見出し画像

初めて展示の批評記事を書く。「引き寄せられた気配」を鑑賞して。

2022年度は2つのアートスクールに通い、200コマくらい授業を受けた。学んだのは主に現代アートそして日本画。通ったアートスクールの一つであるアートトで、ライティングの授業を受けた。本当はみなさんと一緒に受けたかったのだけど、都合がつかず講師である小澤さんから補講をしていただく。その際の課題の一つ目として書いたのが今回のレビュー記事。個人的にとても好きな作品/空間だったので、記事を公開します。展示は3/26までなので、気になった方はぜひ足を運んでみてください☺️
 
-----------(展示レビューここから)-----------
トーキョーアーツアンドスペース主催「引き寄せられた気配」展にて、須藤美沙の作品/インスタレーションを鑑賞した。一部屋割り当てられたその場所には、天の川(銀河系)、木星、土星、太陽といった天体をモチーフとした作品が並ぶ。作品はどれも紙(支持体)に、ピンで無数の穴を開けて描くスタイルだ。作品に対して効果的に光があたることで、立体感や質感が強調されている。その作品群を見ているうちに、私は「主体(我々人間)と客体(今回の場合は天体、星々たち)の関係性の倒錯」を覚えた。

会場に入ってまず目に入ったのは「天の川銀河」をモチーフにした作品だ。この作品を目にして反射的に感じたのは「どちらが裏でどちらが表か」というものであった。ピンを押した方、ピンが押された裏側、どちらが正位置かがにわかには分からない。この分からなさは同時に私たちと天の川銀河の関係性でもある。我々は夜空の天の川を眺めるが、同時にその銀河の一部でもある。

順番としては最後に展示されている太陽の作品でも、同様の感覚を覚えた。平面作品が宙吊りになっているため、作品は裏表両方から鑑賞できる。その作品とともに、地面に映し出されている影。太陽はその存在により、確実に影を生む。月の満ち欠けから人が立った後ろにできる影まで様々な大きさで。太陽という圧倒的な存在に対して我々を含めた対象物が存在することで生まれる影。そこには本来主従がないような気がしてくる。

銀河系と太陽の作品に挟まれて「木星」と「土星」をモチーフにした作品が並ぶ。この2つの星はどちらも「巨大ガス惑星」と呼ばれるもので、太陽系の中では太陽に続いて圧倒的に大きな星でありながらその大部分はガスなどでできている。そんな言葉はないのだが、まるで「虚星」とでも言えるようにその実の大部分は実態なきものでできている。巨大さの中にある、僅かな実部分。そこにはこの展示の全体に流れる「ミクロとマクロ」の関係性も暗示しているように思えた。

会場構成に目を向けると、木星と土星の作品から受けたその暗示の意図はさらに強固なものとなる。本展示の会場構成はやや特殊であり、壁が四角形の部屋の対角線を結ぶように配置されている。この会場は最初に入ったところが広く、次第に会場は鋭利になっていく。その先で開けたところから再び視線は鋭利になる。これはまるで「マクロからミクロ」続いて「ミクロからマクロ」という運動感覚に我々を誘うようである。星々(木星や土星、太陽)は我々の肉眼では非常に小さい(ミクロ)だが、近づいてみれば地球の大きさなどはるかに凌駕する大きさ(マクロ)である。ここでもまた、我々と天体の関係性の反転が感じられる。

本展示で私が感じた「我々と星々との関係性の倒錯」そして「ミクロとマクロ間の動的移動」が示すものとは果たしてなんだろうか。作者である須藤の言葉を借りればそれは「作品制作を通して宇宙との距離を縮める」行為とのことだが、今回の展示でそれは成功しているように思う。遠くにありて思う銀河に実は我々は属しており、遠くに見える太陽との協働作業で確実に生まれるものの存在。存在しているようで実はその大部分が虚に近い存在である木星と土星。それらを須藤自らが身体的な感覚(ピンで穴をあける)で肉薄しようとした手触りのある作品とともに味わうことで、天体との関係は確実反転/倒錯を覚え、心理的な立ち位置に変化が生まれる。本展の総題は「引き寄せられた気配」であるが、まさに須藤の作品を通じて、天体たちとの新たな関係性が結ばれた気がした

( レビューここまで )

作家の須藤美沙さんについてはこちら

「言葉の美しさは、見ている世界の美しさ」 少しでも新しくて、美しい視点をお届けできるよう、好奇心全開で生きています。いただいたサポートは、全力好奇心の軍資金として、大切に使わせていただきます♡