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「形から入るな」と「形から入れ」を考える

想いは誰にでもある。それが形に入り込むから作品になり表現になる。本も音楽も絵画でも。たしかに正当な順序だろう。

「形から入るな」は、その意味での注意だ。でも、そう言われても、どうすればいいか分らない。「うわべだけじゃダメだよ」という意味なのはわかる。逆に「形から入れ」は何も手につかない人を起動するためのアドバイスだ。こちらの方が役立ちやすいだろう。

さて、アートはすでにビジネスで、売るために量産していくことが当たりまえの世界になっている。そうすると実績のある「感動の型」を追いかけるわけだ。過去に大ヒットしたモノに人を惹きつける何かがある。頭が良ければその要素を抽出して再構築できるのだ。

あとは、あからさまな二番煎じ、三番煎じにならないようにちょっと工夫する。しかし、多くの作品に触れていくと人はそういうマンネリの匂いを感じて退屈し出す。つまり目や耳が肥える(本当は脳が肥えているのだが)とにかく簡単に感動や満足ができなくなってくる。これも感動という形から入ってモノを作った結果、おこりやすいことだ。

では世に溢れる似たような作品やスタイルの中で、一体、何を楽しみにするのか?

1つはその様式の中での精度。型は型でもそれをどれほど見事に忠実にやって見せるのか。そこに感心したりする。ジャンルの中の様式美で楽しむのだ。

2つ目の視点は、私の個人的趣味で、型からズレている部分。このズレが引っかかってきて心に残る。なんだろうこれは?そう、形からはみ出た表現者の何か、だ。コレに惹かれる。

というわけで、私自身も表現者として、ズレに甘んじ、またズレを活かして進んでいこうと思っている(考えてみたら今までもそうなんだ)。

ふつう気を付けなければ規定からはズレるのが人間だと思う。だから塗り絵にしたって注意したり確認したりして仕上げるのだ。だがそれで心の勢いを抑制、スポイルしてしまうことがある。すると、想い、リビドーが走らない。

何かやってみたら、こんなんなっちゃった。これは無条件に面白い。でもその時の想い、エネルギーはホンモノで、自分にもわかる。他人にも伝わる。ちょっとムチャクチャのようだけどエンターテイメントになる。

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