自分の頭で考える

今回の要点

・長い間考えるのを他人任せにしていた

・自分で考えるのは怖い

・考え続けるには呼吸を深くし、体力をつける必要がある

・やっぱりシステマがソリューション


長い間考えるのを他人任せにしていた

私は大学時代、映画だけに関心が向いていました。週に4,5本見るのは当たり前で、3時間以上かかる映画も映画館で平気で観に行ってました。今は長時間じっとしているのが苦手になってきたので、あまり長時間の映画は観ませんが、当時はそれほど映画にのめり込んでいたのです。

そんな私は映画を評論する仕事に就こうと漠然と考えていました。その為、時折twitterなどに映画の感想を書いたりしていたのですが、そこで私が書いていたのは自分の意見ではなく、他者の言葉でした。

私は気に入っていた批評家の本を読み、その批評家が使うような言葉を使っていました。その批評家が貶している作品があれば、自分も粗を探しながら観て、見下していました。その批評家がある社会問題に対して意見を言ったら、自分も追随して、違う意見の人達を見下していました。

要するに、自分で考えるのをやめて、他人任せにしていたのです。私が学生生活を心の底から楽しめなかったのは当然だと思います。自分の感情や考えと向き合わず、他者の言葉に踊らされ、責任転嫁しながら生きていれば、自己肯定感が生まれるはずもありません。

今にして思うと、私がなんらかの映画や異なる意見の人々を見下していたのは、自分への自信のなさから生まれた攻撃性だったのだと思います。


自分で考えるのは怖い

私は最近になってようやく自分で考える訓練を始めました。日々の出来事や社会の問題に対し、自分の頭で考えたことをまとめ、アウトプットする。それをし始めてわかったことは「自分で考える」ことの大変さです。

例えば、意見を言うときも、「これは〇〇さんが言っていたことだけど」と前置きをすれば、楽です。その意見が間違っていれば、〇〇さんの責任にできるからです。勿論このような言い方自体は必ずしも悪いものではなく、専門家の意見を参照にすることが必要な状況も多いです。しかし、仮にそのような言い方ではなく、「俺はこう思うんだけど」と自分の意見として言ったら、その責任を自分で背負う必要があります。

つい先日、「責任を背負う」ということの怖さを体感する出来事がありました。

そのときは、自分が習うシステマの界隈で、とある出来事に関し、意見の隔たりが起きていました。私はそれに関して、自分の思うことをtwitterに投稿しようとしました。そのとき、私は投稿ボタンの前で自分の指がなかなか動かないことに気付きました。自分の身体を観察すると、肩などが強ばり、呼吸は浅くなっています。そこで、私は自分の内側の恐怖心を自覚しました。

自分の言葉を発すれば責任が生まれる。

私の身体はそれを自覚し、反応していたのです。結果的に、システマの呼吸で恐怖に伴う身体反応をどうにか鎮め、投稿しましたが、「自分の頭で考えて言うって怖いことだな」という思いがしばらく頭の中に残り続けていました。


考え続けるには呼吸を深くし、体力をつける必要がある

自分の頭で考えると、他人の言葉で動いているより、脳活動量が増えます。脳の酸素消費量は全体のうち約20%もの割合を占めるそうです。つまり、脳を常に活用しやすくする為には、酸素を効率良く送り込む必要があります。つまり、呼吸を深め、運動で赤血球が含まれる血液などの体液の循環を促進すれば、今より考えやすい身体になれる、ということです。

だからこそ、教授や作家といった職業の人の中でも散歩やジョギングといった有酸素運動を習慣化する人が多いのでしょう。


やっぱりシステマがソリューション

今までの内容を踏まえて考えると、自分の頭で考え続けるには少なくとも、以下の3つの要素が必要のようです。

① 恐怖心を乗り越える技術

② 深い呼吸

③ 体力

この要素をまとめて強化できるものは何でしょうか?

そう、システマです。今習っているシステマをもっと練習すれば、自分の頭で考える力も鍛えることができるとわかりました。というわけで、もっとプッシュアップするのが最強のソリューションなので、これからも打ち込んでいきたいと思います。

勿論、周りの情報を分析したり、自分の頭で考えたことをアウトプットする為の言語化力に関しては、それらに特化した練習や勉強が必要だと思っています。まだまだ色々と至らず未熟ですが、これらも少しずつ改善していきたいですね。

今回も読んで頂き、ありがとうございました。あなたに善きことがありますように。

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