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思い出して笑えるということ。

3ヶ月間、職業訓練に通っていた時期がある。正直、気が進んではいなかったのだけれど、何もない自分にスキルをと思い直し通うことに決めた。

3ヶ月間通うことになった訓練校の授業は、当時のわたしには、精神的にきついものだった。


基本的に、3ヶ月後には就職することを目的としていることもあり、自分を知るという内容の授業も多かった。それが、その訓練校の特色でもあった。

すこし嫌な言い方をすると、こちらの気持ちはお構いなしに、心の中に介入してくる授業が多かったのだ。


それは、人によっては新鮮でおもしろい時間になるのだと思う。けれど、以前から病院の先生や相談員の方と時間をかけて自分の内面に触れてきたわたしには、介入のペースが早すぎた。

だからなるべく、一歩引いて先生たちの話を聞くように心がけていた。それでもかなり心はぐらぐらした。

危うさを感じることも度々あった。わたしと似たようなところがある人にとっては、アプローチの仕方が危険な授業もあったと思う。これはわたしの勝手な意見だけれど。


クラスの人数は15人程度。教室のような人が集まっている空間に長時間いたり、人目が気になりはじめたりすると息苦しくなってしまうこともあった。3ヶ月間の後半はとくに、授業の途中で教室の外に出ることも増えた。

通っていた3ヶ月間のことは、一言では語れない。いま思い出せば苦笑いしてしまうほど、たくさん泣いた。3ヶ月以上は通えない。もう充分。

それでも、色んなことを感じて、葛藤して、傷ついて、笑った3ヶ月間だった。


どうしていまこの話をしたのかというと、先日、久しぶりに訓練校に行く機会があったからだ。仕事に関することで教えてもらいたいことがあり、時間をつくってもらったのだ。

つらかったはずの場所に、自分はまた立っている。楽しいこともあったのだ。久しぶりに会ったスタッフさんと、当時のおもしろかったことを思い出して、また一緒に笑っている。それが、なんだかとてもうれしかった。

よく泣いていたよねと、笑われた。本当によく泣いていたのだ。当時を振り返って、わたしも笑う。


帰り道のバスの中、この数年間の自分の変化を感じていた。あの頃のわたしは、あの頃のわたしなりに精一杯生きていたのだと思う。そう思いたい。

いまだったら笑って話せることが、ちょっとだけ増えた。バスの外を流れてゆく金沢の街を眺めながら、そんなことを考えていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございます! 泣いたり笑ったりしながらゆっくりと進んでいたら、またどこかで会えるかも...。そのときを楽しみにしています。