僕が学習支援ボランティアを行ってみて感じた子どもの貧困解決を妨げる最大の課題について

こんばんは、パラダイムのさときです!

noteの投稿はかなり久しぶりの投稿となってしまいました...申し訳ありません。

さて、僕が4月頃にパラダイムを立ち上げようと思ってから約半年が経ちました。

世の中の社会問題、特に子どもの貧困を解決したいと思い、元教え子の大学生と共に活動を行ってきました。

立ち上げ段階は学習支援ボランティアに行ったり、子ども食堂でご飯を食べたりと意欲的に活動してきたのですが、それと同時に「子どもの貧困問題」が抱える問題について浮き彫りになってきたので、今回はそのことについてまとめてみようと思います。

学生ボランティアの限界

僕が立ち上げた団体の方法論の一つとして、大学生ボランティアを児童館などに供給(派遣と言ってもいいかもしれません)することでした。

つまり、子どもが好き、将来先生になりたい、大学生の内に何か行動を起こしたい、世の中の役に立ちたい、など多用な動機を持った大学生達を誘い、共に児童館を訪ねて「学習支援ボランティアへ行ってもらおう」、そういう算段でした。

ところが、これが全くもって上手く機能しないのです。

一度目は僕と一緒に実際に児童館へ行ってくれます。しかし、2回目、3回目とへは中々動き出せないのです。

誘った大学生の中には、教育学部ではない学部の学生もいたため、もしかしたら「子ども」や「教育」といったところに興味が無いのかも、と思いました。

そこで、教育学部の学生を連れていったこともありました。

ですが、教育学部の学生も2度目はありませんでした…

結局、学習支援ボランティアへは私一人で行くことが多かった気がします。

そもそも、なぜ大学生に目を向けたかというと、以下の4つのメリットがあると感じていたためです。

①社会人と比べ、私生活の時間に余裕がある
②大学生達は就職活動に向けて、活動歴をつくりたがっている。つまり、ボランティアを紹介または共に行うことは彼(彼女)らにとっても有益である
③専門学生や社会人と違って、高度な勉強を教えられる可能性がある(大学受験レベルなど)
④子ども達の視点に立っても、若ければ若いほど接しやすいのではないかという目論見

パラダイムの設立趣旨でもある「地域内で教育を完結させる」という目的達成のためには、大学生という存在が必須でした。

大学生が地域の中学生や高校生、または小学生に勉強を教えることで、高額な塾代などをある程度賄うことができると考えたのです。また、進学を全く考えていない子ども達にとっては良いモデルケースになるとも思っていました。

しかし、そんな上手くはいかないものです。僕の目論見は思いっきり外してしまいました。

大学生が続かなかったというよりは、僕が考えていたシステムそのものに欠陥があったというべきでしょうか。

上手く行かなかった要因としては、以下のことが考えられます。

ⅰ.大学生は意外と忙しい
ⅱ.子ども達とのコミュニーケーションがこれまた意外に難しい
ⅲ.実はそんなにやりがいが無い
ⅳ.対価が無いという状況では、自主性や主体性を持って中々行動できないのではないか

一つずつ解説していきます。

ⅰ.大学生は意外と忙しい

大学生は意外に忙しいのだなというのが、僕が半年大学生達と共に行動してきた印象です。

もちろん、暇であるとは思っていませんでした。

だから僕はいつも、「学業を優先させて良いよ!」、「自分のライフスタイルに合った形で参加してね」と、大学生に気遣いつつ活動を促しているつもりでした。

しかし、大学生のやることリストは意外に多く、

・友達と遊ぶ
・アルバイト
・大学から渡される課題やテスト(特に教育学部と看護学部は多いと感じました)
・大学側(ゼミなど)での集まり(これは教育学部に多そうです)
・運転免許を取るために自動車学校に通う(これはほぼ1年生限定ですね)

などがあげられます。

社会人からしたら、「日々の労働と比べると大した事ないよ」と言いたくなるかもしれません。

しかし、彼(彼女)らはこのスケジュールは大変だと感じていることでしょう。この中に「ボランティア」を入れる余裕が無いのです。

もちろん、要領良くこのタスクをこなせる大学生もいるため、この事例をただちに一般化するつもりはありませんが、僕はこの半年そう感じました。

ⅱ.子ども達とのコミュニーケーションがこれまた意外に難しい

これも大きな課題に感じています。

タイトルの通りですが、子ども達とコミュニーケーションを取るのは意外に難しいのです。

僕は予備校に5年勤めていたので、子ども達には色んな子がいることを知っています。

ですが、大学生達の人生経験からすると、まだ出会ったことのないタイプの人達が多くいることでしょう。

コミュニーケーションを積極的に取ってくれる子、人見知りな子、最初っから受け入れてくれる気がない子、子ども達には本当に多様性があります。

予備校と違って、児童館などの公共施設はとても雑多であるため、僕も最初は大変苦戦しました。

僕を含めた大学生達のコンテクストとは明らかに異なった子ども達が、その場にはいるため、コミュニーケーションには苦労するのです。

例えば、いわゆる「ヤンキー」や発達障害に疑いがある子などに対して、どうコミュニーケーションを取れば良いのかという戸惑いがあります。

また、「子どもの貧困」、「児童館」といったキーワードを聞くと、幼い子ども(小学生ぐらい)をイメージする人も多いかもしれませんが、児童館には児童館の方針というか特色があり、中学生を主な対象にしていたり、不登校児を対象にしていたりする児童館もあるなど、その様態にはバラツキがあるのです。

つまり、幼く可愛らしい小学生へ勉強を教えるという学生達のイメージとは裏腹に、リアルな教育現場のような光景を目の当たりすることとなるのです。

もちろん、本来であれば相手を選ぶべきではありませんが、「ボランティア」であるということが、「こうあるべき」という姿勢を貫かせなくさせてしまうのです。

子ども食堂で、児童館にいる子ども達と一緒にご飯を食べていても、この子達と何を話したらいいのか分からずに気まずい思いをしている大学生を僕は見ていられませんでした。

そういうのも経験であるとは個人的には思うのですが、このコミュニーケーションの難しさが、次回への足踏み状態を後押ししているのではないかと感じました。

ⅲ.実はそんなにやりがいが無い

これは、ⅱ.子ども達とのコミュニーケーションがこれまた意外に難しいとも共通するかもしれません。

学習支援ボランティアにやりがいを見出せないのかもと感じることが多々ありました。というか、まずコミュニーケーションが取れていないと、その場を楽しめることもできませんよね...

僕が訪ねていた児童館を出入りしているのは、主に中学生から高校生でした。しかも、勉強を真面目にやるタイプの子ども達ではなく、成績は最下位レベルで高校進学や大学進学など全く頭には無いような子達ですね。

その子達の児童館へ訪れる目的は「遊び」です。児童館内にある体育館で、皆とバスケットボールをすることが楽しいお年頃ですね。

勉強する素振りは全くなく、館長にやや小突かれながら仕方なくテスト勉強や宿題をやるというような感じでしょうか。

確かに、こういった状況では大学生達もやりがいを感じないかもしれません。

実際、僕もその日一日何もせず帰ったことがよくあります。

まあ、塾でも何でもないので、勉強を強制させること自体ナンセンスかとは思います。

しかし、子どもの貧困における最大の課題が「教育」であると感じている僕にとっては、この状況は違和感でしかありませんでした。

家庭環境的に塾に通えないような子達が児童館を訪れるものの、当の本人達は勉強よりもその日一日を楽しむことを主眼に置いています。

児童館などの公共施設を利用する目的は「勉強」ではありませんので、それ自体は間違っていません。

ですが、児童館などの公共施設と子ども達のミスマッチ、社会課題と子ども達のミスマッチ、児童館などの公共施設が求めるボランティアと大学生達とのミスマッチは少しずつ擦り寄せなければ、「子どもの貧困」という課題を解決することはできないだろうという確信を抱きました。

ⅳ.対価が無いという状況では、自主性や主体性を持って中々行動できないのではないか

やりがいが無ければ対価が必要ではないか、いつ頃からか僕はそう考えるようになりました。

はっきり言って対価を出してしまえば、もうボランティアと呼ぶには難しく、アルバイトに近いので理想ではありません。

いや、そもそもボランティアに頼ることが間違っているのか、などとても苦悩しました。

児童館側や僕が想定しているボランティア像が悪いのでしょうか?

ここに関してはまるで答えを出せていません。

ちなみに、沖縄県に存在する一般社団法人「大学コンソーシアム沖縄」が設置した「子どもの居場所学生ボランティアセンター」に所属する大学生には、多少の給料が発生します。

僕がボランティアに通っていた児童館には、そのセンターから派遣された大学生もいました。

結局、公的な機関も有償ボランティアという形に頼っている現状ではあります。

否定するつもりはありませんが、結局お金を使って解決しなければならないのであれば、塾にかかる費用を少しでも捻出してあげた方が良いのでは?という元も子もない発想に至ってしまいます。

行動経済学の理論でいうと、人間はインセンティブに基づいた行動をするため、お給料を与えることは合理的ではあります。

しかし、まだ任意団体で交通費をもまともに渡すことのできない僕のパラダイムという団体では、学生達のモチベーションをマネジメントすることすらできませんでした。

再三の言及となりますが、この点については僕はまだ解答を導き出せていません。

個人の中で葛藤するよりも、もっと多くの人との議論が必要であるとは思っています。

公的機関との関わりにおける煩雑さ

ここで言う公的機関とは児童館などの施設、そしてそれを管轄する市役所及び役所内の社会福祉協議会などを指すと思ってください。

これは僕が個人的に感じたことなので、決して批判では無いのですが、子どもの貧困問題に関わる公的機関と関わるのにはとても煩雑さを感じました。

例えば、パラダイムの大学生メンバーが考えた「英語を遊びながら学ぼう!」的なイベントを児童館で開催させてくださいとお願いしに行った時に、市役所の許可が必要であったり、さらにそこから会議が必要あったりという風な感じです。

要はそう簡単にできるものではなく、まるで稟議のような手続きが必要であることに煩雑であるという感想を持ちました。

しかし、これは当然のことですね。「税金」でつくられた施設であり、税金を持って運営されるからです。

何事においても一個人の決定権で動かせるようなことではないのでしょう。

それに、僕自身が役所などの関係者との関係性が薄く、色々と知らないことがあるのかもしれません。

僕がこのイベントを提案しにいった市役所では、前向きに考えてくれてはいたので、特に不平不満があるわけではありません。

ただ、僕達のような任意団体が公的な機関に対し何かしらのアクションを起こすことは普通のことではないのだなという認識を持ちました。

結局、イベントを児童館の子ども達向けに開催するのではなく、自分達でプラットフォームな居場所をつくってそこで抱える子ども達向けに開催した方が良いのかも...という悩みも増えました。

ボランティアを求める側は長期的なボランティアを求めている

これは当たり前かもしれませんが、やはりボランティアを欲している側は長期的な関わりを求めています。

ですが、その主たるボランティアの大学生達は中々継続が難しい状況にあります。

ライフステージ的に言うと、大学3年生の後半からは就職活動がはじめるため、大学生側がボランティアとして関われるのは実質1〜2年程度でしょうか。現実はもっと短い可能性があります。

僕もパラダイムを立ち上げてからの約3ヶ月は意欲的にボランティアに行ってましたが、仕事が忙しくなったり、団体の運営に切羽詰ったりして、中々ボランティアに行けなくなりました。

もちろん、児童館などの公共施設が継続的にボランティアに来てくれと直接的に言っているわけではありませんが、その空気感はあるかもしれないと感じています。

僕自身もたった1回きりのボランティアやほんの数回程度しか通えないボランティアに対して肯定的ではありませんが、否定もできないとは思います。

なぜなら、僕自身もその体験者であるし、様々な要因により継続できなかった大学生達を目にしているからです。

どうしてもその事業の中で有給雇用されている運営側とボランティア側では立場が違いすぎるため、やはり僕はボランティア側を否定できません。

ただ、この両者のミスマッチを解消できるようなシステムを考えないと、いずれボランティアをやってみようと思う若者が減ってしまうのではないかと危惧しています。

まとめ:システムが必要である!

かなり長いnoteになってしまいまたが、一旦まとめてみます。

・学生ボランティアのマネジメントは難しい!
しかし、学生ボランティアに頼らなければ子どもの貧困解決など夢のまた夢
・任意団体として、市役所などの公的機関と接するのも限界があることがわかった
・ボランティアのあり方(無償か有償か、期間など)をもう少し見直す必要がある

といったところが、これまでの活動として見えてきました。

僕はこれらの課題解決には「システム」が必要であると感じています。

どういうことかというと、学生ボランティアが続かないということであれば、継続できるようなシステムを構築する必要があるということです。

結局、マンパワーに頼っているのです。続く人は続く、コミュニーケーション能力がある人だけが続くというような環境ではいけないと思っています。

そのために、どんな人でも継続できるようなシステムが必要です。

それが、対価によるものなのか、やりがいによるものなのか、というところはまだ答えを出せていません。

僕個人としてはどんなコンテクストの人でも自分のライフスタイルに合ったボランティアへの参加が実現できるよう、僕の団体であるパラダイムの制度に関する整備は進めていくつもりです。

また、県や市町村といった地方公共団体との関わりにおいても何かしら方法はないものかと模索もしていきたいと思います。

このnoteを読んでくれた読者の方とも意見を交わしながら、子どもの貧困解決へ良い理論・方法論がないか皆さんと議論できれば幸いです。

長文となりましたが、最後までお読みいただき誠にありがとうございます。


私達NPO法人パラダイムの活動の共感していただけましたら、是非ともサポートをお願い申し上げます。こちらの支援は子どもの貧困対策事業に使われ、公民館の利用料や参考書購入代金などに活用されます。NPO法人パラダイムの応援を何卒よろしくお願い致します。