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育休旦那とオンライン供養

オンライン供養」というサービスが昨今流行ってきているとのことだ。ウィルスの流行拡大に伴い帰省できない方が利用されたり、また仕事が忙しく帰省に必要な時間を取れない方が導入されているとのことだ。確かに時間と交通費を気にせず気軽に供養が出来るとなれば魅力に感じずにはいられない。しかしながらよくよく考えてみると、供養こそオフラインで実施すべきではないだろうかとの結論に至った。本記事ではその結論を支える三つの理由を伝えてみたい。

①亡き人と心からの対話を

 オンライン供養で代替できない価値がオフラインにあるとすれば、それは亡き人との対話であろう。時間をかけて帰省し、墓所の草木を刈り取り、砂埃で汚れた墓石を水で洗い流し、新しいお花を添え、線香を立てて焼香する。そういった一連の流れに取り組む中で少しずつ記憶が蘇ってくるのだ。そうやって鮮明になった亡き人の姿を胸に、お墓の前で手を合わせそっと目を閉じる。そして心の中で呼び掛けるのだ。「向こうでは達者にやってるかい」「あなたが生きていた時代とはこんなに変わったよ」「自分や家族は変わらず元気だよ」といった風に。
 もしオンラインでボタン一つで供養となればどうだろう。きっと亡き人を思い起こすことも、そして心の奥底から自分の言葉で呼び掛けることも出来ないだろう。その場に足を運ぶからこそ、その場で供養を整えるからこそ亡き人と向き合い、そして心の中で対話が出来るのだ。

②家族のルーツを子供たちに

 二つ目のオフラインの価値は家族のルーツとを子供たちに手渡せることだろう。もしあなたが祖父母と共に暮らしていなかったとして、もし子供を連れて実家に戻らずお墓参りもしなかったとすればどうなるだろう。子供たちはきっと、あなたの命がどこから来たのかを知る由もない。もちろん祖父母とオンラインでやり取りをして存在そのものは知っていたとしても、家族の歴史を感じるまでには至らない筈だ。
 自分たちがこうやって今を生きることが出来ているのは、自分がnoteを書いてあなたがnoteを読めているのは、これまで連綿と命を紡ぎ連ねてきた家族あってのことだ。だからこそ、命をこの時代まで届けてくれたその家族に思いを馳せるのは忘れちゃいけない大事なことだと、自分たちの代で途絶えさせちゃいけないものだと自分は思う。そしてそれはあなたのスマホの画面上のボタン一つで伝わるものではなく、家族で一緒に供養に立ち向かうからこそ培われるものに違いない。

③自身の心の在処を再確認

 帰省先でお墓参りをする中で、亡き人との対話を通じ、そして子供たちに家族のルーツを伝える中であなたはきっと思い出すのだ。幼い頃からあなたが何を大事にして生きてきたのか。何を夢見ていたのか。何を守り通したいのか。何を忘れたくないのか。何を譲れないのか。忙しい日々の中で胸の奥底にしまいこんでいた想いたちが蘇るのだ。
 オンラインでスマホのボタン一つで供養を済ましてしまってはこうはいかない。「そういえば中々お墓参りもいけてないな…」「そういえば今年も帰省できなかったな…」と軽く思うぐらいであろう。そして次の瞬間にはスマホに別の通知が飛んできて、時間を取ってあなた自身について考えることも過去をゆっくりと振り返ることもなくなるだろう。そう、オフラインの供養はあなたを過去へと誘う装置なのだ。

赴かなくては得られない

 実家への帰省やお墓参りに付き纏う一番の壁は移動に伴うお金と時間、そして体力だ。自分も遠く離れた実家に戻る度、疲れ果てないことはない。けれども、そうやって苦労して戻るからこそ忙しい日常から切り離され、そして供養する中で亡き人と対話することができ、家族に自分の命のルーツを伝えられ、更には自分の心が何を基軸に成り立っているのか再確認することが出来ている。支払うコストは多々あるけれども、そのコストに見合った価値あるものと自分は信じて疑わない。
 どうかこの記事を読まれた皆様が「簡単!安い!早い!」と三拍子揃ったオンライン供養の魅力だけに囚われることなく、足を運んで行う供養がもたらしてくれる三つの価値を思い出し、亡き人と、家族と、そして自分自身と向き合うことを心から願うばかりだ。
 

光栄です!
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アラサーで年収一千万円超に到達し育休を約二年取得した恐らく日本唯一の旦那。本職は事業開発。子育ての合間を縫って綴ったnoteは50万PVに到達。(フォロワーの皆様が10,000名に到達の暁には実名に切り替える予定です)