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繋がりすぎた世界の弊害

「やればやるほど、孤独になるものなーんだ?」
児童向けのなぞなぞの本にこの問題がありました。

皆さんは何だと思いますか?

このなぞなぞの答え、それは「孤独」でした。
ヘビーな問題出すなあと思いながらも、
どこか納得してしまう自分もいました。
そこで、SNSが発達した現代、つまり繋がり過ぎた世界の弊害について
考えていきたいと思います。

繋がれることのメリット

SNSが普及して、多様な価値観の人々と繋がれる時代になりました。
そこには、様々なメリットがあります。

・世界中、どこにいても友達とコミュニケーションを取ることができる
・承認欲求が満たされる
・触れ合うことができないような凄い人を身近に感じることができる。
・情報を手軽に手に入れることができる。

これらのことは、間違いなくSNSが普及したことのメリットといえます。
ただ、一方でSNSが普及したことの弊害、問題点も感じています。

繋がることの弊害


特に僕が注目したいのは、上記のメリットの3つ目の点です。

普段、触れ合うことができないような凄い人を身近に感じることができる。考え方や価値観を知ることができる。

勿論、僕もこの点で大きな恩恵を受けました。TwitterやInstagram、youtubeなどで多くの著名な方の考え方を聞くことで勉強になることが
様々ありました。

ただ、一方で本来繋がることがなかった属性や民度の人が
SNSを介して繋がることが出来る(しかも、一昔前のテレビタレントとの距離感と比べてかなり近い距離感で)ことには大きな危険性もはらんでいる
と思います。

その危険性とは、端的にいうと、本来知る必要なないほどの遠い属性の人々が住んでいる世界を知りすぎてしまうことによって
「嫉妬感情や絶望感を感じる」
「自分の人生を肯定できなくなってしまうこと」
だと思います。

例えば、Twitterやyoutube。
ビジネス系の投稿をしている人が数多くいます。
僕らがよく目にする、彼らは往々にして社長やバイアウトによって
多大な資産を得た成功者です。
すると、僕らが普段目にする機会がないようなお金持ちの方々の日常を
間接的に垣間みることになります。

その方々の発信によって、視野が広がることや刺激を受けることも
多々あります。
ただ、一方でそれらの世界を知ってしまったかがために
言いようのない焦燥感や絶望感に駆られることが
少なからず僕はありました。

逆もあります。
西加奈子さんが以前インタビューでこのようなことを答えていました。

後進国に行って生活を目の当たりにしたときに、
なんて自分は贅沢してるんだと思う。
でも、トランジットでドバイにいったときに免税やっす!って言って
ブランド物を買ってる。その乖離に絶望する。
自分はせこいから、自分と世界の繋がりに思いをはせなかった。

この体験は現地の実体験ですがSNSが発達することで、
今後自分がこれまで目の当たりにすることがなかった、
自分よりも恵まれていない人々の生活を目にする機会も増えると思います。

つまり、自分より豊かな世界も豊かでない世界も
自分と遠かった世界を目にする機会が増えます。
それは、視野を広げるといった利点がある一方で、
実は凄くしんどいことなんじゃないか?そう思います。

まとめ

前述の西加奈子さんは、このようにも語っています。

私達は目を背けたくなる現状をみたときに
そういうものやって、諦めだすの。
自分がいったところで変わらないとか。
いや、でも傷ついてねんやったら、
傷ついていることをなかったことにするのはナシにしよう。
腹立っているなら、絶対にこの腹立ちを守ろう。
どんなにしんどいことでも、ちゃんと向き合おうと思った。

確かに、繋がりすぎてしまうことはひどくしんどいことかもしれない。
でも、そのしんどさにちゃんと向き合おう。
そう思えるような言葉でした。

余談

西加奈子が、
「自分と遠い世界に対して思いを馳せることから目を背けない」
そう思って、書いた「i」という小説があります。
是非読んでみてください!

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