音を語り言葉を奏でる
執筆:ラボラトリオ研究員 つきよみ
言葉と音楽は似ている。
どちらも、いつどのように生まれたのか誰も知らない。
気が付いたら、そこに存在していた。
表現の方法は無限にある。
どのように組み合わせても自由。
とはいうものの、心地よく感じさせるためには、何らかの法則を守らないといけない。
現代音楽やフリージャズのように、あえて法則を無視した音楽もあるけれど、さすがにあれは万人向けとはいえない。
それはそうですよね。
ピアノを肘でバキバキ打ち鳴らす音を聞いて、
「ああ、なんて美しいメロディー・・・」
と、うっとりする人はいない(多分)。
それよりも「お隣のお嬢さん、反抗期かしら?」と心配するのが普通だろうと思う。
大多数の人が美しいと感じる楽曲には、やはり法則や論理の縛りがあるらしい。
言葉の組み合わせである文章もまた同じ。
法則を完全に捨て去ったら、おそらく意味の通らないものになる。
制約の中で自由を追求するからこそ、創作の妙味が生まれるのだろう。
読みやすい文章にはリズムがある。
文章そのものが、まるで指揮者のように読み手を快活なテンポに導く。
「うまく書けないなあ」と思うときは、たいていリズムが悪い。
言葉を飾ることばかりに気を取られて、のっぺりした文章になっている。
文章を書く上で、生き生きとしたリズムは、どんな豊富な語彙にも、
どんな技巧的な表現にも勝ると思う。
だから、音楽家には文才のある人が多い。
これは決して偶然ではない。
音楽を通して身に付けたリズム感が、無意識のうちに文章に反映されていることは間違いない。
ということで、文章力を上げたかったらリズムです。
さあ、楽器を習いましょう!
・・・などというつもりはないけれど、とにかくリズムは大切。
冒頭にも書いたとおり、言葉はいつの間にか存在していた。
それだけに、自然発生的な性格が強い。
自然のリズム、呼吸のリズム、鼓動のリズムに乗って躍動する文章は、
まるで音楽のように聞こえる。
表から見える言葉の、その先の領域に、心地よさを決める要素が隠されている。
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【つきよみ プロフィール】
netenのシステム担当。
小学生の頃は本の虫。中学生でギターに目覚め、高校時代はテニスに熱中。
「文武両道で行けるかも・・・」と甘い幻想を抱くが叶わず、替わりに「文理両道」を目指すようになる。
以来、自分の中にある文と理を止揚することに執念を燃やす。
しかし、執念を燃やしすぎて燃え尽きそうになったので、最近は火消しにも躍起になっているとの噂。
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