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よむラジオ耕耕 #32 『バックビートにのっかって』


こんにちは、こんばんは、PARK GALLERY の加藤淳也です。

今週も(初代アシスタント)星野くんはお休みになります。先週に引き続き、加藤のひとり語りをお送りします。

前回は出張先でもある三重県いなべ市に向かう車中で、ドライブをしながらの録音となりましたが、今週は少し北上して僕の地元でもある山形からお送りしたいと思っております。
 

山形の田舎より


今収録を行なっているのは、山形県の南陽市の山奥にある実家です。

時間は夜の8時。4、5件くらいしか家のない集落なので、この時間になるとあたりは真っ暗で、星はまぶしいくらいにきれいに見えていて、月は明るく、月明かりを頼りにちょっとだけ付近を散歩しながら収録しております。

今回、山形に来た理由のひとつに、「レストランでの展示の準備」というのがありました。中学からの友人がシェフを務める「gura」というイタリアンレストラン」の壁で毎年2回、PARK GALLERY にゆかりのあるアーティストの展示を行なっています。

2023年の2月にレストランがリニューアルして、そのタイミングで壁面の展示のキュレーションを任されて、今回で3回目のエキシビジョンになります。

1回目は山形出身のイラストレーターの wtmy さんの個展。前回の放送でも紹介した三重県のいなべ市のギャラリー岩田商店、そして PARK GALLERY に巡回した個展を、彼女の実家でもある山形でも展示できればと企画しました。2回目の展示は10人のアーティストによるグループ展で、これも PARK GALLERY で開催されていた「PARCHIVE(パーカイブ)」という企画展の巡回となりました。

レストランの店内にアートを飾っています
古い石蔵の石壁を再利用した店内

そして3回目になる今回の展示は、先日原宿のイラストレーションギャラリー「ルモンド」さんと PARK GALLERY の同時開催で話題を集めたイラストレーターのたざきたかなりくんの個展となります。それで山形に来ています。

レストラン gura は山形駅からは歩いて30分と少し離れているんですが、わりと若者が集まるエリアになっています。地産地消という形で、山形の食の豊かさを伝えるレストランで、その名の通り山形によくある石蔵をモチーフとしたデザインのレストランなんですけど、天井がものすごく高くて、どこか教会を感じさせるような荘厳な建物なんですよね。そこで、ぼくの中学からの友人でもある山本くんがシェフをやっているんですけど、彼はもともとイタリアで修行したあと、山形の鶴岡市にある人気のレストラン「アルケッチャーノ」で修行して、転々としたあとに gura を任されるようになりました。山本くんの作る料理は芸術的というか感覚的というか、独創的というか、はじめてコースを食べた時は、感動したんですよね。何を食べさせられているかわからないような不思議な感覚がありました。

ディナーのコースは少し高い印象があるかもしれないけれどランチはわりとリーズナブルなこともあって、日々満席な状態が続いていて、ちょっと贅沢をしたいお昼時におすすめ。

ランチは少し慌ただしいんですけど、ディナーでコースを食べてもらうと、山本シェフの独創的な料理を体験しながら壁に飾られたアートを合わせてより深く楽しめるんですよね。それが展示の企画に至った理由です。

もちろんゆっくりじっくり見ていかれるお客さんもいれば全く見向きもしないお客さんもいるっていう感じでリアクションはさまざまなんですけど、いろいろなひとに意見を聞くと、山形のひとはあまりアートに興味がないんじゃないかという「県民性」というか、根本からアートの可能性を覆すような感想もあったり、逆に、それが燃えます(笑)。

展示をするたびにそんな声が聞こえる中なんですが、ついさっきお店のアルバイトの子から聞いて印象的だったエピソードがあって、

地元の高校の美術部の学生が、ここなら自分の作品を飾ってもらえるのではないかって思ったらしく、シェフに作品を見せにきたらしいんですよね。本来、ぼくのキュレーションでやっているはずなので、学生の作品が壁にならぶのは「なし」なはずなんだけれど、断るのもかわいそうだと判断したシェフが、少しの間、グループ展の一部として作品を飾ってあげたそうなんですよね。

怒るキュレーターもいると思います。事前に説明してほしかったとか、そんな風にシェフを責めるひともいるかもですよね。でもぼくは「最高だな」って思ったんですよね。

ちなみにそのエピソードに登場したのは「高校生」でしたが、実は山形には「東北芸術工科大学」という全国的にも有名で人気の美大があります。けど一方で学生が展示をする場所や機会があまりにも少なすぎるというのを、以前から知り合いから聞いていたので、今回の僕らの企画や展示が、少しでも誰かの琴線に触れて、誰かの役に立ったのならばうれしいという話を、シェフともしました。いまはぼくが信頼している作家を紹介するというかたちになっているけれど、いつかは地元の作家や美大生だけで、壁を埋められたならと思っています。

夜も更けてだいぶ冷えてきました。あまり耳にしない動物たちの鳴き声もたくさん聞こえるようになってきたので、そろそろ移動したいと思います。

現在は写真家の三輪卓護さんの展示を開催中です。


可能性が集まる場所


さきほどまで収録していた南陽市は父方の実家で、僕が学生時代過ごしていた家というのはもう少し都会の、山形市内にあります。と言っても小さなアパートなんですけれども、今度はそこに向かう車中で続きを収録したいと思います。

ひとり語りというスタイルはわりと不安で、話すのが難しいので、事前に SNS で話してほしいことをリクエストとしていただいております。

ちなみに「耕耕」を聞いてくれているひとはもうご存知かもしれませんが、僕は高校3年間「演劇」に夢中でした。なので、ぼくの山形のエピソードの中から「演劇」のエピソードを奪うと、何もないということになってしまいますし、せっかく山形に来てドライブして回っていろんなことを思い出しているということで、少し演劇部のエピソードを話せたらと思っています。

今でもあると思うんですけれども「山形大学」の前に「ストリートシャッフル」という喫茶店があります。カフェというより喫茶店。山形って意外と純喫茶が多くて楽しめるんですけど、ここはでもどことなく店主が音楽や漫画が好きで、ジャズ・ロック・フォークが流れているようなお店です。大学の校門の前にあるということで、学生の溜まり場にもなっていて、マスターがいつもいるんですが学生もバイトしていたということもあったんじゃないかなと思います。お酒も飲めて、タバコも吸えて、僕らはタバコが目的で通うようになったんだと思います。

印象的なエピソードがあって、ある日、店でかかっていた音楽がすごく気になって、今みたいに Shazam やネットでの検索ができなかったので、高校生なりに勇気を振り絞って当時大学生だったと思われるバイトの方に「この曲は何ですか?」と聞いてみたいんですよね。当時の僕からするととんでもない勇気だったと思うんですよね。そしたら棚から CD を取り出して教えてくれたんです。それが「フィッシュマンズ」でした。フィッシュマンズという得体の知れない存在にやられちゃって、山形に数少ない CD ショップを駆け巡って探すようになります。

その時に思ったもうひとつのことでもあるんですけど、ここには学生たちが集まっていろいろな話をしているんだなと⋯そこにはいろんなひとたちが来て、その日の想いとか日々の感想みたいなのを、お店のノートに書いているんですよ。高校生のぼくは、その「大学生」という未知なる領域にいるひとたちのことを最先端の「カルチャーピーポー」なんだな⋯というのをひしひしと感じていました。いろいろな「可能性」を手のひらに握りしめているような存在に見えました。そんなわけでその店員さんたちとも少しずつしゃべるようになって、行くたびにいろいろと教えてもらえるようになりました。当時の僕の感性はスポンジ状態で、どんどん吸収していきました。先輩たちはみんな本当にかっこよく見えて、僕なんか⋯と思ったし、やっぱり「僕は山形を出て東京へ行かなきゃ」と思うようになるきっかけにもなりましたね。背中を押された気がします。

「ストリートシャッフル」での体験は、ぼくの人生に「場」が大事だということを教えてくれた気がします。そこに集まる学生たちにとって「ぼくらの居場所」そして「コミュニケーションを行う場所」というのがあれば、ひとは豊かに暮らせるんだなということに気づいて、それを今 PARK GALLERY として実現しているのかなという気がします。もし気になった方は山形に行った際はぜひ立ち寄ってみてください。「ねこまんま丼」というものがあって、安かったからよく食べていた気がします。懐かしいなぁ。
 

あの頃、屋上で、ぼくらは


というわけで、ドライブしながら自宅アパートの駐車場まできました。さっき言ってた人気の美大「山形芸術工科大学」、いわゆる「芸工大」の麓にある小さなアパートです。

今思えば、当時ぼくが高校生の時もこの大学は存在してまして、まだできたばかりだったのかな⋯、山の上に謎の建造物がポツリとできたなぁという記憶があります。煌々と光る三角形の建物。高校を卒業するにあたって、芸工大を進路の選択肢に入れるひともいた気がするけれど、いまの最先端な印象と違って、アートを学ぶっていうのを言い訳に地元に残るっていうひとたちが選ぶ選択肢だと思ってた。普通は「東京」に行くのだと信じてた気がします。

僕、加藤淳也の親友のひとりに「加藤純」というやつがいて、母親の名前も「加藤由美子」で同じということもあって、中学で出会ってからどんどん仲良くなるんですけれども、彼が高校3年で受験で追い詰められている時、僕はその横で、もう東京の専門学校へ進学することが決まっててのほほんとしていたんだけど、切羽詰まった純のことが心配で、気晴らしも兼ねて夜中に「芸工大」まで自転車で登ってみようよということになって、コンビニでビールを買って、登って行ったんですよね。自転車で10分くらいだったかな。その時はぼんやり「どうやらここは大学らしい」と⋯。大学がなにかもわからないですよね、高校生なんて。で、当時はセキュリティが甘かったのか、普通にいろいろな場所に入れて、外の階段を上がっていくと、校舎の屋上に登れたんですよね。まぁいまとなっては時効だとは思いますが、不法侵入です。屋上にふたりで登って、何となく純を励ましたいなと思ってて。

すると、山形市内に「住んではいたけれど」、ふたりとも「見たことがなかった」夜景や満天の星空が目の前に広がったんですよね。それにふたりして感動して、ビール飲みながらふたりで恋バナや将来のことを話したのを覚えていますね。加藤純が麻実子先輩が好きだって聞いた時は驚いたなぁ。

あの時、純をなぐさめつつも、僕はもう「東京に出る」というか、山形を捨てるぐらいの気持ちでいたので、景色がきれいだなと思う反面で、唾を吐きたい気持ちもあって、いつか東京で成功して、またこうして戻ってきて山形を一望した時に、もっともっとこの夜景がちっぽけに見えるようにがんばらなきゃなと思ったことを覚えています。
 
最近やっと公私共に落ち着いて、いざいまこうして山形に戻ってきて、今となっては屋上までは登れないですけれども、時々芸工大の近くまで車で行けるところまで登って行って、あの時に近い景色を見るように心がけているんですけれども、見た目も、自分の中の気持ちも、何も変わっていないなというのが正直のところです。もちろん20年以上経っておじさんになったし、加藤純も、麻実子先輩もそれぞれ結婚して、それぞれ幸せになっているみたいだけれど、いまでも純が隣にいたらおんなじように恋の話とかみんなに内緒の話をしているんだろうなと思います。それは変わっていないかな。

ただ、少し変わったのが、芸工大出身のアーティストをはじめ、PARK GALLERY で芸工大出身のアーティストに会ったりするんですよね。そういうつながりがあるおかげで仕事を通じて山形に来れたり、大人になってからじゃないとわからない山形の魅力に気付けたりすると、過去の自分と今の自分がミックスされる感じがありますよね。時間軸が歪むというか。

話をきれいにまとめるとするならば、今、gura にアートを飾ることで、その誰かに何かを感じてもらいたいという想いは、当時、「青春」とか「可能性」を求めて自転車でストリートシャッフルとか芸工大の周辺とかを駆け巡っていた「ぼくら」に向けているのかなと思います。

だから、ストリートシャッフルというお店の存在と、芸工大に忍び込んだっていうエピソードは、僕の中で大きな存在だと思っております。

雨も降ってきてしまったので、そろそろ家に帰って親父と晩酌でもしてみようと思います。

おしまい
 

よむラジオ耕耕スタッフかのちゃんによる文字起こし後記

山形にて 収録場所を移動しながら、過去の加藤さんの足跡を、今の加藤さんが辿る。

前回の三重県いなべ市へ向かう道中のひとり語りに対し、より加藤さんのパーソナルで心のやわらかい部分に迫るような回だった。

「(高校生の)僕から演劇をとると何も残らない」なんておっしゃっていたけれども、バックビートで培われたカルチャーへの憧れ、もはや渇望とも思えるような当時の姿、またひとが集うサロン性は、確かに今の PARK GALLERY に落とし込まれている。九州の小田舎から出てきた自分にも、とても似たような経験があるため、なんだか、年代も生まれた土地も違うはずなのに、自分の過去を丸裸にして語っている時ような気恥ずかしさと親しみを感じながら聴いた。

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