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「あの子可愛い、いじめよう」

小学校一年生の初夏。
入学したての小学校で、ドキドキしながら慣れない廊下を一人で歩いていました。
お手洗いに向かっていたのだと思います。

人見知りだった性格に加えて、私はこの頃から体調を崩しがちでした。
小学校一年生の5月頃なんて、まだ一日も欠席したことがない生徒が大半でしょう。
記憶のあるかぎりで、私はその頃すでに最低でも週に一回は欠席していました。

子供の頃のグループは、あっという間に形成されます。
そもそも私はグループ形成のタイミングに不在だったため、その現場を目撃していないのでただの想像でしかないのですが…要するに私はグループに参加しそびれていました。
完全に乗り遅れてしまったのです。

加えて私は、幼少期は極度の人見知りでした。
今でも人見知りの気は克服していないのですが、幼少期のそれはもうひどいものです。
他人の顔が見られないのは当たり前。
声が小さくて震えて、どもってしまう。
人前で発言なんて、もってのほかです。
せっかく話しかけて貰えても、言葉が、声が、喉の奥で止まってしまって上手く出てこないのです。
そんな私はいわゆるぼっち。
小学生の女子って、何故かお手洗いに集団で行くんですよね。あの文化はなんだったんでしょう。
私はぼっちなので、そんな文化を実行できずたった一人で御手洗いに向かっていました。

その声が聞こえたのは、お手洗いに着く途中の廊下の最中。

「あの子可愛い。いじめよう」

上級生の教室の前でしたので、きっと上級生の発言です。
なにやら物騒なことを言っているお姉さんの声が聞こえた気がする。
ぼんやりそう思った次の瞬間、私の髪の毛はグッと強い力で後方へと引っ張られました。

何が起こったのか、全くわかりませんでした。

顔をあげれば、名前も顔も知らない上級生と思われる女の子が三人。
一人は私のポニーテールにした長い髪の毛を、むんずと掴んでいたのです。
一体、何が。
パニックです。
呆然としているうちに、三人のうちの別のお姉さんが私のポケットからハンカチを抜き取りました。
それを高く掲げてみせて
「拾った!きたない!捨てちゃおう!」
何が面白いのか、高い声で笑いながら、私のハンカチを持ってくるくると私の周りを周ります。

この時の状況と光景は、今でもはっきりと、まるで映画のワンシーンでも観たかのように思い出せるのに、当の私が何をしたのかは全く覚えていないのです。
おそらく、やめてください、離してください、返してください…
そんな言葉を、蚊の鳴くような声で伝えた気はします。というか、いくらなんでもそのくらいの抵抗はしていて欲しいです。

髪の毛はほどなく離されましたが、ハンカチは持っていかれてしまいました。
三人のお姉さんたちも、笑いながら廊下をお手洗いとは逆方向へ走って行きました。
私は呆然として、泣いたかどうかも覚えていません。
そのあとお手洗いに行けたのかどうかも覚えていません。

私の、記憶に残る限りで一番最初のいじめられた記憶です。

「可愛いから、いじめよう」

そんな言葉が思い出されます。
可愛いといじめられるのか…会ったこともない人たちだったのに。
というか、私は可愛いのか…
家族や親族、幼なじみには「可愛い」と愛でてもらうことはありましたが、それは愛情表現ですよね。
容姿としての『可愛い』をおそらく初めて他人から向けられた瞬間、私にとってのそれは悪意の塊でした。
あの人たちは私の知り合いではないのだから、愛情表現ではない。それは、たった6歳の子供でも分かることでした。

それから私は、お手洗いに行くのが怖くなりました。
それから図書室にも。
本を読むのが好きな子供だったので、図書室は大好きな場所でしたが、図書室にもお手洗いにも、その上級生がいる教室を通らなければなりません。
エンカウントしないように何回か走りました。
しかし、逃げる獲物というのは、狩猟本能を駆り立てるようですね。
逃げれば逃げるほど、私は追い詰められ、囲まれ、何故か私物を取り上げられるのです。
最初のハンカチ、髪を結んでいたキラキラしたおもちゃみたいなゴム、借りたばかりの本を取り上げられた時は一番大きな声を出して抵抗した覚えがあって、相手がビックリしたのか本を投げつけられました。

しかし困ったことに、これは周りから見ると、イジメではなかったのです。
信じられないのですが、上級生が友達と馴染めない新入生を構ってあげている、ということになっていたようなのです。
上級生のお姉さんたちは、四年生でした。
その頃の女の子は、とても残酷で頭が良いのだと思いました。
私も私で、下手だったのです。
大声を上げて泣くだとか、先生に相談するとか、暴れるとか…は、難しくても。何かすればよかったのです。
でも、自分よりも背の高いお姉さん三人に囲まれて、友達もいない新入生が一人で、何かできたでしょうか。
結論、私の性格では無理でした。

ところで私は、気が弱いなりに頭が良く…いえ、平たく言えばずる賢かったのです。
物心つく前から、大人の世界で育ちました。
(この件は、また別の機会にお話できたら触れましょう)
年上には、可愛がられることが一番の防御だと理解していたのです。
自分の容姿が可愛いということに関してはまだ自覚は芽生えていませんでしたが、歳下の存在、そして甘えてくる存在は無下にできない可愛さがあるのだということは、すでに知っていたのです。

果たして私は、お姉さんたちに必死に媚を売り始めました。

今までただ、怯えたり無言で耐えていたり、避けたりという行動を辞めました。
はじめは奇妙だったかと思います。
髪を引っ張っても、ハンカチを取り上げても、取り囲んでも、ニコニコと見つめてくるんですから。
私は言いました。

「お姉さんたちと仲良く一緒に遊んでほしいです」

震えて小さな声だったと思います。正直覚えていないです。でも確かに言ったのです。

そうしたら、どうでしょう。
三人の中の一人(いつも手を直接出さないのです。きっとリーダー格で、発端の発言者と思われます)が笑うんです。
「いいよ!そのかわり、他に友達を作ったらダメだよ」

意味がわかりませんでした。
今でも良くわかりません。

でも、その日を境に私は髪を引っ張られることも、上履きを隠されることも、ハンカチを持っていかれることもなくなりました。
廊下でお姉さんたちに会えば、笑顔で挨拶をして、お姉さんたちはご機嫌な顔で私の手をとってぐるぐると回るんです。廊下を。
目が回りました。

私はお姉さん三人に媚を売り、ニコニコ笑い続けました。
友達もクラスにできたかは覚えていません。
私は小学二年生に上がる前に、引っ越しでその小学校から去りましたから。

思い返せば短い時間の出来事でしたが、あまりにも奇妙で、あまりにも屈折した、はじめての体験でした。
あれは紛れもなくイジメでした。
そして私が、他人に媚びて許してもらう、下手に出ることで自分を守るという行動を、ハッキリと自分の意思を持ってとった最初の記憶です。
これ以降、私はこれを悪癖としてしまうのですが、それはもうお察しの通りです。

もう名前も顔も思い出せない、上級生三人。
聞こえた最初の声と、初めて取り上げられたピンクの小さめの子供用のタオルハンカチと、囲まれた時にやけに高く感じた身長差。
そればかりを覚えています。

果たして本当に、私の容姿が気に食わなかったのか。
それとも何か私が知らないうちに反感を買う行動をとってしまっていたのか。
そもそも「あの子可愛い、いじめよう」というのが幻聴だったのか。
全てが謎すぎて、いまだに心に強く残っています。

そして皮肉にも、この出来事が、私を腹の中では色んなことを考えながら、頭の中は冷静に、相手に対してニコニコと下手に出て、弱い自分を見逃してもらおうとする悪癖の目覚めとなるのです。
たった6歳の女の子に、目覚めの悪い話だなと、他人事であったら気持ち悪いなと思ってしまいますね。
それでも、これが私でした。


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