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物語と社会の境界線

「仁義なき戦い」は「限りなく社会の実相に近い物語」である


「仁義なき戦い 代理戦争」(深作欣二)をネトフリで視聴した。観た理由は経済的な理由で、今日でいったんメンバーシップをキャンセルすることにしたからなんだけど、やはり何度観ても面白い作品は面白いものだ。

この映画はフィクションでありながら、ノンフィクション——つまり現実に限りなく近い物語を描いている。


僕がそう思う理由は、この映画が、安易に二項対立を持ち込んで、話を単純化させず、複雑なやくざ社会の様相を複雑なまま提示していると感じるからだ。

別にやくざ社会に限らず、社会は複雑だ。学校とかに行きだす頃から、段々とそのことが身に染みてくる。綺麗なものと汚いものがグラデーション豊かに混ざり合い、まるでバラバラのライフスタイルの人々がそれぞれの事情(組織や個人の利得、あるいは他者への義理人情)で動いている。変数は膨大にあり、どれほどテクノロジーを進歩させても、到底分析しきれぬほどの因子が複雑に絡み合っている。

この映画が現代においても古びず、様々な分野のトップクリエイターが未だに参考にしているのも納得がいく。実を言うと、そんな作品がネトフリで観れることに、未だに慣れない自分がいたりする。ありがたいけども。

「限りなく社会の実相に近い物語」を現代でやるとどうなるんだろう?


さて、ここで、クリエイター志望の私にひとつ疑問が浮かぶ。

現代で、「仁義なき戦い」のような「社会の実相に限りなく近い」複雑な物語をやろうとする場合、どういうアプローチ方法があるのだろうか?

少年ジャンプで連載中の「ワールドトリガー」はその一つの答えを提示していると思う。映画と漫画で媒体は違えど、刊が進む毎に登場人物の数やゲームのルールに関わる変数が増え、複雑性が増し、もはや下手なビジネス本など目じゃないほど高度なシミュレーションSF作品となっている。

この作品は間違いなく、現代とリンクした「今の社会の実相に限りなく近い物語」だと思う。


こちらの作品は夜間飛行の「アイデアを形にする教室」で講師の鳥居さんに紹介して頂いたから読み始めたのだが、ハマった。恥ずかしながら、途中をすっ飛ばして読んでしまっているので、空白をこれから埋めていきたい。


私は社会の複雑性に疲れて、引きこもった。だから、正直言うと、今日紹介したような複雑度の高い作品に触れるのは、知的負荷的な意味で大変に感じることも多い。発達障害の疑いもあるし。

しかし、社会の実相に限りなく近い作品を分析することにはひとつ、大きな利点がある。

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