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マッシブ

交通事故で手足がなくなったり子供が産めなくなったりした人のことを頻繁に考えてしまうことがある。

もし自分がそうなったときに耐えられるんだろうか??

でも、世にも珍しい難病で苦しんでいる人だってたくさんいて、テレビでも頻繁に特集が組まれたりしているワケであり、そういう人がいることは皆自分以上に認知しているハズだし、そういう人が身近にいる人だっているだろう。みんな考えるときは考えてるハズだ。

自分がどういう時に耐えられないか色々とパターンを想像する。
今までできたことができなくなるのは悔しいだろうし、その度にああすればこうすれば事故が防げたかもしれないと後悔するだろう。我慢するか。
もっとつらいことは、今まで馬鹿を言い合ってた人たちが気を使い始めるとか、手足があったから、不具じゃなかったから保たれていた信頼や愛情の関係が壊れてしまうこととか、それに対して流石に言葉だけではうまく説明できないこととか…これは人間関係を一新するしかないか。

どうやってやるんだという疑問もある。

そして、もし自分がそういうふうになっても変わらないでいてくれるパートナーを探すとしたら、そういう人は世間一般では嫌われ者なんじゃないかっていう直感がある。誰に対しても平等なのは誰にも気を使っていないことに思えるし、こんな話誰も聞きたくないだろうけど、それを延々と続けられる人なのだから。

純粋さとは穢れを見つめる力のことですとは言ったものだけど(穢れでもないけど)、その世界では恐怖だって不謹慎なのだ。怖いのだ。


(考えてる自分は嫌われるだろうというオチ)

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