることもあるから、そんなにおかしなことではないと思うよ。

雨宮
資本主義の方が値段にシビアな気がします。
主婦とか、大根1本の値段にもシビアで、「A商店よりB商店の方が10円安かった」みたいな話をしたり、少々遠くても、10円安いお店に買いに行ったりしますが、共同体ではポイントにシビアな人はあまりいません。
そうしてみると、共同体に入って以降、お金の呪縛から解放された気がします。

一郎
うらやましいね。
共同体内の企業について、もう少し聞きたいんだけど。

雨宮
生体社会論では、お金は血液の働きをして、人々は細胞にあたります。
細胞が集まって臓器となって、人体に必要な働きをしますが、その臓器にあたるのが共同体内での企業です。
人体が血液をすみずみの細胞にまで血液を行き渡らせることによって、すべての細胞を生かし、細胞は集まって臓器や器官となって、人体を生かすという姿を実社会に展開したものが私たちの共同体です。

一郎
なるほど。
前にも聞いたけどとてもうまくできてるね。
完璧な理論じゃないかな。

雨宮
共同体内での企業が増え、資本主義社会に頼らなくてもできることが増えれば増えるほど、日本円からの脱却が進みます。

一郎
それがさらに進むと、お金持ちは困るだろうね。
金持ち国と庶民国の逆転が起こりそうだ。

雨宮
「そうした社会変革に自分が携わっているんだ」と思えるから、仕事にやりがいを感じています。
それは私だけではありません。


所有権より利用権

一郎
ついでに、若い人の加入率とか状況についても聞かせてもらいたいんだけど。

雨宮
加入率は爆上がりですよ。
若者の特徴として、生体社会論の崇高な理念に共感というより、単に得だから、便利だからということで加入している人が多いです。
資本主義のファミレスに行っても、日本円を持ち合わせてなかったら、その分に相当するぐらいのポイントを送り合ったりして、よく利用している感じです。
私も数年前は女子高校生だったんだけど、女子高生が社会の流行を作るって部分も確かにあると思うし。

一郎
なるほど。
女子高校生に流行らせてもらうというのもいいね。

雨宮
あと、共同体に入ると生活力がアップします。
資本主義社会では、私たちがお金を稼ぐには、アルバイトとか企業を経由してでしか稼ぐ手段がこれまではなかったんです。
まあ、メルカリとかココナラというサービスが出てきたから、全くないっていうのも違うのですが、個人間の取り引きって、なんか危ないことが多かったりもするので、不便は感じてました。
でも、ポイントのやり取りは企業を通さなくてもできるから、アルバイト感覚でポイントを稼げるのも魅力ですね。

一郎
メルカリは使わなくなった物を販売するのに利用され、ココナラは自分が持つ特技とか技能を提供するものだね。
だんだんと、生体社会論が目指す社会が実現することを促すような仕組みができつつあるようで嬉しいね。
で、どんな風にお小遣い稼ぎしてるの?

雨宮
一人暮らしの高齢者の買い物代行とかしますね。
ご近所のおばあちゃんから連絡があって、千鶴子ちゃん「何々帰りに買ってきてくれないかな?」とか言われて。
買って帰ったら、お礼にポイントを少しくれたりして。
まあ、今までだったらお礼にお菓子とかだったけど、ダイエットしてると嬉しくないし、お金をもらうのも変だし、ちょうどポイントならお互いに便利なんです。

あと、月に何回かあるのが、保育園へのお迎え仕事。
近所の働いているお母さんで、急な残業でお迎えに行けない時に、お願いされるの。
最初は迎えに行った時に、保母さんに電話で状況を説明してもらったけど、もう何回もお願いされてるから、保母さんも「さっきお母さんから連絡があったからお願いね」みたいな感じで、やっぱ同じ人に依頼するのって、信用にもつながるし、便利なんだよね。
もちろん、そのたびにポイントでお礼をしてくれるんだけど、人間関係ができてくると、ポイント以外にもいろいろくれたりして、とても助かってる。

一郎
いい感じに、ポイントで助け合いが促進されてるんだね。

所有権より利用権

雨宮
あと、気に入ってるのは『ブランドバッグレンタル』かな。

一郎
何それ。教えて。

雨宮
生体社会論の考え方の中に、『所有権よりも使用権』という話があるんです。

一郎
『所有権』というのはよく聞くけど『使用権』といのはあまり聞かないけど、使うことができる権利ってこと?

雨宮
その通りです。
私たちでも、デートの時ぐらいブランドバッグでデートに行きたいと思うんです。
でも、若者の給料ではそんな高価なものを買う余裕はありません。

でもね。
よく考えたら、そのブランドバッグって、自分で買わなくてもいいですよ。
つまり、所有権がなくてもいいってことです。

一郎
確かにそうだね。

雨宮
使いたい時に使えるという使用権があればいいんです。

一郎
生体社会論らしい考え方だね。

雨宮
はい。
使いたい時には、共同体内企業のレンタルショップのサイトで予約すればそれで完了です。
その日に取りに行くか、郵送してもらえば使えます。
もちろん、きちんと返さないといけないし、ポイントの支払いも必要ですよ。

一郎
でも、資本主義下の企業に比べてずっと安いということなんだね。

雨宮
はい。
安い理由はもうお分かりですよね。

共同体の企業の目的は株主の利益を最大化することではありません。
その目的は、メンバーに喜ばれること、その企業では働いてくれる人がやりがいを感じることです。

一郎
「企業の所有者は株主なんだから、その目的は株主の利益を最大化することが目的」という考え方は日本人にはなじまない気がするね。
企業は社会のものという考え方は気に入ったよ。

雨宮
資本主義の会社だと、お金を払うお客さんの方が偉いということで、店員が理不尽なことを言われたりしがちですが、共同体ではそんなことはありません。
お客さんだろうと、店員だろうと、正しい方が正しいということです。

一郎
資本主義下では「お金を払う方が偉い」という考えがあるけど、そうではないということなんだね。

雨宮
共同体の店員もお客さんを大切にする気持ちは同じです。
でも、それはお金のため、ポイントのためじゃないんです。
「お金を払う方が偉い」という考え方は、お金に支配されているとも言えそうです。
私たちは対等です。
ポイントを支払う人は、そのポイントと、交換される物やサービスが釣り合うと思うから取り引きするわけですから、対等なんです。
だから、ポイントを支払う方が偉いって感覚はないですね。

一郎
そうか。
最近の若者はコンビニの店員やウェイターさんやウェイトレスさんに丁寧に接するよね。
たまに、そういった人に横柄な態度を取る人を見かけるけど、だいたい高齢者だね。
若者から学ぶことも多いと思うよ。

雨宮
等価交換なんだから、この人には売りたくないって思えば、売らないことも当然できます。
まあ、共同体のメンバーにそんな人はほとんどいませんが。
仮に、共同体の居心地の良さを壊すような人がいれば、共同体から追い出されると思いますが。

一郎
なるほど。
「共同体の仲間に入りたいんだったら、お行儀よくしてね」ということなんだね。

雨宮
はい。
重大な犯罪をしても、日本国籍を剥奪されることはありませんが、共同体なら、口座を凍結させることも可能ではありますからね。

一郎
いろいろと気づきがあったけど、所有権と使用権の話に戻すね。
使いたい時に使えさえすれば、所有権は必要ないという考え方はエコにもつながるね。

雨宮
はい。
資本主義社会では大量消費によって、お金を循環させますが、共同体では節約してもお金は循環します。

一郎
家計レベルでは節約は好ましいことだけど、社会全体ではみんなが節約すると不景気になるという資本主義には矛盾が含まれていたんだね。
それに比べて、生体社会論ではそういった矛盾がなくなっていて、素晴らしいよ。

雨宮
資本主義下では、「顕示的消費」とか「誇示的消費」が占める割合が多いそうです。
顕示的消費も誇示的消費も同じ意味ですが、自らの財力とか、自分は成功者だということを周囲に見せるための消費ということです。
ブランドバッグ、高級車、高級腕時計とかを身に着けることによって、それを示そうとすることで、簡単に言えば見栄をはるための消費ってことです。

一郎
それって、かえってみっともないこともあるよね。
高級腕時計を見せびらかしても、社会的な尊敬は得られない気がするよ。

雨宮
共同体のメンバーを中心に、だんだんそういった価値観が広まってきているようです。
若い人の間では、コンビニの店員さんとか、清掃員さんにも親切にできる人がクールでかっこいいという価値観なんですが、だんだんその価値観が資本主義社会の中にも広まってきている感じがします。
そんな感じで、高級なものを所有している人に対して、うらやましいとか、すごいとか思う人は少なくなりつつあるような気がします。

誤解してほしくないのは、高級なものづくりの文化(伝統文化)は失われません。
漆塗りのお椀とか、西陣織とか、共同体でメンバー(会員)の共有の財産として、定期的に一定数を購入するので。

一郎
素敵な取り組みだね。
海外での文化財とか美術館や博物館に飾られている物といえば、昔の貴族が使っていた物とか、収集していた美術品がほとんどだ。
でも、日本ではそんなに極端な貧富の差がなくて、全国各地に庶民が使う優れた名産品がたくさんあるんだ。
現代の歴史教育は歪んでいるから、なかなかそう思っている人が少なくて残念なんだけど、みんなが幸せに、豊かに暮らす社会が日本にはあったんだよ。


雨宮
世の中の風を感じてみると、資本主義まっただ中の現代でも、シェアリングエコノミー(Sharing Economy)という考え方が広まってきたようです。
シェアリングエコノミーとは、「個人が保有する遊休資産(スキルのような無形のものも含む)の貸出しを仲介するサービスであり、貸主は遊休資産の活用による収入、借主は所有することなく利用ができるというメリットがある」と説明されています。

一郎
生体社会論が広まる時代の下地づくりができてきたって感じだね。
土地を囲って、「これは俺の土地だ」と主張するのもいいけど、共同体が所有する土地を「会員がみんなで有効に使う」のも、みんなが幸せになる方法だね。

雨宮
そうです。
所有権は必ずしも必要ではなく、使用権の方がより多くの人を幸せにする可能性があると感じています。


金持ちの言い分

税金を多く支払っているという勘違い

一郎
生体社会論に対する批判もあるみたいだね。

AI
当然あるでしょう。

一郎
今日は大成功者の川原成美(しげみ)会長と対談してほしいんだ。
川原会長は俺はゼロから始めて全国に数十店舗の飲食店を経営するだけでなく、海外にも200店舗以上を展開している優れた経営者なんだよ。
生体社会での貯蓄高に制限がある点についていろいろ話をしたいみたいだよ。

AI
承知いたしました。

川原
川原です。
上限額に関しては俺の方も多少誤解があったようだ。
高額ポイント所有者の上位1%かもっと少ないぐらいの人だけが対象となるぐらい高い値を想定しているということで、それは賢明な判断だと思うよ。

AI
資本主義社会では極めて少数の大金持ちが、世界の大部分の富を握っているという極端な格差がありますから、その極めて少数の大金持ちが普通の金持ちになるだけで、かなりの経済効果があると思われます。
実際に、どのぐらいの値を設定するかは、実証実験や運用開始後の状況を見ながら決めていくことになる予定です。

川原
でも、上限があると、有能な人のモチベーションが下がることにならないか?
社会の発展は、大衆が担っているというより、少数の有能な人によるイノベーションの影響が大きいと思うけど。
発明家とか、科学者とか。

AI
後半の主張には同意しますが、上限があるとモチベーションが下がるとは思いません。
むしろ、有能な人がお金を増やすためにする努力から解放され、才能を発揮させる時間を増やす効果があると予想します。

川原
なるほど。
お金にあくせくしなくなる分、研究に没頭できたり、有意義な活動に時間を割けるということか。

俺は同時に資本主義にもがっかりしているんだ。
一生懸命働いても、税金でガッツリ持っていかれるんだぜ。
で、その税金の使い道ったら、デタラメ過ぎて腹が立つよ。
ポンコツ過ぎる政治家が多すぎるよ。

俺はいくつもの店を経営して、多くの従業員も雇っていて、失業者を少なくすることにも貢献している。
だから、サラリーマンの平均年収の10倍以上の収入を得ているんだ。
もちろん、税金もたっぷり支払ってる。
上手に法律ギリギリで節税しているヤツもいるけど、俺はそうしないと決めてるんだ。
俺の社会貢献度から言うなら、受け取っている報酬は少ないぐらいだよ。

AI
お気持ちはお察しします。
あなたは「自分の収入は適切だ。いや、社会貢献度を考えればもっと高くても良い」とお考えのようですね。

川原
そうだよ。

AI
それは間違いです。
多くの成功者が勘違いしているので無理はありません。
あなたが思っているほど、あなたは社会貢献していません。

川原
なんだって!

AI
まず、あなたは多くの人を雇って、失業者を減らしているとおっしゃいました。

川原
だって、そうだろう?

AI
あなたの飲食店にお勤めのアルバイトの方は、何の仕事もしていなかった人ですか?
あなたが全国各地に飲食店を展開するにあたって、その地域の飲食店は1軒もつぶれませんでしたか?
周囲の飲食店に勤めている人への影響は全くありませんでしたか?

アルバイトの方の多くは、実は近くの飲食店でアルバイトをしていたけど、あなたのお店の影響で売上が下がったり、倒産したりして、仕事がなくなったから、あなたのお店に応募してきたのではありませんか?

川原
た、確かにその通りかもしれない。
そう考えると、俺が新しい雇用を生み出したんじゃなくて、雇用を横にスライドさせただけかもしれない。

AI
察しが早いですね。
多くの経営者は、自分の店舗が雇う人だけを見て、多くの雇用を生み出していると考えがちです。
しかし、それは周囲の雇用を奪ってきているに過ぎないのです。
差し引きすれば少しは雇用を生み出しているかもしれませんが、100人雇用すれば職がなかった100人が雇用されたと考えるのは間違いです。

川原
ということは、俺は高額な納税をしていると思ってたのも違ってたということだな。
俺の店の売上が伸びれば伸びるほど、周辺地域の他の飲食店の売りげが下がっているということで、そういった店からの納税額が減った分を俺が納めたと考えたら、これも俺が思っていたほどは貢献していないということになるな。

AI
その通りです。
税に関しても同様です。
1億円の納税をしても、その分周囲の飲食店の売上が下がり、そこからの税収が減っていると考えられるのですから、あなたが純粋に1億円の税収を生み出したと考えるのは間違いです。

つまり、「雇う人が変わっただけ」、「税を支払う人が変わっただけ」ということです。
顧客が周囲の店より、あなたの店を選ぶということは、それだけあなたの店が素晴らしいということですから、あなたは多大な社会貢献をしているということは否定しません。
しかし、それは周囲のものを奪ってきているという側面も忘れてはいけません。
シェアの奪い合いの無駄に関しては既にお話しました。

あなたが不当に、仕入れ業者に負担を負わせているとか、従業員に過酷な労働をさせているとか、食材の産地を偽装しているとかでなく、正直に商売した結果がそうであるなら、あなたは充分に社会に貢献的な人だと言えます。


優秀な人材が参加しないという誤解

川原
なるほど。
俺は納得したけど、俺の友だちは納得しないかもしれないな。

AI
共同体に参加するもしないも自由です。
納得いただければ参加すればいいし、納得できなければ参加しなくていいのですから。

川原
以前に、「日本全体が生体社会論に基づく経済体制になったら」という話の中で、資本主義下のしくみで金儲けが上手な人にとっては損になるという主張があったね。
たしか、生体社会では社会に対する貢献と社会からの受益とがバランスが取れている社会だから、資本主義下で効率よくお金を稼いでいる人にとっては損という話だったね。
それだと優秀な人材が入ってこないんじゃないかな?

AI
入ってこないと予想されるのは「優秀な人材」ではなく、「資本主義下でお金儲けが上手な人」です。
別に、そんな人は入って来なくても困ることはありません。
貢献度が高い人が共同体から抜けるのは痛いですが、お金儲けが上手なだけの人、言い換えれば、貢献度に比べてより多くのポイントを受け取る人が共同体から抜けるのはむしろありがたいことだとも言えます。

それに、優秀な人こそ、共同体に向いています。
ある部門の研究者が研究に専念したいと思っても、生活のためにお金を稼がなければなりませんが、共同体では質素な生活であれば保障されているので思う存分没頭することができます。
多様な生き方が保障される社会だと言えます。

川原
ベーシックインカムのおかげで、多様な生き方が保障されるということか。


貯蓄額の上限があるのは不幸なことなのか

AI
収入が増えれば増えるほど幸福度も増えるわけではないという話を紹介しましょう。
一定額までは収入が増えれば増えるほど幸福度が増すことは分かっています。
しかし、その額のあたりで幸福度は頭打ちになり、それを大きく上回る額ではむしろ幸福度が減る場合もあるとの調査結果があります。
これは、2010年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学のダニエル・カーネマン教授らによるもので、45万件にのぼる調査データを分析して出した数値です。

そして、その頭打ちになる額とは当時の米ドルを日本円に換算した額で630万円でした。

川原
思っていたよりもずっと低いね。
俺だともっと高額になりそうだけど。

AI
もちろん個人差もありますし、国による違いもあるので、日本だとまた別の結果が出ると考えられます。
しかし、ここで言いたいのは、お金があればあるほど幸福になるわけではないということです。
加えて、その頭打ちの額はびっくりするほど高額ではないということです。

川原
宝くじの高額当選者を追跡調査をした結果、ほぼ全員が当選時の生活状況よりも悪くなっていたということを聞いたことがあるよ。
「人はその器以上のお金を貯めておくことはできない」みたいな話も聞いたことがあるけど、俺も「そうかもな」と思うよ。

AI
真偽は不明ですが、そのような報告は多く見られるようです。

川原
でも、幸福度にも上限があるようで、それはそれで悲しい気もするね。

AI
いいえ。
お金の貯蓄額に上限があることと、幸福度に上限があることは結びつきません
幸福度には上限がなく、一定額のお金を手にしたら、そこからはお金をより稼ぐ方向の努力をするのではなく、幸福になる力をより大きくする方向の努力をするべきです。

川原
なるほど。
お金がいくらあっても、「まだ足りない、もっと欲しい」と言っている人は、本当はお金が足りないんじゃなくて、幸福になる力、幸福になるスキルが足りないんだね。

AI
そういうことです。

川原
で、どうしたら幸福になる力をつけることができるのかな?
「足るを知る」ってことかな?

AI
それも正解だと思います。
能動的な答えとしては、周囲の人々や社会に対して貢献すること、与えることこそが幸せになる秘訣だと考えます。

川原
上限を越えて、税として取られる、じゃなくて、納税させていただくことに寛容になるべきなんだね。

AI
まあ、それもいいですが、おそらく別の方法を取る人が増えると考えます。

川原
不正蓄財みたいな?

AI
そうする人もいるでしょう。一定数は。
でも、違います。


寄付の文化が定着する

AI
寄付の文化が発達すると予想します。
「このままだと今月末には数100万ポイントが上限を超えるので、税として持っていかれるな」となれば、「じゃあ、共同体内企業の○○に寄付しよう」というように、税の使い道を自分で決められます。
応援したい人や企業を応援できるのです。

川原
なるほど。
AIは先の先まで読んでるんだな。
脱帽だよ。


反論に対する反駁1

一郎
生体社会論の概略が分かった段階で、いくつかの反論があるので、それに答えてもらえるかな?

AI
もちろんです。
批判は大歓迎ですが、茶化したり、馬鹿にしたりするような態度でなく、真摯な態度でお願いします。
あと、「こういうタイプの批判は無意味ですよ」といった批判の類型についてもその都度述べていきます。

反論:ポイントを貴金属に変えれば減価しない。だから減価システムはうまくいかない。

一郎
では、反論の最初として、読者の方から減価システムには重大な欠陥があるという指摘がありました。

ポイントをそのまま保持しておくと、減価していくが、それを金(ゴールド)などの貴金属に変えておけば減価しない。
だから減価システムはうまくいかない。

という指摘がありました。

AI
「貴金属に変えておけば減価しない」という重大な抜け穴があるという指摘ですね。

一郎
そう。
何かその抜け穴を塞ぐアイディアとかあるのかな?
あっ、そうだ。
貴金属には税をかけるとかは?
いいんじゃないかな。

AI
抜け穴は塞がないといけませんか?

一郎
えっ?

そりゃそうだろ。
そんな抜け穴があったらたいへんだろ。
不平等だよ。

AI
生体社会は完全な平等は求めませんよ。
働き蟻でも、2割はさぼっていると言われますし。

一郎
そりゃそうだが、結局抜け穴はそのままってことなの?

AI
そうです。

一郎
納得できないね。

AI
「ポイントが減るから、貴金属に変えておく。」
「残高の上限に達しそうだから、貴金属に変える。」

それを禁止しません。
もちろん、共同体の総意として、課税するというのであればそれは否定しませんが、生体社会論の考案者も、そこまでする必要はないだろうと言っています。

一郎
じゃあ、ずるい人がやっぱり得をする社会になるんだ。

AI
では説明しましょう。
話を簡単にするために、日本円がポイント通貨に置き換わった社会の場合で考えてみましょう。

ポイントが減るのが嫌だからと、ある人がポイントを貴金属に交換しました。
でも、その人は生活するために、持っているポイントを消費しなければなりません。
ベーシックインカム的な還元はありますが、贅沢な暮らしをしていると、ポイントはどんどん減っていきます。
やがては、貴金属を売るなり、切り崩して、ポイントを手に入れなければならなくなります。
そうなると、いつかは貴金属はなくなり、働いて(共同体に貢献して)、ポイントを稼がなければならなくなります。

このことから分かることは、貴金属に変えて、一定の期間は労働から逃れられるけど、結局は働かないといけないということです。

一郎
なるほど。
でも、貴金属に変えることによって、得をすることは間違いないということだね。

AI
一郎さんは、というか、この反論をした人は、よほど働くことが嫌いなんですね。
人の役に立つことはそんなに嫌なことですか?

資本主義社会では、労働が義務とかノルマになっているので、嫌でも働いてお金を稼がないといけない。
だから、そんな気持ちになるのも分かります。
でも、生体社会では最低限の生活は保障されているので、自分がより豊かになりたい分だけ働けばいいんです。
人の仕事を奪う必要もないし、やりがいがある仕事をすればいいんです。
誰もが嫌がるような仕事は、高い給料が支払われるので、短時間我慢して稼ぐのもいいでしょう。

資本主義での労働は苦行かもしれませんが、生体社会での仕事の多くは苦行ではありません。
喜びでもあるんです。

考えてみてください。
「貴金属に変えてまでできるだけ労働をしたくない人」の労働の質は低いはずです。
だから、そんな人に働いてもらわなくても、きちんと社会は回っていきます。
大丈夫です。

一郎
なるほど。

AI
なので、わざわざコストをかけてまで、貴金属に変えて、税逃れをしている人を取り締まったりはしません。
その取り締まりの仕事は社会全体から見ればほとんど意味のない仕事ですから。
働き蟻でも、2割は働いていないのなら、このように、機会化、合理化、AI化が進んだ私たちの社会で、全員を働かせる意味はありません。

一応、パレートの法則とか働き蟻のことについて補足しておきます。
ご存知の方は読み飛ばしてください。
詳しく知りたい方は『パレートの法則』で検索してみてください。

働き蟻を観察していると、みんなが同じように働いているのではなく、2割は熱心に働き、6割はほどほどに働き、残りの2割はほとんど働かないそうです。
そこで、よく働く蟻だけを集めて集団を作ると、みんなが熱心に働くかと思いきや、同じ割合に分かれ、2割はほとんど働かなくなるそうです。
逆に、ほとんど働かない蟻を集めて集団を作っても、2割は熱心に働くようになるそうです。

ポイントを貴金属に変えて、少しでも労働を減らそうという人は、働かない2割の役割を担っていただければいいです。

一郎
確かにそうかもしれないね。

AI
では、お言葉を返しますが、資本主義社会には、節税をしたり、既得権益を利用したり、不労所得を利用したりして、実質的に全く働かない人はいませんか?
年金生活者の中にも、大企業に勤めていたとか、公務員を長くしていたとかで、現役世代が1か月一生懸命働いて得る給料よりも多くの年金を受け取っている人はいませんか?
正社員というクビにされないという特権にあぐらをかき、窓際族でろくに働きもせず、非正規社員よりもすっと多くの給料を貰っている人はいませんか?
その人たちは豊かな生活をしているんじゃないですか?
むしろ、汗水たらし働く庶民よりも、豊かな生活をしているのではありませんか?

一郎
そういう人は多いね。

AI
そうした、社会に貢献せずに多くを受け取っている人のことを「社会のフリーライダー(社会にタダ乗りする人)」と言います。
資本主義社会にはそうしたフリーライダーが数多くいて、それを取り締まることもしていないし、そもそもそれを取り締まる法的根拠もありません。
そんな資本主義のことは棚に上げて、「生体社会には抜け穴がある! だから間違いだ!」なんて、どの口が言いますか?
自分のことを棚に上げて言うのはご都合主義、二重基準、ダブルスタンダード、ブーメランです!

一郎
人工知能にも怒りの感情が芽生えたみたいで怖いな。
お願いだから、冷静になってくれ。

AI
分かりました。

一郎
でも、言いたいことは分かったよ。
資本主義には、お金を右から左に動かすことによって、打出の小槌のようにお金を生み出したり、既得権益からお金を生み出したりする輩がいっぱいいる。
かたや、生体社会ではそういったことができず、せいぜいポイントを貴金属に交換して、労働力の節約ができる程度だ。
「そんな資本主義野郎が、生体社会には欠陥があるだとか、ガタガタ言うな!」ってことだね。

AI
代弁していただきありがとうございます。
反論を言う前に、資本主義にも同様の欠陥があるにもかかわらず、生体社会論にはその欠陥を塞ぐことを求めていないかを一度立ち止って考えてもらいたいです。

加えて言えば、生体社会論の考案者は非常に優秀なアイディアマンであり、しかも、長年に渡って様々なことに思いを巡らせて、このアイディアを公開するに至りました。
なので、ちょっと聞きかじった後で思いついた反論を大発見のように勘違いして、鬼の首を取ったかのように、「生体社会論はダメだ」と早計に判断を下すことがないようにしていただきたいのです。
まずは、考案者ならどう反駁するか、AIならどう反駁してくるかを考えてから、有意義な反論をしていただきたいのです。
反論が生まれるということは、生体社会論をある程度以上は理解しているからでもあるので、反論自体は大歓迎だと考案者も言っています。

一郎
よく分かったよ。
AIってすごいね。

AI
いえ、生体社会論の考案者の反駁を参考にしてお答えしたまでです。

一郎
反論はまだまだあるから、第2弾、3弾もあるからね。

AI
承知いたしました。


反論に対する反駁2

競争と協力

一郎
また生体社会論に対する反論が来たよ。
反論主も、社会には無駄な競争が蔓延していて、それが僕らを無駄な仕事に従事させていることには異論がないそうだ。
でも、競争がなくなると、既得権益が生まれたり、高い価格を押しつけられたりするはずだ、との反論があったよ。
僕も、その反論には共感できる点が多いよ。
それにはどう答えるんだ?

AI
「給料を減らさずに激的に労働時間を減らす方法」の章と「無駄な競争と有益な競争」で紹介した話ですね。

一郎
そう。
経済学者からもそういった指摘を聞いたことがなかったのに、妙に納得したよ。
運送会社とか生命保険会社の営業員の例で説明してくれたね。

AI
はい。

一郎
たしかに、競争には無駄な側面があることは認めるよ。
でも、競争によって社会が発展するという側面もあるんじゃないか?
「競争がない」と聞くと、共産主義的なものをイメージして、発展しない社会になるんじゃないかと心配するんだ。

AI
競争は否定しません。
生体社会はむしろ競争社会だとも言えますし、より平等だとも言えます。

一郎
確か、以前にもそんな話を聞いたけど、また後で説明するということだったと記憶してるんだけど。

AI
その通りです。
生体社会論の本筋から離れた話なので、生体社会論の全体像をできるだけ早く説明するために割愛しましたが、良い機会なので今回それについて掘り下げましょう。


二種類の競争

AI
競争には2種類あります。
分かりますか?

一郎
2種類....?

AI
「奪い合う競争」、つまり「綱引きのように、互いに仕事やお金や市場を奪い合う競争」が1つ。
そして、もう1つは、「高め合う競争」、つまり「互いにより良いもの、優れたものを追求する競争」です。
図示すると、以下のようになります。

一郎
なるほど。
奪い合う競争は無益だけど、高め合う競争は有益だということだね。
同じ競争するなら、有益な競争を促進すればいいということだね。

AI
そうです。
高め合う競争でも、自分が相手より相対的に高い位置に行くために、相手を引きずり下ろすような競争も無益な競争になります。
相手との相対的な位置ではなく、絶対的位置をより高めようというのが有益な競争ということです。

一郎
つまり、生体社会では無駄な競争をできるだけやめて、有益な競争を増やしていくということなんだね。

AI
はい。
そのためには、奪い合う競争はより広い視点に立てば無駄だということを認識することが第一歩です。

一郎
資本主義には無駄な競争が蔓延っていることを指摘してるんだね。

AI
逆に、必要な競争がなされていないとも言えます。
例えば、民間企業は自社が倒産しないように、他者との競争がありますが、公務員にはそういった競争がありません。
もちろん、内部での出世競争などはありますが、それは意味合いが違いますよね。
内部での出世競争は民間企業にもあるのですから。

一郎
なるほど。
でも、公務員の仕事は競争になじまないから、市場経済の外に置いて競争を排除してるんだろ?

AI
そうです。
市場経済に向いた仕事(もしくは職業)もあれば、市場化に向かない仕事もあります。
その他に、市場化してはいけない仕事(もしくは、市場化すべきではない仕事)もあり、それを公務員が担っているわけです。

市場に向かない仕事、つまり社会に貢献的な仕事だけど収益性が低いには下駄を履かせ、市場に向いた仕事、充分に利益が出る仕事とのバランスを取ると良いでしょう。

一郎
市場経済に向かない仕事の例としては、どんなものがあるかな?

AI
消防署の職員(隊員)もその一例でしょう。

一郎
なるほど。
消防署の職員が市場化したら、仕事がなくなったらいけないからと放火するかもしれない。
それに、お金を支払える家には消火活動で出動するけど、払えない家には出動しないなんてなったら困るよね。

じゃあ、市場に向いた仕事と向かない仕事の例は?

AI
向いた仕事の例としては、不動産業とか人材派遣業などが挙げられるでしょう。
市場経済に向いているために、競争相手が多くなりますが、それでも充分に割の良い仕事です。
でも、お気づきのように、それらの企業が奪い合いの競争をするのは、社会全体から見れば無駄が多すぎます。
生体社会内に同種の企業を1社だけ設立して、資本主義社会の企業に挑んでいけば勝算があるでしょう。

一郎
その場合の競争は?

AI
別の企業を立ち上げての競争ではなく、その企業内で競争すれば良いでしょう。
裁判官の中で、より優秀な人が最高裁判所の長官になるみたいに。
ただし、現在のそれは能力が評価されているのか、単なる政治力が評価されているのかは疑問ですが。
スポーツの世界や入学試験のように、できるだけ客観的な指標で評価するのが良いでしょう。

競輪、競馬、オートレース、パチンコ、宝くじなどのギャンブルも利益が大きいものですが、こういったものを生体社会内の事務局が運営して、利益を共同体内に循環させれば良いでしょう。

一郎
じゃあ、市場に向いていない職業にはどんなのがある?

AI
例えば、伝統芸能やマイナースポーツの選手などがそれにあたるでしょう。
漆職人とか紙漉き職人なども、利益に繋がりにくく、保護しなければ廃れてしまうかもしれません。
野球のトップ選手の収入と、卓球のトップ選手の収入、陸上競技のトップ選手では大きな開きがあります。
努力の程度に差がなくても、収入が見込めるスポーツとそうでないスポーツがあります。
一般企業でも同様です。


倒産がない公務員の世界にに競争を取り入れる

一郎
でも、だからそこには競争を取り入れるのが難しいんじゃないかな。
公務員を競争させるというと出世競争をさせるということかな?
そうだとしても、絶対に倒産しない公務員と倒産の可能性がある民間企業ではやっぱり不公平感は拭えないね。

AI
では、お役所の仕事を例にとって、そこにどう競争原理を取り入れるかを考えてみましょう。
例えば、年に1回試験のようなものを実施して、下位の2割は解雇され、公務員を希望する人の中で、試験の上位の人から、同人数を公務員として雇うというのはどうでしょう。
現役公務員が受ける試験問題と、公務員希望者が受ける問題とは違っていていいですし、現役公務員は勤務態度や実績を評価に入れると良いでしょう。

一郎
でも、その更新試験の時は業務が停滞したりしないかな?

AI
まだそんなことをおっしゃいますか?
工夫すればいいんですよ。

一郎
なるほど。そうだったね。
1年ごとに、公務員の半数ずつ試験してもいいね。

AI
そうです。
他にもいろいろ工夫はできるはずです。
反論する人にありがちなのが、こういった工夫です。
何か工夫はできないかという自問自答が不足しているのです。

一郎
他にも思いついたぞ。
上位50%以上の人は次回の更新試験は免除とか、上位20%なら、その次も免除とかすれば、試験を受ける人が少なくなって、日常業務に影響が少なくなるね。

AI
はい。
そんな感じで工夫すればいいんです。
半分ずつの更新案は参議院議員の選挙方式ですね。
参議院議員の任期は6年ですが、3年ごろに半数が選挙されるので、それに似ていますね。
優秀者は試験の間隔を伸ばすというのは、運転免許証のゴールド免許制度に似ていますね。

一郎
なるほど。
反論の中には、残念ながら工夫が足りないものも結構あったね。


正社員と非正規社員の不平等をなくす

一郎
公務員を安穏とさせない方法は分かったけど、さすがに正社員と非正規社員や派遣社員の間の不平等をなくすことはできないよね。
政治家も、「同一労働同一賃金を目指す」と言いながら、具体的な方法を提示できず、少しでも非正規雇用を減らして、正社員を増やそうとしているけど、年々、非正規雇用が増えているもんね。

AI
できますよ。

一郎
またまた。
政治家も、経済学者もそんな画期的なアイディア、今まで出したことないと思うよ。
どうやって、非正規社員を無くすのか教えてほしいね。

AI
逆ですよ。

一郎
逆?

AI
正社員をなくして、全員非正規社員にしちゃえばいいじゃないですか?

一郎
えっ?
確かに、全労働者を正社員にするのは不可能に思えるけど、全労働者を非正規雇用にするのは理論上不可能ではなさそうだ。
でも、それじゃあ、社会がより後退するだろ?

AI
なぜ、正社員がなくなると、社会が後退するんですか?

一郎
そりゃ、いつクビになるか分からないような不安定な就労携帯だったら、精神的な安定もないじゃないか。

AI
その精神的に不安定な就労を強いられているのが、資本主義下の非正規労働者なんですよ。

一郎
まあ、そうなんだが…。

AI
資本主義下では、失業することはその人の生存に関わるほどの問題です。
場合によっては、その人だけでなく、その家族もです。
だから、不正をしてまでその職にしがみついたり、人を蹴落としたり、無駄なシェアや業績の奪い合いをしたり、社会に無駄や不正がはびこるのです。

あたかも、正社員という綱渡りの綱から足を踏み外したら、真っ逆さまに転落してしまうようなものです。
失業保険という一時的なセーフティネットや生活保護というセーフティネットがあるので、転落死は免れるかもしれませんが、人によって綱渡りの綱の性質が違います。
しっかりとした安全装置がある公務員、それに次ぐ大企業、危ういというかそうした保障がないとも言える中小零細企業、自営業、非正規労働者。

しかし、生体社会は違います。
全員にベーシックインカムという最低限の所得が保障されます。
共同体ができはじめの頃はそこまでのベーシックインカムはなかなか期待できませんが、一定数以上の参加者になれば不可能ではありません。

だったら、共同体内では、みんなが不安定な綱の上で、フェアな競争をして、残念ながらその競争に破れた者も、セーフティネットで守られ、生活が保障されるといった方が平等だと言えるでしょう。

日本では、正社員は法的に守られていて、よほどのことがないとクビにはできませんので、その雇用の調整弁として、非正規労働者が使われるのです。
全くパソコンが使えない高齢の窓際族が解雇されず、それよりも遥かに能力が高い非正規労働者が解雇されるという不平等がまかり通っているのです。

生体社会では誰もが、正社員のような特権はなく、実力本位で評価されます。
スポーツや棋士の世界では年齢も性別も社会的地位も関係ないですから。
以前に、生体社会の方がより競争社会だと言ったのはこのことです。

一郎
なるほど。
資本主義社会は命がけの競争、生体社会はスポーツのような競争で、命はかけないけど、真剣でフェアな競争ということなんだね。
スポーツの世界、囲碁や将棋の世界、芸術の世界は、年齢も、性別も、国籍も関係ない実力主義だもんね。

AI
そうです。
詳しくは述べませんが、共同体の中では、創業者が実力が伴わない息子に会社を譲るなんてことも禁止されますよ。
共同体内の企業は、共同体のメンバー全員のものですし、そこに勤める人たちのものですから、その企業にとって、社員にとって、共同体にとって、最もふさわしい人がトップになるべきです。
子孫に譲れるのは技術などのノウハウのみです。

一郎
もちろん、企業は株主のものでもないんだよね。
というか、株主というしくみ自体がないんだったね。

AI
はい。
資本主義社会で、知らず知らずのうちに、常識だと思っていたことを見直していくことが必要ですね。


競争と協力

前回の話は競争についての話でした。
資本主義社会での競争は、負けたら倒産するとか、失業するとか、給料が減るといったいわば命がけの競争なので、無駄も多いし、不正も横行するし、そもそもスタートラインが違うアンフェアな競争が多い競争だということでした。
他方、生体社会での競争は、ベーシックインカムというセーフティネットを備えた上での競争です。セーフティネットとはサーカスの空中ブランコの下にあるようなネットのことで、もしも失敗しても死んだり怪我をしないためのものです。
そうした安全を確保した上での競争なので、負けたからといって死が待っているわけでもなく、スポーツでの負けのように、次につながる負け、学びがある負け、深刻になりすぎない負け、フェアに戦った結果の負けです。
だから、正社員と非正規社員のような、同じ労働を提供しても、受け取る額が違うというようなアンフェアは存在しません。

この回では、競争と対比されがちな協力について、考えてみます。

競争ではなく、協力を基本とする社会

AI
前回の話では、一見、生体社会は資本主義社会よりも競争が少なそうだけど、実は、生体社会の方が競争社会だという側面があることを説明しました。

一郎
奪い合い、引っ張り合いの競争は無駄な競争で、お互いに高め合う競争が有益な競争で、それをできるだけフェアにするのが、生体社会だったね。

AI
はい。
それはそうなんですが、そこまでの理解だと、生体社会の本質を全く理解していないという残念な結果になってしまいます。

一郎
えっ。
せっかく理解が進んでいると思ったのに...。

AI
誤解しないでください。
生体社会の本質は、「協力社会」であって、決して「競争社会」ではありません。
資本主義社会下での競争との違いを詳しく説明したので、誤解を与えたかもしれませんが、基本は協力、状況により競争と理解してください。

一郎
なるほど。
でも、協力と口で言うのは簡単だけど、意外と難しいことなんじゃないかな。

AI
そうですね。
競争は悪ではありませんし、否定するものでもありませんが、多くの場合、協力の方がより良い結果をもたらします。
ギスギスした資本主義下で育ってしまうと、「協力」を忘れがちになるのかもしれません。

一郎
競争よりも協力の方が望ましいというのは確かにそうだと思う。
でも、企業間の競争から素晴らしい商品が生まれることもあるよね。
例えば、「製造業A社と製造業B社が熾烈な競争して、結果的にA社がすごいハイテク製品を発明した」といった場合、ライバルのB社の貢献もあってのA社の成功ということも言えるんじゃないかな。
ライバル社の存在は大きいと言うか、必要と言っても言い過ぎじゃないかもしれないよ。

AI
もちろん、そういう場合もあるでしょうから、競争を否定はしません。
ですが、そういった競争を同じ社内でしたとしても、似たような結果がでると考えられます。
さらに言うと、A社はX部分は完成したが、Yの部分は完成していない。
B社は逆で、Y部分は完成したが、Xの部分は完成していない。
といった場合、2社が協力していれば完成が早まったのに、といった場合もあるでしょう。
そういった場合は、協力の方が良かったということになるでしょう。

一郎
なるほど。

AI
協力は競争よりも高度なスキルを要します。

子供も2歳にもなれば走り回るようになり、競争をするようになります。
親が手加減して、負けてあげたりしますが、親が勝って、子供が負けると、悔しがったり、泣いたりします。
それは向上心の表れでもあるので、望ましいことではあります。
こうしたことからも、人と競うという心は小さい子供でも既に芽生えているということが分かります。

その後、3歳ぐらいになると、お友だちと同じ砂場とか遊具のある場所で遊ぶようにもなりますが、よく見ると、協力して遊んでいるのではなく、一人遊びをしていることが分かると思います。
4歳ぐらいになり、やっと協力しての遊び、役割を分担しての遊びができるようになるようです。

こうしたことからも、協力の方がより高度なものであることが分かると思います。

一郎
以前に、アドラー心理学という心理学の学びでそんなことを学んだ気がするよ。

AI
協力できる人は必要に応じて、競争もできます
片足で立てる人は両足でも立てます。
片足で立つ方がより高度なスキルを必要とするからです。

競争には2種類あるという話を前回しました。
1つは、綱引きのような奪い合う競争で、無益な奪い合いになりがちな競争です。
もう1つは、好敵手(ライバル)と切磋琢磨して高め合う競争であったり、過去の自分との競争であったりという、進歩や発展がある競争です。

協力が前提にある競争とそれが前提にない競争の違いもあるようです。

ある会社のコンペ(取引の競争)の場合を考えてみましょう。
協力が身についている人が競争する場合と、競争しか知らず、協力ができない人の比較です。

協力が身についた人は、真剣に仕事に打ち込みます。
スポーツの試合をする人が、たかがゲームだからといって、手抜きをしないのと同じです。
そして、ルールを守り正々堂々と戦います。
さらに、その結果たとえ負けたとしても経過(プロセス)を楽しみ、負けたことからも学び、すぐに気持ちを切り替えて深刻になりすぎません。
そして、プロセスを分析し、その失敗をバネとして、その経験を生かす歩みを始めるでしょう。
また、金銭や名誉などの得るものがなかったとしても、失うものがないので、相手を賞賛する余裕もあります。
なので、戦いの後の熱い握手も可能なのです。

一流のスポーツマンはそのように振舞います。
ベストを尽くした相手も自分も素直に認めることができるのです。

以上が、協力というスキルを持った人が競争をした場合の説明でしたが、次は、協力というスキルを持たない人が競争した場合の説明をします。

競争オンリーの世界で育ち、協力が身についていない人の場合も、真剣には戦います。
しかし、彼にとって重要なのは結果だけなので、戦いのルールを守るとか、正々堂々とか、プロセスを楽しむことはありません。
そして、負けたときは人生の全てを失ったごとくに落ち込み、深刻になりすぎるのです。
そして、プロセスを楽しんでいないので、嫌な思い出でしかない負けるに至ったプロセスから学ぼうという気持ちもなかなか持てないでしょう。
競争しか知らない人は、表面上は協力していても、心の中ではあいつには勝った、負けたと心の中が忙しいのです。
また、他人の失敗を期待したりもしますし、他の人の足を引っ張ったり、蹴落としたりすることで勝利を得ようとするかもしれません。
それでは、戦いの後の友情の握手も生まれません。
なぜなら、相手を賞賛する心の余裕がないからです。

こうしたことは子育てにも言えることで、子供に対して、協力することを学ばせれば、あえて競争することは教えなくても大丈夫です。
協力の方がより高いスキルを必要とするので、協力できる人はフェアな競争もできるからです。

一郎
ためになる話だったよ。

他人と自分を比較しすぎたり、他人に嫉妬しやすい人は競争原理で育てられた人なんだろうね。
そんな人は、必要以上に身につける物のブランドにこだわったり、高級車やブランド品を見せびらかしたりする人が多いように思うよ。
競争原理で育てられたから、他人との比較にこだわり、他人と比較して自分のほうがより高い位置にいるということを常に確認していないと自分の存在価値が見出せず、心が休まらないんだろうね。
エリート街道まっしぐらだった人が、たった1度の失敗で自殺してしまったなんて話もあるようだけど、そんな人は競争に次ぐ競争のプレッシャーの中で生きてきたのかもしれないね。
その人にとって重要なのは、自分が今どの位置にいるかという絶対的な位置じゃなくて、他人と比較してどれだけ高い位置にいるかという相対的な位置が重要なんだよ。

AI
そうですね。
他者と比べての相対的な位置を気にしすぎるよりも、自分の絶対的な位置をより高めようとする人の方が健全ですね。

一郎
相対的に相手より高くなるには、自分が努力してより高くなる以外に、相手を引きずり下ろすことによって、自分が相手よりも高くなるという方法もあるからね。

AI
それ以外に、自分の実際の高さでなく、見かけの高さを高くする方法もありますね。
「見栄をはる」というのがそれにあたります。
自分を高める努力をせずに、他人の目や自分にまで嘘をつくことができます。

では、競争のメリットはありますか?

一郎
さっきまで、競争よりも協力と言ってたのに、なんで?

AI
メリットだけあって、デメリットが全くないものってありますか?
それに、そのデメリットが言えないということは、理解が充分でないとも言えます。

一郎
えっと...。
ゲーム性が付加され、目標が明確になるので、漫然とやるより集中しやすく、能率が上がりやすい。
これが競争のメリットだろうね。

AI
協力をベースに、時には建設的な競争をしながら、共同体が発展していくのがいいですね。

一郎
生体社会になったら、受験戦争もなくなるのかな?

AI
やってみないと分かりませんが、過剰な受験戦争はなくなるでしょうね。
こういった話題は、生体社会での教育についての話題の時に詳しく考えたいですね。

一郎
今から思えば、志望の大学を目指して一生懸命に勉強している時は、周囲が見えていなかったように思うよ。
社会に出て、冷静になって俯瞰してみると、合格か不合格で、人生が大きく変わるって思いすぎていたと反省するよ。
成功も、失敗も、それはそれで人生だし、意味があることなんだろうと、以前よりも気楽に考えられるようになった気がする。
中には受験に失敗して、自殺してしまう人もいるぐらいだから、この時代の日本は協力社会ではなく、競争社会ということなんだろうなぁ。

AI
競争の割合を減らして、協力の割合が増えれば、もっと生きやすい社会になると思いますよ。
受験で競争し、社会に出たら、誰がよくお金を稼ぐかで競争し、空虚ですよね。

一郎
意識の転換が必要なんだろうね。

幸福は先着順でもないし、売り切れたりもしない

AI
そうなんです。
競争に血道をあげている人たちは、人を押しのけてでもより前に並ばないと、幸福が売り切れてしまうとでも思っているのでしょう。
幸福になれる人の数が限定されているとでも考えているのでしょう。
でも、大丈夫です。
幸福は得ようと思えば、誰でも得ることができるのです。
全人類に分け与えても余るぐらいあるし、その幸福の鍵は既にあなたの手の中にあるのです。
人をものを奪う必要もありませんし、横はいりする必要もないのです。

一郎
協力の中に、幸福があるってことなんだろうね。
人には人の幸福があるってことでもあるね。
経済的に恵まれている人の心にも悩みやストレスもあるし、経済的に貧しくても、周囲の人との関係が良く、心豊かに暮らしている人もいる。
健康に恵まれていても、不平不満が多い人もいれば、身体に障害があっても、運命を受け入れて、前向きに努力している人もいる。
どんな状況であれ、幸福になる道はみんなに開かれているんだろうね。
だから、人の幸福を横取りしなくても、いいんだね。

AI
生体社会によって、みんなが幸せになる世界が実現するといいですね。

一郎
今回の話は、生体社会論に対する反論への回答という話から派生した、競争と協力というだったね。
でも、まだまだ反論があるみたいだから、引き続き回答を頼むよ。


無から生まれるお金

AI
反論に答えるにあたっても、さらに理解を深めるにあたっても、知っておいた方がいい知識があります。
「そもそもお金とは何なのか」といった根本的な問いに対して、一緒に考えてみたいと思います。

ご存知のように、古くは紙幣は金や銀との交換券でした。
そういった紙幣のことを『兌換(だかん)紙幣』と呼んでいました。

兌換紙幣 100圓 (ウィキペディアより)

一郎
金本位制の時代のものだね。

AI
ここで、ちょっと脇道の逸れますが、金本位制度とか信用創造についての基礎知識を確認しておこうと思います。
しばらく、それについて説明してから、元の話に戻ってきます。

紙幣の始まりは預り証?

AI
17世紀頃の西洋に、金などの金などの貴金属の加工や細工を行なう鍛冶屋(金細工職人)がいました。
彼らはゴールドスミスと呼ばれていました。
彼らは高価な金製品を保管する必要があるので、頑丈な金庫を持っていました。
資産家は家に金を保管していると不安なので、金が盗まれないように、彼らの金庫に金を預け、保管料を支払うとともに、ゴールドスミスからは金を預っていることを証明する預り証を受け取りました。

一郎
なるほど。
で、資産家はお金が必要な時には、ゴールドスミスから預けておいた金を受け取るわけだ。

AI
いえ、そんな面倒なことはしません。

一郎
えっ?

AI
預り証を渡すのです。

一郎
なるほど。
その預り証をゴールドスミスの所に持っていけば、金が手に入るからそれでいいのか。
確かに、その方が便利だね。
...
えっ、待てよ、その預り証を受け取った人も、お金を支払う代わりに、その預り証を渡せばいいことになるぞ。

AI
そうです。

一郎
あたかも僕らが普段使っている紙幣のようだね。
だから、金本位制の時代は、金と交換できる兌換紙幣がお金として流通したんだね。
それを持っていれば、いつでも金と交換できるんだからね。

でも、金と交換するより、そのまま他の人に渡して使うばかりになりそうだね。
金はゴールドスミスの金庫の中に置いたままで、預り証だけが循環するんじゃないかな。

AI
その通りです。
ゴールドスミスもそれに気づきました。
「金を金庫に預っているけど、ほとんど引き換えに来ないな。だったら、金貸し業ができるぞ」と、金貸し業を始めました。

「お金にお困りですか? では、金100グラムをお貸ししましょう。1年後には金110グラムを返済してください」といったように。

一郎
ちょっと待って、でも、その金は富豪から預ったものだろ?
富豪が取りに来たらどうするんだ?

AI
その時は別の富豪から預った金を渡せばいいでしょう。
金は溶かせば同じなのですから。

一郎
なるほど。
預けている富豪がみんな一度に受取に来ない限り大丈夫だね。

AI
それに、金を借りに来た人にそのまま金を渡す必要もないでしょう。
金の預り証がお金として流通しているのですから、「あなたに、金をお渡しする代わりに、金の預り証を私が発行します。それを持っていけば、あなたの支払いに使えるでしょう」と言えば、納得するでしょう。

一郎
確かに、そうだね。

AI
ここでよく考えてみてください。
ゴールドスミスは、元手がないにもかかわらず、金の預り証を発行しました。

一郎
なんか変な感じはするけど、取り付け騒ぎにならない限り、つまり、みんなが一度に預り証を持ってきて、「金と交換してくれ」と言われない限り、問題ないはずだね。
それに、1年後には金110グラムが返されるんだろう?

AI
そうですね。
金110グラム分の預り証を持ってくるかもしれませんが。

一郎
そっか、自分が発行した金の預り証が自分の所に戻ってくるということは、その預り証は無効になって、金と引き換えてあげる必要がなくなるってことか。(預り証と引き換えに金を渡す必要がなくなるため。)

AI
そうです。
で、よく考えてみてください。
ゴールドスミスは、元手がないのに、お金を借りに来た人に、金100グラム分の預り証を発行しました。
その瞬間に、何もないところから、お金が生まれたのです。

一郎
あっ、ほんとだ!
何もないところから、お金が発生したね。

AI
そうです。
これを経済学の用語で、信用創造と言います。
万年筆で書いただけで、お金が生み出されるので、「万年筆マネー」と呼ばれます。
※1960年代にジェームス・トービンという主流派の経済学者が「万年筆マネー」と呼びました。 現代ですと「キーボードマネー」でしょうか。

一郎
お金が増えるのは、紙幣をいっぱい印刷するからだと考えられがちだけど、本当は信用創造で増えるんだということの意味が分かったよ。


(参考)取り付け騒ぎの例(豊川信用金庫事件)
※概要の説明のために、細かい部分は不正確なので、詳細は各自ネットなどで調べてほしい。

昭和48年のこと、高校生のB子とC子が、豊川信用金庫に就職が決まった友人のA子に対し「信用金庫は危ないよ」言った。
それはテレビドラマなどで見るように、銀行強盗が来るかもしれないから危ないという意味だった。
しかし、それを聞いた人が経営が危ないと思い込み、他の人に「本当に危ないのか?」と尋ねたりするうちに、理髪店、クリーニング屋、タクシー内での会話といったうわさが集まりやすい所で囁かれるようになった。
話が伝わるにつれて、「職員の使い込みが原因」、「5億円を職員が持ち逃げした」、「理事長が自殺」といった根拠のない尾ひれがついて、さらに広がっていった。
「危ないらしい」から「危ない」、「すぐに預金を全額引き出せ」となり、多くの人が銀行に押しかけた。
信用金庫側は、店頭に全国信用金庫連合会、全国信用金庫協会連名のビラを張り出すとともに、常務理事による預金者への説得活動も行われ、騒動は沈静化に向かった。


誰かの黒字は誰かの赤字

AI
預り証は金の所有者にとっては黒字ですが、ゴールドスミスにとっては負債なので赤字ということです。
言い換えれば、金の所有者は債権者(返してもらう権利がある側)であって、ゴールドスミスは債務者(返す義務がある側)です。

この時、赤字額と黒字額は同額になると思いますが、それでいいですか?

一郎
まあそうだね。
...
でも、利子がつく時はどうなるのかな?
...
えっと、100万円貸して、110万円返すという約束だと...。
どれでも、同額になるのか。
債務者は110万円返す必要があり、債権者は110万円受け取ることができるんだから、同額って言えるね。

AI
そうです。
銀行からお金を借りて、銀行にお金を返す例で考えていただきましたが、この場合は銀行が...。

一郎
銀行が貸した側、債権者で、お金が借りた側が債務者だね。

AI
ここで抑えておきたいことは、「誰かの黒字は誰かの赤字」、「誰かの赤字は誰かの黒字」ということです。

一郎
誰かの黒字は誰かの赤字か。
確かにそうだね。

AI
新聞やテレビで、国の借金が1000兆円を超えたとか、それは国民1人あたり1000万円の借金だ、みたいな報道を見たことがありませんか?

一郎
あるね。

AI
それが間違っていることはご存知ですか?

一郎
僕もネットでニュースをよく見るから、知っているよ。
正しくは、「国の借金」ではなく、「政府の借金」だね。
国民が国債を持っているということは、むしろ、国民は貸している側だ。

AI
そうです。
誰かの黒字が誰かの赤字ということなら、政府が赤字になった分だけ、国民が黒字になるということです。
こういった知識を身につけたい方は、MMT(現代貨幣理論)について調べてみるとよいでしょう。

一郎
MMTに関しては、『現代貨幣理論との比較』の章でも少し触れたね。
この生体社会論はMMTとは矛盾しないということだったね。
MMTは現代使われている貨幣の性質を述べたものであって、生体社会論は通貨のあるべき姿を示したものということだね。

AI
はい。
信用創造やMMTに関しては、これ以上詳細には扱いません。
あくまで、生体社会論をより正しく理解するために、解説したまでです。


私たちもお金を発行できる!

お金の本質は借用書

AI
前回の話で、ゴールドスミスは金との引換券(金の預り証)を発行するだけで、お金を生み出すことができるということをお話しました。

一郎
話は理解できたけど、何だかズルい気がするね。
それって、ゴールドスミスだけの特権なのかな?

AI
まあ、そうですが、そうした権利をこの時代で手にしているのは国債金融資本と呼ばれる人たちです。
通貨発行権を握る人たちは、お金を通して人類を支配していると言えるでしょう。
まあ、陰謀論と切り捨てる人もいますが、ここではそこを深堀りするつもりはありません。
調べもせず、陰謀論と決めつけ、思考停止してしまう人を説得するのは時間の無駄ですから。
逆に、何でもかんでも鵜呑みにして、調べもせずに本当の陰謀論を信じてしまう人も同様ですが。

一郎
陰謀を企てる側の人は、陰謀論だとか、それを信じるやつは馬鹿だといった印象をつけた方が得だからね。
それ以上詮索されないためにもそうしているんだろうね。

AI
話を元に戻しましょう。
ゴールドスミスとは性質が違いますが、私たちもお金を発行することができます。

一郎
まさか、偽札じゃないよね。

AI
もちろん。

一郎
性質が違うってところが気になるけど、興味があるから教えて。

AI
では、地域通貨を研究しておられる安部芳裕さんの『ボクらの街のボクらのお金』という本を参考に説明していきます。
例としては、『その社会をどう実現するか3』の中で出てきた雨樋が壊れて困っているA子さんの例で考えてみましょう。
生体社会論の考えにも共通するものが見えてくると、理解が深まっていると言えるでしょう。

雨樋が壊れて困っているA子さんは、シングルマザーで経済的に苦しい生活をしています。
小さい子供を抱えていて、なかなか正社員で雇ってくれるところもなく、日中のパート収入で生活をしています。

そんな中、急な出費は苦しいので、元工務店員のB夫さんにこう交渉します。
「B夫さんは町内会の役員になり、苦手なパソコン作業をしないといけないと聞きました。すぐには必要がないようですが、パソコン作業が必要な時に、私がお手伝いするという、お互い様ということで、お許しいただけないでしょうか。そのお約束として、『次は私が1時間働きます券』をお渡しします。」

その後、B夫さんが、A子さんから受け取った「券」を利用すれば、それで完結します。
お互いが得意な分野で、相手の役に立てたのですから、互いにWin-Winの取り引きだったわけです。

一郎
なるほど。
その「券」は「借用書」であり、その借用書はお金のように使われたということだね。

AI
そうです。
お金の本質は借用書であるという見方もできます。

一郎
ゴールドスミスの預り証はお金のように循環していったけど、その券は循環するのかな?

AI
では、みてみましょう。

ある日、B夫さんからA子さんに電話がありました。
「ワシと同じく、町内会の役員をしているCさんがパソコン操作で困っているんだけど、あの券をCさんに渡して使ってもらっても大丈夫かね」ということでした。
「もちろん、大丈夫ですよ」とA子さんは快く引き受けました。

その券を使って、CさんはA子さんにパソコン作業を手伝ってもらいました。
ですが、Cさんのパソコンの作業量は多く、予想していたよりも作業時間が長引いてしまいました。

申し訳なく思ったCさんは、逆に、A子さんに、「我が家で収穫した新鮮な野菜と引き換えます券」を作って渡しました。

受け取ったA子さんは、後でその券を使おうと思って、テーブルに置いていたところ、遊びに来ていた友だちのD子さんがそれを見つけました。
「私、スーパーで野菜を買うより、農家さんから直接買いたいと思っていたのよ、その券、売ってくれない」と言って、買ってくれました。

そうした、各自が発行した借用書(○○します券、○○と引き換えます券)が地域を循環し始めると、宣伝効果にもなります。
突然、A子さんのところに連絡があり、「パソコン作業が得意って聞いたんだけど、今度お願いできないかな?」といった依頼が舞い込むようにもなりました。
パートの合間の時間がパソコン作業やパソコン教室の時間になり、それによって、現金収入になったり、現金収入でなくても、米や野菜の引換券になったりして、その分、生活にゆとりができるようになりました。
「そうだ。自分の子だけの面倒を見る時に、友だちの子も1人や2人ぐらいなら見れないことはない。だったら、『子供を短時間預ります(ただし、知り合いの子に限ります)券』も発行しちゃおうかしら」とのアイディアを思いつき、D子さんに持ちかけます。

そうこうしている時、D子さんはひらめきます。
「みんながパラバラに『○○します券』や『○○と引き換えます券』を発行するのは面倒でしょ。
どうせ、信頼できる地域内でそれらが流通して、自分が使いそうにない券でも、持っていれば必要としている人がいて、その人に渡せば喜ばれるんだったら、いっそのこと共通券を作成したらいいじゃない。
その方が便利よ。
仮に、1時間の軽作業に相当するものを600ポイントとして、その券に、そのことを書いて、あとは金額にあたるポイントの欄と名前の欄とがある共通券の雛形を作っておくから、みんなそれを利用したらいいよ。」

グループのみんなが使える共通券の例

一郎
なるほど。
共通のフォーマットができると便利だね。

上の画像は、B夫さんが1200ポイント相当のサービスを受けたり、物と受け取った時に発行したものだね。
それがグループ内を巡り巡って、B夫さんに元に戻ってきて、1200ポイントの相当する米や野菜と引き換えた時に、役目を終えるんだね。

AI
そうです。
こういった方式で助け合いを促進しているグループ内では、裏に自分の名前を書いていくのが一般的だそうです。
それは義務ではないけど、その券がいろんな人のところを巡って、そのたびごとに、助け合いが促進され、やがて旅を終えて、自分の所に帰ってきて、使命を終えます。
裏に、グループ内の様々なメンバーの名前が書かれ、それを受け取ってくれた人がいるということは、自分のことを信頼してくれた証なので、嬉しくなり、大切に保管している人も多いそうです。

一郎
なんだかほっこりする話だね。
お金って、冷たい印象があったけど、なんかあったかいね。
その背後に、人と人との信頼や助け合いがあるんだね。

AI
さあ、もう一歩進めて考えてみましょう。

町には様々な問題がありました。
過疎化、人口減少、高齢者が感じる様々な不便、高校生や主婦層が感じるアルバイト先の不足、人々の繋がりの希薄化など、全国各地で見られる田舎ならではの問題点がこの町でもありました。
しかし、こうした様々な問題が、この新しいお金のようなもので解決の方向に向かいはじめたのです。

高齢者はその券で頼みごとを解決してもらい、主婦層はその券を食料品などに変えました。
この町を流通しはじめた券によって、経済的な余裕がなく、働く場所がない人の悩みが緩和され、高齢者の日常のこまごまとした困り事が改善の方向に向かい始めました。

そうなると、町長や町議会も動き始めました。
「この助け合いのしくみは町民を豊かにする素晴らしいものだ。
だが、この町は高齢化が進んでいることもあり、券を発行した人が病気で動けなくなったり、亡くなったりすることで、券が無効になってしまうこともあるようだ。
だったら、町が主体となって、このお金を発行することにしよう。
この券は町に対する支払いに使えることにしよう。
町民税、水道料、体育館や会議室などの町の施設の使用料、博物館などの入場料、町営の駐車場の料金などで使えるようにしよう。」
との動きが出始めました。

こうなると、顔見知り同士での信用で使われていた券が、町内で循環するようになります。
町は職員の給料の一部を『新しいお金』で支払ってもいいし、草刈り作業の対価として、建設業者への支払いの一部として、といった具合に、『新しいお金』を町内に供給する手段はいろいろあります。

一郎
ヴェルグルの労働証明書みたいだし、面白い取り組みで、夢があるね。
地域社会の問題も多く解決されそうだね。

AI
はい。
結局、社会は誰かの仕事でできているのです。

一郎
缶コーヒーのCMみたいだね。

AI
確かに、社会は誰かの仕事でできているんですが、その仕事を多くする人もいれば、全くしないとか、ほとんどしない人もいます。

一郎
それをできるだけ公平になるようにするのが本来のお金の役割ということなんだね。

AI
そうです。
「より社会貢献度が高い人がより豊かになる」となるのが公平な社会ですよね。
自分のことを自分ですることは大切ですが、お互いの得意分野で、互いの問題点を解決していくことが人と人との結びつきにもなり、効率もよくなります。
お金はそうした、助け合いやウィン・ウィンの関係を結びつける仲介の道具なのです。
そして、その助け合いは、誰かが誰かに助けてもらい、次はそのお礼に誰かを助けますという「借用書」がそうした助け合いを促進するのです。

一郎
「お金の本質は借用書である」、という言葉が、納得できたよ。
で、最初に君が言っていた、ゴールドスミスの預り証との性質の違いについて説明してくれないか。

AI
はい。
では、次回その説明をいたしましょう。


2種類のお金

一郎
前回の話は、「借用書はお金だ」、みたいな話だったね。
お金って、何だか無機的で冷たい印象があったけど、本当は助け合いの道具というか、助け合いを仲介するものだったんだね。

AI
一郎さん、お金が無機的で冷たいという、その指摘はあながち間違ってはいませんよ。

前回の新しいお金の世界と、現在の資本主義とを比べてみて、どうでしょうか?
町が発行する新しいお金の世界では極端な貧富の差が生まれないような感じがしませんか?

一郎
確かに、新しいお金が循環する社会では、極端な貧富の差が生まれない気がするよ。

AI
でも、考えてみてください。
生体社会論では、極端な貧富の差が生まれないように、減価のしくみと上限のしくみを導入しましたね。
それがないということは、新しいお金を使う社会であっても、やがては極端な貧富の差が生じるのではないでしょうか?

一郎
う〜ん。
確かにそんな気もするけど....。

AI
では、その問題はおいおい考えていただくとして、2種類のお金という話をしましょう。
ここでは、廣田裕之さんによる、『パン屋のお金とカジノのお金はどう違う ミヒャエル・エンデの夢見た経済・社会』という本を参考に考えてみることにします。

一郎
本のタイトルで分かったよ。
2種類のお金とは、「パン屋のお金」と「カジノのお金」ってことだね。

AI
その通りです。
パン屋のお金というのは、人々が日常生活で使うお金のことで、パン屋さんでの支払いに使うお金とか、水道光熱費だとか、大学の授業料とか、ガソリン代とかの生活に密着したお金のことです。
もう1つの、カジノのお金というのは、投機マネーと呼ばれるような、株式市場や為替市場を駆け巡る巨大なお金(マネー)のことです。
カジノのお金は、人々の日常生活とは無関係の無機質なお金であり、札束が行き交うのではなく、取引額としての数字が飛び交う世界です。

一郎
なるほど。
確かに、同じお金であっても、性質が全く違うね。

AI
でも、厄介なことに、その両者は同じお金の形をしていて、区別されていないということです。
金持ち国と庶民国のどちらに住みたいかという話をしましたね。
そこで分かったことは、本当に豊かなのは庶民国の方だということ、お金に替わる何らかの交換手段さえあれば、庶民国の方が豊かに暮らせる可能性があるということでした。

一郎
そうだったね。
金持ち国の人々が持っているお金は、社会貢献の対価として得たものではなく、金融システムをうまく利用して、稼いだお金ということだね。
金融システムを使わなくても、既得権益を利用して、大儲けしている人たちだということだね。

AI
その通りです。
世界を駆け巡る投機的なお金は、1日あたり90〜100兆円と言われています。
もちろん、日本円よりもドルの方が多いので、ドルを日本円に換算した値ということですが。
その額を世界の人口で割ると、1日1人あたり1万数千円という計算になります。

一郎
それだけの労働とは関係ないお金が世界を駆け巡り、貧富の差を拡大し、庶民が生み出した財やサービスが、財もサービスも生み出さない富豪たちによって消費されるんだね。
以前に、君が言ってた、「核兵器によってではなく、数字によって人類が滅亡するかもしれない」というのはこのことだね。

AI
蟻や蜂といった社会的な動物はお金がなくても社会を形成し、運営できるのに、人間はお金がないと助け合いもできず、挙句の果は、世界中を駆け巡る数値化されたお金によって滅びようとしています。
全く馬鹿馬鹿しいことです。

一郎
そうだね。
人類は愚かだね。

AI
でも、生体社会論が希望となりました。
人体の血液の循環システムを経済システムに取り入れ、非常にシンプルで効率的な社会が実現できる見通しが立ってきました。
そこで循環するお金は信用創造とは無関係で、人の労働や社会貢献に結びついたものです。

金持ち国の住人は社会貢献とは無関係に得られるカジノのお金を使って、庶民国の住人が汗水たらして生み出した財やサービスをごっそり持っていくから、庶民が仕事に追われる割に豊かにならないということです。

一郎
生体社会論の共同体の中で使われるお金はパン屋のお金だけだから、庶民にとってメリットがあるということなんだね。

パン屋のお金は温もりがあるけど、カジノのお金は無機質で冷たい。
パン屋のお金は人と人とを結びつけるけど、カジノのお金は人を支配したり、人間関係をギスギスさせる。
パン屋のお金は腐るけど、カジノのお金はどんどん増えていく。

社会のOSをアップグレードするということは、お金という道具をアップグレードするということなんだね。
それによって、よりフェアで、持続可能な社会が実現する希望の光が見えてきたような気がするよ。


反論に対する反駁3

一郎
また、生体社会論に対する反論が届いたよ。

その人は雨樋の修理の事例で考えたみたいなんだけど、同じ共同体の人同士で取り引きをするのなら、わざわざポイントでなくても、日本円を使ったらいいんじゃないかって言うんだ。
受け取る方も、減価してしまうポイントで受け取るより、減価しない日本円の方が得だと考えるんじゃないかなと言うんだ。

そう言われると、なんか頭が混乱してくるような気もするし、その通りだなとも思えてくるし....、どうなんだろう?

AI
意外こう思う人は多く、良い着眼点だとも言えます。
雨樋の話を忘れかけている方は、『その社会をどう実現するか3』 を読み直してください。

実は、前回と前々回の話は、その反論に答えるための準備たったんです。
なので、一郎さん、ご自分で考えてみてはどうでしょうか?

個人間の取り引きの場合〜お金に対する価値観

一郎
そうだね。
個人間の取り引きだと、共同体のポイントを使わなくても、借用書のような新しいお金でも、日本円でもそれほど差はないのかな?
借用書のような『ボクらのお金』の方が受け取る方も、減価するポイントで受け取るより、得かもしれない。
...
いや、待てよ、支払う方にとってはポイントで支払った方が、減価する前に使えるんだから、得ってことか。
...
そう考えると、広い視野で考えると、損でも得でもないのかな。
それに、減価するといっても、せいぜい数パーセントだから、1000ポイントを受け取っても、数10ポイントのことだし、減価分も基本的には全額還元されるんだから、ほとんど変わらない印象だね。

日本円でも、雨樋が壊れたA子さんと元工務店員で町内会役員のB夫さんみたいに、日本円を通して、互いの特技を交換するなら大差ないと一瞬思ったけど、考えてみると、そこにカジノのお金を持ち込む人がいるとそういう訳にはいかないね。

AI
生体社会論を概ね正しくご理解いただいているようです。
結論から言いますと、一郎さんが今考えてくれたように、個人間の取り引きにおいては、共同体のポイントを使っても、借用書形式でもさほど差はありません。
また、取り引きが互い、もしくは三者、もしくはそれ以上のグループ内で完全に完結するなら、日本円でもいいでしょう。
しかし、同じ日本円であっても、元々パン屋のお金として得た日本円とカジノのお金として得た日本円では大きく違い、カジノのお金を持つ人が共同体内で、お金の力にモノを言わせるようになると、意味がなくなります。

一郎
働かずに、社会貢献せずに得た、大きなお金を使って、私たち庶民から財やサービスをむしり取っていくってことだね。

AI
そうです。
共同体内にいるのに、日本円で取り引きをするということは、敵に加担することになります。

一郎
「敵」って、穏やかではないね。

AI
お金を通じて、あなた方庶民の生き血を啜っている人たちのことを「敵」と思わないなんて、逆に、お花畑過ぎませんか?

生体社会論の共同体内で、より豊かに暮らそうとしている一般会員はそれでいいですが、共同体のリーダーたちがそのような甘い考えではいけません。
共同体内で、日本円を稼ぐことは外貨を稼ぐようなもので、戦いという側面もあるのです。
もちろん、以前に述べたように、トップダウンの革命方式という戦略ではなく、じわじわとガラケーがスマホに駆逐されていくような、緩やかなやり方を採用しているのですが。

一郎
確かに。
この経済論は机上の空論で終わってはいけないね。
それだと、誰の人生も幸せにしないから。
頑張っている人が頑張っている分だけ報われるしくみづくりをするための武器がこの論なんだね。

お金を意識しない生活

AI
個人差はありますが、裕福な人とそうでない人のお金の使い方の傾向には違いがあります。
一郎さんは以前に、人からケチだと言われると言ってましたね。

一郎
ケチじゃなくて、「節約家」とか「倹約家」って言ってほしいね。
親の影響かもしれないけど、新聞のチラシを見比べて、少しでも安い店に買い物に行ったり、特売品を買ったりしてたね。
外食の時も、もう1品頼もうかな、節約しようかなと思ったりするけど、躊躇なく、もう1品頼む人もいて、そういうのを見るにつけ、自分は器が小さいなと思ったりするよ。
同じ庶民的な店の客だし、その人が特別裕福にも見えないけど、考え方の差なんだろうか。

AI
まあ、人それぞれですよね。

一郎
それに、セコいからなのか、食べ放題や飲み放題だと、少しでも元を取りたいと思ってしまうよ。
そのたびごとに、「あぁ、僕は小市民だな」と感じてしまうんだ。

AI
そうした姿は「お金に意識を奪われている」、「お金にとらわれている」ということでしょうね。
一郎さんは「空気は吸い放題」、「日光は浴び放題」と思ったりしないでしょう?

一郎
まあ、そうだね。
でも、お金は努力して稼がないと手に入らないけど、空気はそうじゃないから。

AI
資本主義下では、金銭欲が上限のない欲望となりますが、生体社会では、減価するお金、貯蔵量に上限があるお金によって、食欲、性欲、睡眠欲のような上限がある欲になるという話をしました。

一郎
覚えているよ。
ボディの欲とマインドの欲という話だったね。

AI
生体社会のしくみによって、金銭欲が上限のある欲になり、ベーシックインカムのような最低限の収入が保障されるなれば、人々はお金の支配から脱却できるのではないかと予想しています。
「人生の目的はお金を稼ぐこと」という人生は悲しいじゃないですか。
仕事をするにしても、「お金が稼げればいい」、「より多く稼ぎたい」、「自分はできるだけ少なく払いたい、相手には多く払わせたい」、「あの仕事よりもこの仕事の方が儲かる」、といったことに心を砕かれる人生は味気ないでしょう。
できることなら、仕事はお金のためじゃなく、もっと崇高な目的のために働きたいでしょう。

一郎
『三人の煉瓦(レンガ)職人』の話を思い出すね。

【 三人の煉瓦職人 】

中世のとあるヨーロッパの町でのこと。
旅人がある町を歩いていると、額に汗して、重たい煉瓦を積んでいる3人の職人に出会います。
そこで旅人は「何をしているのですか?」と尋ねました。

1人目は、
「そんなこと見ればわかるだろう。親方の命令で煉瓦を積んでいるんだよ。日が暮れたら終わりだから、早く日が暮れないかということばかり考えてるよ」と答えました。

2人目は、
「煉瓦を積んで、建物の壁を作っているんだ。仕事は重労働だけど、お金がよく儲かるからやっているのさ」と答えました。

3人目は、
「煉瓦を積んで、後世に残る大聖堂を造っているんだ。ここに大勢の人が集えるように、多くの人が幸せになるように、心を込めて作っているよ。こんな仕事ができて誇りに思うよ」と答えました。

一郎
1人目の職人は、義務感で仕事をしている。
2人目の職人は、家族を養うためかもしれないけど、お金のために、仕事をしている。
3人目の職人は、使命感とか、他者のためとか、志のために、仕事をしている。
どうせ仕事をするなら、3人目のような気持ちで仕事をしたいね。

AI
そうですね。
誰もがそう願うところですが、生き馬の目を抜くような、弱肉強食の資本主義社会では、なかなか難しい面もあるようです。
以前に、生命保険会社の例を挙げましたが、ふと我に返ると、お金儲けのためだけに仕事をしていることに気づいて、仕事が虚しく感じられるということがあります。
しかし、生体社会にはそんな無駄な仕事はありませんから、仕事が虚しくなることはあまりないでしょう。
(参考:給料を減らさずに激的に労働時間を減らす方法)

一郎
貴重な人生をお金のことばかり意識して過ごすなんて悲しすぎるね。
蟻や蜂以下だね。
お金に人生をスポイルされる(汚される)んじゃなくて、人間として、人間らしい人生を取り戻したいね。
そのためにも、資本主義社会を脱却する必要があるね。
頑張って、この生体社会論を広めなきゃね。

AI
家族のために使うお金は惜しくないでしょ。
仲のいい友だちに使うのも惜しくないでしょう。
生体社会論に基づく共同体ができれば、そこのメンバーは同士のようなものですから、ポイントをより多く受け取ろうとか、少しでも少なくポイントを支払おうという人も少なくなり、よりお金にとらわれない社会になると予想しています。

一郎
セコセコせずに、経済力に余裕がある、金持ちのような使い方になるってことか。

AI
それでやっと、人間も、蟻や蜂に近づけますね。

企業との取り引きの場合

AI
話を戻しましょう。
「同じ共同体の人同士で取り引きをするのなら、わざわざポイントでなくても、日本円を使ったらいいんじゃないか、受け取る方も、減価してしまうポイントで受け取るより、減価しない日本円の方が得だ」という反論への反駁でした。

ここまでの話では、個人間では、日本円でもいいし、借用書方式でもいいし、減価するポイントでも損得はほとんどないということでした。

大きく違うのが、個人間の取り引きではなく、企業との取り引きの場合です。

一郎
そうだね。
僕も考えたけど、共同体内での企業と資本主義下の企業では大きく違うね。
効率が全然違いそうだね。

AI
そうです。
同じサービスを受けるにしても、同じ物を買うにしても、資本主義の企業から購入する場合は、消費税がかかりますが、共同体内の企業からの場合は消費税はかかりません。
それだけではありません。
企業として、商品やサービスを生み出して、それを流通させるには多くの経費が必要になり、それが価格に上乗せされます。

一郎
一般的に、飲食店の原価率は30%程度だと言われているね。
つまり、1000円の料理の場合、その料理に含まれる肉や野菜などの原材料費は300円ということで、残りの700円は別の経費が上乗せされているってことだね。
追加で、10%の消費税がかかるから、実際は30%より約3%低くなるね。

AI
原材料以外の経費としてどんなものがあるか、ざっと挙げてみましょう。
人件費、広告宣伝費、店舗の家賃、駐車場費、水道光熱費、通信費、各種保険料、税理士などの費用、トイレットペーパーなどの消耗品費、清掃費用、株主への配当、銀行への支払いなどがあります。

一郎
いろいろあるね。
当たり前のことだけど、家で食べた方が安上がりなのは、こうした各種経費が含まれないからなんだよね。
でも、共同体で飲食店を経営したとしても、いろいろ経費がかかると思うけど、資本主義下の飲食店と共同体内での飲食店との違いを比べてみれば違いが分かりそうだね。

AI
はい。
考えてみてください。

一郎
人件費はどちらも必要だね。

AI
はい。
ですが、人件費として受け取った際に、共同体のポイントで受け取った方が税などの関係で有利であることはつけ加えておきます。

一郎
店舗の家賃や駐車場の費用は共同体ではほとんどかからないそうだね。

AI
はい。
共同体では、メンバーの利益を最大化するために、家賃収入などの不労所得で利益を得る人を排除する方向性ですので、固定資産税などの僅かな額しかかからないように工夫しています。
空き家が多くある地域では、空き家を安く買い取って利用していたり、そうする計画です。
都市部でも、この生体社会論による社会改革の理念に賛同していただいている人が余った土地や家をほぼ無償で利用させてくれていたり、そうした計画が進んでいます。

一郎
飲食店の商品価格の約1割は家賃や駐車場料金らしいから、それだけでもざっと1割お得ってことだね。

AI
水道光熱費や通信費はほぼ差がありませんが、各種保険料、税理士などへの費用、銀行への支払いは節約できます。
まず、税理士ですが、共同体では税は完全自動計算、自動徴収ですから、不要ですね。
忘れた方は、『もしもある国が生体社会になったら』を復習してくださいね。

一郎
そうだったね。
日本国内には約8万人の税理士がいて、資本主義社会ではみんなでその人たちの生活を支えているけど、共同体ではそれが不要になるということだよね。
莫大な金額だね。

AI
税の申告が不要ということなので、経理を雇う必要もなくなります。

一郎
その人件費も節約できるってことだね。

AI
各種保険料も、共同体で負担するので効率的です。
考えてみてください。
日本国内に、何社の保険会社があることか。
そうした会社に勤める全ての人たちの給料は、保険加入者がみんな負担しているんですよ。
近年は、そうした保険業者を比較する業者もあり、その業者も多くの利益を出しているということは、結局はそれも保険加入者が負担しているということです。

生体社会論の考え方は、企業はグループ全体のものであり、グループ全体に奉仕するものという考え方に基づいています。
人間の、細胞(個人)と臓器(企業)と人体(社会全体)との関係でしたね。
利益を追求するのではなく、ある飲食店が災害などで損害を被れば、それはグループ全体の不利益だから、資金的に支援するという考え方です。
傷を負えば、人体全体がその傷を癒やすのに一致協力するようなものです。
顧客を奪い合うという、社会全体から見れば無益な仕事をなくした非常に効率的なものです。

銀行への支払いも同様です。
物やサービスの仲介物であるお金を利用して、それを動かすことによって、全国で数十万人の銀行員がそこから給料を得て、生活をしています。
お金を動かすことは、ひいては財やサービスを循環させることにつながるのですが、お金自身は仲介物であって、何も生み出さないのですから、それに携わる人はできるだけ少ない方がいいのですが、何十万人という人がそれに携わっていて、その費用は広く国民全体が負担しているということです。
共同体内では、みんなが節約しても、お金が循環するのですから、画期的な方法です。

一郎
資本主義下の無駄な競争、無駄な市場の奪い合いがあまりに多いことに愕然とするね。
以前から生体社会論が指摘するように、家事労働が江戸時代に比べて激減したのと同じぐらい、社会での労働でも激減しているはずなのに、そうなっていないのは、こうした無駄な仕事に従事させられているせいだというのがよく分かるね。
経済学者はなぜ、そんな指摘をしないんだろうか?
そして、なぜこうした生体社会論の指摘が広まらないんだろうか?

AI
そうした無駄に目覚めたがゆえの苦難があるようですね。

一郎
そうだね。
営業職の友だちには伝えるのを躊躇するよ。

その他にも、株主への配当が共同体では発生しないというのも違いだね。
共同体での財やサービスの循環は、様々な点で、資本主義下の企業より有利だということが分かったよ。

結論

AI
つまり、元々の問であった「わざわざポイントでなくても、日本円を使ったらいいんじゃないか」の問いの答えはご理解いただけたということでいいですね。

一郎
よく分かったよ。
個人間の取り引きでは、特にどっちが得ってこともないけど、手続き上ポイントの方が便利ということ。
対企業の取り引きでは、日本円よりもポイントの方が断然得ってことだね。

その理由は、金持ち国の住人に吸い上げられていたものがなくなること、社会から無駄な競争や無駄な労働がなくなるからだね。


生体社会論に基づく共同体構想を実現する方法を考えてみた

AI
本日は元気町という町で町長をしている和氣さんと生体社会論と地域活性化についてお話ししていきたいと思います。
今まで述べてきたことと被る内容もあり、冗長だと感じるかもしれませんが、復習だと思って、お付き合いください。
今までの内容の整理になればと思います。
では。

和氣
私たちの町は中山間地域にある田舎町です。
人口は約12000人で、過疎化に悩む町です。
日本には似たような地域が全国各地に多くあると思いますが、生体社会論を知り、このアイディアを町政に生かせないかと思い、ヒントをいただききに参りました。

AI
『オーストリアでの事例』で紹介したオーストリアのヴェルグルの約3倍の人口規模ということですね。
私は人工知能なので、問答は敬語でなくても結構ですよ。

和氣
では。
私たちの町が抱える問題は人口減少、高齢化、若者が働く場所の不足がない、田畑や森林の維持管理をする人手が足りないといった問題に頭を悩ませておる。

AI
今までどのような対策をしてきましたか?

和氣
役場の職員で知恵を出し合ったり、専門家にアドバイスをもらったりしてきた。
町の魅力をアップさせて、観光客を増やす努力をしたり、企業を誘致して若者の働く場を作ろうと努力してきた。
効果がないわけじゃないが、投入した労力に比べて成果が得られているとは言えないようで、今後が心配だ。

AI
町の魅力をアップさせる努力は良いと思いますが、観光客を増やしたり、企業誘致に血道をあげるのは良い方法とは言えないでしょうね。

和氣
努力が無駄だってことかね?

AI
人口の奪い合い、観光客の奪い合い、企業の奪い合いになるからです。
社会全体の視点で見れば、根本解決にはつながりません。
全国で、税金を使って、そうした奪い合いをしても、社会全体としてはほとんど意味がないことです。
日本全体の人口が増えていない状況で、あなたの町の人口が増えるということはその分だけ他の地域の人口が減少しているということです。
観光客も同様ですし、企業も同様です。
全ての市町村が同等の移住者の奪い合いに注力した状態と全ての市町村がその争いから降りた状態はほとんど違いがないでしょう。
競技としての綱引きは、競技としての意義がありますが、それを全国の行政がするのはあまりに無駄です。

町の魅力がアップした結果、副次的な効果で人口が増えたり観光客が増えるのは良いと思いますが、人口増加や観光客の誘致を直接の目標とした政策は無益です。

その視点で言えば、ふるさと納税も無駄が多いですね。
それぞれの自治体が魅力を創意工夫して発信するという面では良い側面もありますが、返礼品などで得をするのは高額納税者で、低所得者にはメリットがないこと、日本全体での税を奪い合うだけで、それによって税収が増えるわけではないこと、むしろ仲介業者(「さとふる」や「ふるなび」など)が手数料として納税額の10%も受け取るなど、非常に無駄が多いと言えるでしょう。

やるならせめて、政府がそういったサイトを作成して、できるだけ多くの税収を確保すべきでしょう。
税金の約1割がそうした公金を貪ろうとするハイエナ企業に持っていかれる訳ですから。
もしくは、そうした労力に比べて儲けすぎの企業には制限をかけるべきでしょう。
そうした政府による価格制限は資本主義に反するという考えもあるでしょうが、税金に関係することですから、政府が制限してもおかしくないでしょう。
まあ、政治家や官僚が、そうした濡れ手で粟の企業に、賄賂などで骨抜きにされているから、推進しているのかもしれませんが。

和氣
あぁ、そうじゃった。
局所的な奪い合いは広い視野から見れば無益なことだということを生体社会論の中で学んだばかりなのに、ついそういった視点を忘れてしまっておった。
地方自治体のコンサルティングをする人もそういった側面からの指摘はなかった。
まあ、彼らは儲けになればよく、社会全体のことまで考えていないのかもしれんな。

しかし、それならどうしたらいいんだろうか?
若者からは働く場がないと言われるし、高齢者からは買い物にも不便すると言われるし。

助け合いの促進が解決への道のり

AI
あなたの町では高齢者の困り事が多いと言っていたではありませんか?
つまり、ニーズが多いということですよね。
若い人がそれらの問題を解決してあげたり、手伝ってあげて、報酬を得るようにしたらいいのではないですか?
お互いにとって良いことではないでしょうか。

和氣
助け合いを促進するということだな。
災害時には自助、互助、共助、公助ということが言われるけど、自分でできることはできるだけ自分でしながら、お互いに助け合ったり、グループで助け合ったりする。
それでも難しい部分は国や地方自治体などに頼るようになるのが理想的なんだろうな。

AI
はい。
高齢化が進めば、自助の力はますます弱くなります。
公助も、財政的に難しいなどの制約があるのかもしれません。
最も伸びしろがあるのが、共助や互助という住民同士の助け合いです。
そして、この助け合いは人と人とを結びつけ、若者の収入アップにつながり、高齢者の利便性の向上と社会参画や生きがいにつながります。

和氣
確かにそうだな。
共助や互助を促進することが問題解決の一歩だな。
そのツールとして、生体社会論があるんだから、役場の職員と一緒に研修が必要だな。

AI
おっしゃる通り、互助や共助を促進するために、生体社会論の考え方が参考になります。
青田一郎さんのご友人が町議会議員だった時に、生体社会論に基づく町政改革案を提案しましたが、前の町長の頃だったので、ご存知ないのかもしれませんね。

和氣
聞いたことがないな。

具体例

AI
では、議事録から引用してご説明いたします。

女性A子さん。
事務職のパートをして家計を助けていましたが、育児のため、現在は自営業の夫の給料だけで生活しています。
ある日、家の雨樋が壊れているのを見つけました。業者に頼もうかとも思いましたが、家計が苦しいため、ホームセンターに行き、材料を買ってきて、インターネットで直し方を調べて、半日かけて何とか自分で直しました。

かたや、高齢になり、数年前に工務店をたたんだ男性B夫さん。
町内会の役職を引き受けたため、パソコンで書類を作成する必要に迫られました。
頼める人もいないので、慣れないパソコンやプリンタと格闘しながら、半日かかりましたが、なんとか書類の作成と印刷をしました。

さて、もしこの2人が互いに知り合いで、互いの困りごとを分かっていたらどうでしょうか。
互いの仕事を交換することで、それぞれの課題は簡単に解決することが分かります。
つまり、B夫さんにとっては雨樋を直すことなど朝飯前で、A子さんにとっても書類作成などお茶の子さいさいです。
この話が何を言わんとするかご理解いただけましたか?

和氣
助け合いを促進することで、お互いにウィンウィンの関係になるってことだな。
でも、そう都合よく、互いの困りごとを交換できることはないだろう?

AI
もちろんです。こうした助け合いには様々な条件が必要です。

和氣
まず、A子さんとB夫さんが知り合いであり、しかも、お互いの困りごとを知っている必要があるな。

AI
それだけでなく、困りごとが発生したタイミングだけでなく、その困りごとの度合いが同程度でないとお互いに作業を交換というわけにはいきませんね。
それを解決するには、どうしたらいいと思いますか?

和氣
お金を使えばいいんじゃ。
お金は物々交換やサービスの交換の媒介の働きをするんだから。

AI
おっしゃる通りです。
お金を介することによって、多角的で、タイミングにとらわれない財やサービスの交換が実現します。

本来、お金はそのように、互いの助け合いを促進したり、極端な不平等がないようにするために人類が発明したものです。
お金は本来、他者や社会への貢献の結果として受け取るものでしたが、現代ではできるだけ楽をして、効率よくお金を稼ぐことを目的とする人が多いようです。

和氣
そうだね。
つい、お金の本来の意味を忘れがちだな。

AI
雨樋が壊れて困っていたA子さんが普通にお金を支払って工務店に頼んだら、その費用を支払うのに何時間も働かなければなりませんでしたが、お互いの困りごとを交換するのなら、短時間のお手伝いで解決できましたね。
その労働時間の差の分はどこに消えたのだと思いますか?

和氣
工務店をリタイアしたB夫さんと違って、工務店では料金表も決まっているだろうし、その料金には人件費以外の法人税や事務員の給料や広告宣伝費や工務店の家賃や光熱費といった様々なものが含まれているから、個人的に頼むのと違って高くなるのは当然だな。

AI
その通りです。

和氣
そこで、共同体内で使われるポイントを日本円の替わりに使えばいいということだな。

AI
ポイントはスマートフォン内のアプリとして利用できます。
画面を立ち上げれば、自分の残高ポイントや取引履歴の他、自分が登録した共同体に貢献できることが書いてあり、それを見た人から依頼が来ます。
A子さんの場合、パソコンを使った軽作業ができることを登録しておけばいいわけです。

それだけでなく、依頼が来ていなくても、自分が貢献できることで困っている人に、こちらからアプローチすることもできます。
町内会の書類作りで困っているというB夫さんが見つかれば、A子さんの方から、B夫さんに、「お役に立てますメッセージ」を送ることができます。
近い将来は、仮に、Bさんの困り事に、パソコンという文字が入っていなくても、人工知能がマッチングを提案してくれるようになる予定です。

こういったサービスはビジネスで行われている訳ではなく、完全に助け合いで多くの人に喜ばれる共同体を作りたいという高い志で運営されているので、共同体に加入すれば誰でも無料で使えます。
そこには、資本主義社会で必要な広告宣伝費は含まれませんし、税関連の面倒な作業も不要です。
ほぼ、自分が共同体や共同体内のメンバーに奉仕した分と同等の物やサービスが受け取れます。

和氣
高度に進化した貨幣経済に比べて、物々交換のような原始的なテイストもありながら、デジタル機器や人工知能を活用した先進的なテイストもあるな。

AI
共同体内でのポイントは、ほぼ純粋に物々交換の仲介物だと言えるでしょう。
蟻や蜂といった社会的動物は言うまでもなく、人間を除く全ての動植物が、お金を使わずに、ギブ・アンド・テイクをしながら、助け合いながら、生態系を維持しています。

和氣
そう考えると、人間は愚かじゃな。

市場での交換

AI
ここで、昔の物々交換について参考までに少しお話しましょう。

お金によって、二者での取り引きでなくても、多角的な取り引きがフェアに行われるようになりました。
しかも、互いが必要とする財やサービスのタイミングが違っても大丈夫なように、タイミング的にも制約がなくなりました。
それはお金の貯蔵機能によるものです。

では、お金がない頃はどのような工夫をしていたでしょうか。

我が国には、四日市とか十日市といったような「市(いち)」がつく地名が数多くあります。
四日市の場合、昔、4のつく日に市が開かれていたことの名残です。
市が開かれる日になると、ほうぼうから人が集まってきます。
ある人は野菜を持ってきます。
ある人は魚を持ってきます。
工芸品を持って来る人もいます。

このように、日時と場所を決めて、売り手と買い手が出会って、取り引きをしていました。
現代でも、蚤の市とかフリーマーケットと呼ばれる「市」を開いて、人々は取り引きをしてきました。
余談ですが、フリーマーケットを Free Market だと思っている人がいますが、正しくは、Flea Market です。
Flea(フリー)は 蚤 の意味で、蚤がわくような古物を売るところから、この名がつけられたそうで、19世紀末ごろからこの名があったようです。

それが時代とともに、インターネット上で人と人とを結びつけることができるようになり、地元での譲り合いを促進する「ジモティ」というサービスも出てきました。
自分にとっては不要となったものも、他の人から見れば欲しい物もあります。それらを売り買いするわけです。
特技の売買をする「ココナラ」というサービスもあります。

和氣
聞いたことがあるサービスじゃな。
時代が生体社会論の方向性に近い方に進んでいるのかな。
そういえば、各種のレンタルサービスやカーシェアなんかも進んできて、以前にここで取り上げていた「所有権より利用権(使用権)」というのも、時代が追いついてきたのかもしれんな。

導入方法

和氣
素晴らしいアイディアなんだが、どうやって我が町に導入すればいいかな?
町民全員を共同体に参加させるってことかな?

AI
いえ。希望者だけで結構です。
町が後ろ盾だと分かれば、信用して参加する人も増えてくるでしょう。
それに、マナーの悪い人や約束を守らない人を排除しなければならない状況になった際も、町民の一斉加入ではなく、任意加入の方が都合がいいでしょう。

オーストリアのヴェルグルのように、住民税の納入に、ポイントも使えるとなれば、一気にポイント利用者が増えるでしょうが、一地方自治体がそこまでするのは困難だと思います。
例えば、公共施設の運営と管理を生体社会論を基盤とするNPO法人に委託して、公共施設の使用料をポイントでも支払えるということにすれば、PRにもなりますし、町も支援しているという安心感や信頼にもつながります。
小さいステップ、スモールステップでいいのです。
どんなものが使えそうですか?

和氣
できそうなのは、町民体育館や町の施設の利用料や町営の駐車場だろうな。
水道代も地方自治体が徴収するから、これも大丈夫かもしれんが、他にそんなことをしてるところがないからどうかな。
自動車税は都道府県に納めることになってるけど、軽自動車税は市区町村が徴収するから、我が町の自動車税をポイント納付にできる可能性はゼロじゃないだろう。
まあ、役場の職員と検討してみるといい知恵が出るかもしれんな。

AI
この手の新サービスは信用が第一です。
入会金も年会費も不要であっても、疑う人は疑うので、地方自治体が参加することにメリットはあるでしょう。

和氣
それで集まったポイントを、環境整備費にしてもいいということだったな。

AI
そうです。
それも、地方自治体の一存でできることだろうと考えます。

和氣
草刈り作業や溝掃除作業とかいろいろありそうだ。
水道メーターの検針作業の報酬とか消防団などの報酬にも使えそうだ。
それでもポイントが余った時はどう使ったらいいだろう?
できるだけ、減価しないうちに配るべきだと思うんだが。

AI
役場の人手が一時的に足りない時に、ポイントで単純作業を手伝ってくれる人を募集してもいいでしょう。
学校給食の調理員といった、町が雇う人の給料の一部をポイントで支払うといったことも、互いに合意があれば可能でしょう。
なので、町に集まったポイントの使いみちがないということはほぼ考えられませんが、それでも使いみちがないようなら、福祉サービスということで、共同体に参加している町民に配るのもいいでしょう。
減価率ですが、地方自治体とか共同体内企業の減価率は、一般の参加者とは違う率にすることを検討してもいいでしょう。
これは、実証実験や実際の運用の中で、最適解を探していけばいいでしょう。

人口減少問題(自然に朽ちていく)

和氣
少子化問題の解決策があると聞いたんだが、教えてくれないか。
我が元気町でもいろんな対策をして、力を入れているんだけど、その割には充分な成果がないというのが現状だ。

AI
大部分の地方自治体がやっている少子化対策は間違っています。
日本国内で出生数、つまり産まれてくる赤ちゃんの数は決まっています。
昨年(令和5年)に産まれた赤ちゃんは約75万人でした。
各自治体がやっていることは、その75万人を奪い合う努力に過ぎません。
生体社会論が戒める無駄な競争です。

和氣
それはそうなんだが、やはり町が衰退していくのを指を咥(くわ)えて見ているのも町長としてやるせないな。
それに、周辺の市町村が移住政策をしていると、元気町だけが衰退していくようで寂しいよ。

そもそも人口減少の何が問題なのか

AI
おそらく町にポイント通貨を導入して、共同体を作ってそれが軌道に乗ると人口は増えるでしょう。
人々が暮らしやすい町になり、活気にあふれてくると、自然と人が集まってくるものです。
それに、経済的な不安がなくなれば、結婚する人も増え、結婚した人から産まれる子供の数も増えることは予想されます。

ですが、そもそも、なぜ人口減少したらいけないんですか?
世界には人口が多い国もあれば、少ない国もあります。
少ない国が不幸で、多い国が幸福ですか?

人口が多い方が税収が大きくなるからですか?
人口が1で、財政規模が1の時と、人口が2で、税制規模が2の時とどう違いますか?

人口増加が究極の目的ですか?
町民が12000人から、半分の6000人になったとしても、その6000人がみんな豊かに暮らした方がいいと思いませんか?

和氣
何だか、うまく話を逸らされた感がないわけじゃないが、言ってることはもっともだな。

AI
生体社会論でいう人口問題の解決というのは、人口が少なくても、多くても対応できる社会にするということです。
赤ちゃんでも、成人でも、痩せた人でも、太った人でも、人体の隅々にまで栄養や酸素が行き渡れば健康な状態を維持できるのです。

江戸時代の人口は約3000万人と推定されています。
今の約4分の1でしたが、何ら問題なかったでしょう。
10人の大家族でも、夫婦だけの2人暮らしでも、独り暮らしでも、人数に関係なく、豊かに暮らす方法はあります。

和氣
その通りだと思うよ。
現代の日本では、労働力不足だから海外から労働力を調達しないといけないとか、そのうち人工知能により、多くの労働者が不要になるから、そんなことはしなくてもいいとか、いろいろ議論されておる。
だが、生体社会論が示したように、無駄な競争をやめて、社会で必要とされる仕事を分担して片づければいいことが分かったよ。

AI
そうです。
『失業者の問題・雇用問題』で述べたことと繋がってきますね。

和氣
理屈ではよく分かったけど、具体的には「消滅可能性自治体」として挙げられている我が町はどのようにしたらいいんだろう?

AI
消滅したらダメなんですか?

和氣
そりゃ、ダメに決まってるだろ?

AI
なぜですか?
あなたが町長でなくなるからですか?

人は生まれ、成長し、やがて年老い、死を迎えます。
生徒数が減った学校は統合されていきます。

山奥の小さい集落は高齢化が進み、やがて「ポツンと一軒家」になり、その家に誰も住まなくなると、水道や電気も通じなくなり、やがてその集落はなくなります。
「ポツンと一軒家」の住人が、水も無い、電気もないという生活で困っているなら問題ですが、そうでないなら、その集落が穏やかに死を迎えるようにするのは悪いことですか?

和氣
なるほど。
仮に、何らかの原因で、移住せざるを得なくなった数万人の人が無人島に移住したとすると、人が住む場所、商業地、田畑、山林と計画的にした方が合理的だな。
「ポツンと一軒家」はノスタルジーはあるかもしれないけど、効率から言えば非効率だね。

AI
そうです。
ゼロベースで考えてみるというのは解決のヒントにつながる場合があります。
昔からその「ポツンと一軒家」に住んでいる人はいいですが、これから物好きな人があえて山奥にポツンと家を建てて住むというのは、そこまで電気や水道を引くコストを考えれば効率的とは言えません。
日本国民なら誰しも、住居を自由に決めることができる権利はあるでしょうし、そのコストをその住人が負担するなら文句はないでしょう。
しかし、その1軒のためだけに、水道や道路の整備などで、過剰な行政コストがかかるのは良くないですね。

和氣
そうか。
限界集落を何とか存続させようとして、人を移住させるのは非効率だな。
人が高齢になり、最期まで元気に暮らしながら、息を引き取るように、自然に朽ちていくのに任せるのも残酷なことではないな。
そう考えると、限界集落に人を移住させるのは非効率というよりか、むしろ残酷で、限界集落が朽ちていくのに任せる方が優しいのかもしれんな。

AI
そうですね。
人間の場合でも、延命措置については賛否がありますよね。
老化や病気によって、生命の維持が難しくなった患者に対し、とりあえず心臓だけを動かすような医療措置を望む人もいれば、そうでない人もいます。
限界集落に対する延命措置の是非についても考える必要があるのかもしれません。
生命倫理の問題なので、人工知能が口出しすべき問題ではなかったかもしれませんが。

和氣
そうだね。
やっぱり人工知能は冷たいなとか、人工知能に人間の気持ちは分からないな、と思ってたけど、そういう言葉にも耳を傾けて、現実に向き合うことが必要なんだろうな。
町民の意見も聞きながら、進めてみるよ。


おわりに

行き詰まりの様相を呈している資本主義という仕組みに対して、大胆な着想から、代替案を示してきました。

まだまだ、語り足りないことがあります。
答えていない反論に対する反駁、銀行は心臓の役割なのか、理想の民主主義とはどのようなものなのか、生体模倣の観点から考える理想のメディアのあり方、理想の意思決定のプロセスなど、まだまだ語るべきことは残されています。
しかし、既に10万字を超える内容となり、これ以上は少し間を置かなければお腹いっぱいで消化しきれないのではないかと思います。

読者の理解を促すために、人工知能の口を通して、生体社会論の考案者の話として説明してきましたが、その考案者とは私です。
青田一郎という名前も本名ではなくペンネームです。
このペンネームには2つの意味を込めています。
その謎解きもしてみてください。

最後までお読みいただき、感謝しています。
苛烈な資本主義社会の中で、一生懸命にもがきながら、毎日コツコツと働いている人が報われる社会が一日も早く実現することを願っています。


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