【情報の生残性】ウェブコンテンツは儚い

 今日は昼にロフトプラスワンでの『ナードな茶会』を取材して、この後夜にはDJ HIROSHI WATANABEのツアーファイナルという日程。ハードはハードだけど、どちらも僕が大好きで楽しみにしていたので、心理的な疲労感はない。まぁ、作業の進捗が頭の片隅には常にいるのも確かだけど。

 さて。僕は常々、メディア(ブログなども含まれる)はアーカイブとして残り、なおかつ情報が誰からも参照できる状態にあるということに意味と価値を見出しているのだけど、ある人にそれは「アーカイブする人間の能力次第」というリプがきた。はっきり言って間違っている。というか、書き手の能力に拠らず、システムやメディアの存続によって「残る」かどうかが決まってくるようになっているのですね。

 例えば新聞社・通信社のウェブ記事は、一定の期間を経ると削除されるケースがほとんどで、検索性に難がある。もっとも、何かしらの会員になれば過去記事を参照できるようなサービスを提供していたり、各社とも中ではアーカイブとして残っているので、図書館などで調べることは可能といえば可能だ。

 一方、ウェブメディアの場合、何らかの事情(多くは収益性の問題)でクローズされると、たいていはサーバーからも消されてしまう。僕が過去にお仕事してきたメディアでも「残らなかった」記事は多数ある。

 ブログも、サービスの継続が保証されているわけではない。サービスが終了したら、別のサービスにまるごと乗り換えない限りは、全部消える。自サーバーを置いてそこでWordPressなりMovable Typeなりで構築している場合でも、雷が落ちて全部消えるということだってあり得るし、そもそも当人が管理をしなくなった段階でデータはウェブからなくなる。

 だから常々、「ウェブメディアって儚いな」と思っているし、自分の書いたものが残らなくなる可能性というものは、常に頭の片隅に置いているわけ。書き手の能力いかんによらず、なくなるものはなくなる。記憶に留められるのではなく物理的に。

 となると、ウェブのコンテンツの生残性を高めるためにどうすればいいのかという話は簡単で、より多くのサーバーに「掲載」されていればいい、ということになる。僕が『ガジェット通信』でお仕事をしているのは、10以上のポータルサイトなどに配信して、そちらにも記事が「残る」からで、本ブログをクリエイティブ・コモンズの「表示・継承」にしているのは、それが転載されるならば何も『ヤプログ』にだけ「掲載」されることに拘泥せずに、後々まで「伝わる」ことを期待しているからでもある。まぁ、ブログの方はめったに全文転載されるなんてことはないけれど(笑)。ほとんどの記事はBLOGOSに載っているわけだしまぁいいか、と思っている。

 もっと確実なのは、まずは電子書籍としてまとめられること。そして、「書籍」として国会図書館に入ることではある。ただ、現状の僕の立場でひと足飛びにそこまで行くのは難しいから、まずは明日なくならないような情報の発信をどうしたらいいのか考えつつ、自分が「残すべきだ」と感じていることを、数十年経ても残って読まれるように手は打ちたいと思っているわけです。

 そんなこんなで。ウェブのコンテンツってストックとしては脆弱だということはもっとみんなも気にした方がいいよ! ……というところで今日はおしまい。あーヒロワタさんのプレイ楽しみ~!!!


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