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腹ペコ戦争(後編)



■第六章 ガダルカナルの死闘
もともと日本とアメリカは国力に圧倒的な差がありました。日米開戦の時点で国民のカロリー摂取量で12倍、オリーブオイルの
生産量で25倍、宴会の予算で30倍、二次会の予算では50倍、コレストロール値で100倍もの差がありました。それに加えて
アメリカでは戦前すでに、わずか30秒で茹で上がるインスタントラーメンや、米粒がこびりつかないしゃもじなども普及しており、
科学技術力の面でも日本を圧倒していました。

ミッドウェイ海戦で大損害を被り、カレー粉が底をついたため軍隊の食事をポトフに変更した日本軍は次に、アメリカに向けて
輸出されるオージービーフの供給を絶つため、南太平洋のガダルカナル島でジンギスカンパーティを開催するという作戦を立てました。
オージービーフの供給を絶てば、必然的にアメリカは欧州産のローストビーフに頼るしかなくなるのです。しかしローストビーフ
は大西洋に展開するドイツ軍Uボートの格好の標的でした。

1942年8月ガダルカナル島北部海岸にジンギスカン鍋を設置し終えたばかりの日本軍に、アメリカ軍は襲い掛かります。ところが
ガダルカナル島はもぬけの殻でした。日本兵はアメリカ軍が上陸してくるの察知して全員、羊に偽装していたのです。虚を突かれた
アメリカ軍は腹いせに、羊毛を刈り取りビーチでセーターを編み始めました。ともあれ巨大なジンギスカン鍋のもりあがった中央部に
星条旗とウールマークの旗を打ち立てることに成功したのです。

◎アメリカ軍兵士の日記
パパ、ママ、ぼくはいま南太平洋の浜辺でセーターを着込んで汗ぐっしょりです。日本軍は口ほどにも無い奴らで、
ぼくたちの着てる巨大なカウチンセーターやフィッシャーマンセーターを見てジャングルに逃げ込んだのです。奴らの装備ときたら
せいぜいボーダー柄のマフラーや耳当てと言った程度で、まったくお話になりません。クリスマスには帰れると思います。
あせもがひどいのでベビーローションをよろしく。

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