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【東京マラソン2023】異次元の走りに「どこまで」

東京マラソン2023・車いす男子のレースの見どころを挙げるなら、「誰が優勝するか」ではないだろう。
競技用車いす(レーサー)の故障や体調不良など余程のトラブルが起こらない限り、優勝は、マルセル・フグ(スイス、37歳)でほぼ間違いない。スピードは他の選手と各段の差があり、持久力も十分にある。複数の選手と一緒に走っていても、他の選手を引き離したいと思えば、いつでもそれを実現できるに違いない。瞬発的にスピードを上げて集団から前に飛び出し、あっと言う間に後続との差を広げてしまう。そんな彼の姿を、この数年、何度も見てきた。同じレースに出た選手たちが、彼について「異次元」と表現するのも聞いてきた。

フグは、2021年夏の東京パラリンピック・マラソンで金メダルを獲得。同年秋の大分国際車いすマラソンでは1時間17分47を叩きだし、22年ぶりに車いすマラソン男子の世界記録を更新した。2022年も好調で、アボット・ワールドマラソンメジャーズの6大会(東京、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークシティ)のうち5大会に出場し、そのすべてで優勝している。

私は、2022年秋の大分国際車いすマラソンを沿道で観戦した。コースの序盤5キロを過ぎた地点で、先頭で走ってくる選手を待っていた。坂道の上に最初に姿を現したのは、マルセル・フグ、ただ一人。序盤の5キロで、他の選手を引き離して、単独で先頭を獲っていた。
下り坂を勢いよく走ってきたフグは、エンジンを積んで走るバイクかと思うようなスピードで、私の目の前を通り過ぎた。トレードマークとなっている銀色のヘルメットが、太陽の光を浴びて輝いていた。
フグの背中を視界に捉えられなくなった頃、後続の選手が一人、坂を下りてきた。口元を少し開き、呼吸を整えながら走っている。私の頭の中には、先を走るバイクを追いかけて、自転車を懸命に漕いでいる自分の姿が浮かんだ。どんなに漕いでも追いつけないと知りながら、必死に、もがくように走るイメージは、2位以下の選手たちの姿に重なった。

フグの優勝が確実だとすると、東京マラソン2023の見どころは、何か?
いずれは彼に追いつき、追い抜くことを目標としている選手たちに注目したい。国内トップレベルの選手たちが今日、この東京で、「どこまで、彼と一緒に走れるか」が見どころだろう。

東京都庁前のスタート地点から、靖国通り、外堀通り、白山通りへと坂を下り続け、神田・神保町辺りまでの10キロか。
さらに先の浅草まで出て戻り、清澄白河通りに入って中間地点までか。
30キロを過ぎ、田町駅付近まで行って折り返すところまでか。
それとも、東京駅前・丸ノ内のフィニッシュ地点近くまで付いて行けるのか。

彼と一緒に走ることができたら、その距離、その「どこまで」は、その選手にとって現時点の実力を示す指標になるに違いない。一緒に走る中で、彼のレーサーの最高速度、スピードの瞬発的な上げ下げを肌で感じることができる。その経験は、選手にとって財産になるのではないか。

午前9時5分。
東京都庁前をスタートして間もなく、先頭集団はマルセル・フグ、鈴木朋樹(トヨタ自動車、28歳)と渡辺勝(凸版印刷、31歳)の3選手となった。フグが独走体制にならないよう警戒しながら、鈴木と渡辺が後ろに付いて走っている。

スタートからの序盤は、新宿から神田・神保町まで下り坂が続く。3人のレーサーのスピードは急上昇しているはずだ。
フグが先頭で風を切っている。その後ろに渡辺、鈴木。
急な坂道が終わり、10キロを過ぎた地点。フグが瞬発的に上げた速度に対応できず、渡辺が遅れた。
神田から日本橋に向かう間に、渡辺が置いていかれている。
テレビ中継用のカメラが捉えていた渡辺の姿はあっという間に小さくなり、画面の外に消えた。

フグは、両腕をしなやかに振り下ろし、両手でレーサーのハンドリムを押し出している。映像では、タン、タン、タンと軽快なテンポで、軽く押しだして漕いでいるように見える。リラックスして走っているようにも見えるのだが、スピードはぐんぐん上がっている。
一方、フグの後ろに付いて走る鈴木は、上半身全体の力を振り絞るようにして漕いでおり、全力疾走だ。

鈴木朋樹選手

門前仲町の折り返し地点を過ぎた後、鈴木がフグの前に出た。
この地点で、先頭を獲ろうと狙っていたのか否かは分からない。
先頭が鈴木、その後ろにフグだ。

清澄通りには、東京湾に向かって流れる川の上にいくつか橋が掛かっている。橋には、上り下りの起伏がある。
鈴木が上り坂に差し掛かり、スピードが落ちた。それに気づいたフグは瞬時に鈴木を抜き返し、スピードを上げた。坂は上りから下りに入り、フグはその傾斜を利用して一気に加速して逃げていく。鈴木が懸命に漕いでいるが、フグのスピードについてはいけない。二人の差は開く一方になった。

「どこまで」は、25キロ地点だった。
その後、フグは独走体制に入り、1時間20分57の大会新記録でゴールした。

「正直なところ、マルセルは次元が違いすぎる。まだ、次元が違うので、盗めるところがない。まず、彼のレベルまで到達することが目標です」
2位に入った鈴木は、こう口にした。
25キロ地点まで、彼と一緒に走ったことで得た実感だろう。その実感を踏まえて、彼のレベルに「どこまで」近づけるのか。2023年のシーズンは、始まったばかりだ。

(取材・執筆:河原レイカ)
(写真提供:小川和行)

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