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会わなくなる予感

この人とはこれから会わなくなるだろう。
そう思うこともあれば、思われていることも沢山あるのだろう。口に出さないものがほとんどだろうけど。

この話は限りなく個人的なお話である。

僕が口に出したこと

僕は入社して最初に配属されたのは横浜だった。
横浜では女性の同期がいて、よく二人で飲みに行ったりカラオケ行ったり、愚痴り。慰め合い。心数少ない同期であった。

横浜では2年間一緒に仕事をして、僕はその後東京に異動してしまう。同じ関東であったが、事業所が異なるだけで疎遠になってしまうもので「今度飲みに行こう」という言葉だけが積み重なる。
その後、ようやく飲みに行くことになったのは1年以上ぶりに焼肉へ。あれだけサシ飲みで心許せると思っていた仲なのに、お互いが醸し出す空気には自然と分離してしまうような変な感覚。水と油のように互いに自然とお互いの存在を認識し合うだけで、どうも打ち解けない。かつて共有出来ていた愚痴をいくら聞いても共感できない。

改めて考えると共通項が無かった。
ある種のサイクルが合っている時期があったけれど、歩調が違いすぎて再び会ったこの瞬間には全く違う場所にいるし、それはどうにもならないこと。そして当時の僕は自分勝手に僕は当たり前のように進んでいるけど、同期が足踏みして進んでいないような感覚で捉えてしまい、ポロリと言ってしまう。「今日会ったけど、今後会わなくなる気がするよね。」これはどちらが悪いとかではなく、自然の摂理でそうなるよね。という現象を説明したのだが「寂しいこと言わないでよ。」と同期は一言。
僕は心許せると一度は思った大切な同期を寂しがらせてしまった。

その数年後、僕が同じようなことを言われて寂しい気持ちになるとはその時思ってもいなかった。

僕が言われたこと

東京に異動してある人に出会った僕。
当時25歳の僕は小説をまともに読んだことがなかった。それだけじゃなくまともに音楽も聴いたことがなかった。こういうと嘘に聞こえるかもしれない。たしかに国語の授業や流行りの音楽には触れてきたのだが、能動的に自己の好きを認識して摂取したことがなかった。
この当時の僕は、周りのおじさん達に可愛がってもらい、勧められるまま触れていった。
いまの僕を構成するニルヴァーナに村上春樹はこの時に出会った。

26歳になってグランジブームが僕の中を席巻し、村上春樹の世界に肩までドップリ浸かって、今更かよとみんなに笑われた。いくら笑われても僕は楽しかった。心から好きなものに出会ったんだから。

その村上春樹と出会わせてくれたMさんは僕の15歳ほど上の男性で、彼は小説を書いていて、最高の作品が書けたときには死んでも良いと本気で言っていた。話せば話すほど僕は魅かれ、共通点もいくつか見つかった。
ハタチすぎて弾けないピアノを買ったことがあること、同じ女性に魅かれていたこと、そして村上春樹。

ある時、僕が失恋したことを打ち明けた日、Mさんは小説を読んだ方がいいよと一言。次の日に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を持ってきて貸してくれた。

初めて読む村上春樹作品。それどころか僕は小説を読むという行為自体がはじめてで読み方すら分からなかった。
それでも最後まで読みきって、感想を述べる。
そうするとMさんは翌日、別の作品を貸してくれた。それを何度か繰り返して何冊も貸してもらい読んだ。
年齢は差がある僕らは何を感じ、作中の誰に魅かれたかを語り合った。
この人は一生ついていこうと思った。

それから僕は北海道札幌に異動することになり、Mさんとも物理的に離れていった。

それから東京に来るたびにMさんに連絡して飲み行くが、頻度が下がっていく。
会って話をしても当時の熱量が出ない。これに関しては僕が変わっていたことには違いなかった。Mさんは当時から変わらないどころか、変わりようがないくらい等身大の生き方をされていたから。言うならば僕はその時、村上春樹作品を読むモードになっておらず、言うならばONだった僕の中のスイッチがOFFになっていた

そしてその最後の飲みで僕はあれを言われた。
「もうすぐ僕のことを必要としなくなるだろうね」と。

僕は寂しかった。
信頼を寄せて一生ついていきたいと思った人にそれを言われてしまったこと。
そして、僕自身がONに再びなれないかもしれないという恐怖心。
そんなことないと、それ自身を否定する自信がない。



そんな2つの出来事があったわけだ。変わったことと変わらないこととが共存する今日。
確かなことは一つ、僕はその二人とまた会いたい。


ニルヴァーナを聴きながら思い巡らす夏の夜。

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