『ゾウの時間ネズミの時間』

なぜ、ハエたたきはうまく当たらないのかずっと疑問だった。

この本はそれに答えてくれた。

物理的な寿命が短いといったって、一生を生き切った感覚は、
存外ゾウもネズミも変わらないのではないか。

哺乳類ならすべて、一生のうちに心臓の鼓動は20億回打ち、5億回の呼吸をするという。その動物のサイズによって、生理的なリズムや体内時計が設定されているが、その間隔は変わっても、リズムや時計の構造自体は変わらないらしい。おおよそ、大きい動物はゆったりとして、小さい動物はきびきびとしている。これは経験則から直感的にわかる。
面白いのは、運動をしないで消費するエネルギー、いわゆる基礎代謝の一生の内の総量は、哺乳類なら体重1㎏あたり15億ジュール、灯油40L分らしいのだ。これは、寿命もサイズもまるで異なるネズミもゾウも変わらない。

小さい動物があれだけ俊敏に動けるのは、軽さはもちろん、その小さな体にエネルギーを燃やしきれるエンジンがあるからだ。エネルギーが高いほど早く、強く動くことができる。そう考えると、ヒトのミトコンドリアを2倍にすれば、009のように世界はゆっくり見えるのだろうか?年をとるにつれ時間の流れが早くなるように感じるのも、体の大きさに対するミトコンドリアの密度によるものなのだろうか?

さらに活動エネルギーを考えると、平均して基礎代謝量の2倍に落ち着いてくる。人間の場合、体内以外でもエネルギーを生み出し活用している。これも含めて考えると、人間は、4.3トンの体重があればそのエネルギー消費量にやっと釣り合うらしい。この本が使ったデータは1986年のものだったが、今ではどれくらい人間は巨大化しているのだろうか。

生息密度についてもやはりサイズと関係があるらしい。1985年時点の日本の人口密度から適正なサイズを計算していくと、人間の体重は140グラムとなる。著者は、日本の家屋の狭さを揶揄した「ウサギ小屋」という言葉は褒めすぎだといい、「ネズミ小屋」だと痛烈に皮肉っている。

全体のサイズが変わったら、機能や各部分のサイズがどのように変化するだろうか。この変化の様子を記述するときに、部分を全体のサイズの指数関数として近似して書き表すやり方を、アロメトリーと呼ぶ。そしてこの指数式をアロメトリー式と呼ぶ。

このアロメトリー式をこねくりまわすことで、ほかの動物たちから見て、人間がいかに奇異な存在かを知ることができる。

このあと、動物のサイズを糸口に、系統・種による違いや生体の構造などを考察していく。同じ生き物だと思っていたものも、サイズ感が変われば世界が一変する。微生物の世界は、彼らの体の大きさに対して水の粘性は強すぎて、ねばねばしているらしい。ゆっくりと動くゾウは、あれだけの体重で暮らしているのには相当無理がかかっているらしく、かなりの頻度で足を骨折をしているらしい。

それぞれの環境で生き抜くために、生物の体は合理的に進化している。
我々を脅かすウイルスなんかは、もはや生物ですらなく、生物学的存在と呼ばれている。
生物工学やバイオニクスは、暮らしを発展させてくれる有用な構造や技術だけではなく、生態系の摂理から外れて暴走している人間に、謙虚さと豊かさを教えてくれるものだと感じた。

アシカやイルカの水槽をながめていて、こいつらは、なんでこんなに、くるくるくるくると泳ぎまわっているのだろうかと、不思議に思ったことがある。こう考えてしまうのも、われわれはいつも、なんらかの目的をもって動いているせいだろう。

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