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【敗戦の動画はスマホに(1)】パラ陸上・生馬知季

2020年、東京パラリンピック。
世界最高峰の障がい者スポーツの大会が、日本で開催される。
開催が決定した2013年以降、パラリンピックの競技や選手がテレビや新聞などで取り上げられる機会が増えてきた。
パラリンピックが開幕すれば、競技の模様や結果が連日、報道されるだろう。
日本代表選手への注目度は、これまでにないほど高まるに違いない。
家族や友人、所属企業関係者だけでなく、広く一般の人々も選手たちのパフォーマンスに期待する。
競技場には、日本だけでなく世界各国から観客が詰めかけ、地鳴りがするような歓声が聞こえるに違いない。現役の選手たちにとって夢のような舞台だろう。

しかし、そこに立てるのはごく一部の者だけだ。
パラリンピックに出場するには各競技団体が示す選考基準をクリアし、日本代表に推薦されなくてはならない。

パラ陸上競技連盟が示している2020年東京パラリンピック日本代表推薦(トラック種目・フィールド種目)の条件は、①2019年11月のパラ陸上世界選手権で4位以内に入ること、②2019年4月1日から2020年4月1日までの期間で、パラ陸上の世界ランキング6位以内で、①の条件を満たす選手を除き、国内上位2名であることだ。
このほか、③世界パラ陸上競技連盟が示したハイパフォーマンス標準記録を突破した者が選考対象となる。
ただし、これらの条件を満たす選手が3名以上になった場合、①の条件を満たす者が最優先され、続いて②の条件が優先される。
つまり、パラ陸上の選手が東京パラリンピックへの切符を確実に獲るチャンスは、19年11月の世界選手権にあった。

「自分の中では、十分、狙えると思っています」
パラ陸上世界選手権開幕まで、残り約1カ月となった2019年9月下旬。
パラリンピック初出場を目指す車いすT54クラスの生馬知季(27歳、グロップサンセリテWORLD-AC所属)は、日本代表推薦につながる世界選手権男子100mの4位以内を射程圏内に置いていた。

生馬は19年9月末現在、世界パラ陸上競技連盟(WPA)ランキングで100m4位につけている。
このランキングは、WPA公認大会で出場選手が出した記録をもとに決めれられる。
生馬のランクは、19年1月にオーストラリアの大会で出した100m14秒19が反映されたものだ。つまり、19年1月以降9月末までの公認大会で、この記録を上回る記録を出した選手は、3選手だけということを意味する。
11月の世界選手権に向けて、海外の強豪選手たちがどの程度、どれほど調子を上げているのかはわからないが、ランキングからみれば、世界選手権4位以内は「十分、狙える」と言っていいだろう。

100mは、トラック種目の中で最も短い距離で勝負する。
800m以上の種目では、出場選手の集団の中でどの位置で走るか、どのタイミングで先頭に出ていくかなどを考える必要がある。
他の選手との駆け引きが勝敗に影響する。
これに対し、100mは、スタートからゴールまで真っすぐ100mを一番速く駆け抜けた者が勝者だ。

勝者になるためには、まず、スタートから速度を上げていく序盤で、出遅れてはならない。健常者の短距離走のスタートで、宇宙に飛びだすロケットをイメージして「ロケットスタート」と形容されることがあるが、速度を急上昇することができる力と技術がある選手は、序盤から先頭を獲ることができるだろう。
序盤から中盤にかけては、どれだけ速度を上げられるか。
最高速度が鍵となる。
圧倒的な速度を出せれば、他の選手たちに差をつけることができる。
スタートからどのくらいの距離でレーサーを最高速度に乗せられるかも重要だ。
100mの終盤は、最高速度を落とさずに、さらに速度を伸ばすような走りで、ゴール地点を駆け抜けることがポイントになる。
最高速度に乗った状態で、レーサーがゴールラインを越えるのが理想的だ。

「2年前は、100mの中盤から他の選手に置いて行かれるレースになっていました」
前回、2017年のパラ陸上世界選手権100mで、生馬は決勝に進出したものの、最下位の8位に終わった。
100mの中盤、50m手前付近から、他の選手たちとの差が開いた要因は、生馬のレーサーの最高速度だ。
前を走っている選手たちのレーサーが出していた速度が、生馬の速度より上回っているのは明らかだった。
中盤の走りで、生馬は世界ップレベルの選手たちと自分との差を痛感した。

「2年前の世界選手権の頃は、最高速度は良くても32キロ前半しか出せなかったんです」
国際大会でメダルを獲得する選手たちは、最高速度を36キロ近く出す。
時速36キロは1秒10mで走る速さだ。
これに対し、時速32キロは1秒約8m88㎝。
計算上は1秒で1m12cm程度も差がつく。

レーサーは、スタートラインに横一列に並んで静止する。
スタート時点の速度はゼロだ。
号砲とともに、選手の上半身が動き出し、肩甲骨から上腕、肘の屈伸を介して両腕へ、力が伝えられる。
両手が車いすの両輪の外側にあるハンドリムを押し出し、車輪が連動して回りだす。
タイヤがくくくっとトラックの表面を擦り始め、速度がゼロから1、2、3・・・10、15、20と、グラフでいえば右肩上がりの弧を描くように上昇していく。

レーサーが加速に乗り、速度の違いが明確になるのは、中盤だ。
50m付近になると、選手間の速度の差は距離の差となって、はっきり表れてくる。
生馬は、まず、自分の最高速度を世界トップレベルの選手の時速36キロに近づけたいと考えた。
そのために、2018年の冬季のトレーニングでは、上半身の体づくりに注力した。
ウエイトトレーニングでしなやかな筋肉をつくった。
上半身の軸となる体幹の強さや骨盤の位置などは、以前から継続しているピラティスで整えた。

トレーニングの成果は、19年の年明け早々に出た。
19年1月のオーストラリアの大会で、世界ランキング上位に食い込む記録を出したことがそれを示している。
19年のシーズンはその後も好不調の大きな波はなく、世界選手権前の最後の国内大会となった7月のジャパンパラ陸上競技大会(岐阜市)の100mは14秒36の大会新記録をマーク。11月の世界選手権に向けて調子が上がっていることが伺える。

「最高速度は、平均して33キロから34キロを出せるようになってきました。それに、中盤以降の走りも以前より良くなっていると感じています」
車いすの選手たちはレーサーに計測器をつけて、最高速度などを確認している。
速度の記録から、生馬は自身の走りに手ごたえを感じていた。
11月の世界選手権本番に向けて着々と調整を続けていた。(つづく)

取材・執筆:河原レイカ
写真提供:小川和行

※この連載は、2020年1月に一般社団社団法人パラスポのウェブサイトに掲載したものです。
東京パラリンピックは2021年に延期され、すでに日本代表推薦内定を得ている一部の選手を除き、日本代表選考の詳細については20年5月末時点で明らかにされていない。

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