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ゲームをしなくなる原因は、それを共有する機会がなくなるから

私は子供の頃からゲームが好きで好きでたまらなかった。クリスマスプレゼントはゲーム、お年玉の使い道はゲーム、友達の家ではゲーム・・・とにかくゲームが大好きだった。大人になれば金を稼いで好きなゲームを好きなだけ買いまくろうと思っていた。

でも、大人になった私はゲームをやりたいという気持ちがなくなってしまった。むしろ、やるのが面倒くさいとさえ思うようになっている。時間がないわけではない。

試しにずっとやりたいと思っていた名作と言われる「Mother2」を購入してやってみた。だが進まない。中学生の頃途中で断念してしまった「ゼルダの伝説 時のオカリナ」をやってみた。途中までは進んで中学生の時に断念した水の神殿を見事攻略することができた。だが、ここで飽きてしまった。休日にやろうと思っているがやる気にならない。小学生の私なら、睡眠時間を削ってでもやり込んだだろうに。

なぜ子供のように純粋に楽しむことができなくなってしまったのだろうか。ゲーム以外にやりたいことが増えてしまったこともあるだろうが、それよりももっと大きな原因はゲームを共有する機会が圧倒的になくなってしまったからだと思う。

子供の頃は、学校が世界の中心だった。
そしてその世界には共通言語としてゲームが存在していた。ゲームを通して会話が成立する世界。モンハンの装備はどうだだとか、ポケモンの手持ちは何を持っているかだとか。子供の世界にゲームはコミュニケーションツールとして存在していたのだ。

しかし大人になるとゲームを通したコミュニケーションをとる機会は意識しないと生まれない。逆に言えばゲームを通してコミュニケーションを取る機会が多い人は大人になってもゲームを続けていると思う。例えば、オンラインサバイバルゲームやEスポーツなどはそこにある種のコミュニティが存在しており、コミュニティの中でゲームを通じた人と人との関係性が存在する。また、ゲームのレベルが高いほど周りに評価されるため、プレイヤーは競って腕を磨くようになる。

このようにコミュニティの存在は人がゲームにハマるかどうかに大きな役割を果たすのだと思う。

コミュニティの存在はゲーム以外にも重要な役割を果たす。

例えば、このnoteもコミュニティが存在しているから、人はハマることのできる。人が投稿したものに対していいねやコメントで反応が返ってくる。そこに楽しさややりがいを感じることができる。もしこれが何も反応もやり取りも起こらないサービスだったらここまで多くの人が投稿をしようとは思わない。

人気の出るサービスにはコミュニティが欠かせない。サービスを提供する側は常に意識していることであり、人がハマるように快適にコミュニケーションを取れるように設計をすることが重要である。もしあなたが今はまっているものがあるなら、それは多分ある種のコミュニティの中に存在しているからだと思う。

そのコミュニティの形がどういうものか、意識して見るのも面白いかもしれません。



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