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銀河砂漠の国 Episode 1

執筆:ラボラトリオ研究員 畑野 慶

 世界はとうの昔に干乾びた。湯水のように使うは文字通りの死語であり、雨季でも雨はめったに降らない。かつての沼や湖では、白くひび割れた地表を剥き出して、ところどころ枯れ果てた木々が不気味に立っている。微生物によって分解されない、ひどく乾燥した気候であるが故だ。大地の大半を占める砂漠の、赤みがかった砂色と向かい合う空は、抜けるように青い。伴う太陽は、まさに暴君だ。夜の暗幕に閉ざされると、ひんやりとした月が懸かり、星々が色とりどりに輝く。壮麗な天の川を形成する。流れ星が飛び交うこともある。背景の暗幕は、単純な黒ではない。青紫が混ざり合っている。


 国は緑地に築かれた。台地状の丘に聳え立つ、砂岩の城郭都市である。中核は威風堂々たる王宮。最大の武器である大砲が、飾りのように居並んでいる。攻め入ろうと外からやって来る者たちは、その遥か手前、堅固な城壁を前に大抵恐れをなす。国の平和は、知られざることもある不戦勝の積み重ねだ。故に、土木職人たちの身分は高いが、そうではない者たちも高い識字率を誇る。女子供とて例外ではない。読書階級のように本を開き、芸術に親しむ。働き口を求めてやってくる者たちは、そんな人々の洗練された生活態度に舌を巻く。国は友好的に来る者を拒まない。つつがなく三年住めば、誰しもが国民になり得る。人口は増え続け、城壁の内側が飽和状態に達すると、砂色の四角い家々は外側の低い場所にも広がった。砂海までまっすぐ伸びる大通りが、東西南北に一本ずつ設けられた。放射状に拡大する町並みは、外に行くほど貧相しいという分かりやすい構図である。だが、身分や貧富などの差は世襲しない。ひしめき合って建つ家々の、迷路のように入り組んだ日中も薄暗い小路の先には、開かれた城門の中へと続く上り坂がある。貧しき若者が志を立てて駆け上がろうとする、たしかな希望だ。
 
 その風通し良く明るい道は、王の急逝によって幅を狭めた。青二才の息子が新たな王になり、城壁の外に住まう者たちへの差別的な政策を断行するようになった。通行すら儘ならない、城門の前で行う嫌がらせのような検閲が、国民に対しても始まった。壁を超えての通勤や通学は制限され、不当な解雇や転校を迫られる者も出てきた。安価に通えていた国営の学校は、壁の外でさえも授業料を過激に吊り上げた。学生の大規模な抗議運動に出てきたのは軍隊。即ち、対話の拒否である。武力を用いることはなかったが、言いがかりで数人が逮捕され、その居丈高な鎮火方法に国民は・・・いや庶民は、一層の怒りを覚えた。壁の内と外、凡そ二対八の割合で、国土は明確に分けられた。賃金格差は理不尽なほど広がった。そそり立つ壁は、まるで貧しき者を退けるように。


 愚かな王には、九つも年下の妹がいる。名はアンナ・マリーア。誠に気高い娘だ。体つきは引き締まり、艷やかな黒髪は常に短く保たれている。華美に着飾ることを好まない。時折見せる凛とした顔つきは、亡き父親に良く似ている。性格も同様だ。厳格な乳母を慕い、何事も自ら動き、家臣と共に掃除や洗濯も行う。男に混じって武術も習う。分からないことは素直に教えを請い、誤っていると思うことはしっかり意見する。嗜む芸術は絵画だ。勉学も怠らず、広くたしかな教養を身に着けていた。権力を幼稚に振り翳す兄との、歴然たる差は言うまでもない。

 五年前に王が即位した時、彼女は僅か十四歳であった。幼少期の母親に続き、父親までもが急逝した深い悲しみ。鬱ぎ込む彼女にとって、王は良き兄であった。投げ掛けてくる能天気な、それでも前向きな言葉の数々が、少しずつ以前の活力を取り戻す助けになった。無論まだ政治については不勉強であった。王宮からの穏やかな眺望に変化は見られず、向けられた不信が少女の目に届くはずもない。だが、小耳に挟んだ家臣たちの話などから、兄の無能ぶりを薄々感じ取っていた。若干無能ではあっても、心優しき王であると信じていた。

 王の偏った優しさは、城壁内に限られる。アンナ・マリーアは、五年かかってそれを認めた。贔屓目で見ていたことを恥じた。少女から大人へ。現実を知った。正義感に燃えた。幾度となく声を上げたが、王はへらっと笑うばかりで相手にしない。すると、乳母にこう諭された。

「まずは怒りを収めなさい。喧嘩になれば貴方は負けます。負ければ改革どころではありません。相手は兄であっても王なのです」

 納得したアンナ・マリーアは、あれこれ知恵を絞る。父親が書き残した本を再読する。考えすぎて眠れない夜は、外がやけに騒がしかった。その分明け方に熟睡してしまった。珍しく乳母に起こされ、そして知らされたのは、昨夜の騒ぎは大事件であったこと。


 王宮の宝物庫から、工芸品や貴金属、刀剣などの国宝が、ごっそり盗まれたのだ。狙われたのは、見回りの交代時間。僅か数分のことだ。鍵という鍵が鮮やかに開けられ、何も壊されていなかった。信じられないと皆が口を揃えた。王は激しく怒り、その日担当していた見回りをすべて国外追放に処した。大掛かりな犯人探しが巨万の懸賞金を掲げて始まったが、一向に手がかりすら見つからず、嘲笑うように城壁内の富裕層を、中でも悪辣な拝金主義者を狙い、盗難が相次いだ。犯人は国の内情を良く知っている。標的は選別されているに違いなかった。それでも何一つ壊されず、盗品は何一つ出回らない。広がる噂は、国外の闇市で売り捌かれた後、形を変えて貧しき者たちに配られているというもの。証左のように、国で唯一の孤児院には、正体不明の者から多額の寄付金があった。乱心極まる王は、義賊と称える者も同罪などと言い放った。


 アンナ・マリーアが気に掛けていたのは、国外追放になった者たちと、その家族のことだ。実は、身を隠しながら国内に留まり、当座の仕事を与えられていると知らされ、彼女は胸を撫で下ろした。

 こっそり便宜を図った家臣がいるのだ。名はロレンツォ。恐ろしく頭の切れる男だ。若くして要職に就いている。言動に隙がない。代々王族に仕える家の末裔であり、三つ年下のアンナ・マリーアとは幼い頃から遊び相手として交流がある。立場の違いは刷り込みのように教育されてきた。

「ロレンツォ、共に国を変えましょう。私は権力が恐ろしいものだと学びました。正気ではなくなった王を目覚めさせなければなりません。昨今の盗賊は、大きな不満の現れなのです」

 二人が育んできた友情は、立場を超えたものであるが、男女の仲に発展しないのは、それが邪魔をしているのかもしれない。


 満月の夜、王宮のきらびやかな一室で催される舞台芸術は、先代の王が始めたことである。身分を問わず国内の、時には国外からも、話題の芸術家が一度に複数人招かれる。歌う者あり、踊る者あり、演じる者ありと、何を披露しても構わない。家臣が王の意向を聞いた上で選定する。先代の王は芝居を好んだが、いわゆる劇団ばかりを招いてはいけなかった。王宮に住まう者たちが巷の流行を学ぶ、ということに主眼を置いていた。故に、奇を衒うような前衛芸術も時に披露され、聴衆の多くが眉をひそめる中でも、先代の王は興味深そうに観覧した。照明は天井から下がる大きなシャンデリアだけではない。壁に備え付けられたランプの後ろは鏡張りになっている。反射によって明るさを増す為だ。

 息子の代になると、検問を行った上で、妖艶な踊り子ばかりが招かれるようになった。無論王の破廉恥な意向であり、舞台の両脇には弦楽奏者を配する。音と調和しながらも、肌を大きく露出させての挑発的な踊りは、凡そ芸術というより三流芸能である。品位ある者たちは、愛想笑いを浮かべ鼻白むばかり。天井に描き出された母子の女神を含め、誰も批判の声こそ上げないが、暗黙の了解ですぐに子供の入室は禁じられた。大半の女たちがやんわり出席を拒んだり、中座したりする中で、アンナ・マリーアは目を光らせ毎回居座る。厳しい顔つきでロレンツォもいる。節度を守らせる為の抑止力だ。排除にかからない王にも、少なからず自尊心があり、素晴らしき芸術などと言い張っていた。

 本編の前には、決まって三四人の前座が踊る。あどけなさが残る顔でひどく痛々しい。最前中央の席に座る王の目に留まろうと、彼女たちは懸命に背伸びをする。そして、本編の成熟した踊り子と入れ替わるのだが・・・

 ある夜、両脇の弦楽奏者たちも皆下がり、出し抜けに童人形を持つ女が現れ、唇をほぼ動かさずに喋った。しかも張り上げるような声。稀代の腹話術師である。ふくよかな体に、ひらひらと丈の長い水色の衣装を着ている。誰の目にも明らかなのは、それが尊い水の流れを表して、天井画の女神を模していることだ。招いた家臣は青ざめ、王は憮然としている。アンナ・マリーアがロレンツォに視線を送ると、彼は首を小さく横に振った。

 水の女神に扮する腹話術師は、片手で童人形を操り、掛け合いの見事な一人芝居を披露する。国の神話に沿った、悲運の物語だ。

 国民の常識たる結末は、母子二神の死である。それと共に、地上の豊かな水の流れはなくなったとされる。人間の業によって、子が先に亡くなり、母が後を追う。その直前、天上と地上で交わされる会話が結びの一節だ。

 いよいよ子が亡くなる場面に差し掛かると、弦楽器による悲しい調べが流れ始めた。暗幕から現れた長身の独奏者は、顔もすっぽり隠す黒子になっている。思いの外、芝居に見入っていた王は、話の展開に驚き涙した。迫真の芝居を見せる腹話術師は、ぐったりした童人形を舞台上に寝かせ、羽織っていた白い薄布を被せた。両手の平を上に向け、天井を見上げた。雨が降っているのだ。暗雲を払いのける為に拳を握った。長い棒を両手で掴むように。それをぐるぐると回すことで雲が渦巻き、その中心から乾いた晴れ間が広がったとされる。

「愛する我が子よ、安らかに昇れ」

 神話通りの有名な台詞を発して、薄布を払い取った瞬間、童人形が消え去った。聴衆から上がる驚愕の声は、腹話術師が天井を指差すと、更に大きくなった。描き出された母子のうち、母の女神が消えていた。子の女神の口が動いた。天井と舞台が天上と地上になり、壮大な腹話術が展開される。聴衆は皆立ち上がった。冷静沈着なロレンツォまでも。どんな奇術を使っているのか誰にも分からない。空間は支配された。聴衆も操られているように。

 終幕、腹話術師は舞台を崖の上として表現する。そして聴衆、というより王に向かい、膝を曲げ飛び降りようとしながら、衣装の裾を豪快にまくりあげた。身を守ろうと縮こまる王に、周囲の家臣が覆いかぶさり、水色の衣装だけがぱさりと上から降ってきた。腹話術師は飛び去ったのだ。崖の上から身投げする、最後の芝居を披露して。黒子の演奏も終りを迎えた。聴衆からどよめきと共に、再び天井を指差す手が上がった。画は元通りの姿、母の女神もいる。王に蹴散らされた家臣の一人が視線を落とすと、水色の衣装は砂色に変わっていた。天井に目を取られた僅かな隙である。舞台上には黒子が黙然と残り、次第に聴衆の視線を集めた。すると、彼の胸元から水色の小鳥が顔を出した。聴衆の多くは、神話を締めくくる一文を思い浮かべた。

“水鳥が蒼天に向かって羽ばたいていった”

 まさにその通りの光景。鳥が天井に向かって羽ばたいたのだ。そして室内を旋回すると、突っ立つ黒子の肩に止まった。

「あっぱれだ!」

 第一声は黒子である。彼は高らかに手を打ち鳴らして、聴衆もそれに同調した。拍手喝采の契機は、まさかの出演者。しばらく聴衆は異変に気づかない。だが、拍手がまばらになっても尚、黒子の興奮は冷めやらず、顔を頭布で隠したまま自画自賛を続ける。王は罵声を浴びせた。お前は脇役、引っ込めなどと。他の聴衆も怪訝な眼差しを向け始めた。

「おっと失礼」

 もの静かな声色に変わった。別人のようである。彼は頭布を外して、小さく頭を垂れた。現れた顔には、化粧で大袈裟な笑顔を仕立ててあった。さながら道化師のように。

「私の名はジュセッペ。黒子として出演しながらも、このお芝居における総責任者でございます。私は常日頃、化粧を施した仮の姿で芸を披露しております。我ながら器用な為、楽器を弾くこともあれば、腹話術で話すこともあり・・・」

 その時、肩に止まる水色の鳥が喋った。黄色のくちばしを開閉しながら「おいおい、俺は操られてなんかねえぞ」と。声色はジュセッペの、変わる前のそれである。腹話術に違いないが、鳥が同調して動く不思議に、聴衆のどよめきが戻った。王は目を丸くして固まった。再び空間は、主役が入れ替わり支配された。

「今私が書いた脚本通りに進行しています。楽しんでくださっているでしょうか。ここで私はちょいと芸を披露した後、この化粧の下、正体を明かすことになっています。巷では私の化粧、まあ仮面ですよ、これが怖がられるのです。なぜかと言えば、作られた顔が笑っているのなら、本当の顔は泣いているのか、怒っているのかと、不気味に感じられるからですね」

「こいつらも仮面を被ってるじゃないか」

「そう、皆さんも王の前では仮面を被ってらっしゃる。私ほど誇張していないだけで、誠に不気味な面構えです」

 聴衆は静まり返り、気まずい雰囲気になった。すると、水色の鳥がどこにあるか分からない鼻で高らかに笑う。はっ!

「これこれ、王族の皆さんを馬鹿にしてはいけません。鳥が喋っている時点で、あなたも十分不気味ですよ」

「はっ!言ってくれるじゃねえか」

「さて、私が最も得意とする芸は手品です。今回のお芝居でも多用しました。大掛かりなものは奇術と呼ぶべきでしょうか。これから皆さんに披露する奇術は、私の正体を明かすものです。良く見ていてください」

 外した頭布を左の握り拳に被せ、「三、二、一」と数えた直後、布を突き刺す刀剣が現れた。鍔の十字形を聴衆に向け、それを高く掲げた。右手も伸ばして両手で柄を掴むと、刀剣が分裂するように背後からもう一振り。まさに一双の酷似である。

「あ、あれは・・・」

 まずロレンツォが気づいた。双子真剣と呼ばれる国宝であることを。宝物庫に収められていたものである。

「おやお嬢さん、とても素敵な首飾りですね」

 ジュセッペが指し示したのはアンナ・マリーア。彼女が視線を落とした胸元には、豪奢な首飾りがあった。紅白の宝石で形作られた、触ることも憚られる国宝中の国宝である。周囲の者たちが悲鳴を上げる中、アンナ・マリーアは泰然としてジュセッペを睨みつけた。

「おっ、素晴らしい玉座ですね。愚かな王にこそ相応しい」

 いつの間にか、王のそれだけすり替わっていた。負の遺産として残る、かつての囚人が座らされたという鉄製の椅子に。座面には小さな棘がびっしり生えている。痛みに気づいて飛び上がった王の臀部は血に染まっていた。

「引っ捕えよぉお!」

 王の号令と共に男たちが一斉に動いた。ジュセッペは「おとなしく捕まりますよ」と、不敵な笑みを浮かべた。二振りの剣を手にしているにも関わらず。無抵抗の彼に対して、誰も手荒なことをしなかったのは、良心に加え、痛がる王を胸のすく思いで見ていたからだ。水色の鳥は羽を広げ、くるくると小さく旋回していた。怒りの仮面をかぶる者たちに連行される、大盗賊の頭上を。

(つづく)


Episode 2 →

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【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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