「脱力」に関する考察 : 力を抜けば人は楽になるのか?
いきなりですが私の人生の最終イメージ
こんにちは。
いきなり画家になったりしながら、ガシガシ自己探究する羽目になっている大野です。
いきなりですが、私は人生の到達点として、
私を「見た」人の中で一瞬で「自己承認」が起こり、
自身の人生に感動してむせび泣く
ような人物になる。
というのがあります。
イメージとしては、私が通った後に五体投地(ごたいとうち)かのごとく人が地面に伏し、涙しているイメージ。
自分でも「一体どんなだよ!」
と突っ込まざるをえないのですが、
少し前に「ゆっこちゃんはどんな風になりたいの?」って聞かれたのに対してとっさに答えて以来、パッと出てきた割りに心にずしんと残っています。
で、そういう人ってたぶん「ハイパー自己承認ができている人」だと思うんですよね。
そして絶対、めちゃくちゃに肩の力が抜けてて、身体的にも精神的にも緊張がない人だろうな、と。
という訳で私は、「脱力」に関心があります。
「脱力」ってむずくない?
そんなこんなを思い始めて早2年ほど経つ訳ですが、脱力って難しくないですか?
ほらあれです、意識すればするほど逆に力が入っちゃう的な。
だけど脱力を会得したいから、太極拳習ってみたり、瞑想したりする訳なんですが、道のりがね、長そうなわけよね。(まさに「道」って感じなわけ)
脱力=世界を信じること
って感じで、フラフラ脱力難民をしていたのですが、パーーーンと思い至る節がありまして。
あ、脱力するってすなわち、世界を信じることだ。
っと。
この記事で伝えたいことは、上記のことに集約されてしまう訳ですが、もう少し詳しくお伝えすると・・・
私は、たくみさんという方から個別で瞑想を習っているのですが、その時にたくみさんが教えてくださったことがヒントになりました。
「世界が全て見えている」状態をつくろう、と。
世界が全て見えていないというのはそれすなわち「どこに危険があるか分からない状態=いつも緊張している」状態。
逆に全てが見えていれば、安心があるので、おそれる状態ではない、と。
おそらくその状態の先にあるのがいわゆる「マインドフルネス」だよね、みたいなお話をしてもらったような気がします(違ったらごめんなさい)
本来、平和な現代社会に生きていれば、そんなに周囲を警戒する必要ってないはずなんですよね(いつ襲われるか分からない原始時代とかならいざ知らず)
だけど私たちはその原始の記憶が残っているせいか、必要以上にいつも緊張したり、あるいは将来への不安を自らつくり出し、ドMよろしくおののいているかもしれない。
なるほど、っと。
っということは、脱力するためには、未来への不安を感じることなく今に集中し、かつ今時点で誰も自分に気概を加えないことに腹落ちしていればいいのではないか、と。
世界を信じ始めた私
最近怒涛の変化がありすぎて、というか、
どうやら自分は「軽やかな自己探究オタク」らしく、信じられないほどいろんな施術やセッションを受ける中で、
「 世界を信じる 」
を、ほぼ会得してしまった。
結構いつものことなのだけど、好奇心がすぎるせいで、いつも同時にいろんなものを受けている。そのせいで、「一体何が効いたのか?」が曖昧なことが多いww (が、頑張って説明してみるっ!)
シンプルに言えば、脱力のコツは「世界は私にやさしい」「世界が私に危害を加えるはずがない」ということを強化する「成功体験」を積むことだと思う。
なんだと思うけど、もしかして「ニワトリと卵」のような話かもしれない。
冒頭にの述べた通り、私の目標とする最終形態は「完全自己承認の神」でして、どうやら自己承認につながる活動を足繁く取り入れている。
1年前に始めた絵なんて実は際たるもので、
自分の分身とでも言えるような絵(それも、誰かの評価を気にせず自由に描いているもの)が100枚近くお嫁に行き(それだけで超自己承認)、それがなんなら数十万円単位でお金になり、称賛され、さらに飾ったことによる変化や喜びが日々報告される・・・
こんなハイパーな自己承認装置が他にあるだろうか(否、ない)
そんな助けもあってか、おそらく勇気をもって行動しやすくなっている私は、実際に何か行動を起こすことができる。
すると、願った通りの結果になることはもちろんだけど、
一見失敗したようにみえることが、実は願い通りだった、みたいな現実をガシガシと見せつけられる。
と、もう、世界を信じずにはいられなくなる。
現にこの記事を書こうと思ったきっかけとなるストーリーは、以下の失敗ストーリーだった
日本最南端の島、「波照間島」に上陸すべく、石垣島に前泊していた私。
他のメンバーと一緒に泊まっていたので、まさか乗れないなんてシナリオはなかったのだけど、寝過ごした上に(それだけだったら乗れた)、道を間違えてしまい、みんなの乗っていた船はすんでのところで出港してしまう。
まぁまぁ絶望に暮れる私。
しかも、次の船は欠航が決まっており、最終便の運航は未定。
(あぁ〜〜〜😱)
しかし、その1時間後に私は船に乗って、無事に島に上陸していた。
その日は週3日の「貨物船」が運航しており、運良く乗れたのだ。
私の波照間島リトリートのテーマは「完全脱力」だった訳だが、かくして一人でゆっくりのんびりと、島に上陸することができた。
しかも、この経験を持ってして世界を信じられるようになってしまい、まさに「脱力感覚」を手に入れてしまったのだ。。。
っという訳で、うまくいこうが失敗しようが、私の人生のピースは、何があってもカチカチとピースがはまってしまう「確変モード」みたいなものに突入してしまった。(たぶんみんな本来そうなんだと思うけど、それに気付くようになったというのが正しいかもしれない)
一見ネガティブなことがあっても、よく考えたら「私の願いがかなってるじゃ〜ん!!☺️」みたいなことしか多発しない。
(ちなみにこれは、私が今までの人生で固く握りしめていた「(本意をかき消すことで受け流すエセの)ポジティブシンキング」とは、明らかに性質が違う。だって私は、自分の真の願いにアクセスできいているから)
座右の銘は「願いは叶う」
っという訳で、「脱力のコツをGETしたぜぇ〜」って意気揚々と書き始めたnoteも、終盤に。
あるときから私の座右の銘は「願いは叶う」ということになった。
だって、よくよく考えたら全部叶っているんだもん🥺(なぜか小さい子ノリ)
もう一度繰り返すけど、
・世界は私を悪いようにはしない
というところに至り、
・世界はむしろ、私に微笑んでくれる
という境地に達すれば、自然と脱力しています。
という話なのですが、
その前段階として
・自己承認が進むこと
・世界が微笑んでいると感じる成功体験を積むこと
・未来に対して不安が薄くなること(これは今回ほぼ書いてないけど)
が必要だというのが今回の結論。
っというお話でした。
私の気づきが、何かの参考になりましたら幸いです💗
そんなこんなを考え、日々感情と向き合いながら絵を描く成果として、3月末に個展を開催します。もしよろしければご予定ください。
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最近、こういう気づきがじゃんじゃん巻き起こっているので、また書きまーーーっす😊
近々また。
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