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人生の当事者意識を持つこととメタ認知の話

私は人生において振り切っているね、とよく言われる。
新卒でやる気満々意気揚々で入った会社を突然休職して、辞めて、こんなにいつも喋りまくって元気な私がうつ病と言われ、フラフラニートをしながら、ぱっと出で大切な人ができ、その人が大好きなものを片っ端から研究したり、いきなり旅行に行ったり、突然韓国に行ってみたり。整形したり。
突然誰かと住んでみたり、思い立って始発で北海道まで行ってみたり、人から見たらいやいや普通だよ、って思う人もたくさんいるかもしれないけど、私は私でなんだかんだ楽しくやっていると思っている。

楽しくやっているんだけど、たまにとてつもなく重たく息もできないぐらいになる。

先日仲良し(だった)セフレが、失恋したらしく病んでおり、「メタ認知」がいいと聞いた、という話をしてきたので、大学時代に心理学を専攻していた経験から、メタ認知を思い出してみた。
メタ認知能力は自分のことを客観的に見る能力のことで、私はこの能力が高いと実際に精神科の先生に言われたことがある。

というのも、ただたんにこれが高ければ高いほど良いとは一概にはいえないと思っていて。

常に自分の思っていることに対して、「あー自分は今こう思っているなあ」と考えるのは当事者じゃない感じがすごくするし、どこかで自分ごとと捉えられていない、ある程度のことには動じないし、人の感動体験をスッと飲み込めない。
よくとある企業で言われている圧倒的当事者意識、なんていう言葉はメタ認知能力が高い限り叶わないものなのかなあと思ってしまう。

よく達観しているね、って言われるという人の話を聞いたことがある。
私から見ると、限りなく完璧主義で人一倍こだわりが強くて、どうしてそんなに一つの物事を詰めるの?、どうして自分の意思力だけでそんなに動けるの?と聞いた時、自分なんてまだまだのまだまだだよっていってたから、どうやら高みが違うんだよね。
私はその時ハッとした。

そういえば、私、うつ病になってやめた前職で、ぱりあんは完璧主義すぎるんだよ。って言われたことがあった。完璧な出来であることをひたすら求めてくる上司に。
だから、とことん完璧に生きてやるって思ったんだ。
前職で叶わなかったワークライフバランスとかプライベートな時間の充足をいまはバリバリ叶えて、こうやって大好きな言葉にすることまでできる時間がある。
完璧主義であることは自分で自分を自分の理想の姿に連れて行ってあげること。

話しを戻して、達観していてかつ完璧主義ってことは、メタ認知をして自分の本当の立ち位置を客観的に理解してそれを当事者意識として
自分に落とし込んで努力する。これができることがどれだけ素晴らしいか。
どうしても私含めて、人は自分の力だけで自分を律することってすごく難しいって、このぐらい生きてきたら余裕でわかって。
3日坊主とか言うけど、1日目を始めるより、3日やってみてもうやらなくなったとき、
5日目から改めて再開させる方が難しいんだよね。

私はなんとなく人よりいいことをしている。や少し人と違うインスピレーションがある、という気持ちだけでいた。
周りから見たら私って、どんな感じなんだろう。

それだけじゃまだまだ弱くて。
大好きな人からもらったこのパワーをもっともっとモノにして生きていきたい。
人との出会いをなんとなくなんて思いたくない。それは全部奇跡だと思うから。
相変わらず自分の人生を当事者として見ることはあんまりできないけど、
客観的にみてどうするべきかわかるならそれはもう当事者なのかもね。

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