菜食主義と植物の命に関しての雑考

菜食主義と一口に言っても色々ありますが、
「肉が嫌いだから肉は食べない。野菜が好きだから野菜を食べる」
のようなわかりやすいものに対しては何の疑問もありません。
個人的な嗜好の問題なら何の問題もない(何の疑問もない)のです。

自分が気になるのは、
「命の犠牲を減らしたいから肉は食べない」
的な考えの人。
そういう人は可能ならば植物すら食べずにいたいと思っているのでしょうか。
そうならばよいのですが、
植物ならいくら食べてもかまわないと思っているなら
自分には理解できません。

酵母やクロレラやほかの微生物などを培養して、
それらの副産物なり代謝物なりを食料にするということは数十年前から行われています。
主には微生物を増やして、その個体を食用にするというものですが、
微生物そのものを食用にするのではなく、その代謝物を食料にするというものならば生命を失わずに食料を得ることができます。
微生物の1匹も殺すことなく。

そういう選択肢もあるのにわざわざ植物を殺してまで食べ続けるのは
「命の犠牲を減らしたい」
という考え方と合わないような気がします。

微生物性の食品があまり市場に出回っていなのはそれを食べる人が少ないからではないでしょうか。
それを主食とするような人が増えればおいしい製品が安く大量に出回るようになるのではないでしょうか。

「そんなもの食べたくない」
「なんだか気持ち悪い」
という意見はあると思います。
そういう意見が出てくるのは当然ですしそれでよいと思います。
「野菜や果物はおいしいから食べる」
という意見があっても当然です。
ただ、
「命の犠牲を減らしたい」
という理由をいうのであれば命を犠牲にしないで済む微生物代謝食品を食べずに命を犠牲にする植物を食べるというのは矛盾になりますよね。
個人の嗜好のためにより多くの命を犠牲にするという点では
「おいしいから肉を食べる」
というのと等価です。

まあ、
「植物は生物ではない」
という主張であるならしょうがありませんが、
その主張は自分には受け入れることができませんが。


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